雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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巨樹・巨木というのは、その多くが平野部や人里にあるのであって、深山のブナの原生林にあるのでは決してない。 (その5)
神山町における常連巨樹ベスト4も、クスノキ・スギ・イチョウ・ムクノキ

表題の 「巨樹・巨木というのは、その多くが平野部や人里にあるのであって、深山のブナの原生林にあるのでは決してない」 ということを明らかにするために、観察フィールドとして選定したのは、深山のブナ原生林は高城山周辺のブナ原生林です。人里の巨木は麓の神山町のものです。両者を対比させて考察します。で、まず徳島県神山町の人里にある巨木たちをしっかりと観察しましょう。 巨樹・巨木林データベース で検索すると、神山町の巨木は環境省の調査では66本です。幹周の大きい方から20位まで抽出して表にしました。神山町でも徳島県全体と傾向は全く同じでクスノキ・スギ・イチョウ・ムクノキの4樹種で80パーセントを占めています。上位20だけでなく66本全体でもこの4樹種で大半を占めています。なお、やはり環境省の調査は抜け落ちが多く杜撰な調査です。他所者の他県人の吾輩でも、焼山寺のあのスギ巨木林がすっかり抜け落ちているではないか! と気付くほどですし、神山町の奥地、木屋平村へ向かう道中でも雲早山に向かうところでも点々と巨木がありますね。

神山町の巨木番付け20位までのリスト

神山町の巨木巡礼のハイライトは、大久保の乳イチョウ!
ここのイチョウは巨大です。主幹がすくっと一本立ちで樹高を誇ります。ホントに大きく見えます。他県からでも見に行く値打ちがあります。徳島県最大巨木の乳保神社の大イチョウは薪 (たきぎ) を束ねたような樹形で大きいことは大きいのですが、幹周の数字の割には迫力が不足しています。それに比べると、幹周数字の劣る神山町神領大久保の乳イチョウの方が太い主幹がそそり立つので迫力があります。むしろ大久保のもののほうが大きく見えるほどです。

神山町神領字大久保の乳イチョウ
大久保の乳イチョウ
測定器で実測したのか、大雑把な目測なのか全く不明ですが、樹高は38mとされます。ほぼ1本立ちの主幹が立ち上がっているから大きくみえます。
神山町神領字大久保の乳イチョウ
集落の公会堂の庭にあります。公会堂側から見ると主幹しかなく根際からの 「ひこばえ」 は見られません。
神山町神領字大久保の乳イチョウ
石灰岩洞窟で見られる鍾乳石みたいなものが垂れさがっています。
神山町神領字大久保の乳イチョウ

枝から出る気根は、何故あるのだろうか?
上の写真で、反対側はごつごつとした大きな出っ張りがあって、気根が 「つらら」 のごとく垂れ下がっています。ふつう気根とは亜熱帯のタコノキなどでは樹体を安定させるための突っ張りであったり、あるいは、亜熱帯の気水域の河口などに生じるマングローブを形成する樹種などでは突っ張りや気根から酸素を取り入れるためでしょうし、温帯域の蔓植物のツタなどの例では壁に気根で張り付いて登っていくなどの機能がありましょう。イチョウの 「つらら」 みたいに垂れさがった気根はなんの役目もしていないように見えます。若木では気根はほとんど出ず巨木になってから出てくることが多いから、退化して消えていく途上にあるのではないか? イチョウは生きている化石ともいえる古い樹木で、1億年とか2億年昔の中生代の環境では気根が何らかの機能をしていたが、現在の地球の環境では気根が不必要となったのか? と考えるのが合理的そうな感じ‥。波田先生 が、「枝から気根を伸ばすことの理由は、なかなか難しそうである。イチョウなどの裸子植物が全盛だった時代の生育環境を知りたいものである」 と言っているのはそういうことでありましょう。 

下図は、大阪市自然史博物館のホームページ化石からたどる植物の進化 から借用。 ENTER → 裸子植物の繁栄 → 生きている化石イチョウ → 系統樹。原図の出典がどこか知りませんが、この植物の系統樹を見ると、イチョウは中生代三畳紀に地球上に出現し、恐竜たちがのしあるいていたジュラ紀にかけて沢山のイチョウ類が大繁栄、そのご白亜紀のなかごろに衰退して、1億年後の現代まで細々と生き残っているのが現在のイチョウ1種だけということであります。他のイチョウ類も僅かに命脈を保っていたが、新生代の第三紀後半からじわじわと起こった氷河期でみな絶滅したとも言われます。
植物の系統図

イチョウ類が大繁栄していた2億年前は、二酸化炭素が5倍~10倍! でも地球は破滅などしていない。
さて、イチョウが枝から気根を出す理由を考えるにあたり、イチョウが地球上で大繁栄していた中生代の地球環境ですが、大気中の二酸化炭素が現在よりも数倍~10倍程度酸素濃度は約半分と推定されています。いま世界の陸地は分裂していますが、中生代の三畳紀には世界の陸地はひとつに合衝して超大陸パンゲア大陸) を形成して中生代ジュラ紀に分裂がはじまり2億年後の現在の大陸分布になったとされます。 想像するに、大陸が分裂と合衝を繰り返しているんですが、超大陸になったときには大陸内部に何本もの巨大山脈があったのではないか? (ぶつかりあった大陸の境目が盛り上がる、ヒマラヤ山脈みたいに) 大胆に想像すると、海と陸の配置が現在と違い単純なので、日々の天気も毎年の気候も単純な変化になりそうに思えます。山脈の風上ではつねに高温多雨、山脈の風下ではつねに高温乾燥、山脈に取り囲まれているところでは物凄い乾燥で寒暖の差が非常に激しかった、と想像します。パンゲア大陸は赤道付近では年中気圧が低く海から風が吹きこんでくるが、大陸の高緯度部では夏は気圧が低く冬は気圧が高いから季節風を繰り返すという単純な気候変化パターンであったのでなかろうか? そうした中でイチョウは繁栄し気根を出していたわけで、酸素濃度が低いから気根から酸素をせっせと吸うということはありそうですが、イチョウの地上部ならば葉からどんどん酸素を取り込めばいいから、中生代の低酸素環境下で酸素を取り込んだというのは説明になりません。波田先生も疑問だけ書いているのは分からないからなのでしょうが、もしタイムマシンが存在するならばぜひ2億年前に行って、当時のイチョウの木を観察したいものです。

大気中の二酸化炭素濃度の変化
日本惑星科学会誌 のテキストから借用。イチョウが大繁栄していたころの地球は、大気中の二酸化炭素濃度は現在の数倍と見積もられています。5倍から10倍ぐらい。地球温暖化利権者どもが泣いて大喜びするほどの高濃度だったというのは広く認められている知見ですよね。で、地球は破滅しただろうか?? 破滅なんてしていませんわ!! むしろ恐いのは大気中の二酸化炭素濃度が下がった時です。古生代石炭紀や、新生代新第三紀の後半から現在です。氷河期が来ています。ただし、二酸化炭素が減ったから地球の気温が下がったのか? 地球の気温が下がったから二酸化炭素が減ったのか? 検討の余地が大いにありそうですが‥。地球の歴史を見ると、どんどんと二酸化炭素を出さないと大変なことになりそうですわね。原発を早く棄却して、石炭をじゃんじゃんとくべよう!




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