雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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ビワには、日本自生種があるのか? ないのか?
●果樹のビワが色づいてきました。淡路島最南端の南あわじ市灘地区では、ぼちぼちとビワの収穫・出荷が始まったようです。今年の冬は寒くて、わたくし山のキノコが管理している自給用の果樹園のビワ(田中ビワという品種)では、冬の寒波によるごく軽度の ビワの凍害 を確認しています。が、収穫にはほとんど影響はないようで、ビワ農家の人からも寒波でやられたという話は聞いておりません。しかし日本の主要産地の長崎県では大変な寒害があった模様です。

●さて、掲上した2葉の写真は栽培ビワのものではありません。野生化したものです。野生化したものの中にも色々な形質のものがあって、果実のやや大きいものや、栽培品と遜色のない大きさのものもあります。しかしながら果実の極端に小さなものがあって、それにも2つの系統が認められます。すなわち、果実(果皮、果肉)が黄橙色のものと、黄白色のものとがあります。果実の小さなものは葉も小さいことが観察出来ます。 

野生ビワ
↑県道道端で野生化しているもので、果実が小さくて黄橙色の系統です。
野生ビワの果実
↑果房のアップですが、果実が小さい系統だと言ってもこれはまだ大きい部類に入ります。とり急ぎ身近なところのものを写真に撮っただけで、山中を捜したら更に果実の小さな個体があるのです。本当に小さな果実のものになると、果房は円錐形の果房になり、1果房に20個かそれ以上の果実がつきます。果実の径も2㎝か2.5㎝程度になります。マメビワ(豆琵琶)とか小ビワ(こびわ)などと呼ばれています。葉も小さく薄くなります。

【マメビワの果実の長さ・重さを測ってみました】
写真の木から、2個の果房を採集しA・Bとし、その全ての果実の長さと重量を測り、列挙して書くと次の通りであります。

A 31㎜・20g  29㎜・17g  27㎜・14g  24㎜・10g
  30㎜・18g  29㎜・17g  26㎜・14g
  30㎜・18g  28㎜・17g  26㎜・13g  
  30㎜・18g  28㎜・16g  24㎜・10g

                  (以上13個)

B 32㎜・20g  27㎜・14g  26㎜・11g  24㎜・11g
  28㎜・15g  26㎜・12g  25㎜・12g  24㎜・10g
  28㎜・14g  26㎜・12g  25㎜・11g  24㎜・10g
  27㎜・14g  26㎜・11g  25㎜・10g  23㎜・9g

                  (以上16個)

●全29個の果実を調べてみたところ、果実の形状はほぼ球形であります。果実の長さ(径)は23㎜~32㎜の範囲にあります。果実の重さは9g~20gの範囲にあります。中央値とか最頻値を考えてみると、小ビワは果長が26㎜程度であり、その果重は13g程度であろうかと思われます。栽培種と比べると二回りぐらい小さいということが言えそうです。言えることは、栽培種の種子を蒔いて育てても、ここまで果実が小さくならないことであります。で、野生ビワの中には、栽培品が逸出して野生化したものの他に、日本在来の自生種があるのではないかという疑念が生じるのであります。これには、あるという説と、ないという説とがあります。さて、どちらなのか?

●北村四郎・村田源『原色日本植物図鑑 木本編 Ⅱ』昭和54年、には次のように言っています。日本自生説にかなり否定的な見解であります。

引用開始】和名は中国の枇杷の音である。葉の形が楽器の琵琶に似ているのでいう。果実を生食する。中国では中南部に広く栽培し、日本へはよい品種が度々伝来した。西南日本の石灰岩の山地に野生状にあるものは、果皮がうすくて食えない。これを天然の野生と考える人が多い。これほど種子が大きく、たくさんあるが、洪積世や鮮新世からは種子の遺体はまだ知られていない。それで中国から古代に伝来したものが、果実を食う大きな鳥(カラスなど)によって野生化したことが考えられる。台湾にはEriobotrya deflexa(Hemsley)Nakaiが野生化するが、葉は両面無毛、葉柄は長い。花柱は3、果実は径1.5-2.5㎝【引用終了

★とは言っても、ビワの日本自生説には根強いものがあるのは事実です。たとえ洪積世・鮮新世からビワの種子や葉の化石が見つかっていないとしても、それはまだ見つかっていないだけという可能性もあり得るので、否定の決め手にもならないです。というのは、栽培ビワの種子を蒔いて育てても、マメビワほどには果実が小さくならないので、栽培種とは別の種が日本に存在するのではないか?という可能性もありそうです。果実の大きさや色・果序の形状・葉の形質などの点で、栽培ビワと明らかに異なる性質のものが各地に野生しています。

『原色日本植物図鑑』で、北村・村田らが言うのは、石灰岩地帯で野生状にあるビワは、栽培品が逸出したものであって、それはカラスなどの鳥類がビワの種子をまき散らしたのだ、という意味であります。わたくしもこの見方に疑問を持っていますが、それは栽培品が野生化してもマメビワほど果実が小さくならないという理由からです。

★いろいろと可能性を考察するならば、そのマメビワ自体も中国からの伝来の可能性があり得そうです。が、しかし更に考えると、マメビワは果肉がほとんどなく食用に供されないから、わざわざ中国から持って来るだろうか?という疑問も湧いてきます。洪積世(約260万年前ー1万年前)には日本にはビワがなかったが、縄文時代ぐらいにビワの果実を食べた渡り鳥が日本に持ち込んだのでは?という想像もできます。ビワ畑を観察していると、ビワの種子散布は、カラスなどの鳥類が担っているのは、これは疑いようのないことです。だとしますと、鳥類がビワを中国から運んできたというのは有り得るでしょう。つまり、果実の大きいビワは古代にヒトが中国から日本に持ち込んだが、果実の小さいマメビワは鳥類が中国から運んできたという仮説です。

なお、仮にDNA解析によって、野生ビワに栽培品起源のものと全く別のものがあると分かったとしても、ただちに、そのことがビワの日本自生説を裏付けるものではないでしょう。というのは、その栽培品にしても、別のものにしても、それらがヒトにより伝来したものなのかどうかは確定できないのと、それが何時からあるのか不明だからです。

★洪積世は氷河期と間氷期を繰り返していますが、どちらかと言うと寒冷な氷期の方が圧倒的に長いので、仮に日本列島に鳥類がビワを頻繁に持ち込んだとしても、幼果が寒波に弱いビワは繁殖出来なかった…。これがビワの種子の化石が見つからない理由の可能性があります。
ちなみに、栽培種のビワは、幼果は-3℃の寒さに数時間さらされると寒害を受けて腐ってしまいます。蕾はもうすこし耐凍性が高くて-6℃~-7℃まではなんとか持ちこたえられます。氷河期には現在より6℃~9℃も気温が低下したと考えられていますから、西日本でもビワは繁殖が無理だったであろうと思われます。

しかし、後氷期の完新世(1万年前~現在)になると、特に縄文温暖期になると現在より2℃~3℃も気温が上昇したとされていますから、ビワが日本列島南西部で越冬繁殖できるようになったのではないか? もし鳥が種子散布にかかわって日本列島にビワを持ち込んだのであれば、完新世になってビワの分布が日本にまで広がり、自生することになったと言えましょう。人為的要因ではなく分布を広げたのであれば、自生と考えて何ら差し支えないでしょう。……と、いろいろ考えられますが、本当のところは誰にも分かりません…。
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