雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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山頂から見渡せる距離 (その2) 富士山から幾何学計算では見えない筈の妙法山が見える?!
山頂から見渡せる距離 (その1) の続編であります】

富士山(3776m)の頂上から、どこまで見えるのか? 逆に富士山を見ることが出来る最遠の地はどこなのか? どちらも同じことでありますが、和歌山県那智勝浦町の妙法山(749メートル)といわれております。

和歌山県 那智勝浦町ホームページ 「富士山が見える最遠の地」

●那智勝浦町のホームページを閲覧すると、那智大社の裏山である妙法山(749m)で、土地の写真家が撮影した富士山の写真が掲載されています。あまり鮮明とは言えませんが、たしかに、水平線上に富士山の山頂部分が認められます。富士山の山頂の火口は、南西側から見た場合の直径走向の、北西ー南東で0.75キロほどあります。それを物差しにすると山頂付近海抜3000m以上が見えているという感じがします。あるいは海抜3200~3300m以上ぐらいか? 正確には分かりませんが、妙法山から富士山が見えるのは間違いなさそうです。那智勝浦町では、この富士山の見える限界の場所を「妙法山富士見台」として整備しているようです。むかしの熊野詣の際に、熊野古道から「富士山が見えた」との言い伝えがあったり、地元の山師のあいだでも「妙法山から富士山が見える」と言われていたとのことです。

●それまでは富士山が見える最遠の地は大台ケ原山(1695m)だとされていたそうですが、昔、私は三重県に住んだことがあり、奈良県と三重県の県境にある大台ケ原山はじめ紀伊半島の山を足しげく登りましたが、私も、4月中旬のまだ残雪が残っていたときに大台ケ原山から富士山を確認しています。て言うか三重県中部・南部の500~1000mぐらいの山々から富士山はしばしいば見えます。逆に富士山から伊勢湾の向こう側の山々(紀伊半島の山々)が見えます。もちろん、むかし「異常透明」と表現するような地上で視程50キロ以上のような空気が澄み切っていることが条件でありますが…。


ところが、幾何学的計算では、妙法山から富士山は絶対に見えない計算になるのです。どう計算しても、妙法山から富士山を遠望したら水平線直下に沈んでしまいます。じゃあ、見えない筈の富士山が何故見えるのだろうか? とても不思議です。 

幾何学的な地平距離を計算してみると…

図で示すと…

●計算では、富士山から見えるのは幾何学的な水平線上のB点までで、そこから先は水平線上の向こう側に落ちています。妙法山は見える筈がありません。逆に妙法山から見えるのもC点までで、そこから先は全くみえません。もしB点とC点とが1点に重なる状況であっても、両山から見て、相手の山の頂きが水平線とようやく重なっているという状況でありましょう…。

大気中を進む光は、必ずしも真っ直ぐではない! 曲がることもある。そのために見えない筈のものが見えたり、逆に見える筈のものが見えなくなったりということが起こりますが、長くなるので次のエントリーに続くとします。


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余談
富士山が世界遺産になるんやろか? ああ、なんぼ考えても残念やな。
●富士山が世界遺産となる可能性が高まっていますが、非常に残念であります。世間の常識と裏腹に、これは実は喜ばしいことではないのです。富士山観光でメシを食っている静岡県・山梨県の方から反発がくるかもしれませんが、富士山は両県だけのものではありません。日本人みんなの宝、日本の象徴でもあります。で、異論を唱えることにご寛容を賜わりまして、このような真逆の考え方もあるということで、少し書かせていただきます。

そもそも世界遺産条約の趣旨は、保護・保全です。観光振興などではありません
そもそも世界遺産という条約の趣旨は、普遍的価値のある  世界遺産の“保護・保存” であり “将来世代に伝える” ことなんです。観光振興などでは全くありません。 世界遺産は申すまでもなく1972年にユネスコ総会で採択され1975年に発効した 世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約 にもとづくもので、日本は1992年に参加しています。 外務省の広報 をみても、文化庁の説明 を見ても、世界遺産条約の目的は観光振興だなどとは全く言っていません。官庁の説明の文言を引用すれば 「損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の体制を確立」が世界遺産条約の目的であります。

みんな勘違いしています
ところが、マスコミ報道や、世界遺産登録運動をしている地域の取り組みや、観光業界や、さらには文化庁や環境省でさえ、世界遺産を観光振興のための箔付けの材料と捉えているんです。条約の趣旨が完全にねじ曲げられているんです。こんなおかしな話はありません。もし、富士山が世界遺産に登録されたならば、破壊や損傷から富士山を守るために、登山客の入山制限が必要です。富士山のゴミ問題が言われていますが、富士山の裾野に侵入する道路に検問所を設けて車両進入を禁止する必要があります。究極の保護は富士山周辺に観光客を立ち入らせないこと、遠くから眺めるだけ、です。これが本当の保護・保存です。なお、大沢崩れで崩壊していくのは自然の現象だからしかたがないわけで、ほうっておけばいいのです。そもそも、世界遺産の保護・保全と、観光振興とは、あい容れざる矛盾する概念なのであります。ところが、富士山周辺の自治体とか観光業界は観光振興のために富士山を世界遺産にしようとしているのであって、それは条約の趣旨に照らし合わせると、間違っています。アフリカの国などで、世界自然遺産を保全するための活動資金が不足するために、その財源作りのため積極的に観光客を誘致するということはあるし、認められています。けれども、それは保全するという趣旨のなかでのハナシであって、観光振興ではありません。ようするに、日本の社会の世界遺産にたいする受け止め方や姿勢は、条約の崇高な趣旨に照らすと、まったく間違っています。

富士山が世界遺産になったところで、観光客はたいして増えません
百歩ゆずり拙主張を取り下げて、よしんば世界遺産が観光振興のためのものであったとしても、ハッキリ言って、観光客はほとんど増えないでしょう…。賭けをしてもいいです。日本は世界遺産条約に1992年に参加して21年が経ちました。その間に12件の文化遺産と4件の自然遺産が世界遺産に登録されています。それらの登録後の観光客の入り込み数をチェックしたらじきにわかります。観光客が増えた世界遺産もありますが、観光客が全く増えなかった世界遺産も多いのです。ケースバイケースでありますが、傾向としては知名度のなかった観光地は観光入り込み数は確実に増えます。(白神山地など)昔から有名な観光地ならば世界遺産になったからと言って、観光客増加効果は全く当て外れだったんです。富士山は完璧に後者です。日本人で富士山を知らない人はいません。登ったことがない人は多いでしょうし、まだ見たことがない人はおりましょう。けれども富士山の名を知らない人はいません。そもそも富士山は傑出して超有名な観光地なのです。いまさら、世界遺産でもないでしょう…。それに世界遺産は国内に既に16個もあるんです。もう食傷ぎみです。世界遺産騒動はもううんざりなんですよ…。
世界遺産に登録されたからと言って、必ずしも、観光客数が増えるわけではない! 姫路城の例

富士山は日本の象徴であります。世界遺産からは超越した存在であり、審査の対象外なのです。
●富士山は伊勢神宮と並んで日本の象徴であります。この両者は単に観光資源などではありません。富士山は記紀万葉の昔から、古典文学にたくさん登場します。交通の便がなく歩くしかなかった古い時代に、都であったところから遠く離れた僻遠の駿河の国の山が、詩歌に歌われ文学に頻出するといことは、いかに古代の人々の心を捉えていたかが分かります。伊勢神宮も同様で、昔は、江戸時代以前には人々は一生に一度だけお伊勢参りできるかどうかが唯一の旅行であり、今でいうならば、一生に一度だけ南極にいけるかどうか? というほどのものであったと思われます。この日本人の(観念的なものですけれども)心のふるさとであり、日本の象徴である富士山と伊勢神宮だけは、観光などというものから超越する存在です。審査とか評価がふさわしくない存在です。審査するまでもなく最高級の価値を持つものなのです。

●審査とか評価とか言う場合には、審査員がおって高みから審査対象を見降ろしています。高みから見て、これは良し、これはダメと点数を付けて価値の等級を付けるわけです。その審査する人には非欧米人も多く居るようですがその審査基準は西洋の物という色彩が強そうです。審査するという行為は冒涜ですらあります。富士山は下から見上げるべき存在なのであって、高みから見降ろすのは良くないのです。審査しようが、審査しまいが、富士山と伊勢神宮だけは絶対的な価値をもっている超越的存在であり、審査するのは超越的存在に失礼な行為なのであります。

われわれ日本人は西洋人とは別の文化的背景を背負っています。別の価値観や物の見方を持っています。例えば、西洋人は自然を「管理するもの」「人間の役にたてるもの」という考え方をが強いので、じきに保護するなどと言います。けれども日本人は自然を「人間と対置するもの」と考えないです。人間も自然の一部であり、人間は自然の中に溶け込んで共存するもの、したがって自然を管理だの保護だのという傲岸不遜な考えはなく、自然から恵みを戴くものと考えるわけです。伊勢神宮(正確には神宮、あるいは伊勢の神宮です)は20年に1度神殿を建て直す式年遷宮という文化があり、もし世界遺産にしようとするならば建物自体ではなく1200年前の建築様式を継承している無形文化を評価せねばならず、世界遺産に推薦しづらい面がありましょう。しかし、ここには西洋の石の文化とは全く異なる文化があるわけで、この一点をみただけでも世界遺産の基準で評価などできないものです。このような文化の相違、価値観・自然観の相違から、西洋の基準で富士山や伊勢神宮を審査対象とさせたら、冒涜以外のなにものでもありません。富士山と伊勢神宮だけは、世界遺産などという西洋の価値基準に基づくものからは超越した存在なのです。世界遺産など無視して相手にしない…、という姿勢が日本人としての誇りや矜持でありましょう…。


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