雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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世に盗人の種は尽くまじ、ブログのネタも尽くまじ。
●「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」 とは希代の大盗賊として天下に名を馳せた石川五右衛門の辞世の句であります。石川五右衛門が一族郎党とともに厳罰に処せられたときの句でありますが、この世から石川家が消滅しようとも、浜辺の幾万とも億とも無数にある砂粒が消滅しようとも、つまり取り尽くせないほど無数に存在するものが取り尽くせたとしても、世の中から、泥棒をはたらく材料はそれ以上に存在する。沢山ある。いたるところに泥棒をはたらくチャンスは存在し、盗む “ブツ” はそこらへんどこにでも転がっている。それは浜の真砂(まさご)よりも沢山あるぐらいだ。したがって世の中から泥棒の種は消え去ることは、けっしてないのだ。泥棒一族の石川家が絶滅しても、新たな泥棒集団はウンカのごとく湧いてくる、世の中から泥棒がいなくなることはないのだよ。あはははは。という意味でありましょう。

●「青年よ、独立せよ。大会社にあこがれるな。商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」という名言を吐いたのは、阪急グループ創業者である小林一三であります。山梨県出身の大実業家であり、政治家でもありました。Wikipedia 小林 一三(こばやし いちぞう)参照。世の中、どんなに景気が悪かろうが、消費が落ち込もうが、不況のどん底であろうが、アイデアを出し創意工夫をし努力し挑戦さえしたならば、商売の種はどこにでもあるし、いくらでも転がっている。実は仕事が無いなどということは無いのである。実は不況こそが起業の絶好のチャンスなんだよ。ビジネスチャンスはいたるところに転がっているんだよ。と言っているのでしょうけれども、ま、これは小林一三ほどの大実業家であるからこそ吐けた言葉かもしれません…。

●これらの、希代の大盗賊の石川五右衛門も、不世出の大事業家も、言っていることは全く同じです。泥棒のタネはいくらでもあるというのも、商売のタネはいくらでもあるというのも、ほとんど同じ意味でありましょう。違いは、反社会的な泥棒と言う裏稼業(虚業)か、表稼業(実業)かの違いだけで、世間の評価の方向が逆のベクトルを向いているだけであります。それは、それほど本質的な違いではなく、貸借対照表に資産の部と負債の部とがあるのと同じようなものなのです。我々のようなしがない庶民では、なかなか、そういうふうには思えないのですけれども、実は何事においても物事のネタというものはいくらでも、どこにでも、沢山あるということでありましょう…。

●さて、あまり親しいわけでも、付き合いが深いわけでもないが、ある人から 「おまはん、ブログをやっているけど、そろそろネタ切れ、書くことが無いよなるやろう」 などと言われました。で、すこしおこがましく尊大になってしまうけれども、上述の石川五右衛門や小林一三の名言を借りて、そいつに返す言葉としたい。

「ネタが無くなる」 などとアホなこと言うな。日々毎日、次々に自然現象は起こりますし、社会でも毎日何らかの事件や事象がわんさかと無数に起こります。世の中にネタは浜の真砂のようにあるのですよ。書く材料がなくなるなどということは絶対に有り得ません。たとえば新聞はそれらを追いかけています。記事の材料は無数にありボツになる原稿のほうが多いです。“昨日は何も起こらなかったので報道することが何もございません” と白紙の新聞が発行されることは絶対にありえません。仮にもし、本当に何もなかったならば、“何も無かったこと自体が特筆すべき事件” であります。世の中なにも起こらず穏やかで凪のような良い1日でした、という紙面にすればいいのです。ブログでも同じです。ブログで書く材料・ネタ・テーマはそこらへんいたる所に、沢山転がっています。ネタはどこにでも、いくらでもあるのです。ブログをすることがアホらしくなって止めるとか、多忙になって継続が困難になるということはあり得ましょうが、書く材料・ネタが尽きるなどという理由によって、ブログを止める、あるいは停止に追い込まれるということは、絶対にありえません…。

……と、ここまで書いて一服のコーヒーを呑んでいると、「こんにちわ」と声がするので玄関に出たらランクルさんです。また、ランクルさんからモズクをいただきました。瀬戸内海産の高品質の天然モズクであります。いつも、ありがとうございます。で、ブログの記事を書くネタが転がり込んだ格好です。グッドタイミング! 何でも記事の材料になります。何を書いてもいいんです。公序良俗に反したり、極端な誹謗中傷、極端な事実無根の虚妄説でない限り、明白に著作権法抵触でない限り、何を書いても自由なんです。やっぱりネタはどこにでも転がっています。


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自給自足のすすめ、採集自足のすすめ、モズクを採りに行きましょう
瀬戸内海は、放射能汚染されていませんから、ランクルさんから戴いたモズクは安心して食せます。まずモズクをよく観察してから、三杯酢で戴きたいと思います。コクモンジのお酒のサカナにはとてもいいです。ところでコクモンジのお酒は見事失敗です。酢みたいなものになりました…。アルコールが出来なかったから酒税法違反をまぬがれました。(未遂罪に当たるかもしれないけど。)

国民を護らないこの国の政府
ちょっと話題はそれるのですが、ハッキリ言って、この国の権力者たちは国民の生命・健康・人権・財産など護るハラが全くありません。主権者が誰であるか全くわきまえていません。申すまでもなく主権者は国民です。国会議員でもなければ官僚でもありません。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」 と現行憲法前文に国民主権を高らかに謳っております。政治家は正当な選挙で選ばれたとしても、国民から信託をうけた代表者なのであって、第一義的には主権者はあくまでも国民なのです。まして、官僚が主権者などとは憲法のどこにも書いてありません。官僚はどんなに優秀であっても正当な選挙で主権者から信託を受けた存在では全くありません。官僚は事務員でしかありません。せいぜい高級事務員というところか? 

ところが、国会で承認される法律の8割前後は内閣法制局が法案の草稿を書いています。各省庁から内閣法制局に出向している高級事務員が法律を作っています。国会法制局が作る議員立法はわずか2割程度しかありません。よく見れば、その2割の議員立法だって実質は議員立法ではないケースがかなりあります。議員立法という形で法案を上提するほうが法律を作りやすい事情があるみたいです。憲法第41条に、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」とハッキリ明記されているにもかかわらず、行政府に属する事務員がほとんどの法律を作って、主権者である我々国民を規制・監督・監視・支配・束縛・抑圧しておるんです。国民有権者1億人が国会に行って議論する直接民主主義は現実には無理だから、選挙で代表を選ばざるをえないにしても、その代表は法律を作るのでは全くなく、行政府の事務員が作った法律をただ認証しているだけです。これでは主権者たる国民は浮かばれません。ええように、やられるだけです。小沢一郎さんが「立法権を国民に取り戻す」と言っているのはこの事なんですが、これが理解できずに、総務省や文部科学省に首根っこを押さえつけられている新聞・テレビのプロパガンダやネガティブキャンペーンに簡単に乗せられてしまう有権者が7~8割もおるのでは、どうにもなりませんですな…。

主権者ではない者どもが、主権者である国民に牙をむいて歯向かっています。主権者の権利を蹂躙し、主権者の健康を脅かし、主権者の財産を簒奪しています。厚労省や文部科学省が、以前の基準では低レベル放射性廃棄物に当たる汚染レベルの食品の流通を、容認あるいは推進しています。主権者に晩発性放射線障害の発生実験を強いているようにさえ見えます。ようするに、この国の支配者どもは戦時中に人体実験をやった関東軍防疫給水部、別名、あの悪名高き731部隊となんら変わらないということでしょ。加担する御用学者らはさしづめ現代の石井四郎なのでしょうかねえ?

自分の身は自分で護るしかない
もはや、この国では、個人個人の自助努力・自己救済でしか自分の身を護れないことがハッキリしました。そういう認識・前提において、自分の食べる物は自分で作るか、あるいは採取するということが、生き残るための1つの戦略となってきましょう。さいわい、瀬戸内海には放射能汚染はほとんど及んでいないようですから、皆さま、磯が引いたらモズクを採りにいきましょう! モズクの採取のやり方はランクルさんに教えてもらいましょう。
 ランクルさんが運営しているサイト 「みはり番・淡路島」

去年の6月にも、モズクを頂いています。2012-06-06の記事
  
まず、モズクをよく観察します。違うものを採らないように…
●ランクルさんから頂戴したモズクでありますが、食べる前にまず観察をしました。直径19.5センチのお皿に水をはって、モズクを浸してみた。磯でモズクが自生している状態の再現実験であります。

実を言うと、モズクの標本を作ろうとしました。標本には腊葉標本(さくようひょうほん)と、液浸(えきしん)標本があるけれども、腊葉標本(押し花と考えてよろしい)を作ろうとしましたが、モズクを脱水乾燥するために、モズクを吸い取り紙で挟んで上に置く重しが重すぎて、モズクの組織を潰してしまったのであります。モズクの乾燥押し葉標本ならぬ、“モズクのせんべい” みたいなものが出来てしまったのであります。

ま、失敗は成功の元、ふつう100の失敗の中から1の成功がでる、成功の歩留まりは1パーセント以下。失敗は成功の元というのはウソで、世の中失敗の連続で終わることが多いのです。こんどモズクを戴くことがあったら、再度標本作りに挑戦、もし100が1成功した暁には、その標本を額に入れてランクルさんに進呈いたします。もちろん、このブログにその写真を発表します。

南あわじ市津井産 モズク

モズク 拡大写真
● ↑とりあえず、モズクの生品の観察です。肉眼で見える範囲の観察です。押し入れ(?)から顕微鏡を出してきて胞子などのミクロ観察もすれば更に宜しいのでしょうが、じゃまくさいので、とりあえずマクロ観察です。上側写真に写っているモズクは左右の長さが15センチです。下側写真は、上写真右下部分をクローズアップしたものです。

観察結果】 大潮で磯がよく引き、潮間帯下部あるいは最下部まで海面が下がって、タイドプール(磯にできた潮だまり、小さな池)の海水のなかで、モズクがゆらゆらと岩にくっついています。上の写真はその状態の再現実験です。

1、根もとの石づき、すなわち茎の基部は1つというか1箇所である。

2、その基部から、3~4本の茎(主幹)が出ている。叢生しているという感じである。
  ただし、写真以外のものを観察すると、1本だけの茎の個体も多い。

3、その主幹から側枝が沢山でているし、側枝が更に分岐して枝をだしている。
  しかし、どれが主幹なのか側枝なのか判然としないことが多い。

4、そのように分岐に分岐を重ねて、モズクの体全体はぎやかに繁茂している。
  海中でゆらゆらと水流にたゆたう様子は、仙人のひげのように見える。

5、モズクの体は非常に細く、茎の基部では太さ2~3ミリあるかもしれないが、
  枝の方では1ミリあるかなしかである。全体の長さは基部から先端までは写真の
  個体では10センチほど。大きなものでは20センチあるかもしれない。

6、モズクは体全体に強いぬめりがある。ぬめりがあるので掴みにくい。ウナギの
  ように掴みにくい。

7、モズクの基部ならば、ぬめりが少なく掴むことができる。

8、モズクの体は非常に柔らかい。潰れやすく、溶けやすい。

9、モズクの色は、黒っぽい茶色、茶褐色あるいは黒褐色である。



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