雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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樫戸丸 (標高1566m) のオオヤマレンゲを見に行った。
●昨日 (2015年6月23日) に、徳島大学病院で手術後の抜糸を終えたのち少し時間があったので、 樫戸丸 (標高1565.8m) の山頂に咲くオオヤマレンゲの観察 (お花見) に行ってまいりました。取り急ぎオオヤマレンゲの写真を陳列します。まだ蕾があったから、もうしばらくは咲いていましょうが、(1週間ぐらいか?) ご覧になりたい方はお早めに‥‥。オオヤマレンゲというのはモクレン科の低木で、北関東の谷川岳周辺から以西の本州・四国・九州の冷温帯~寒温帯に分布して南限地は屋久島らしい。

↓ 樫戸丸への登山道から下界を眺めました。晴れていたら旧 木屋平村の集落が見えるハズですが、今日は雲の下に沈んでいます。オオヤマレンゲはシャクナゲと同様に、“雲の上に咲く花” と言えましょう。
雲海とまではいえないが雲が多い

↓ 樫戸丸の山頂です。平日ですし、天気が清朗ではないので眺望は利きません。他に登山者を2人しか見ませんでした。なお、「丸」 というのは 「山」 の意味です。つまり樫戸丸は樫戸山の意味なんですが、徳島県にはこの表現がしばしば見られます。天神丸 (1632m)、塔丸 (1713m) など。
樫戸丸の山頂

● 「丸」 というのは多義でありますが、たとえば 『岩波古語辞典』 によれば 「城郭のなかに幾重にも築かれた城郭。一の丸、二の丸、三の丸、本丸。」 という意味もあります。つまり城を表わす言葉です。 このあたりの徳島県の山間部では、中世には阿波山岳武士たちが勢力争いをしていたようでありますが、徳川幕府の1615年に出した 一国一城令 で小さな城は廃城となり草木に埋もれていったが、旧 木屋平村には中世に森遠城があり、城主は壇ノ浦の決戦で逃れてきた平氏がルーツの木屋平氏で、これが一帯を支配していたようです。しかしその支配や権益は安泰なものではなく、いつ自分の領地を奪い取る敵が攻めてくるかわかりません。そこで防衛上の必要から見晴らしのいい山の上に 山城 (やまじろ) を作ったのではないか? ただし樫戸丸の山頂に石垣などの遺構がないから、やぐらを組んだ見張り所程度か? すくなくとも樫戸丸から西方の天神丸 (1632m) には中世には見張り所があったらしいです。今日は天気が悪いので眺望はダメですが、天気が良ければ穴吹川沿いの流域が箱庭のように見えています。目が良ければ敵の侵入が見えるハズです。敵の侵入らしきものを確認したら、のろしを上げて麓の本城に知らせたのではなかろうか? で、徳島県に多い 「○○丸」 という山名ですが、中世に山城とか、侵入する敵の監視所があった山ではないかと吾輩は想像します。でもまあ間違っているかもわかりません。


↓ あいにくの天気でガスっていましたけど、無事にオオヤマレンゲ自生地にたどり着くことができました。この自生地は地元の人々が金網を張ってシカの食害からオオヤマレンゲを保護しています。
山頂近くのオオヤマレンゲ自生地

↓ 清楚で上品な花であります。天女花とも呼ばれるようですが、高根の花 (高嶺の花) と言うべきで高い山の上 (標高1000~2000m) に希にしかない花です。しかも花期が6月下旬~7月上旬くらいで梅雨の真っただ中です。なかなか見ることができない花です。
清楚で上品な花

↓ 花はモクレン科特有の花で、花弁とガク片が見分けがつかず、花被片 (花弁+ガクの意味) は9枚あります。花の奥を覗きこむと、めしべ群の周囲におしべ群が多数 (100個以上か?) 取り囲んでいます。
花のアップ


●他にも色々な植物を観察しましたので、次のエントリーで写真を陳列します。また、オオヤマレンゲの詳細な観察も次のエントリーで。

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