雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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サクラ (桜) について考える。(その2) 野生のヤマザクラ(山桜)は森林破壊の証拠。
“ヤマザクラが沢山自生しているのは森林破壊の証拠だ” ということを議論するにあたり、次に、「遷移・せんい」という森林生態学の理論を少しばかり認識する必要があります。

●この世に生を享けた人間は、幼年期から少年期そして青年期へと、さらには壮年期から中年期そして高年期へと、さまざまな生長過程を経て老成していくのであります。ミクロレベルで細胞は新陳代謝を繰り返して入れ換わり、マクロレベルの身の姿は年月ともに変遷してきます。地表を覆っている植物の集団、すなわち植生も全く同じであります。年月とともに植生は、その植生を構成している草や樹木の種類を次々に変え、その植生は変遷しています。この世にある万象は流転し、生死輪廻(しょうじりんね)し、片時たりとも同じ姿ではなく変遷してゆくのであります。

遷移(せんい)とはなにか?
「遷」は、うつ-る、うつ-す、と訓む。ある場所から別の場所へと変位することであります。また、ある状態から別の状態へと変化することであります。「移」も、うつ-る、うつ-す、と訓み同じ意味であります。同じ意味の語を2回重ねて強調し、畳語(じょうご)表現となっています。身の回りの植生を観察していると、とくに、森林伐採した跡であるとか、山火事で植生が破壊されたところとか、山崩れで表土が崩れ落ち裸地がむき出しになったところなど、観察していると3年経ち、10年経ち、30年経つと随分と変わっていくことに気づくのでありますが、この変化していくことが遷移に他なりません。

●非常に気の長い事を申せば、かつて氷河期には平均気温が6~9度も低下(資料によって挙げる数字は違うが)し、西日本では冷温帯のブナが平地まで降りていたのが花粉分析でしられています。おそらく淡路島南部でも麓ではブナ林が広がり、ミズナラとかウラジロモミとかの海抜1000メートルあたりで見られる風景が広がっていたと想像できます。しかし氷河期が終わり、平均気温が上昇するにつれて冷涼な気候を好むそれらの樹木は夏の暑さが耐えられず、平地では消えて行ったハズです。そして、南の方から急速に分布を広げてきたシイやカシ類が優占していったと思われます。いまでも、諭鶴羽山の裏斜面の涼しいところには、氷河期の生き残り(遺存)として冷温帯の植物ツタウルシとかシャクナゲとか僅かに残っております。このように地質年代的な長い時間の中でも植生は変化しています。これも遷移には違いないですけれども、この気が遠くなるような長大な時間変化は “地史的遷移” と言っているようです。普通、遷移と言う場合は、この地史的遷移ではなく、数100年で極相に達する時間スケールのなかでの変化の “生態遷移” を言うようであります。 

遷移と言っても色々な分け方があるけれども、大雑把に、生態学の教科書を丸写ししたような文章になって全然面白くないですけど、ヤマサクラの存在が森林破壊の証拠であることを論じるためには、しかたありません。

乾性遷移 …… 陸上の裸地から始まる遷移。模式的には、裸地 → 地衣類や蘚苔類 → 1年生草本 → 多年生草本 → 低木 → 陽樹 → 陰樹 → 陰樹から成る極相林となって平衡(安定)する。しかし現実にはこんな教科書の記述のようになるわけではありません。遷移の途中で、ウラジロやコシダがびっしりとはびこったり、ネザサが密生したりすると、樹木の幼木が全く育たず、遷移の進行を停止させたりします。かつて諭鶴羽山の稜線はネザサ(正確には毛があるケネザサ)がびっしりとはびこり、樹木が全く入り込めませんでした。

湿性遷移 …… 湖や沼や池に、土砂や有機物が流れ込んで堆積して埋まっていき、次第に浅くなりやがて陸地化します。そして草が生じ、森林となっていく変化。

一次遷移 …… 火山の溶岩流跡など植物の種子や地下茎などが皆無の状態が出発点になる遷移。日本には桜島や三原山など観察適地が沢山あります。歴史上何回も噴火した富士山の溶岩流跡は古い物や新しい物が沢山あり、良い観察ポイント。

二次遷移 …… 森林の伐採跡など、土中に植物の種子や地下茎や根が含まれる状態から出発する遷移。身近で見られる遷移は、伐採跡や、山崩れ跡や、洪水の氾濫源や、種々の要因で一斉枯死など、大なり小なり地表や地中に種子や根があり、ほとんどが二次遷移。


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以下に、遷移の各段階の植生写真を掲上したいと思います。なお、これは兵庫県の淡路島南部の南あわじ市での事例であります。申すまでもなく、別の地方、別の気候・植生帯では樹種などがらりと異なります。

↓多年生草本の段階

ススキを主体とする多年草群落
↑おそらく、宅地造成で丘陵を切り開いたところであろうかと思われます。せっかく造成したのに、売れなかったのか、開発した不動産会社が倒産したのでしょう。放置されて草ぼうぼうです。勿体ないですね。放置して何年になるかは調査しないと不明ですが、多年草であるススキが生え茂っております。遷移は片時も休まず進行しています。太陽の光に良く当たらないと育たない陽樹のクロマツの子供がたくさん侵入しています。他にもネズという針葉樹や、トゲの多いカンコノキという樹木の子供が侵入しています。この場所はクロマツが多いのですが、南あわじ市では、このような所には、真っ先に侵入してくる樹木にはクロマツの他タラノキ・ニワウルシ・ムクノキ・アキニレ・オオバヤシャブシ・モリシマアカシアなどが目立ちます。

↓低木の段階陽樹のクロマツの幼木林が出来て、ススキが消滅していく
↑多年生草本がはびこる所に陽樹のクロマツが侵入して、クロマツが生長してくると、ススキなどの草よりもクロマツの方が背が高くなります。草はクロマツの日蔭になり生長が悪く、まもなく消えていきます。ススキは強靭な草ではありますが、太陽の光が良く当たらないと育ちません。陽生植物です。耐陰性が非常に強くて鬱蒼と茂る林床でも生きられる草もないことはないですが、多くの草本植物は薄暗い森林の中では生きられないです。特に、常緑樹が茂る照葉樹林帯では鬱蒼と茂る森林の中には草本植物は非常に少ないです。

↓陽樹の段階
陽樹のコナラとクヌギによる二次林が成立した
↑本来あるべき森林が破壊された跡にやがて成立する森林を広く “二次林” と言うようですが、シイやカシの森を伐採した後に出来る萌芽林は別として、普通は、二次林は陽樹から成る森林であります。色々な樹種から成るのでありますが、クロマツ林であったり、オオバヤシャブシ林であったり、コナラ林であったりと色々です。ヤマザクラが異様に多いこともあります。遷移の途上で先ず陽樹からなる森林が成立することが多い理由は色々ありましょうが、陰樹よりも陽樹の方が生長が非常に早いこととか、陽樹の種子は小さく軽く風散布などで飛来する可能性が高く、遷移の初期の強光下の環境は陰樹には厳しいもの、などが上げられましょう。

写真の二次林は、おそらく伐採後40~50年ぐらいだと思います。かつては薪炭林として伐られたものと思います。クヌギとコナラが非常に多いのですが、少し林に分け入って観察しましたところ、クヌギやコナラの幼木は全く見られずに、かなり沢山のアラカシの子供が林床に侵入していました。クヌギやコナラが数十年後に枯れていくと、カシ(樫)林に変わるものと予想できます。


↓しだ植物のコシダが密生して、遷移の進行を停めています。コシダがはびこると遷移の進行が止まってしまう
↑シダ植物のコシダやウラジロが密生したり、背の低い(2~3mの)ネザサがはびこると大変です。これらが密生すると、頭に髪の毛が生えているように密生するので、他の草や樹木が侵入できません。理由はハッキリしています。あまりにも密生しているので、地表に落ちた草や樹木の種子が発芽しても、太陽光が当たる所まで伸びられないのです。50cmも1mも密生状態なので光があたりません。種子が発芽してモヤシのように伸びても太陽光があたるところまで伸びられずに力尽きてしまいます。また、種子の発芽に光が必要な植物が沢山あります。そういうものでは発芽そのものが出来ないでしょう。

●山中の二次林の中に、点々と浮かぶ島のように、コシダの生育場所があります。コシダはせいぜい1mか1m半程度の高さしかないので、森林の中でそこだけは樹木がなく明るくなっています。ちょうど森林の中にできたギャップのようになっています。しかしながら、コシダとて太陽が当たらないと育たない陽生植物です。そのコシダ群落が小規模であったならば、周囲の樹木が生長するにつれて日蔭となっていき、コシダも消えていく運命であります…。

●しかし、そのコシダやネザサの群落が大きかったならば、森林に移行しないままの状態で安定してしまいます。昔、諭鶴羽山は別名を篠山(ささやま)と言い、山の尾根伝いに大規模なネザサ群落がありました。篠山という地名ができたくらいですから、昔から長年月ネザサの群落が安定的に存在していたハズです。こういうものは妨害極相と言われていまして、森林への移行を妨害しつつネザサ群落じたいが極相になっているという意味でありましょう。今の地元の若い人は知らないでしょうが、諭鶴羽山のネザサの極相群落が破れたのは、確か昭和43年ぐらいでしたか? ネザサが一斉開花して枯れたためであります。したがいまして、諭鶴羽山系の中腹から上の広い範囲で、森林の古さは樹齢が45年ぐらいでよく揃っております。


↓以下2枚の写真は、陰樹の段階でありますが、シイの大木が多数見られるので極相林となっています。南あわじ市八木馬回 天野神社の社叢林陰樹のシイが優占する極相林
シイの極相林
↑陽樹の森林も鬱蒼と茂ると林床が暗くなります。低木層にヒサカキだとかツバキなどが生じるので、いよいよ林床が暗くなります。そうすると陽樹の子供は全く育たないです。いつしかシイとかアラカシ(粗樫)が侵入してきて育ちます。陽樹が枯れた後にシイ林やカシ林に交替して行きます。諭鶴羽山の400m以上ではアカガシ(赤樫)林になります。これら陰樹の幼木は耐陰性があるので、親木が寿命とか、台風や落雷や病虫害などの事故で倒れても、陰で待機していた子が親木の後継者となります。で、陰樹どおしでうまく世代交代をして、その後はシイ林やアカガシ林が安定的に継続していきます。めでたく極相林の成立です。

●しかし必ずしも、そう古い教科書的に事が運ぶのではありません。極相林が成立した後、古木や大木が台風等で倒れると、鬱蒼とした林冠にポッカリと穴(ギャップ)が空き、青空が見え太陽光が差します。そこへ陽樹の種が風で飛んできたり、鳥が運んできます。陽樹の方が生長が早いので、待機していた陰樹の子供よりも早く生長します。ある意味では、日蔭では育たない陽樹はギャップを渡り歩いて生きながらえているともいえそうです。そのギャップで生育した陽樹もやがて枯れますが、枯れる頃にはその陰で陰樹の後継者が育っているので、ギャップの中の陽樹はたいてい一代限りです。(ギャップダイナミクス理論) ようするに、極相林とか原生林、自然林、色々な言い方が有って意味はみな異なるのですが、鬱蒼と茂る森林の構成樹種は陰樹が圧倒的に多いのですが、しかし、陽樹が消え去るわけでは全くないのです。

●論より証拠。下段の写真の中に、白骨のような木が見えています。4月17日に撮った写真ですが、まだ新芽が出たばかりで展葉していません。枯れているわけじゃありません。これは極相林の中の典型的陽樹のニワウルシです。南あわじ市では別名のシンジュのほうが認知度が高いようです。
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