雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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新聞の醜い主張。 新聞の軽減税率の密約があったのかも? (その2)
いまや、新聞は完全に腐敗しています。悪臭を放っています。新聞は権力者たちの広報紙でしかありません。読者すなわち多くの国民・有権者の側から見て、もはや何の “存在理由” もありません。

拙稿 新聞の醜い主張。 新聞の軽減税率の密約があったのかも? (その1) で新聞不信・新聞否定の叙述をいたしましたが、同じような見方はあちこちから挙がっています。新聞に対する信頼性は崩れ去り、新聞不信が広がっています。新聞を倒せ! という過激な意見もあちこちから出ています。新聞を “兵糧攻めにせよ! すなわち“新聞の購読を止めよう” という声さえ挙がり始めています…。

今なぜ言論はデタラメ政府を許しているのか 政府の宣伝新聞が「文化」をいう怪  

「日々担々」資料ブログ さんが日刊ゲンダイの記事を転載しています。まとめサイト的な性格の濃厚な「日々担々」資料ブログさんは著作権法違反の疑いが濃厚であります。しかし、いまは親告罪である著作権法侵害は、侵害された方が訴えないかぎり問題とならないのですが、著作権法改正によって、2013年1月1日から親告罪ではなくなります。捜査当局が著作権侵害がありと判断したならば、訴えが無くても捜査・起訴出来るようになりました。で、年が変わってからは、多くの政府を批判する反体制ネットサイトが摘発され、強制閉鎖させられることとなるでしょう。おそらく「日々担々」資料ブログさんも強制閉鎖の対象になるでしょう。しかし、この問題はちょっと横においておきます。(また、後に議論したいと思います)

で、転載された日刊ゲンダイの記事はまことに素晴らしいの一言に尽きます。

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転載の、さらなる引用の開始
法大教授の須藤春夫氏(マスコミ論)が言う。
「新聞メディアの主張は支離滅裂です。国の借金を減らすのが大事だと叫んでいながら、増税の影響が自分たちの足元に及ぶと反対だという。ジャーナリズムとしての見識を疑います。消費増税に対しては、一定の比率で反対意見があります。しかし、新聞メディアは、増税に賛成しているという論調を伝えるにあたり、異論や反論を組み込もうとしなかった。読者に多様な言論を提供せず、ひたすら政府の後押しをしてきたのです。批判には目もくれなかった。それでいて新聞社の企業利益という視点は大々的に取り上げ、税金をまけろと訴えている。ご都合主義と言わざるを得ません」

政治評論家の山口朝雄氏が言う。
「第三の権力と呼ばれるメディアには、権力をチェックし批判する使命があります。ところが、新聞テレビの報道姿勢は必ずしもそうなっていません。なかなか辞めようとしなかった田中前法相に対しても、もっと厳しく批判しておかしくなかった。辞任後に、ああだこうだと論評しても遅いのです。しかも、国会審議を形骸化する3党の野合に対しては、批判どころか、高く評価する始末。感覚が狂っています」

ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファウラー氏は、近著「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」(双葉新書)で、〈一番の被害者は日本の民主主義そのものだ。「権力の監視」という本来の役割を果たしていない記者クラブメディアは、権力への正しい批判ができていない〉と書いている。
ファウラー氏はかつてニューヨーク・タイムズ紙で「日本のメディアはまるで官僚制度の番犬のようだ」と主張していた。新聞の了見違いは、だれが見たって明らかなのだ。それなのに「民主主義や文化のために新聞の税金を安くしろ」と大マジメに展開する。政治状況と同じぐらいに絶望的だ。

元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏が言う。
「日本の新聞は権力の横暴を暴くのではなく、権力に迎合している。政府や役所の言い分をすべて聞き入れ、代弁者として報じるだけ。ジャーナリズムでも何でもありません。政府が世論操作するための広報機関に成り下がっている。本来、伝えるべきことは、国民が豊かになる情報です。だが、彼らは何を伝えなければならないかを考えていない。普通の民間企業と同じです。利益を上げて生き残るために、権力と結託した格好。日本の文化だ何だと言っても、相撲と同じように八百長が横行している。本当に情けない限りです」

「新聞は再販制度の対象として法的に優遇されてきました。言論メディアは、一般的な会社と違って独自の有意性があると認められてきたのです。残念ながら、今の新聞は、優遇に値する働きをしていません。原発問題にしても、6割を超える反対の声があり、官邸デモに駆け付ける人たちもいるのに、反原発には耳を貸さず、自分たちの論調だけを読者に伝えた。我々が国民をリードしているという驕(おご)り以外の何ものでもないでしょう。昨今の新聞離れは、メディアの技術革新のせいだけではありません。多くの読者=国民が、新聞は自分たちの側に立つメディアではない、と思い始めている。新聞社はなぜ読者にソッポを向かれているのか、しっかりと自覚すべきです」(須藤春夫氏=前出)
転載の、さらなる引用の終了

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●まったく諸氏が辛辣に指摘する通りであります。新聞不信はここに極まれり、という感じです。原発やめろという首相官邸前の抗議デモのYou Tube動画を見ていても、(大飯原発の)再稼働反対のシュプレヒコールのほかにも、マスコミ(当然、新聞も含む)は真実を報道せよ!との声も挙がっていました。国民のあいだで「マスコミはウソを言う」との認識が急速に広がりつつあります。

いまでは、情報を手に入れる手段として、新聞(テレビも)の比較優位性や絶対性は根底から崩れています。私的なことを申せば、わたくしは気象に関して強い関心を持つものですが、情報入手については拙ブログのリンク欄に掲げている気象庁サイト(各地気象台を含む)をはじめ、日本気象学会や気象に関する有力ブログ等を毎日閲覧しています。いまやインターネットで、高層天気図や専門天気図も見ることができます。かつては大枚をはたいて気象ファックスを導入しない限り一般の者が高層天気図など見れませんでした。いまや言語の壁はあるのですが、海外の気象機関のサイトもネットで自由に見られます。そういう時代になっているのです。新聞の天気図欄や気象に関する報道は、程度が低くゴミです。見るに値しないのです。

かつては、直接に、それらの機関等から “一次情報” を得ることは非常に困難でした。それら機関等を取材した新聞記事とか書物などで “二次情報” として知るのみでした。しかし、ネットの出現と普及で、一次情報への直接アクセスが容易になったのです。これが新聞がお払い箱になりつつある理由の一つです

人それぞれ、関心のある分野はことなりましょうが、各自が関心のある色々な分野の情報がネットで、かなりの質・量とも、直接に関係機関から手に入れられます。もちろん非公開情報もありますから、全ての情報が入手できるわけではありませんが、新聞報道よりも遥かに詳しい情報がネットで入手できるのです。新聞の優位性は根底から覆されているのです。

●そういう社会情勢変化に対応して、新聞は “権力者たちの広報機関” となって生き残ることを考えたのでしょう。その象徴的なことがNIE(教育に新聞を)です。ある若手の自民党国会議員が新聞販売店業界から、5年間で3000万円ほどの政治献金をもらいました。その議員は熱心にロビー活動をして、文部科学省が “小中学校で新聞を使って学ぼうとするNIE政策” を強化するように、しむけました。その議員は新聞族議員といえましょう。もちろん、生徒のいる家庭では、新聞を購読していないと困るようにしむけるのが本当のネライです。また、生徒が大きくなったとき新聞購読しなければいけないと、洗脳することを狙っているのです。ハッキリ言って、これこそ国家権力と新聞業界の癒着であります。生徒のための教育行政ではけっしてなく、新聞業界の販促のためなのです。

その、国家権力と癒着して、“権力者たちの広報機関” として生き残りを図る画策自体がむなしいほど社会は変化しています。なぜならば、その国家権力の政策自体がネットでいくらでも閲覧できるからです。なにも新聞報道など読まなくても、政府官邸や、財務省や、経済産業省や、環境省のホームページを閲覧すればいいのです。政府がどういう政策をしようとしているのか、新聞報道よりも遥かに詳しく分かります。端的に申せば、新聞は要らなくなったのですよ。もう新聞はお払い箱です。

●新聞が必要だという人々は次のように言っています。

「新聞をやめたら、テレビの番組がわからないな」
「新聞をやめたらスーパーの安売りチラシが入手できないな」
「新聞をやめたら日とか曜日が分からなくなる」
と高齢者。

しかし、これらの言は新聞の報道が必要だといっているのでは全くありません。いわば、新聞本体が要るのではなく、新聞についてくる付録が必要だというだけであります。こんなことを言われるようでは、新聞の沽券は丸つぶれです。情けないなと思います。しかし、その付録とて土台からゆらいでいます。いまやケータイやスマホが時計代わりであり、カレンダー代わりであります。ネットでテレビの番組はわかります。スーパーのチラシを束ねたフリーペーパーが地域ごとに出されつつあります。いよいよ新聞は要らなくなります。

●このような社会情勢変化に対応して、新聞が生き残るにはどうしたらいいのか? それは簡単です。読者の立場に立って、真実を書けばいいのです。不偏不党、できるだけ中立公平な立場で、客観的に書けばいいのです。とにかく、いたずらに権力者たちの広報紙というのは即刻に止めるべきです。もちろん、読者と十把ひとからげに言っても、読者は一様ではありません。読者にも色々な立場があるでしょうから、できるだけ多様な意見を紙面に反映させるべきでありましょう。その意味では必ずしも中立である必要はなく、新聞各紙いろいろ個性的であるのはむしろ好ましいでしょう。記者クラブ談合体質横並びは即刻やめるべきです。いま、国民の各界各層で新聞批判が澎湃として沸き起こっていますが、何を問題視しているのかと申すと、それは今の新聞が政府等の大本営発表を垂れ流してばかりいることや、既得権益勢力の代弁者に成り下がっていることなのです…。これが新聞離れの大きな要因なのです。

(拙稿は続く)
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