雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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諭鶴羽山系の山菜(その8) 「ウドの芽」
●昔は、諭鶴羽山系にウドがたくさん自生していましたが、近年はめっきりと減っています。山中でウドを見かけることは少なくなりました。で、自生品をむやみに採るのではなく、種子を採取して、畑や庭で栽培する必要が出てきました。秋に種子を簡単に採取できます。種子を蒔いて1年目は小さいのですが、2年目に1芽だけ収穫できます。ウドが大株になって1株から数芽以上も収穫できるのは3年目以降になります。

●「ウドの大木」という慣用表現があります。図体だけが大きくてほとんど役に立たないもの、の意味で使われますが、これは明らかに誤った表現です。“ウドが大木であれば大木ほど” 春の新芽が充実した秀品が採れます。ウドが大木であることが、秀品を収穫するための絶対条件です。大木ではない貧相なウドの木からは、ろくなウドの新芽が採れません。仮に庭にウドを植えたならば、夏にはウドの木が2m50㎝にも、3mにも大木に育って庭を覆い、鬱陶しいなと思うぐらいでなければ春に良い新芽が採れないのです。
したがって、「ウドの大木」という言葉は、役に立たないものと解するのではなく、全く逆の意味で、大木であるがゆえに大きな葉でしっかりと光合成し、地下茎を充実させて、春に素晴らしい新芽を提供してくれる大いに役に立つものと、解するべきであります。

ウドの自生品 ちょうど採り頃
↑これはウドであります。写真の物は自生品です。株元に枯れたススキを刈り取った稲束のようなもので覆っておりましたところ、軟白とまではいかないのですが、「軟白もやし状」と「青々と育ったもの」との中間程度の物ができました。全くの野生状態ではウドはじきに長けてしまい固くなります。それで自生品を見つけたならばワラのようなものとか、落ち葉などをウドの株元に掛けておくと宜しいです。

ウドの自生品 これは長(た)けている
↑これは長(た)けたウドであります。陽光をあびて青々としています。こうなると堅くて食べられません。茎ならば皮を剥けば食べられなくもありませんが、葉や葉柄は堅くて筋ばっていて、とても食用に供することは無理であります。

ウドの株元に落葉をかける
↑これはわたくしが所有しているわけではないのですが、わたくしが管理をしている畑の一角です。恐らく鳥類が果実(種子)を運んできたのでしょう、勝手にウドが生えてきました。大株に成長したので、株元に落葉を盛っています。

落葉に埋もれて、ウドが軟白状態に…
↑これはその盛り上げている落葉を取り除いた状態です。落葉に埋もれて日光にあたらないと、ウドはモヤシのような軟白状態になります。色も緑ではなくえび茶色のような美しい色になります。このようにして半ば「栽培」すると柔らかく生でも食べられるようなウドになります。本当は「もみがら」を盛り上げるのが最良の方法なのですが、農家でなければ「もみがら」は簡単には手に入りません。「もみがら」の次に良い材料は「落葉」なのです。

●ウドも古典文学のあちこちに登場します。昔から身近で有用な山菜であります。岩波書店の、新日本古典文学大系70『芭蕉七部集』から引用します。

日の影に 猫の抓出す 独活芽哉 <一桐>
ひのかげに ねこのかきだす うどめかな

独活芽は季語。一桐(いっとう)は伊賀上野の人、のち京都に住した。

【句意】ウドは、芽を食するために、良く耕した畑に植え、さらにその上から塵芥で覆うなど、地表を柔らかくしておく。そのような地面は猫が好んで排泄に選ぶ場所である。日あたりのよい畑で用たしのあと、ていねいに砂をかけているうちに、ウドの芽が露出したというのである。

ウドの収穫
4月18日に、半栽培品の1回目の収穫をいたしました。半栽培品と表現するのは、植えたものではないからです。おそらく鳥類が自生品の果実をたべて、種子を散布したのであろうと思われます。落葉をしっかりと掛けてあった部分には白くて立派な秀品になっています。しかし、落葉の掛けかたが少なかった所には、陽光があたって緑化しています。全くの野生品ではこんなに白くて長いものはできません…。
ウドの収穫
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