雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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沼島での「石のお花見」観察会の、写真ギャラリー(前篇)
●自己批判すると、「石のお花見」は自然観察という意味では大失敗でありましたが、物見遊山のイベントという意味では失敗などではなく、むしろ、大成功でありました。その理由は参加者から不満の声が一切なく、珍しい物がみられた、いい所に案内してくれた、という声がいただけたからであります。今後もこういう企画をしてくれというリクエストも頂戴しましたが、そう、次から次へと “企画の材料” がないわな。さて、今回のイベントの写真ギャラリーに下手な解説をつけてみました。間違った説明も混じっているかもしれませんが、ご指摘くださったならば幸いです。

沼島漁港から、諭鶴羽山地を仰視する
↑64人定員の連絡船で海上約10分、灘土生から沼島に渡って、沼島漁港から淡路島をながめました。沼島から仰ぎ見る諭鶴羽山地は、実際以上に高くそびえる大山地に見えます。目の錯覚かもしれませんが、まるで1500mぐらいの峰々が続いているかのように見えます。なにしろ、その頂が雲の中に隠れているのです。こうして、沼島から諭鶴羽山地を遠望すると、この山塊が中央構造線という断層群の活動によって、高くせり上げられた地塁山地であることがよく分かります。

沼島漁港に隣接するメインストリート
↑沼島の形状は地図を見ると、よく勾玉(まがたま)のようだなどと言われます。しかし、そのような上等なものではなく、わたくしには膝を抱える胎児のような形に見えるのですが、あるいは、しわの寄ったひからびたソラマメの種子のようにも見えます。いずれの形にしても、太平洋側が外にむかって膨らみ、淡路島に対峙した側がくぼんでおります。沼島の集落はそのくぼんだ部分のごく狭い範囲に密集しています。昔は海上交通の要衝であって、江戸後期には「沼島千軒金の島」とたたえられ最盛期には人口4千人と繁栄したのですけども、今は衰退しています。戦前は対岸の灘地区では、女性が沼島にお嫁にいくことが、あこがれの玉の輿とみなされました。

写真は沼島漁港に沿ったメインストリートでありますが、復員4~5メートルもある立派なものです。沼島には自動車がほとんどありません。それは自動車など持ち込んでも、乗り回す道路がないためであります。いたるところ自動車があふれかえり、違法駐車だらけの現代の目からすると、自動車が普及する前夜の昭和30年にタイムスリップしたかのような錯覚がする島であります。

参加者は総勢19人
↑今回の観察会の発案者は、わたくし山のキノコではなく同級生のM君であります。“灯台もと暗しと” は良くいったもので、古典的照明器具の灯台は直近の手元は暗いものです。淡路島本島の住民にとっては、従属島の沼島はまさに「灯台もと暗し」で、良く知らない遥か絶海の孤島とおなじです。なにしろ、毎日、沼島を眺めて暮らしている旧南淡町灘地区の住民でさえ、沼島にいったことがない人が大勢います。

で、近くて遠い、知られざる沼島を探訪しようということだったのですが、歴史的人文系名所を訪ねるのではなく、自然史的名所の探訪に力点を置いたのでありますが、この参加者の姿は “お遍路さん” という感じであります。菅笠をかぶっていたらまさにお遍路さんであります。岩石観察や化石採集の地学ファンであれば、手にハンマー・ルーペ・クリノメーターの三種の神器を持つハズですが、誰ももっていません。わたしはリュックにそれらを持っていましたが、たとえばクリノメーターを出して地層の走向や傾斜をしらべたりしたら、間違いなく浮き上がったでしょう。(結局そんな道具類はリュックから出さなかったです)ま、どのような方が集まるかは想定していましたので、企画のタイトルを「石のお花見」としました。観察ではなく、物見遊山の見物だという意味であります。それはそれで良かったと思います。観察という趣旨からは不首尾ではあっても、イベント的な見物という意味では、大いに賑わったのですから大成功でありました。

参加者は19人でありましたが、内訳は次の通りでした。
性 別 成人男性7人、成人女性11人、小人男子1人
年代別 子供1人、30代ぐらいが2人、残りはほとんど50代と60代
居住地 南あわじ市12人、淡路市4人、神戸市2人、尼崎市1人

沼島北端の山から淡路島を望む
↑沼島の北部にある標高113.6メートルの山の山頂直下を巻く遊歩道から、最短距離3000メートルの海を隔てて淡路島を眺めた光景です。海抜80メートル地点からの眺めです。雲を戴く諭鶴羽山地は地塁山地の特徴として、ほぼ同じ高さのピークが東西に連山として並んでいます。ぬきんでて突出する秀麗なピークはありません。諭鶴羽山が608メートル、柏原山が569メートル、両者の中間に586メートルの無名の山があります。東西20キロに500メートル超のピークが無数にならんでいます。沼島から眺めたら、巨大な軍艦が横たわっているようにもみえるし、また、巨大なエイが伏せているようにも見えます。

沼島の裏海岸
↑沼島の裏側です。集落のある側からみた裏側という意味ですが、太平洋側です。外洋からの荒波やうねりが押し寄せてくるので、瀬戸内海とは思えない男性的な海食崖(かいしょくがい)が発達しています。(なお、法律・政令により法的には紀伊水道は瀬戸内海の一部と規定されていますが、実際的には外洋に近いです)海食崖の高さは20~30メートルぐらいかとおもうのですが、波の破壊力により破砕された巨岩が累々と堆積しているのも観察できます。写真の中央にカエルが伏せているような面白い形の岩がありますが、高さが20メートルぐらいありそうな巨大な岩です。

沼島の裏海岸を遠目に観察して気づくのは、海食崖の下、つまり海面直下にはテラス状の地形がありません。ふつう波浪による浸食は水面直下(低潮線より上)にまでしか及びませんので、テラス状の平坦な「海食台」が形成されることが多いものです。しかし、それが見当たりません。海がストンと深くなっています。紀伊水道北部の海底下深くには、やはり、東西に延々とつづく三波川変成帯の地層があるのでしょうけれども、沼島だけが浸食から免れたという状況になっています。沼島の四囲が全て浸食されていることが、海食台(ベンチ)がないのと大いに関係しているような気がしますが、沼島が浸食(海食)から免れた要因は、いったい何なのでしょうかねえ??

海岸へ降りる遊歩道
海岸へ降りる遊歩道、下から見上げる
↑この2枚は裏海岸に降りていく遊歩道です。上からと、下からと両方から見ました。遊歩道といっても軽自動車ならば十分に通行できそうなほど立派なものです。海岸そのものにはたどりつけません。海岸の上、すなわち平均水面の上15メートルぐらいで行き止まりです。仮に、波打際まで遊歩道が続いていたとしても、台風の巨大な波で破壊されるのにちがいありません。そのために、海岸の大分手前で遊歩道が終わっているのでしょう。遊歩道の終点から下は巨大な岩石が累々とあって、危険です。ロッククライミングの技術を持つような人以外は、この荒々しい海岸にはみだりに立ち入らないほうが宜しい。

上立神岩
↑あまりにも有名な上立神岩(かみたてがみいわ)であります。沼島観光の大黒柱であり、沼島のシンボルであります。遊歩道の上の方から眺めました。岩頂とほぼ同じ高さから眺めた姿です。まるで、碧海中に観音様が立っておられるような神々しさがあります。無機質な岩石の塔であるにもかかわらず、見る人の心に敬虔な気持ちを振るい起こして、思わず合掌、再拝してしまいます。人はだれでもその頭のなかは希望と欲望でいっぱいです。その目は邪念と俗念とで曇りがちです。そのような煩悩を滅却して、静かで穏やかな心でながめれば、この泥質片岩の海食尖塔が、慈悲深い観音様に見えてくるでありましょう…。

(本写真ギャラリーは後編もございます)
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