雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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実は、ここが日本一暑い町、徳島県 鳴門市!
本日は2015年12月6日(日曜日)であります。 

淡路島南部の南あわじ市は、徳島県南あわじ市と言っていいぐらい経済的にも文化的にも徳島県側と結びつきが深いです。それもそのハズで、かつての幕藩時代は淡路島は阿波藩の領地でありました。で、吾輩はすっかり徳島県の子になったも同然ですが、今日も鳴門市と徳島市の境い目あたりのある施設に用事で行ってきました。帰りしなに撫養城跡に登って写真を撮ってきました。



1923年8月6日に、鳴門市撫養町で42.5度を観測!
こここそが日最高気温の日本記録! の観測地


●1923年 (大正12年) 8月6日、徳島県板野郡撫養町の郡役所にあった区内観測所で、42.5度の日最高気温­が観測されました。これが気象庁 (当時は中央気象台) の関係する日本の最高気温の記録です。ところが、区内観測所は委託観測であるからとか­、百葉箱での観測は高く出る場合があるとか、いろいろと難癖をつけて、区内観測所での­観測記録を無視しようとする向きがあります。これは、100年近くも前に、こんな40度超の高­温観測記録があるのは、地球温暖化利権にとっては不都合な真実であるからです。実は、古い時代に40度を越える観測例がたくさんあります。この事実が広く知られると、「なんだ、日本の最高気温は上がってないじゃないか! 温暖化で夏が灼熱地獄になるという脅迫はウソっぱちだったんか!」 と嘘がバレてしまいます。で、古い時代の40度超の高温記録を無視するのに必死なのです。地球温暖化利権者どもは必死で悪あがきをしますね。 なお、申し添えると、気象庁自身が地球温暖化利権者そのものです。温暖化を煽るほどに研究費などお金が流れ込んできます。地球温暖化はお金になるのです逆に、納税者はお金を盗られます!

●鳴門撫養町のこの42.5度というのは、以前は気象庁所管の財団法人であったところの気象業務支援­センター (現在は一般財団法人) が発行する 『気象年鑑』 の2006年版まではきちんと掲載されていたデータです。つまり気象庁公認記録なのです。絶対に隠してはいけない観測記録です。 もし区内観測所のデータを隠したいのであれば、区内観測所にとってかわったアメダス観測所の観測データも隠さなければなりません。なぜならば、アメダスはあまりにも露場(ろじょう)が狭く、ひどいのになると広大なアスファルトの駐車場に隣接して設置されるなど、気温測定には劣悪環境のものが多いからです! 

↓ 気象業務支援センター発行 『気象年鑑』 2005年版 109頁から図表を引用します。横長の図表のため、文字が小さくなるのを避けるために備考欄はカットした。
気象年鑑2005年版 109ページ


↓ 海抜61.4mの小高い山 (妙見山) に登りました。残念ながら山上の天守閣へは行けません。修理工事中で立ち入り禁止になっていました。

撫養城の天守閣

↓ 天守閣よりも少し低いところにある妙見神社の絵馬堂から、鳴門市の中心市街地を眺めました。清水の舞台みたいに非常に見晴らしがいいところです。この鳴門市の中心­部がかつての撫養町であります。以前は、撫養川の東側に日本最高気温の地と書いた石碑­があったと確かに記憶していますが、今回探したけどどうしても見つかりません。もしかしたら、地球温暖化利権者ど­もが撤去したのかも?
鳴門市市街地を俯瞰する



↓ 市街地の西側に阿讃山地の最東部が迫ります。ピラミダルな秀麗な山容を誇る 大麻山 の山頂付近がチラと見えています。標高は低いけど、瀬戸内海と紀伊水道が見通せる良い山です。大麻山などというと、こっそりと山中で麻薬の原料の大麻 (たいま、ケシ科) を栽培していたかのような名称ですが、そうじゃなくて、布の原料にする麻 (あさ、アサ科) にちなんだ名称と思われます。で、おおあさやま。
阿讃山地の最東部

↓ 市街地規模の割には異様に広い通りがあります。かつて広い場所が必要な塩田が広がっていたことと関係あるとか‥。
鳴門市中心部の目抜き通り

↓ JR鳴門駅です。徳島県は私鉄・旧国鉄を併せて電車がなく気動車しか走らない日本で唯一の県ですが、(沖縄県もモノレールを電車と看做せば) むかし、淡路島から剣山へ登るには、福良港から連絡船で撫養港へ渡り、徒歩で鳴門駅へ、鳴門駅から汽車で徳島駅へ、汽車を乗り換えて徳島県西部の貞光駅へ、そこから路線バスで一宇村の葛籠 (つづろ、海抜620m) へ、さらにそこから長い登山道を見ノ越まで歩くしかありませんでした。見ノ越まで1日がかりでした。当然に日帰りなんて絶対に不可能で、見ノ越の剣神社か山頂の頂上ヒュッテで宿泊です。そのころは雲海荘は西祖谷山村の経営で山頂には2軒の山小屋があったということになりますね。四国の汽車なんてもう何十年も乗っていないですわね。
JR鳴門駅



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