雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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徳島県神山町、峯長瀬の大ケヤキ (その2)
峯長瀬(みねながせ)への入り口は分かりにくく、道は狭い
徳島市から鮎喰川に沿って神山町の方へ向かう県道21号線を来るのが分かりやすいです。とにかく鮎喰川に沿ってくるのが分かりやすいのです。有名な徳島県立神山森林公園イルローザの森の入口から3キロ弱進むと写真の橋がみえてきます。この橋を渡ると信号で、農協支所やガソリンスタンドなどがあります。峯長瀬に登ってゆく道はその近くにあるのですが、とても狭い道なので大きな車で来るとたぶん立ち往生します。一番いいのは軽トラ農繁仕様が理想的です。そういう道です。長い距離を自在にバックできる自信がなければ行かない方がよろしい。
峯長瀬への入り口
↓ この農協支所を目印にします。三差路の交差点になります。道の反対側にガソリンスタンドあり。地図上の場所は → 神山町阿野五反地(あのごたんじ) 
この農協支所を目印にする
↓ 20分ほど細い山道を登ると大ケヤキにたどり着いた。峯長瀬の集落の一番上の家の横にあります。この家の方はよそへ行ったそうです。別の住民の方に挨拶をして、いろいろと話を伺いましたところ、昔はこのケヤキが御神木であって集落でお祀りしていたそうです。しかし軒数が減るにつれていつのまにかお祀りはやまったそうです。このケヤキ巨樹は根元や幹が巨大なだけでなく、大枝や樹冠に欠損が少ないので非常に巨大にみえます。
峯長瀬の大ケヤキ
↓ 剣山系東部の盟主、高城山(1632m)~雲早山(1496m)~旭ヶ丸(1020m)などの連山が指呼の間に迫って見えます。神山町の鮎喰川沿いの集落ではどこでも、高城山は前衛の砥石権現の背後に隠れて全く見えないのですが、大ケヤキのある地点は海抜420mの高台です。徳島市の市街地や紀伊水道もみえているし素晴らしい眺望です。
雲早山や高城山がよく見える
↓ 山は見る方向によって姿を変えます。山座同定を試みましたが、たぶん間違いはないと思います。ズームアップすると高城山のネギ坊主 (建設省のレーダー雨量観測所) が見えています。このネギ坊主が高城山のアイデンティティーになった感があります。
山座同定をした


巨大なケヤキで、目前にすると迫力があります。
最近、Sonyの4Kムービーを写真兼用としているので、写真が横長です。で、あまりにも巨大なケヤキなので3枚の写真を継ぎ合わせないと迫力が出ません。でもまあ、一番は目の前で実物を見ることです。うわああぁ! と言葉にならないほどの迫力です。

ところで、木と草の違いは何か? とよく自然愛好者の間で話題になりますが、植物学的には本質的な違いはなく、木には樹皮と木質部の間に形成層という組織があって、その形成層の働きで木質部が年々太るが、草には形成層がないという僅かな違いです。では、樹齢30年の小さな木と樹齢1000年の天然記念物級の巨樹との違いは何かと考えると、何の違いもありません。形成層の働きには若木も巨樹も関係なく、終りがないということなのでしょう。形成層の働きに終りがないからこそ巨樹になれたともいえそうです。土壌が深くて無機養分がたくさんあったとか、周囲に競争相手がなく太陽光を独り占めできたとか、樹齢数百年間には室戸台風級の暴風に何回も遭ったハズだが倒されずに無事だったとか、ま、運が良かったから巨樹になれたのでしょう‥。それから、木にとっては本来は天敵の筈のヒトが御神木にして崇めてくれた、というのも巨樹になれた大きな理由か?

峯長瀬の大ケヤキ
峯長瀬の大ケヤキ
峯長瀬の大ケヤキ

徳島県の天然記念物


幹周の計測が非常にむずかしいケースではないか
巨樹・巨木林の基本的な計測マニュアル の8ページでいう “その巨樹の中心線を想定し、その中心線が地面に接するところから130センチを決め、その中心線に対して直交するように測る” というのが一番該当しそうですが、微妙なところがあって計測者によって意見や解釈が大きく分かれそうな樹です。
生えているところは水平ではない
まず平地ではない斜面にあります。しかし斜面と言いきれない部分もあります。上側は竹林があり、下側はむかし畑だったのか? という土地の形状ですが、山の斜面かもしれないし、上の畑と下の畑との間の段差かもしれません。斜面ではなく小さな崖かもしれません。非常に複雑で微妙なところにあります。
下側から見ると3mの高さになる
樹の下側から見ればこれで3mの高さを測っています。足もとまでこの樹の裾は広がっているから高すぎる位置を測っているように見えてしまいます。ところが樹の上 (山手側) から見るとあまりにも巻尺を下に回しすぎているように見えてしまいます。これは測る人によって大きく数値が変わりそうです。吾輩の解釈・測定ではいちおう11m17センチです。これは概ね10mか11m程度という段階的表示にとどめて、細かな数字は言わないほうがよさそうな樹です。また細かな数字を言っても意味がなさそうです。
幹周は11mあまり

●それにしても高城山でも雲早山でも、ブナ原生林にはこんなとてつもない巨樹は全くありません。やはり天然記念物級の巨樹というのは、奥山の原生林にあるのではなく人里にあります。なお、ここは海抜420mの山の中のようですけれども、徳島県特有の高地性集落という人里であります。












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徳島県神山町、峯長瀬の大ケヤキ (その1)
環境省 は (その傘下の関連組織は) 自然環境保全基礎調査 (いわゆる緑の国勢調査) を何べんもやっています。その関連として過去2回巨樹・巨木林調査が行われています。その成果は 巨樹・巨木林データベース で公開されています。しかしまあ、批判するということではないけれども、自然史の調査はいかに簡単ではないということなんですけども、一つも漏らさず “悉皆調査” など絶対に不可能で、調査に完結とか完璧はありえないのです。調べても調べても限りがありません。データベース検索で取得した情報を参考にしながら、自分の住んでいる市や近隣の市町村を歩き回って観察したら、環境省の巨樹・巨木林調査には調査漏れが非常に多く、不完全な調査であるかがよく分かります。これはデータベースを検索・閲覧したり、それにもとづいて巨樹巡礼をしただけでは分からないことですが、自分自信が巨樹調査を実際にやってみたら環境省調査がいかに杜撰なものであるか簡単にわかります。なんせ調査密度の薄い地域では、ガンバって調査をしたけど調査区は広いしちょっと不十分だったかな? なんていう程度ではなく、そもそもほんまに調査しているのかよう?! てな感じです。

卑近な事例を申すと、わが淡路島南部の旧南淡町で巨樹がたった1本だけというには絶句です。なぜ大日寺の夫婦スギが漏れているのか? なぜ諭鶴羽神社のスギが抜けているのか? 町内の住民ならば知らぬ人はいないから、「この辺で大きな樹はありませんか?」 と住民にヒアリングしたらじきに情報が上がってきたでしょう。ようするに、調査もヒアリングもしなかったのだと思います。 これから行く徳島県神山町でも、四国88か所の有名な焼山寺の、あの見上げると首が痛くなるような立派なスギ巨木林 (県の天然記念物) が、なぜ環境省の巨樹・巨木林データベースから抜け落ちているのか? 大きな疑問です。

●さて、年数を隔てて何べんも調査などしていると、そもそも自然は大きく移り変わってしまいます。以前あった巨樹が枯れたり伐採される一方で、樹木は年々大きくなるのだから新たな巨樹が生長してきます。巨樹の調査は今でも続いているみたいですが、最初の調査から30年近い年月がたっています。30年近い年月があれば、生長の特に早い樹種、例えばフウ、ユーカリ、クスノキなどでは幹周が1m近く大きくなるでしょう。生長が早い樹種で生育環境が良ければ100年で巨樹基準の幹周3mに達してしまうようです。どんどんと変化していくのだから、調査年月の古いデータと新しいデータを同列にして解析したり論じたり利用するのは良いとは言えないのではないか? それから県ごとに市町村ごとに調査の密度がバラバラみたいです。しかしながら、残念ながら権威のある全国的な調査となるとこれしかありません。国家機関がやった (やっている) 調査だからと鵜呑みにするのではなく、不完全なデータ、良く言えば過渡的なデータだという認識を持って環境省のデータベースを利用した方がよろしいかと‥。  

で、随分と批判的みたいですけれども、かならずしもそうではなく巨樹調査そのものは大いに大賛同なのです。ただ実態を率直に申しているだけで、なんか不十分さが目につくので、やるのならばもっと情熱的に調査しましょうよね、という意図です。さて、都道府県別のケヤキ巨樹数を調べ、6段階の階級に分けて、都道府県別分布図をこしらえてみました。ケヤキという樹種の自然分布は照葉樹林帯の中にもありますが少なく、暖温帯上部あるいは中間温帯とかクリ帯とかいわれる気候帯 (植生帯) に多いというイメージですが、まさにそれを見事に反映した分布図ができました。巨樹の分布と、その樹種の自然分布とは、ほぼ一致しているのではないか? ま、当たり前のことですがそれが確認できそうな図です。



都道府県別ケヤキ巨樹数

都道府県別のケヤキ巨樹数 階級別分布

●さて、剣山に登った翌日の10月19日に、口腔外科の病を得て5月から通院していた徳島大学病院に行きました。最終的なチェックですが、めでたく 「もう来んでもいいけん」 と主治医が言ってくれて、めでたく病から解放されました。朝一番に行ったので10時には終った。このまま島に帰るのはあまりにももったいない。で、神山町の峯長瀬の大ケヤキを見に行きました。その不完全な環境省の巨樹・巨木林データでは、四国地方と中国地方では一番大きなケヤキということになります。環境省の1988年の調査で幹周997センチです。(なお、吾輩が計測したら11m17センチです) 全国に幹周 (主幹) が10m超の大ケヤキは31本あるようで、うち28本は東日本です。西日本では熊本県の物が1255センチ、大阪府の物が1195センチ、奈良県の物が1100センチで、徳島県神山町の峯長瀬の物が西日本第4位となります。  (次エントリーで写真を陳列)


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巨樹の調査は、短期間に一挙に徹底調査しなきゃダメだ!
もちろん巨樹の本数や幹周など年数と共にどんどんと変わっていくからです。たとえば、わが旧三原町にあった幹周380センチのカエデの巨樹ですが、とっくの昔に枯れて消滅しています。20年ぐらい前に枯れたと記憶していますが、今では朽ち果て分解されて土に還り、痕跡すら残っていません。ところが環境省の巨木・巨樹林データベースの上では1988年調査の巨樹として今でも生きています。だらだらと調査を続ける意味があるのだろうか? 調査年の全く異なる調査結果が混在するデータベースに何の価値があるのだろうか? 1988年にはこれだけの本数があった、2000年にはこれだけあった、2015年にはこれだけあると変化とか変遷を明らかにするのであれば、それぞれの時点で高密度な徹底調査をやらなければ変化なんて分かりっこないです。

どんな巨樹でも、やがて枯れる! 意外に枯れ易いもの!
↓ これが枯れずに生き残っていたら、生きているマツの木として現在幹周日本5指に入っていたと思われます。環境省の巨樹・巨木林調査の前に枯れちゃいましたから、データベースには載っていません。申すまでもなくこれは南あわじ市 (旧南淡町) 賀集の巨大マツです。ていうか、巨大な盆栽みたいな格好をしていました。旧南淡電機 (現パナソニックの工場) の前にありましたね。環境省データベースで日本一のマツ (クロマツ・アカマツ・ゴヨウマツも含めて) は香川県さぬき市の 岡の松 のようで幹周900センチですが、1993年に枯れたようです。主幹が全国2位は770センチで、3位が700センチが2本あります。5位が688センチ、6位が680センチで、もし淡路島南部のこの千手の松が生きていたならば目通り幹周670センチと記録されているので、少なくとも全国7位ですが、目通りというのは130センチより高いし、1988年までの生長を加味すれば全国3位になっていたのではないか? ついでに死んだ子の年を数えるみたいなことを申せば、国の天然記念物だった国道の松並木です。目通り幹周3m以上が135本と記録されています。もし枯れずに残っていたならば南あわじ市 (旧三原町) は巨樹だらけです。そもそも巨樹のデータなんて年月とともにきわめて流動的です。環境省の巨樹・巨木林データベースには枯れちゃった巨木が沢山あるのじゃねえか? 

今も保存される巨大な根株

写真にのみその雄姿を残す

説明看板



錦秋の剣山は、西日本全域からの紅葉狩り客でおおにぎわい。(その2)
やっと、気息延々、難行苦行のすえに、剣山本宮宝蔵石神社の鳥居にたどりつきました。剣山の山頂です。ところで、わしゃもう年寄りだし、ここに来れるのもそう長くないだろうな、と体力の減衰と体重の過多を思い知らされたわ。とりあえず体重を20キロ落とさんとアカんなぁ‥。
山頂直前の鳥居
↓ 剣山本宮宝蔵石神社は頂上ヒュッテの横 (北側に隣接して) にあります。宝蔵石は巨大なチャートからなる岩で、この岩が御神体でしょうね。明らかに 磐座 (いわくら) 信仰ですよね。わが国の古代において、人々は自然物に神が宿ると考え、自然物を信仰の対象としてきました。信仰の対象は巨石であったり巨木であったり山そのものであったり色々ですが、古代の人々にとっては自然は台風など脅威であるとともに、豊かな稔りをもたらす恩恵でもあったハズです。古代人は自然の移ろいや節理のなかで生きていたわけで、自然の猛威をなだめ、豊かな稔りを乞い願うのは自然ななりゆきで、自然物を神として信仰するのは必然性があります。本来、神道とか神社とかいうのは素朴な自然崇拝だったのに、大きく変質したのは明治時代です。国家神道の出現です。これは自然崇拝にもとづく本来の神道とは異質なもので、素朴な信仰が国家に利用されたといえましょう。明治政府が、一種の疑似キリスト教を作って国民を統制したのですが、戦後70年をへて、また日本会議が国家神道の復活をたくらんでいます。安保関連法改悪も特定秘密保護法も、様々な悪法が次々につくられるのは、国家神道復活の大きな流れの中で画策されているように思います。いま、国民有権者はシッカリと反対の声をあげないと、将来に禍根を残すでしょう‥。
剣山本宮宝蔵石神社

↓ 剣山頂上ヒュッテで朝飯を食った。卵かけご飯に味噌汁という簡素な食事です。
頂上ヒュッテの朝定植

●剣山の山頂は隆起準平原の名残で、「平家の馬場」 と称され、阿波の山中に逃げこんだ平家の一派が再起を期して、この馬場で武術の修練を積­んだと伝えられています。この伝説はほんまかどうか怪しいのですが、そういう言い伝えらしい。そもそも、西日本全域の山間部に平家の落武者が逃れてきたという言い伝えがあるわけで、吾輩の出身地の淡路島南部の灘村 (スイセン郷のあるところ) にも平家の一派が入植しています。(そういう言い伝え) ようするに、西日本全域が平家の残党・末裔だらけということでありますが、山間僻村の住民が我らは平家の末裔だと主張しているわけで、そんなのおかしくないか? 
頂上は広々としている
↓ 山頂の西側にあるテラスが賑わっています。写真の左側の先端が尖った山が三嶺 (標高1893.6m) で、阿波の人は 「みうね」 と呼び、土佐の人は 「さんれい」 と呼んでいます。写真の中央の馬の背中のような山は塔丸 (とうのまる、標高1713.3m) です。この山の南側にクマがおるとか? 写真右手すこし奥の雄大な山塊は矢筈山 (標高1848.8m) です。三嶺のすぐ右のはるか遠くに煙紫色にかすんでいる連山は石鎚山系の峰々です。もちろん石鎚山も見えています。ところで、ほんまの山登りの人々は剣山からはるかな三嶺まで縦走するらしいけど、子供の頃から体力劣等児の吾輩の感覚では、あそこまで歩くなんて信じがたい‥。彼らはスーパーマンじゃなかろうか?
テラスは賑わう
↓ 山頂は大賑わい。
山頂も大賑わい

現在は剣山の山頂一帯はミヤマクマザサの笹原になっていますが、40年前にはササはこんなになかったよ­うに記憶しています。ササがはびこってお花畑が縮小した感じです。最近はシカの被食圧も強く、高山植物が食べられて、テンニンソウとか、カニコウモリとか、トゲアザミなどシカが喰わないものばかりがはびこります。今回の登山で剣山固有植物のツルギカンギク (剣寒菊) を見たいものだと探したけれども、そんなもの陰も形もありません。シカだけでなくヒト (=登山者) も増え踏圧 (とうあつ) の強さが問題で、放置すれば踏圧に強い雑草 (オオバコなど) が侵入してはびこる危惧があり、木道­の外を歩いてはいけなくなりました。それから、気象庁のリストラで剣山測候所も廃止されました。­今年の7月に徳島県が最新式のトイレを設置するなど、山頂の様子はずいぶんと変わって­しまいました。
山頂はミヤマクマザサが優占する風衝草原
ミヤマクマザサは剣山の山頂では草丈20センチか30センチ程度の矮生化しますが、少し山を降りてくると種本来の腰ぐらいの高さになります。
風あたりが弱いところでは膝から腰ぐらいの高さになる
 
●木道を歩きながらこの山頂の見事な風衝草原の植物たちを観察すると、ササの中に意外に­シラビソ (シコクシラベ) の幼木等がありましたが、これが育って山頂が森林となることは絶対にないとは言い切れ­ない、という気もします。びっしりとはびこるミヤマクマザサが他の植物の侵入をはばん­でいるだけで、もしミヤマクマザサが一斉開花して枯れることがあれば、それはいずれ必­ず起こるハズですが、その後はどうなるだろうか? すくなくとも矮小なコメツツジならばこの風衝草原で立派に生育できるハズですし、コメ­ツツジにとってはこういう所が生育の適地です。一見して土地的極相で安定しているかのよう­に見えるこの風衝草原も、何らかのきっかけがあれば大きく遷移するのではないか? そう考えると環境省は木道を設置して一体何を護っているのだろうか? 四国のブナ帯上部~亜高山帯では珍しくも何でもない普通種のミヤマクマザサというササ­を護っているのか? 少し考えれば矛盾や奇妙さがあるハナシです。


少し降りてくるとまさに錦絵のようだ
綺麗な紅葉だ
綺麗な紅葉
燃えるような紅葉だ。何の木? なんて聞くのはヤボかも。



↑ 剣山の山頂の様子です。



2015年10月18日、西日本第二位の高峰の剣山山頂 (標高1955m) からの眺望です。山頂東側テラスから東~北東を眺めました。四国山地の主稜線の最東部を見ていることになります。剣山の付属ピークの一の森(1879.6m)、天神丸(1631.9m)、高城山(1632m)、高丸山(1438.8m) などの山々がほぼ一直線上に並んでいます。空気が清澄ならば紀伊水道や淡路島をはじめ­、遥かかなたに紀伊半島の山々が見えるのですが、今朝はうっすら大峰連山が確認できま­したが、お昼になると見えなくなりました。

山頂の小屋は頂上ヒュッテで、剣山の山頂にある唯一の山小屋です。頂上ヒュッテと雲海荘の間に宝蔵石が見えています。小屋の下に見える深­い谷は旧木屋平村の真ん中を流れる穴吹川の上流域です。 山頂の真新しいトイレの南側の登山道で、いまはやりのドローンを飛ばして遊んでいる人­がいました。ドローンの下にカメラのようなものを吊り下げているのが見えますので、空­撮をしているのかもわかりません。ズームアップして追いかけてみましたが、動きが早す­ぎて追いかけられません。




動画の冒頭で出てくる青い屋根の山小屋は、頂上ヒュッテの別館の雲海荘です。山小屋が2軒あるわけじゃないです。むかしは2軒ありましたね。雲海荘は昔は東祖谷山村の経­営でしたか? 経営権が移転したいきさつは詳らかには知りませんが、頂上ヒュッテが買収? 譲渡された? それはともかく雲海荘には西日本最高所のお風呂があります。




ハリギリは、ブナ帯では比較的に巨樹になる樹種
●今日、昨年4月15日付けの拙記事 タラの芽よりも美味いハリギリのてんぷら にコメントを頂戴しました。

うちの庭のはりぎりは、アクがつよくて、とてもたべられません。

と仰るわけですが、たしかに、ハリギリは山菜としては評価は大きく分かれますね。こんな苦くてエグいものは喰えれへんわ! ということで、地方によってはイヌダラと呼ぶところもあるようです。このイヌという接頭辞は 「役に立たないもの」 「価値のないもの」 の意味です。本家のタラの芽よりも価値が低いからイヌダラと蔑視するわけです。苦くてエグいのだからイヌダラと軽んじるのも当然でしょう。ところが、山菜ファンでタラの芽をはじめ色々な山菜を食べていると、アクの強さが山菜の魅力でもあるということが次第に分かってきます。アクがあってこその山菜です。苦くてエグくてアクがたっぷりでなければいけないわけで、アクがない山菜はワサビのない刺身みたいなものなのです。そういうことなので、ハリギリは食通好み、山菜上級者の食べるものです。山菜初心者はとっつきにくいでしょう。広い世の中にはタラの芽よりもハリギリの芽を珍重する人々がたしかにいますね。

●「うちの庭のハリギリはアクが強い」 ということなので、庭にあるのだから比較的に若木か? と想像するのですが、一般的にいって山菜は若木ほどトゲが多くアクが強く旨味に欠ける傾向は認められます。果物でもそうです。ミカンでもブドウでもなんでも若木の果物は水くさく糖度が低い傾向です。山菜でも果物でも古木になるほどにコクのある旨いものが採れますね。ハリギリ一般がとても食べられないということではなく、うちの庭のものにかぎってアクが強すぎて食べられない、とも読めます。もしそうだとしたならば若木であるせいかもしれません。いすれにせよ、ハリギリはアクが強いものなのですが、普通は天麩羅にするのが定番料理です。何故か? と申すと衣をつけて高温で揚げるのはアクを軽減するための工夫なのです。

●さて、それにしてもお庭にハリギリがあるとは驚きです。おそらく北海道か長野県あたりの方ではないですか? まず西日本じゃないと思います。ハリギリは材木としての価値もあるみたいで別名センノキと称され、国内でのハリギリ木材の産地は北海道です。北海道がほとんどを占めていると思います。ハリギリの木自体は淡路島にも西日本にも分布していて、国内分布は北海道から九州まで本土全域ですが、やはり分布の中心は北日本で、西日本で庭にハリギリの木があるなどまず考えられません。そもそもハリギリは巨樹になる樹種であって、北海道の道東地方の農家など広い敷地にあるのならばともかく、関東以西の狭い庭にハリギリなんてあったらじきに巨大になって困るでしょう。秋の落葉も掃除が大変ですし。



西砥石権現 (にしといしごんげん) のハリギリ巨樹
西砥石権現は高城山の前衛の山で標高1457mです。ブナの原生林に覆われた山ですが、巨樹になる樹種としては、ブナトチノキミズメツガが目立ちますが、やや標高が低い所でモミカツラが大きくなります。ただし幹周がせいぜい3mか4mまでです。徳島平野の平地の寺社林では普通に幹周が7mとか8m、ときには10m超のクスノキやイチョウが沢山ありますが、ブナ原生林の中にそんな大きなものはありません。どうみても、本当に巨大な木は平地 (人里) にあります。 
↓ 写真は2015年9月23日撮影。場所は西砥石権現の南東斜面、海抜1350m

ハリギリの巨樹
↓ スギほどではありませんが、かなり真っ直ぐな幹です。幹周3m超の幹、つまり直径1mの太い幹が20m近く上まで枝が無いまま伸びているので大きくみえます。幹の太さがあまり減衰せずに高く伸びているので、長尺の板がたくさん採れそうで、用材の価値は高いのではないか?
真っ直ぐな幹
↓ 専用の道具なしに樹高を目測するのは難しいですが、実は簡単です。正方形の板を対角線にそってカットすると、直角二等辺三角形ができます。直角を挟む二辺は同じ長さです。3つの角は90度、45度、45度です。これを利用します。この三角板の45度の角に目をあてて、三角板の底辺の先を根元に合わせ、斜辺の先を木のてっぺんに合わせる場所まで後退しますね。そこから根元まで巻尺で実測すれが、それが樹高と同じです。測定原理はしごく簡単です。で、このハリギリは樹高約30mです。 問題があるとすれば、それは木のてっぺんが樹種によっては分かりにくいことです。スギやモミなどの針葉樹は分かりやすいです。広葉樹は分かりにくいです。それと、木のてっぺんが根元からの鉛直線上になくズレていることも多いので、適宜補正が必要です。
はるか上で葉を展開する
幹周は3m31センチ! 立派なハリギリ巨樹です。
幹周は3m31センチ


●下掲のYou Tube動画ですが、10月18日に剣山から下山するときに登山リフト (下山リフトか?) から撮ったものです。ハリギリの巨樹が写っています。ちょうど4分30秒に索道の右側にある大きな木がハリギリです。リフトの上から観察しましたところ、おそらく幹周350-400センチのレベルではないかと思います。

また、ちょうど2分のところで、索道の左側にツガの巨木が見えています。幹周は300-350センチのレベルであろうかと思います。ただし、その場所は海抜1650mぐらいのところで、ツガ → コメツガ への移行帯にあたります。で、コメツガの可能性もあり得ますが、画像からは同定不可能。葉を手に取れば、葉の大きさが異なるから識別できますが、写真や画像から見分けるなんてできないし、またするべきではないでしょう。


錦秋の剣山は、西日本全域からの紅葉狩り客でおおにぎわい。(その1)
●一昨日の10月18日 (日曜日) に、同級生のO君 (おおくん) と剣山 (標高1955m) に登ってきました。登山口の見ノ越 (海抜1400m) あたりでは紅葉の最盛期で朝から駐車場は一杯です。淡路島の雑想庵を午前5時半ごろ出て、大鳴門橋、徳島自動車道等の高速道路を突っ走って午前9時直前に見ノ越に到着しました。淡路島を出るさいに福良でタイヤに空気を入れたりモタモタしたから、実質的には淡路島で6時を過ぎていました。高速を活用すれば3時間以内に来れることが判明。見ノ越では既に車であふれかえっています。予想はしていましたが車が多いのにビックリです。なんでこんなにぎょうさんフラフラと来るんや? 停めるとこあれへんやが、と思うのですが、「おまはんもフラフラと来とるやんか」 と投げ返されるので今の発言は撤回します。頂上ヒュッテの管理人さんが出来れば日曜日をハズしたほうがいいけん、と言っていた理由がよく分かりました。撮ってきた拙い写真を陳列します。


登山口は大賑わい!
↓ 見ノ越に到着して一番手前にある第二駐車場の二階が既に満車です。えらいこっちゃあぁ! とうろたえましたが、第二駐車場の一階になんとか駐車できました。これから後に来た人は登山車道の路肩に停めるしかありません。べつに路肩で困ることもないのですが、登山口とかリフト乗り場まで余計に歩かされます。
第二駐車場の二階はすでに満車
↓ もちろん、見ノ越の奥の方にある第一駐車場の一階も二階も満車です。写真では広々として空いているではないか? と見えますが、この空いた場所は通路部分であって駐車スペースではありません。
第一駐車場の手前も満車
↓ なんと観光バスまで来ているではないか! 今日来ている客は山登りの人々よりも一般の物見遊山の観光客のほうが多そうです。リフトを利用すれば登るのは僅かです。極端なことを申せば、背広に革靴でも登れなくもありません。(ただし、靴ずれが出来るかもしれませんが‥) 今日は観光客が多いのはしかたがありません。本当の山登りたちは紅葉最盛期の剣山は敬遠しています。観光客の喧騒を嫌がって、観光客が来ない周辺の三嶺などに行っていますね。
観光バスも来ているではないか!
↓ 来ている車のナンバーをみたら、神戸、大阪、難波、京都の近畿圏から、岡山、広島、山口の山陽地方、九州ナンバーの車も結構あります。広く西日本全域から観光客が来ているみたいです。さすがに東日本からの客はほとんどなしで、東日本の人は中部山岳が近いから四国など離島 (実は、四国は大きな離島なのです) にまで来る意味がないわけです。東日本からわざわざ剣山に来るのは日本100名山巡礼に僅かに来るだけです。
第一駐車場の二階はもちろん満車
↓ 第一駐車場の二階から見下ろしましたが、若干駐車スペースの取り方がゆったりしすぎという印象は否めません。狭い土地を有効利用せざるをえない大都市の駐車場なみに、ぎっしりと詰め込んで駐車させれば5割増しで置けるのではないか? わが淡路島もそうですが、このあたりに離島 (≒ ど田舎とか辺境) の甘さが出ていますね。
第一駐車場の二階から見下ろした
↓ 同じイタヤカエデでも紅葉の早晩があるみたい。写真の左側の木では黄葉が真っ盛りですが、右側の木はまだ青々としています。まん中の小さな赤い木はナナカマドです。
同じイタヤカエデにも紅葉の早晩があるみたい


これは文明の恩恵なのか? 大いなる精神の頽廃なのか?
●コメツガやウラジロモミなどの針葉樹の濃緑と、ナナカマドや色々なカエデ類の紅葉 (黄葉) とが錦を織りなして美しい景色です。その美しい自然を破壊して登山リフトを開発しています。美しい景色と金属ワイヤーの冷たい光沢との対比に違和感があります。美しい自然の中には醜悪な人工物がないほうがいいに決まっています。この利益追求の商業主義が美しい樹林を切り拓いて自然を損なっているという意味では、確実に道義も美意識も退化し頽廃しているわけです。 しかしながらその反面、登山家のような体力優良児が独占していた素晴らしい眺望を、吾輩のような体力劣等児にも解放させたという意味では、大いなる進歩であり文明の福音でありましょう。どちらであるとか、どちらが良いとかではなく、ものごとには功罪両面、光の部分も陰の部分もあるということなのでしょう。

●ちなみに、原発の一番の問題点は、原発はなんといっても陰の部分しかないということでありましょう! 功が一つもなく、罪ばかりです。原発が安いなどというのは嘘ッパチで、原発でこしらえた電力の値段にはバックエンドに流し込む税金のコストなどを含めていないし、事故の処理費用も含めて無いわけです。それらをきちんと算用してコストを計算すれば原発の電力ほど高いものはないわけです。電気料金の国際比較をすれば概ね原発のない国々の電気代は安く、原発をやっている国々の電気代は高い傾向が明瞭です。いま福島県等では低線量被曝による晩発性放射線障害のパンデミックが起こっているわけです。政府はマスコミに圧力をかけて言論統制しているので、まともな報道をするのは日刊ゲンダイとか東京新聞や琉球新報などごく一部のマイナーな報道機関しかありません。言論統制・言論弾圧・偽装インチキ嘘八百で塗り固められたのが原発で、功なく罪だらけなのです。ふつう、物事は何でも功罪があるなどと言っても、陰ばかりで光がまったくないなどというのはまずありません。その点、陰しかない原発をなぜ再稼働させるのは不思議です。やはり原子力ムラの利権のためであったり、政治的には原発はプルトニウムをこしらえるための軍事施設でもあるということで核武装をたくらんでいるか、あるいはアメリカの軍産複合体のお先棒を担がされているのは明明白白です。

登山リフト
登山リフト
なんとなく違和感はあるけれども、老人や体力弱者でも雄大な眺望を楽しめるから、暗黒業界の原発と違っておおいに意義があるわけです。
登山リフト
登山リフト





紅葉前線はサクラと逆で山を降っていく。
登山リフト山頂駅
↓ 夏場と違って秋になると石鎚山がよく見えていますわね。手前味噌ですが 石鎚山系の山座同定はこちら の記事で以前に行いました。一番最後の写真です。それにしても山々の景色が夏場と一変しています。ま、これが何べんでも来る理由ですわね。で、素人ハイカーには厳冬期は無理にしても初冠雪が来たらまた来ますね。
石鎚山が見えている
↓ 旧 木屋平村側を覗いたら、だいぶん1500~1600mあたりに紅葉の顕著な帯状ゾーンが観察できます。意外に狭い範囲です。この帯状の紅葉帯が1日に標高差でおそらく50mほどずつ下がっていくのだと思います。ただし紅葉帯が等速度で山を降るのではなく、寒波が西日本上空に進入して冷え込むたびに階段的に山を降るのではないかな?
旧 木屋平村側を覗いた
↓ 向こうにカラマツの黄葉が見えています。信州みたいです。四国にはカラマツの自然分布はないハズで、これは植栽品であるか、あるいは植栽品起源の逸出であろうかと思われます。カラマツの黄葉もなかなか美しいものです。
カラマツの黄葉もなかなか美しい
↓ 標高1800m以上では、ナナカマドは既に落葉しています。赤い実だけの裸の木になっています。ダケカンバ (四国にあるのは変種のアカカンバ) も既にほぼ裸の木でした。山頂まぎわのコメツツジやドウダンツツジの紅葉も残念ながら終っていました。
標高1800m以上では、ナナカマドは既に落葉している
↓ 刀掛けの松に到着。リフト山頂駅と頂上ヒュッテのほぼ中間付近です。逆光の写真ですが、景色に後光が差しているみたいで、これはこれで面白いと思います。小さな祠 (ほこら) がありますが 「枝折神社」 と書いてあります。 「えだおれじんじゃ」 と読む? 北海道に 「切株神社」 というのがあるそうですが、明治期に開拓民が本州から北海道に移住したとき、母村の神社を分祀して神社を建立しようにも資材や資金が不足していて、切り株に簡単な社を設置して神社としたそうな。同様に、むかし剣山の登山道を拓いたとき、登山者の安全や山岳信仰の興隆を祈願する神社を作ろうとしたが資材がなく、大きな樹の折れた枝を神社としたのか?? 勝手な想像。
刀掛けの松に到着
刀掛の松にある枝折神社


(拙稿は続く)



環境省の調査の網から漏れ落ちたかわいそうな巨木・巨樹たち。    兵庫県南あわじ市編 (その14)
●神山町の巨樹や、奥山のブナ原生林の巨樹たちの記事が中途半端に中断していますが、ここしばらく仕事が忙しく、撮りためた写真は沢山あるのですが記事をこしらえる暇がありませんでした。旧三原町の巨木の調査も中途半端になっております。しかしながら、こういう調査は1年ぐらいかけてじっくりと取り組むものであります。植物のフロラ調査などではそれなりの高密度の調査をしようとするならば10年がかりです。なので、1年ぐらいかけてやるというのは決して時間がかかり過ぎるわけではないのです。 “巧遅よりも拙速” という言葉がありますが、まあ、普通はそれのほうがいい場合が多いですが、自然史の調査は全く逆です。時間がかかっても緻密で綿密な調査のほうがいいのです。結局、網羅主義悉皆調査全数調査ということになります。それには大変な手間や時間がかかるから “拙速よりも巧遅” ということが言えましょう。


参考巨樹 21 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)】
クスノキ科 クスノキ 幹周3m04cm
淡路島南部の 南あわじ市 (旧 三原町) 八木徳野 に鎮座する矢原大明神 の鏡内のクスノキ巨樹です。環境省の巨樹・巨木林調査マニ­ュアルで示される巨樹基準、幹周長300センチをぎりぎりで滑りこみセーフという感­じです。環境省が調査した1988年や1999年の時点では300センチに満たなかったのはほぼ間違いないですが、今後3回目の全国調査が行われる場合には調査対象です。それにしても、やはり旧三原町はクスノキの巨樹が多いです。矢原神社の鏡内には幹周200センチ級の樹木ならば、センダン、モチノキ、テーダマツ(北米原産の外来種マツ) など変わった樹種が見られますが、幹周3m超となるとやはりクスノキ圧倒的な優占種であります。
矢原神社のクスノキ
矢原神社のクスノキ
矢原神社のクスノキ
幹周は304センチ




参考巨樹 22 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)】
クスノキ科 クスノキ 幹周3m08cm
矢原大明神の敷地に隣接して東側に小さな祠が祀られています。鬱蒼とした杜となっていて、そこにもクスノキ巨樹がありますが、矢原神社と関係があるのかどうか不明です。
矢原神社の隣のクスノキ
矢原神社隣のクスノキ
幹周は308センチ


参考巨樹 23 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)】
イチョウ科 イチョウ 幹周3m31cm
南あわじ市 (旧 三原町) 八木徳野 の笑原神社の本殿の背後に大きなイチョウの木があります。上に掲げた矢原神社と笑原神社とは僅か200mほどしか離れていません。

本エントリーは巨樹 (広い意味での自然史の分野) に関する記事なので、神社名考証までは立ち入りません。が、笑原神社は式内社であります。式内社は南あわじ市には4社しかありません。全島では13社です。 『兵庫県神社誌』 によれば笑原神社は、『淡路味地草』 の記述を引用して、元は1つの神社であろうが2つに分けて鎮祭したものである。笑原神社は東宮 (東宮明神) といい、矢原神社は西宮 (西宮明神社) と言うのである。ということです。笑原神社の読み方ですが、兵庫県神社誌では 「エバラ」 と読ませています。どちらが本社か? 分社か? 歴史的に関係者の対立が有りそうな感じで、そう簡単なことではないので、あーだ、こーだ、と立ち入らない方が無難ですわね。

笑原神社のイチョウ巨樹
笑原神社のイチョウ巨樹
笑原神社のイチョウ巨樹
笑原神社のイチョウ巨樹
幹周は331センチ




平年値よりも15度低い強烈な上空の寒気。
本日は2015年10月13日であります。(さっき日が替わって14日になった)

地球温暖化の妄想を吹き飛ばす強烈な寒気だ!
●昨夜9時 (10月13日21時) 観測の高層天気図を見てビックリ仰天です。北海道の上空に強烈な寒冷渦が襲来しています。寒冷渦というのは寒気を伴う上空の低気圧のことであります。秋分の日を通り過ぎ北極点では既に一日中夜です。これからどんどんと冷えます。北極圏で涵養された寒気は偏西風によって運ばれるのですが、偏西風は波打ちながら蛇行していて、偏西風が大きく南下した際に主流から切り離されて、反時計回りの寒気の渦巻きとなって、紐のちぎれた風船みたいにふらふらと低緯度に流れ落ちてきます。その北極圏の強烈な寒気が北海道まで流れ落ちてきました。


2015年10月13日21時の500hPa高層天気図
気象庁の船舶向け天気図提供ページ から、500hPa高度・気温・湿数 解析図 を1枚借用。「借用」 と 「引用」 はどう違うのか? と問われそうですが 「引用」 とは著作権法で権利者の許可なく借用できる範囲が規定されている法律条文中の用語です。単に借用といえば一般的な国語の言葉であります。

2015年10月13日21時の500hPa高層天気図
↑ 一枚目の図はとても分かりにくいので、日本付近を抜粋拡大しました。拡大したところで分かりにくい図には変わりませんが、地上天気図とは異なり、等圧線は等高度線です。上空の気圧の高低をその気圧になる高度で表現しています。本州中部を横切る太い線は5700mです。津軽海峡付近を通る太腺は5400mです。その高度で500ヘクトパスカルの気圧 (地上の半分) になるというのです。

●ここで注目すべきは札幌の上空500ヘクトパスカル高度の気温です。なんと、-35.1度であります。気象庁の 観測統計 を閲覧して調べたところ、札幌の10月13日の500hPa気温の平年値は-19.9度です。なんと平年値よりも15.2度も低い! のにビックリ仰天。かつて、今にも地球が破滅し人類が存亡の危機に瀕しているかのような騒ぎ方をした地球温暖化の利権亡者どもですが、最近すっかりとおとなしくなりましたよね。おとなしくなったのは地球温暖化のイカサマがバレてしまったからなのですが、ここ数年来顕著になってきた寒冷記録更新も影響しているのかも分かりません。この札幌上空の顕著な低温は、残念ながら10月13日と月末まで2週間以上という段階のものであることです。もしこれが月末だったならば10月の記録更新となった可能性が大いにあります。今回は6位タイ記録です。


今秋初の平地での積雪だ!
14日1時現在で、わずか1センチや2センチですが積雪が3地点で観測されています。まだ10月半ばなのに早々と積雪とは、さすが日本一の寒冷地の北海道という感じですが、たぶん今年の冬は非常に厳しいのではないか? アベノミクスなどという物は何の実体もなく、言葉だけが踊っています。ていうか経済政策に自分の名を冠するという自己撞着性のペテン師、究極のナルシストの異常性格には辟易とさせられますが、肥え太ったのは輸出比率の高い大企業だけです。庶民は増税とリストラとで疲弊のきわみでやせ細るばかりです。今冬の厳しい寒さで灯油が買えない貧者の凍死が危惧されますね。
今秋初の平地での積雪


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徳島県・剣山でも12日に大きな霜!
●日本の南部でも平地じゃまだ気温が高くても、山の上じゃもう冬です。四国の剣山 (標高1955m) でも12日の朝に大きな霜が降りたらしい。山頂の頂上ヒュッテの管理人さんから届いた情報ですが、気温も0度だったとか。この日曜日 (18日) に同級生のO君 (おおくん) と剣山へ登ろうと言っていますが、こりゃあ冬装束で行く必要がありそうです。
10月12日初霜の大霜です。朝の気温0℃
↑ 12日の朝に大きな霜だったそうですが、確かにヒュッテの前のテラスですね。大きな霜に何か字を書いています。そう言えばかつて剣山測候所の観測統計では10月中に何べんでも積雪を観測しています。霜の写真の 出典はこちら ですが無断借用でありますが、18日に行ったら頂上ヒュッテで昼飯を喰うということでお許しを賜りたいと思います。



株立ち巨樹の幹周についての “環境省測定法” はおかしくないか?
株立ち巨樹の環境省測定法は、数字が過大になりすぎて、巨樹を前にしたときの実感からはかけ離れている!
環境省の生物多様性センターが示している 巨樹・巨木林の基本的な計測マニュアル によれば、巨樹が根元付近から複数の幹が立ち上がるいわゆる “株立ち” の場合には次の図のように測るのだ、と言っています。 (リーフレットの7ページから借用)

株立ち巨樹の幹周の求め方

●上の図に示された株立ち巨樹の測り方には、大いなる違和感を持ちます。とにかく数値が異常に大きくなってしまいます。極端なことを申せば、主幹の幹周200cmの周りに直径4cmの細いもの (幹周12cm) が9本出ているだけでも幹周308cmで巨樹です。そう極端なことを言わなくても、幹周200cmの周りに直径11cm (太り気味の人の腕ぐらい) が3本で幹周の合計が302cmで巨樹になってしまいます。実際にその程度の物は吾輩が観察した中でも沢山ありました。で、環境省基準に準拠すれば巨樹になってしまう株立ち樹はけっこうあるのですが、全部無視 (割愛) しました。メインの幹が幹周200cmあれば可ということですが、幹周300cmと比べるとやはりかなり小さいです。それに細い枝みたいのが3本加わっても大して巨樹には見えません。この株立ち巨樹の基準は緩すぎですし、複数の幹周を単純に総計するのは、やはりおかしいです。間違っていると思います。株立ち巨樹という場合には、主幹は惜しくも300cmにちょっと足りないとか、せめて250cm以上は欲しいところ‥。ようするに、本来1本だったであろう太い幹がいくつかに分割した場合、分割した幹周の合計は本来の太い幹よりも遥かに長くなってしまうということであります。

株立ち巨樹の環境省測定法が、数字が過大になる理由。
環境省の巨樹・巨木林測定マニュアルが言う測定法で、株立ち巨樹の幹周が異常な数値になる理由はハッキリしています。文章では説明しにくいので図をこしらえました。本当は四角でなく円形のほうがいいのですが、円形では作図が難しくなるのと、四角の方が周長の比較が簡単です。

図形を分割したら外周長は長くなる

●なぜ、株立ち巨樹の基準があまりにも緩く、おかしな測定法になったのか? 勘ぐれば巨樹の数を増やしたい意図がありはしないか? 巨樹を増やせば増やすほど担当するお役人の利権が拡張します。ま、巨樹みたいなものではあまり利権にはならんと思いますが、ちょっと調べてみても関係の民間会社や任意団体などあるようで、そういう所に天下ったりとか? 巨樹の数を増やし社会の巨樹にたいする関心や調査熱を煽ればいろいろ仕事になりましょう。その樹種の性質として巨樹にならないものまで調査対象に加えているなども、まさに巨樹を増やす意図が見え透いています。


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株立ち巨樹は1本の幹に統合し、その仮想の1本幹の外周を計算で求めるのがいいのではないか?
と吾輩は考えるのであるが、具体的な例を上げて敷衍します。下の写真は南あわじ市 (旧 三原町) 八木にある八木八幡神社の鏡内のシイノキ (樹皮が深く裂けるスダジイ) です。
大きなシイノキ (スダジイ)
↓ 地面から30センチぐらいの低い所で2分岐しています。主幹は主幹で地面からちょうど130センチのところで3分岐しています。結局4分岐する複雑な幹です。
4本に幹が分かれている
↓ 上を見上げたところです。
見上げたところ
↓ 主幹は地上130cmで幹周297センチ
地上130cmで幹周297センチ
↓ 地上100センチでは幹周275センチ。
地上100cmで幹周275センチ
↓ 分岐した4本の幹周は次の通り。
それぞれの幹周長

●左側の主幹はちょうど地上130cmのところで3つに分岐しています。分岐したところでは膨らみがあるから少し下のくびれたところを測ると幹周は275センチです。 これを幹周275センチの主幹とみなすか、いや3つに分岐しているではないか! と分岐した3つのものと看做すか微妙なところです。

●さて、3つに分岐したものと看做すと、その3つの幹の外周の長さは165cm、165cm、93cmです。幹はほぼ円形 (円柱) であるから外周長に囲まれた円の面積は、2167、2167、688平方センチとなります。これがそれぞれの幹の断面積ですが、合計すると5022平方センチです。これは分岐した3つの幹をくっつけたものです。仮想の1本幹の断面積です。この5022平方センチから幹周を計算すると、251cmという数字が得られます。275センチと比べると9%少ないですが、これは分岐した幹を地上130センチで測りにくかったので若干上で測っていることと、275センチというのは地上100cmでの数字であり、さらに30センチか40センチ上では当然減るであろうと考えられるから、ほぼピタリと一致していると考えてさしつかえありません。165+165+93は423センチですがそんな現実離れした浮世の数字よりも、251センチのほうがはるかに実体に近い数字です。このように、左側の主幹はもし幹が分岐していなかったならば、地上130cmで幹周250か260センチぐらいであっただろうと推定できます。 なお、297センチという数字は幹が分岐する箇所が膨らむためで、これも過大な数字です。

さて、以上試算した “分岐した複数の幹を合体させたものを、1本の幹と解して、その仮想1本幹の幹周を計算で求める” という考え方は、樹木は幹が太い1本であろうと複数に分岐しようと、その根周り規模がおなじであれば樹冠の広がりはほぼ同じであるという観察に基づいています。また、森林内での単位面積あたりの葉量は樹種や林分構造が同じならば、ほぼ一定であるという森林生態学の教えに基づいています。つまり、その樹の根周り規模が同じならば、葉量も同じで光合成で生産される同化物質量もおなじで、それが1本の幹に集中しようが、複数の幹に分散しようが、総量は同じであるということです。




一億総活躍だって? キャッチフレーズとしては、最悪のイメージだよね!
戦前戦中の “一億総動員” を連想するわね。
●いったい誰がこんな阿呆なキャッチコピーを考えたんやろか? 安倍本人か? 取り巻きの誰かか? 考えたヤツの歴史認識や言語感覚を疑わざるをえません。あまりにもイメージが悪すぎです。最悪です。これではたとえ自民支持者でも安倍支持者でもソッポを向くのではないか? 戦前・戦中の挙国一致の戦争遂行体制を構築するために1938年にこしらえた 国家総動員法 のもとのスローガン 「進め一億 火の玉だ」 「一億抜刀 米英打倒」 「聖戦へ 民一億の体当たり」 「一億一心」 「一億玉砕本土決戦」 等々‥‥。国民総動員のおぞましい標語がゾンビのごとく、亡霊のごとく、墓場からよみがえった感じです。恐いですわね。

●一億総何何などというスローガンが出てくるのは、戦前・戦中の大日本帝国憲法下での国家体制は好ましいものであったと考えている風な感じの、安倍らしいと言えば安倍らしいです。さすが、A級戦犯として巣鴨プリズンに収監されていたけれども、連合国軍の最高司令官マッカーサー元帥から、米国の手下をするのであれば巣鴨プリズンを出してやってもいいぞ、という内容の売国取引に応じた岸信介のお孫さんらしいです。まともな政治家ならばこんな戦前の国家体制を思い浮かべるようなイメージの悪い言葉は言わないハズです。自民党の憲法改正条文案を読めばよく分かりますが、自民党も安倍個人も戦前の国家体制を好ましいものと考えているのがアリアリです。だからこそ、こんな標語がためらいもなく出てくるのでしょう。そう遠くない将来に、言論は完全に統制され、異論や反対は違法行為として取り締まられ、野党の存在自体が違法とされ、中国やシンガポールみたいに一党独裁体制が強固に敷かれ、国民は何もものが言えず、アメリカの下請け構造と化した自衛隊の海外出兵を激励するために、しもじもの国民は日の丸の旗振りに動員させられる時代がすぐそこに来ているようなイヤな予感がします。

●よしんば、上記の予感が年寄りの杞憂であったとしても、意味不明な実体のない空虚なスローガンです。まず、一億総動員大臣、もとい、一億総活躍大臣が何をするのか? 何の具体的な説明も出来ず、とってつけたような言い草では、他の大臣の所管分野と重複しています。つまり、そういう大臣が必要だから作ったのではないという馬脚を顕しています。目玉にするスローガンを言うために、そういう大臣を無理やりにこしらえたという感じです。本末転倒もいいところです。で、その目玉のスローガンが戦前の国家総動員体制を彷彿と思い起こさせるものだった‥‥。

そもそも全員が活躍するのは不可能。
それに、一億総活躍なんていうたら、全体主義的な響きがあって薄気味悪いですわね。国民全員こうあらねばならない、って言っているようです。全員が活躍せねばならない、そこから脱落しても落伍してもいけないし、はみ出してもいけない、まして異議を唱えたり反対するのは絶対に許さない。全員活躍しろというのは、表現を変えていうならば、「一億みんな右向けと言ったら、右を向くんだ」 ということなのです。それに、そもそも、全員が活躍できるのか? という根本的な疑問があります。

野球を考えてみますと、プロ野球の12球団に所属する選手は何人おるんでしょうか? 日本野球機構 の公式サイトで検索すれば球団ごとの選手名鑑が見られるので、数え始めましたがアホらしくなった。ま、支配下選手に育成選手を合わせて800人か900人ぐらいか? 大雑把に千人弱でしょう。で、この千人弱がみな活躍できるか? できませんよ。 スポーツ新聞の表紙を飾る活躍選手はごく一部です。千人弱の者が皆、プロ野球選手を目指したからには花形選手を夢見て頑張っているハズです。ところが大活躍する選手はごく一部です。頑張ったけど頭角を顕せずに、寂しく球界を去る人のほうが多いのではないか? これはどんな分野にも当てはまります。人間みな十人十色で能力差が厳然としてあります。本人の努力でどうしようもない運不運や差別もあるし、頭角を顕す人とうだつが上がらない人とに分かれてしまいます。そんなこと当たり前のことであって、みんな分かり切っていることです。なのに、一億総活躍などと空虚なことを謳うのは欺瞞的です。

活躍したかどうかを誰が評価するのか?
それに、「活躍」 などと言ったら 「評価」 が入ります。活躍したかどうかは本人が自己診断することではなく、他人が評価する言い方です。プロ野球選手の契約更改で 「お前はチームの勝利に大活躍してくれたから、年俸を上げてあげよう」 とか、車のセールスが 「お前は社内で一番多くの台数を売って会社の業績に活躍してくれたから、社長賞をあげよう」 など、明らかに活躍したかどうかは他人が評価するものです。一億人全員が活躍するなんてあり得ないし、個々人が活躍したかどうかを誰がどういう基準で評価するのか? 国民のなかには、「わしは頑張らないよ、そこそこメシが喰えたらいいわ」 とか、「わしは人の後ろを行く主義だ、人の先頭にたって活躍するなんてゴメンだ」 というふうに頑張らないことを人生のモットーとし、そういうライフスタイルの人も大勢いるハズです。安倍の阿呆なスローガンは、国民に向かって 「おまえら、頑張りなさい、活躍しなさい」 と命令しているみたいで気分が悪いですな。一億人も有権者がおったら物凄い多様性があります。色々な考えの人がおるのに、強制的に国家が命令しているみたいで薄気味わるいですわね。



環境省の調査の網から漏れ落ちたかわいそうな巨木・巨樹たち。    兵庫県南あわじ市編 (その13)
旧 三原町の巨樹の50%はクスノキ!
わが南あわじ市の巨樹・巨木林の調査がやや御留守になってしまったので、ここで旧 三原町内の測定巨木の数を中間集計します。本日のエントリーで取り上げる7本の巨樹たちも含めます。まだ未調査地区が残っていますし、手持ちの写真もあります。まだまだ巨木数は増えます。あくまでも中間集計です。

環境省の調査の網にかかった巨樹 (1999年調査時に幹周300cm以上) 10本
環境省の調査の網から漏れ落ちた巨樹 (2015年現在幹周340cm以上) 21本
2000年に幹周3m未満だった可能性の巨樹 (現在幹周298~339cm) 19本
計50本  

【樹種内訳】 クスノキ26本、シイノキ8本、ホルトノキ4本、ムクノキ3本、
         クロガネモチ2本、ヤマモモ2本、ケヤキ2本、
         イヌマキ1本、イブキ1本、カエデ1本




環境省の調査の網から漏れ落ちたかわいそうな巨木・巨樹たち ファイル19
クスノキ科 クスノキ 幹周3m44cm
旧 三原町 榎列上幡多 阿波井神社 の鏡内にあるクスノキですが、幹にめずらしい “窓” が開いています。この窓は、主幹の基部から出た枝が垂直に立ちあがって太く成り、主幹と枝が癒合して形成されたようで、垂直に立ちあがった枝が弓状にまがっていたところが窓になったと思われます。
阿波井神社のクスノキ
幹に窓が出来ている
幹周は3m44センチ



環境省の調査の網から漏れ落ちたかわいそうな巨木・巨樹たち ファイル20
ニレ科 ムクノキ 幹周3m90cm
南あわじ市 旧 三原町市小井 にある春日神社の鏡内のムクノキは、主幹上部が欠損し幹の下部には空洞が出来つつあります。老朽化がいちじるしいのですが立派な巨樹です。
春日神社のムクノキ
主幹の上部が欠損
幹周は3m90センチ



環境省の調査の網から漏れ落ちたかわいそうな巨木・巨樹たち ファイル21
ヤマモモ科 ヤマモモ 幹周3m79cm
南あわじ市 旧 三原町榎列掃守 (えなみかもり) の榮福寺に立派なヤマモモの古木があります。幹周を地上130センチで測ると、幹が分岐している大きな膨らみに当たって過大な数字になってしまいます。かといって株立ち巨木と考えて、主幹と副幹の太さを測ると地上150センチの高さになります。つまり、環境省の巨樹・巨木林測定マニュアルで想定していないケースです。で、地上130センチに満たないのですが、幹が分岐する下のくびれたところを測りました。 なお、分岐した2つの幹の幹周は2m76センチと2m16センチで環境省の巨木基準を十二分に満たしています。
ヤマモモの大木
注連縄を張ってご神木扱い
幹周は3m79センチ



参考巨樹 17 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)
クスノキ科 クスノキ 幹周3m35cm
旧 三原町の 榎列下幡多 にある八幡神社の鏡内にクスノキとケヤキの巨木があります。鏡内の東側にイチョウのかなり大きなものもありますが、そのイチョウは根元からひこばえが沢山出ている上に雑草に埋もれているので測りにくく、これはパスした。ひょっとしたら幹周3mあるかもしれません。
榎列下幡多の八幡神社の大クスノキと大ケヤキ
幹周は3m35センチ



参考巨樹 18 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)
ニレ科 ケヤキ 幹周3m12cm
上記と同じ榎列下幡多の八幡神社の鏡内にあります。全国的には、とくに関東など東日本ではケヤキの巨樹・巨木林の出現頻度が高いようです。西日本ではケヤキよりもムクノキの巨木が目立ちますが、ケヤキがないわけではなく時折ケヤキの巨木が出てきます。旧 三原町ではこれで馬廻の天野神社のケヤキに続いて2本目が出てきました。
下幡多の八幡神社の大ケヤキ
ケヤキの根元
幹周は3m12センチ



参考巨樹 19 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)
モチノキ科 クロガネモチ 幹周3m13cm
旧 三原町の 八木養宜上(やぎようぎかみ) の小さな公園にクロガネモチの木が何本か植えられています。その中の1本がなかなかの太さです。測ってみると幹周3mあるではないか! 国道28号線からよく見えているのですが、まさか巨木はなかろうと思われたのですがやはり近づいて調べてみることです。幹が剪定されて樹高がそれほどなくても幹周3m超が予想外にあったりするものです。よく歩き回らないと見落としが出そうです。
小さな公園に予想外の巨木がある
主幹が剪定されているので樹冠は小さい
くりぬいて臼が出来るほど幹が太い
幹周は3m13センチ



参考巨樹 20 (将来3回目の巨樹・巨木林調査の対象)
ブナ科 シイノキ 幹周3m06cm
旧 三原町の 神代社家 にあります。祠のようなものが祀ってあり、地元の方に聞いたら馬廻の関係のものらしい。現在は祀る人がいなくて草ぼうぼうに埋まっています。樹は欠損が多く老木ですが、ギリギリ幹周3mありました。株元を見ると非常に古い切り株が朽ち果てていて、その切り株から出たひこばえが幹周3mまでなったようです。で、実際は幹周3mよりももっと古く大きい巨樹であったハズです。
田んぼの中の一本スギではなく一本シイノキ
幹は太いが欠損の多い老木のようだ
幹周は3m06センチ



巨樹・巨木というのは、その多くが平野部や人里にあるのであって、深山のブナの原生林にあるのでは決してない。 (その5)
神山町における常連巨樹ベスト4も、クスノキ・スギ・イチョウ・ムクノキ

表題の 「巨樹・巨木というのは、その多くが平野部や人里にあるのであって、深山のブナの原生林にあるのでは決してない」 ということを明らかにするために、観察フィールドとして選定したのは、深山のブナ原生林は高城山周辺のブナ原生林です。人里の巨木は麓の神山町のものです。両者を対比させて考察します。で、まず徳島県神山町の人里にある巨木たちをしっかりと観察しましょう。 巨樹・巨木林データベース で検索すると、神山町の巨木は環境省の調査では66本です。幹周の大きい方から20位まで抽出して表にしました。神山町でも徳島県全体と傾向は全く同じでクスノキ・スギ・イチョウ・ムクノキの4樹種で80パーセントを占めています。上位20だけでなく66本全体でもこの4樹種で大半を占めています。なお、やはり環境省の調査は抜け落ちが多く杜撰な調査です。他所者の他県人の吾輩でも、焼山寺のあのスギ巨木林がすっかり抜け落ちているではないか! と気付くほどですし、神山町の奥地、木屋平村へ向かう道中でも雲早山に向かうところでも点々と巨木がありますね。

神山町の巨木番付け20位までのリスト

神山町の巨木巡礼のハイライトは、大久保の乳イチョウ!
ここのイチョウは巨大です。主幹がすくっと一本立ちで樹高を誇ります。ホントに大きく見えます。他県からでも見に行く値打ちがあります。徳島県最大巨木の乳保神社の大イチョウは薪 (たきぎ) を束ねたような樹形で大きいことは大きいのですが、幹周の数字の割には迫力が不足しています。それに比べると、幹周数字の劣る神山町神領大久保の乳イチョウの方が太い主幹がそそり立つので迫力があります。むしろ大久保のもののほうが大きく見えるほどです。

神山町神領字大久保の乳イチョウ
大久保の乳イチョウ
測定器で実測したのか、大雑把な目測なのか全く不明ですが、樹高は38mとされます。ほぼ1本立ちの主幹が立ち上がっているから大きくみえます。
神山町神領字大久保の乳イチョウ
集落の公会堂の庭にあります。公会堂側から見ると主幹しかなく根際からの 「ひこばえ」 は見られません。
神山町神領字大久保の乳イチョウ
石灰岩洞窟で見られる鍾乳石みたいなものが垂れさがっています。
神山町神領字大久保の乳イチョウ

枝から出る気根は、何故あるのだろうか?
上の写真で、反対側はごつごつとした大きな出っ張りがあって、気根が 「つらら」 のごとく垂れ下がっています。ふつう気根とは亜熱帯のタコノキなどでは樹体を安定させるための突っ張りであったり、あるいは、亜熱帯の気水域の河口などに生じるマングローブを形成する樹種などでは突っ張りや気根から酸素を取り入れるためでしょうし、温帯域の蔓植物のツタなどの例では壁に気根で張り付いて登っていくなどの機能がありましょう。イチョウの 「つらら」 みたいに垂れさがった気根はなんの役目もしていないように見えます。若木では気根はほとんど出ず巨木になってから出てくることが多いから、退化して消えていく途上にあるのではないか? イチョウは生きている化石ともいえる古い樹木で、1億年とか2億年昔の中生代の環境では気根が何らかの機能をしていたが、現在の地球の環境では気根が不必要となったのか? と考えるのが合理的そうな感じ‥。波田先生 が、「枝から気根を伸ばすことの理由は、なかなか難しそうである。イチョウなどの裸子植物が全盛だった時代の生育環境を知りたいものである」 と言っているのはそういうことでありましょう。 

下図は、大阪市自然史博物館のホームページ化石からたどる植物の進化 から借用。 ENTER → 裸子植物の繁栄 → 生きている化石イチョウ → 系統樹。原図の出典がどこか知りませんが、この植物の系統樹を見ると、イチョウは中生代三畳紀に地球上に出現し、恐竜たちがのしあるいていたジュラ紀にかけて沢山のイチョウ類が大繁栄、そのご白亜紀のなかごろに衰退して、1億年後の現代まで細々と生き残っているのが現在のイチョウ1種だけということであります。他のイチョウ類も僅かに命脈を保っていたが、新生代の第三紀後半からじわじわと起こった氷河期でみな絶滅したとも言われます。
植物の系統図

イチョウ類が大繁栄していた2億年前は、二酸化炭素が5倍~10倍! でも地球は破滅などしていない。
さて、イチョウが枝から気根を出す理由を考えるにあたり、イチョウが地球上で大繁栄していた中生代の地球環境ですが、大気中の二酸化炭素が現在よりも数倍~10倍程度酸素濃度は約半分と推定されています。いま世界の陸地は分裂していますが、中生代の三畳紀には世界の陸地はひとつに合衝して超大陸パンゲア大陸) を形成して中生代ジュラ紀に分裂がはじまり2億年後の現在の大陸分布になったとされます。 想像するに、大陸が分裂と合衝を繰り返しているんですが、超大陸になったときには大陸内部に何本もの巨大山脈があったのではないか? (ぶつかりあった大陸の境目が盛り上がる、ヒマラヤ山脈みたいに) 大胆に想像すると、海と陸の配置が現在と違い単純なので、日々の天気も毎年の気候も単純な変化になりそうに思えます。山脈の風上ではつねに高温多雨、山脈の風下ではつねに高温乾燥、山脈に取り囲まれているところでは物凄い乾燥で寒暖の差が非常に激しかった、と想像します。パンゲア大陸は赤道付近では年中気圧が低く海から風が吹きこんでくるが、大陸の高緯度部では夏は気圧が低く冬は気圧が高いから季節風を繰り返すという単純な気候変化パターンであったのでなかろうか? そうした中でイチョウは繁栄し気根を出していたわけで、酸素濃度が低いから気根から酸素をせっせと吸うということはありそうですが、イチョウの地上部ならば葉からどんどん酸素を取り込めばいいから、中生代の低酸素環境下で酸素を取り込んだというのは説明になりません。波田先生も疑問だけ書いているのは分からないからなのでしょうが、もしタイムマシンが存在するならばぜひ2億年前に行って、当時のイチョウの木を観察したいものです。

大気中の二酸化炭素濃度の変化
日本惑星科学会誌 のテキストから借用。イチョウが大繁栄していたころの地球は、大気中の二酸化炭素濃度は現在の数倍と見積もられています。5倍から10倍ぐらい。地球温暖化利権者どもが泣いて大喜びするほどの高濃度だったというのは広く認められている知見ですよね。で、地球は破滅しただろうか?? 破滅なんてしていませんわ!! むしろ恐いのは大気中の二酸化炭素濃度が下がった時です。古生代石炭紀や、新生代新第三紀の後半から現在です。氷河期が来ています。ただし、二酸化炭素が減ったから地球の気温が下がったのか? 地球の気温が下がったから二酸化炭素が減ったのか? 検討の余地が大いにありそうですが‥。地球の歴史を見ると、どんどんと二酸化炭素を出さないと大変なことになりそうですわね。原発を早く棄却して、石炭をじゃんじゃんとくべよう!




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