雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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諭鶴羽山系の山菜(番外編) とても苦い「アケビ類」
●アケビ類の新芽は食べられるということになっています。普通、木の芽として食べられているのは3出複葉の「ミツバアケビ」であります。5出複葉の「アケビ」は苦いので、普通は食べないものとされています。しかしながら、このハナシは東北地方の積雪地帯などの北日本の話です。北日本では “木の芽” と言えば “アケビの新芽” を指すようでありますが、西日本ではそれはサンショウのことです。西日本では冬でも畑には青菜がありますから、わざわざアケビの新芽など食べる必要性がありません。またその食習慣もありません。

●大沢章『山菜栽培全科』農文協 1986年、は次のように言っています。(抜粋引用)

「アケビ類の芽は、<木の芽>と呼ばれ、古くから春の山菜として珍重されてきた。歯切れとホロ苦さに野菜にない季節感を味わえる。最近は若芽茶の人気が高い。」

「芽類の市場扱いはほんの僅かで高級品扱いされており、今後の量産がのぞまれている。また芽類の加工原料が不足しており、芽類を中心とした栽培も有望である。」


●しかしながら、アケビ類の新芽はとても苦いのです。苦味がないとされる「ムベ」にしても実際には相当に苦いのであります。炭酸を投入して湯がいても、あるいは塩・灰汁を用いて湯がき、そして流水でさらしても、相当に苦いのであります。わたくしもいろいろ文献に当たり、ネット情報を渉猟して参考とし、どういう風にしたら苦味を抜くことができるのか? 試行錯誤したけれども、いかんせん苦いのです。とにもかくにも苦がすぎ!
こんな苦いもの、食えるか!ということで私は「ミツバアケビ」や「ムベ」を山菜として推奨いたしません。

ミツバアケビの新芽
↑普通、木の芽と称して食べられるのは「ミツバアケビ」です。葉は3つの小葉から成る複葉であります。

アケビの新芽
↑こちらは、普通、苦くて食べられないとされている「アケビ」であります。

アケビの花
↑アケビの花。
アケビの花のアップ
↑アケビの花のアップ。これは雌花。

ムベの新芽
↑こちらは常緑の蔓植物の「ムベ」です。これは苦味がほとんどないと言われるが…。実際は物凄く苦い。

●考察するに、北日本の人たちがなぜミツバアケビの新芽を山菜として珍重するのか? 2点その理由を仮説として考えてみました。(あくまでも未検証の想像です)

1、地方により食文化が異なり、食品加工や利用法の歴史・伝統もことなります。北の地方の人々は、雪解けころの青菜が何もない時期に、それしか見当たらないミツバアケビの新芽を何百年、何千年と無理して食べてきたところ、苦味に対する耐性を獲得したのかもしれません。地方によって味覚の感受性に相違があるのかもしれません…。これは大いにあり得るハナシであります。たとえば関西人の(実際は島嶼人の)わたくしは、ナットウという食品は腐敗して悪臭を放つおよそ食品とは言い難いものであると思います。ところが関東人に言わしめると「これほど美味いものはないのだよ」と毎朝食べるらしいのですが、これはまさに、食文化・味覚の感受性の相違の典型例でありましょう…。

2、地方によって自然分布するミツバアケビに遺伝的な差異があるのではないか? つまり苦味の強い系統と、苦味の少ない系統があるのではないか? そして苦味の強い系統が分布するのは南の地方で、それで西日本(南のほう)ではミツバアケビの新芽など食べない…。これも大いにあり得る話であります。同じ種の植物であっても産地によって形質にかなり違いがあるのが普通で、違いが大きくなれば別の種に分けられるということでありましょう。タンポポなどたいした違いじゃないけれども少しづつ違うので、ここのはカンサイタンポポ、こちらのはトウカイタンポポ、これはカントウタンポポ…、と地方毎に名前がかわります。 で、ミツバアケビの形態的特質は同じように見えても、その新芽の味が地方により違うのかも?
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諭鶴羽山系のツツジ属(その1)「コバノミツバツツジ」
コバノミツバツツジであります。春の里山を桃源郷のように彩る美しいツツジです。

●植物名を書き表すさい、難しい漢字をやめて、カタカナ(場合によっては、ひらがな)で書くようにしたのは明治時代の植物学者であります。学名に関しては 国際植物命名規約 という厳密な規約があり学名の付け方にはルールがあるわけですが、和名についてはべつに厳格な命名規約があるわけではありません。(もしあるのでしたらご教示ください)けれども、植物名をカタカナで表記するのが、明治時代以来の既成の慣習になっているので、拙ブログでは植物名だけでなく生物名はすべてカタカナ表記でございます。間違っても漢字で表記したり、漢字仮名交じりで表記することなどありえません。ただし例えば、シマサルナシ(島猿梨)という風に、まずカタカナで植物名を示しそのあとに括弧つきで漢字名で説明することはございます。やはり、いかなる場合であっても、カタカナで植物名を表記することを崩すことはできないのです。

(理由は、植物名をどのように表記するかを見れば、その人が動植物とか自然についてどの程度の知識とか認識を持っているのか、ほぼ分かってしまうからです。したがいまして、自然や植物について講釈を垂れる人が目の前におったら、その人がどの程度の認識を持っているか品定めするには、動植物名をどのように書くかを観察すればいいのです。)

●そうは申しても、やはり、植物名を漢字で書くほうがその植物について分かりやすいことは多々あります。ということで、コバノミツバツツジは明らかに「小葉の三つ葉躑躅」であります。小さな葉のツツジだというのです。また、その葉は枝先に3枚つくことを表しています。本種はサクラのソメイヨシノと同じように、葉が出てくるよりも先に花が咲きます。葉が出て展開するのはたいてい花が散って後です。春に枯れ木にいきなり開花するような感じで、殺風景な雑木林が一気に華やかになります。本種は葉が小さいだけでなく、他のミツバツツジ類よりも花も若干小ぶりであります。

コバノミツバツツジ

 ●さて、いつも思うことでありますが、園芸店の店頭であるとか公園などでツツジの園芸品種がたくさん見ることができますが、ミツバツツジ類が原種であろう園芸種が全く見当たりません。広い世の中にはミツバツツジ類の園芸種があることはあるようですがが、世の中にほとんど普及していないといえましょう。サツキであるとか、ヤマツツジであるとか多くの野生種がツツジ園芸種の原種になっていて、江戸時代から膨大な数のツツジ園芸種が開発されているのに、何故ミツバツツジの類の園芸種がほとんど見当たらないのか?

思うに、ミツバツツジ類がありふれているためではないか? 個体数が多く、身近な里山に沢山ある(あった)ので、別に採ってきて庭に植えるまでもありません。タネを採取して育苗し開花させるのには長年月がかかります。わざわざそんな手間のかかることはしないし、まして、交配してもっといい品種を作出してやろうという意欲も湧かないです。またミツバツツジ類の交配種ができても、それによく似た原種が目の前にたくさん野生しているから、わざわざお金を出して購入するのは馬鹿馬鹿しいです。ミツバツツジ類は野生状態でも非常に観賞価値が高いものでありますが、しかし家の前の里山にいくらでもあるから、それを見ればいいんだよ。なんでお金を出して買わなきゃいけないんだよ、ということが品種改良の原種にあまり成らなかった理由ではないのか? 身近に沢山あるものには価値が少なく、山奥とか特殊環境に自生する入手困難なものにこそ価値があるということなのでしょう…。(と、考えてみたのですが、違うかもしれません。

●コバノミツバツツジは身近な里山にごく普通のありふれた植物だったのですが、近年、急速に減少しております。諭鶴羽山系でも沢山あったのですが、最近では捜さないと目にしなくなりました。写真のものは、諭鶴羽山系ではなく阿万の大見山で撮りました。コバノミツバツツジが減少してきた理由はハッキリしています。 “遷移の進行” です。森林が鬱蒼と茂ってきたからです。

コバノミツバツツジは耐陰性があまりなく、ある程度は陽光があたらないと育ちません。しかも低木です。樹高は1mかせいぜい2~3m程度です。したがいまして、明るい雑木林、二次林でも初期のまだ背が低い段階の林、比較的に林床が明るいマツ林、などで以前は見られました。ところがマツが枯れ、二次林が成長して樹高が高くなり、遷移が進んで常緑広葉樹(照葉樹)が鬱蒼と茂ってきました。こうなるとコバノミツバツツジは居なくなります。しかしながらこれは自然の摂理であり法則であります。やがてはコバノミツバツツジは樹木の育ちにくいところ、例えば土壌の少ない急斜面の岩角地とか、やせ土の尾根だとか、かなり特殊なところにしか残らないでしょう…。役場の人たちとか、自然保護NPOの人たちの感覚では、じゃあコバノミツバツツジを消滅から救うために、森林を間伐して太陽があたるように環境整備しよう、などと言う方向にじきに動くでしょう。しかし、それは間違っています。自然には法則とか秩序があるのですから、やがて落ち着くところにたどり着きます。自然の摂理には逆らってはいけません。
なるほど。真相が見えてきたぞ。この国は北朝鮮と同等か、あるいはそれ以下の恐ろしい謀略国家だ!
●4月26日に、小沢一郎さんに、一応は、「無罪」判決が出ました。しかしながら、とってつけたような無罪というか、すっきりしない無罪であります。大きな違和感がただよう「無罪」であります。何故だろうかと考えたら、「主文の無罪判決」とその理由を詳しく述べた「判決文」とが整合性がなく、矛盾しているのです。判決文はその内容からいえば「有罪」を宣告するために書かれたという印象が強くします。で、「主文 被告人は有罪!」と声高らかに宣告する筈だったものが、急に、取ってつけたかのような「無罪」となりました。小沢元代表裁判 判決の要旨 NHKニュース

●おそらく、こういうことでしょう。民主党の 森ゆうこ が、「検察審査会のイカサマ」を訴えて精力的に活動しています。そして、ついに、判決が言い渡される直前の4月23日に決起しました。検察審査会のイカサマを検証をすべきだ! ということで、衆参両院議員136名の署名を集め、衆参両院議長に「要請書」を提出したのです。その「要請書」がネットで流布されて大騒ぎになっています。天地がひっくりかえるような物凄い内容です。もし要請書を受け付けて法務委員会秘密会が開かれて、真相が明らかになったならば、検察・裁判所の巨大スキャンダルに発展するのは必定、これはやばいと、急遽無罪判決を出したのではないか? 無罪を出す代わりに、このハナシはもうこれでおしまいにしてくれないかと手打ちをするのではないか? 一種の巨大談合というか、司法取引みたいなものがありそうな気がしますが…。さて、どうなるんだろうか? 検察審査会の実態を解明する法務委員会秘密会は開かれるのだろうか? イカサマがバレるから開かれないのと違うだろうか? この国は、今、歴史的な重大な岐路に立っているのは間違いなさそうです…。

参議院議員 森ゆうこ 『検察審査会の実態調査を目的とする法務委員会秘密会の開催について(要請)』 要拡散情報なので、その要請書の文面を引用いたします。なお、強い「疑義」が多くの人々により指摘されていますが、その箇所に下線を引きました。

  …………………………………………………………………………
【以下、全文引用】
検察審査会の実態調査を目的とする法務委員会秘密会の開催について(要請)

衆議院議長/横路孝弘殿
参議院議長/平田健二殿

 我々は、議会制民主主義確立のため、衆参両院議長に以下の要請をする。

 衆参両院において「法務委員会秘密会」を開催し、検察審査会の実態を調査すべきである。関係者にしかるべき指示をいただきたい。

(理由)

(1)検察審査会は、検察審査会法第三条により「独立してその職権を行う」ことが規定されている一方、その所轄が三権のどこに属しているかどの法律にも規定されていない。そのため、検察審査会法改正によって付与された「起訴議決」により行われる所謂「強制起訴」という強大な行政権の行使について誰も責任を負わないことが「憲法違反」ではないか、と専門家から指摘されているところである。
また、同法二十六条の「会議非公開」を理由として、「起訴議決」が法律に則って適正に行われたのかについて検証を行うことが、事実上不可能である。

(2)そのような中で、衆議院議員小沢一郎君の「起訴議決による刑事裁判」公判において、事件を担当した東京地検特捜部の田代検事が、東京第五検察審査会に対して提出した捜査報告書を捏造したという驚くべき事実を証言した。その捏造部分は「起訴議決」の主たる理由になっており、この一点をもってしても「起訴議決」は無効であると言える。また、田代検事が利益誘導による取り調べなどの違法行為を行っていたことも明らかになり、裁判長が厳しく指弾したところである。

(3)そもそも、小沢一郎君に対する「起訴議決」を行った東京第五検察審査会については、事務局が検察審査員11人の平均年齢の計算ミスを繰り返し、3度も発表するという大失態を冒したことに端を発し、有権者名簿から「くじ」によって無作為に選ばれた全く違う11人の審査員の平均年齢が、少数点第2位まで同じ34.55歳という確率上あり得ない数値であることや、審査員選定くじ引きソフトの欠陥が証明されたこと等により、検察審査会法の根幹である審査員選定の公正性そのものに、国民から大きな疑念が寄せられている。

(4)加えて、情報公開が極めて限定的であることから、実際に検察審査会が開催されたか否かにさえ疑念を抱いた国民による大規模なデモや集会などの抗議行動が繰り返し行われている。

(5)更に、「起訴議決」の前提として法第四十一条の六第2項が要請している検察官からの意見聴取が、規定通り行われていなかったことも指摘されている。

 検察審査会法には指定弁護士による公訴取り下げの規定もなく、被告は議決の有効性すら争えない。これは法の欠陥、不備であることは明らかである。かかる事態を座視することは、立法府としての不作為と言わざるを得ない。直ちに実態を調査すべきであるが、検察審査会の「非公開」及び「独立」の原則を遵守しつつ調査を行うためには、「秘密会」を開催する以外に方法がないことから本要請を行うものである。
     
    平成24年4月 日
    衆議院議員・参議院議員                  

【引用終了】
諭鶴羽山系の山菜(その12) 「食用タンポポ」     目の敵にするよりも、採って食べましょう!
●我が淡路島では、3種のタンポポを野外で見ることが出来ます。カンサイタンポポシロバナタンポポ食用タンポポの3つであります。このうちシロバナタンポポ(白花タンポポ)は淡路島では希産の珍品で、めったに見られませんが在ることはあります。私も2回見たことがあります。もともと淡路島にあったタンポポはカンサイタンポポ(関西蒲公英)で、昔は田んぼの畦にたくさんありました。本日、用事で隣の集落のある家を訪ねたのですが、庭一面にカンサイタンポポがあるのにビックリしました。(カメラを持っていなかったので写真は撮れなかった)さて みんなでつくる自然史博物館・香川 という素敵なHPを拝見していましたら、カンサイタンポポの分布図がありました。ので、かってながら引用させていただきます。

カンサイタンポポの分布
カンサイタンポポの分布
出典は、香川大学教育学部生物学教室 末広喜代一 「タンポポ調査2010」の中間報告 でありますが、素晴らしい分布図ですね。大勢の人々が調査に参加して集めた 「有効標本数5459点!」 もの膨大なデータを、西日本の白地図上にプロットして作成したもののようで、途方もない労作で感銘いたしました。

★何が素晴らしいかと申すと、我が淡路島が分布の中心ではないか! この分布図を見ると、東西250キロ、南北180キロぐらいの楕円形のなかに分布がありますが、淡路島はその楕円形のほぼ中心付近にあります。カンサイタンポポは瀬戸内海東部沿岸地方に分布の大部分が集中しているようなのですが、僅かに九州まで見られ、四国西部や九州では県ごとのレッドデータ種になっているところもあります。
カンサイタンポポの絶滅危惧情報
出典は、日本のレッドデータ検索システムより「カンサイタンポポ」 です。

絶滅危惧Ⅰ類(Aランク) 高知県・大分県・熊本県
絶滅危惧Ⅱ類(Bランク) 愛媛県・山口県・佐賀県
準絶滅危惧種(Cランク) 鳥取県

なお、沖縄県が「情報不足」となっていますが、もし沖縄県にカンサイタンポポが本当にあるのであれば隔離分布になりそうです。で、その隔離分布形成の地史的要因に興味のあるところです。しかし、何らかの要因で関西圏起源のものが逸出したのではないか?(勝手な想像)

●さて、日本在来種であるところのカンサイタンポポが、野菜として導入された「食用タンポポ」と激しい攻防を繰り広げています。いわゆる「タンポポ戦争」です。淡路島に食用タンポポが侵入してきたのは、比較的に新しく、小林先生の『淡路島の植物誌』168頁より引用します。

【引用開始】対岸の明石には普通にあるので岩屋辺りにはあるだろうと捜してきた結果、1992年春にやっとみつけた。淡路島ではまだ珍品であるが、本四架橋の開通にともなって生育地がどのように広がるのか、今後の推移が注目される。【引用終了】

ということでありますが、私も意識して観察しておりましたところ、1995年に立川スイセン郷で食用タンポポの生育を確認しました。そして、1998年には私の実家のある南あわじ市灘城方で確認、2003年には現住所の神代でも確認しました。いまや南あわじ市じゅうどこでも見られます。広がりましたねえ。この20年で爆発的に拡散しました…。掲げた3枚の写真は私の実母が最近住むことになった所の家庭菜園畑(南あわじ市神代)で撮りました。家庭菜園で野菜をつくっているのか、食用タンポポを栽培しているのか分からないほど、はびこっています。

●さて、日本在来タンポポと、外来の食用タンポポとの戦争ですが、食用タンポポのほうが優勢であります。環境省は食用タンポポをまだ「特定外来生物」に入れていませんが、「要注意外来生物」に選定しています。お花畑の環境保護団体は「特定外来生物」に指定しろ! と叫んでおりますが、ネライは補助金です。生物多様性利権や特定外来生物利権ができつつあります…。善意の背後に隠れた権益を見抜かないといけません。

在来種を押しのけて、食用タンポポがはびこる理由は、従来は、単為生殖であるので受粉しなくても種子ができ、しかも大量に種子散布する。しかも春だけでなく秋でも、ときには冬でも花を咲かせ種子が出来る、しかも種子は休眠期間がなくすぐに発芽する…、という資源をめぐる競争に在来種よりも優位であることから説明されてきました。が、近年は 「繁殖干渉」 の観点から説明されるようになってきました。繁殖干渉というのは何か?を学ぶのには、次の論文をよく読めばいいです。植物における繁殖干渉とその生態・生物地理に与える影響

★もし、食用タンポポが在来種タンポポを駆逐してしまう悪い物であるというのであれば、駆除するのにとてもいい方法があります。食用タンポポと言うぐらいですから、採って食べてしまえばいいのです。そもそも、食用の野菜ないしは薬用植物として明治の初めに北海道に導入されたものが起源です。お花畑の環境保護団体は補助金ネライをする暇があったら、野外に繰り出して食用タンポポを採集して食べなさい。葉をサラダにしてもいいし、ゴボウのような根を「きんぴらごぼう」にすると宜しい。戦時中は、この食用タンポポの根を乾燥し、煎じて「代用コーヒー」にした話は有名です。80歳以上の人は「代用コーヒー」をよく知っています。(今でもタンポポコーヒーは一部の業者から売り出されています)

食用タンポポは普通、セイヨウタンポポと呼ばれています。高嶋四郎『原色日本野菜図鑑』保育社に、セイヨウタンポポがちゃんと収録されております。権威のある保育社の原色図鑑に野菜として載っているのですから、セイヨウタンポポは野菜であることに間違いありません。また、同時に薬草でもあります。セイヨウタンポポの学名は、Taraxacum officinale Weber(タラクサクム オフフィキナーレ)であります。豊国秀夫編『植物学ラテン語辞典』等によれば、属名の Taraxacum は「苦い草」の意味、種小名の officinale は「薬用の、薬効の」意味のようであります。Weber は命名者の略称。
 
食用タンポポの大株
見事な大株です。
頭花は立派で大きいい
頭花は大きくて立派です。
頭花の下の顎のように見える総苞の外片が反りかえる
頭花の付け根のところの、緑色をしたガクのようなもの、そのガクのようなものの外側の部分、「総苞の外片」が強く反りかえるのが大きな特徴であります。

食用タンポポの「きんぴらたんぽぽ お花畑の自然保護NPO法人の人らがセイヨウタンポポを目の敵にしているので、「きんぴらごぼう」にして食することを推奨したいと思います。なぜならばセイヨウタンポポの根を集めることが、本種の退治に大いに貢献するからです。葉をむしってサラダにするのでは全く退治にはならないのです。1点だけ注意することは、丁寧に根を残さずに掘り取ることです。太い根を途中でちぎって地中に根が残ったならば、その根から再生してくるのです。
食用タンポポで作る「きんぴらたんぽぽ」
↑ 「きんぴらごぼう」ではなく、「きんぴらたんぽぽ」であります。 わたくし山のキノコの作品です。

【作り方のコツ】太い根ばかりはないので、細い根も使います。セイヨウタンポポの根をよく洗います。タワシでこすってもいいです。皮は剥く必要がありません。いわゆる “ささがき” で根を削いで切るのですが、細い根は「ささがき」は難しいので包丁の柄でたたいて軽く潰します。潰すのは水にさらして苦味成分が溶出しやすくするためです。そして、水でよくさらして、とにかく苦味を抜きます。水でさらさないとかなり苦いのです。 セイヨウタンポポの根はゴボウのような「アク」は少ないのですが、その代わりに苦味があるのです。あとは、きんぴらゴボウと同じ要領で調理します。

熱烈歓迎! 小沢一郎さんの無罪判決。
●どのような判決がでるのか固唾をのんで注目しておりましたが、一応は、まともな判決が出ました。裁判所の判決文の詳しい内容がまだ明らかになっていないので、論評するにはまだ早いのですが、暗黒の日本に一条の光明が差し込んできたことは率直に喜びたいと思います。そもそも、東京地検特捜部が2回も不起訴にした案件であります。にもかかわらず、検察審査会の審査員に「くじびきソフト」で選んだ市民11人を巧妙に誘導して強制起訴に持ち込んだこと自体に無理があったのでしょう。ていうか、本当に検察審査会が開かれたのか? その議事録もないのはおかしいではないか? と疑惑が上がっていますし、半年ごとにメンバーを入れ替えたその前後で、11人の平均年齢が2回とも34.55歳とピタリと一致するのは確率的にありえない、おかしいではないか? しかも、有権者つまり20歳以上の市民から無作為に抽出した11人の平均年齢が34.55歳などあり得ん!と数学(統計学)の専門家まで声を上げるなど疑惑だらけです。20~80歳の有権者から無作為に11人を抽出すれば、確率的に平均年齢は50歳程度になる筈で、検察審査会に選ばれた審査メンバーが若者ばかりとは不自然だ、などということは、べつに数学理論など持ちださなくても常識で分かるハナシです。いったい、この3年間は何だったのだろうか? この国は改革しなければいけないのに、改革しなければ崩れていこうとしているのに、その改革が手つかずで遅れてしまいました…。アンシャンレジーム(旧体制)にしがみつき、既得権益をむさぼり、真の改革に抵抗している奴らは、国賊であり、売国奴であり、我々国民・市民大衆の敵であります…。

●わたくしは、この国の非常に問題であるのはマスコミだと思います。マスコミがこの国のまさに「癌」です。「害悪」そのものです。かれらはまともではありません。たんに政府や官僚たちの広報機関に成り下がっていて、いや違う! 政府や官僚たちの進める国民無視の悪辣な政策の「増幅機関」になっています。政府等が言うことを批判するのではなく、何倍にも “大変だあぁ!と増幅して” 煽って国民をミスリードし世論を歪めています。マスコミは権力者たちに迎合してひれ伏し談合して、真実を報道せず、不都合なことは隠して報道せず、国民の真実を知る権利を蹂躙し、国民にとっては害悪そのものです。マスコミの報道姿勢は政府・省庁・政府系機関・それらと連携する財界学界のリリースする情報を、マスコミ独自の判断で批評することもなく、右から左へ垂れ流すだけで、それだけではなく “大変だあぁ!と煽りまくる” だけです。その報道姿勢は見事に一貫しています。小沢さんの問題でもそうであったし、他の政治報道でも、環境問題でも、地球温暖化問題でも、すべてそうです。古いことを申せば、太平洋戦争に突入していった要因の一つに当時の新聞が煽りまくったことがありますが、マスコミも戦争突入の大きな責任があるのに、終戦後まったく無反省です。マスコミのこの煽りまくるが自分たちの報道の是非の検証や反省をまったくしない…、この姿勢がこの国を滅ぼそうとしています…。

●小沢さんが政治的立場がもし回復したならば、強力なマスコミ改革が絶対に必要です。小沢さんならば、それをやれるし、またやるでしょうから、大いに支持・期待したいと思います。しかし真の改革にたいする抵抗はますます激甚になるのではないか? 既得権益者勢力の手先・実行犯となって伊藤白水が、改革者・石井紘基さんを殺害したように、小沢一郎さんが暗殺されないようお祈りしたいと思います。

新聞・テレビの大改革(小沢さんに期待する項目です)
1、政府や省庁の記者クラブの廃止あるいはフリーのジャーナリストまで参加・質問ができるように解放する。特定の大新聞やテレビしか入れないので「報道談合」や「報道管制」の悪しき巣窟になっていることは、多くの人々の指摘するところです。

2、クロス・オーナーシップを禁止する。宗主国はじめ世界の大勢はクロス・オーナーシップが法的に禁止されているようです。新聞社がテレビ会社を資本所有経営する、あるいは逆にテレビが新聞社を所有するというのがクロス・オーナーシップでありますが、しかも新聞大手は5社と寡占化しています。これではマスコミは力を持ちすぎです。テレビと新聞とで連携してキャンペーンを張れば世論など簡単に操作誘導できます。まずこのクロスオーナシップを禁止して(具体的には株式の相互持ち合いを禁止)新聞・テレビ業界を出版業界のように多数乱立型に改革。出版業界は賛成論の書物があれば反対論の書物がすぐにでてくる。まともです。両論併記、賛否両論がまともな姿です。いまの新聞・テレビは大政翼賛会も同然の業界です。

3、テレビが使用している電波をオークション制にする。公共財であり国民の財産であるところの「電波」を利用するにはオークションで売り出し、相応の対価を国に納めないと利用できないようにする。今はテレビ業界は “ただ同然で” 電波を使用しています。電波を競売にかければその価値は2兆円だとの試算もあります。換言すれば電波を管轄する総務省から、テレビ業界が2兆円の便宜を図ってもらっているのです。これこそ国家からの逆賄賂です。2兆円あげるから国の政策に歯向かう報道をするなよ、と頭を押えられるのです。テレビ電波のオークション制は米国でも世界でも主流なのに、なぜ見習わないのだろうか? 日本はあれほど対米隷属の植民地同然なのに、まともなことは宗主国を見習わない不思議な国です。
(たぶん、日本を支配するための道具として宗主国の意向で、そうしているのだろうと想像しています)

4、公正取引委員会が新聞に適応している「特殊指定」をやめさせる。「再販売価格維持」もやめさせる。新聞はどの新聞の値段は横並びですが、値引きも値上げもかってにできません。あまり弱肉強食的な自由競争の行きすぎは問題でしょうが、健全な競争は絶対に必要です。どの新聞も同じ値段、基本的に何時でもどこでも定価で売れるというのはぬるま湯です。これでは共産主義の計画経済とかわりません。あきらかにおかしい。良い記事、真実に迫る記事を書く新聞はどんどん売れて、また高くても読者の支持が集まる、逆に真実を隠蔽する記事ばかりの新聞からは読者が離れ半値にしても売れない…、という健全な競争があるほうが新聞業界のためになりますよ。また読者の側から見ても、購読者が殺到して値段がじりじり上がっている新聞には「真実があるぞ」という指標になります。で、真実を報道する良い新聞の値段と、政府のチョーチン記事ばかりの悪い新聞との、価格差が2倍に広がるでしょう…。すると新聞の論説委員も記者も読者の立場に立って良い記事を書こうと努力するようになる。どの新聞も真実を書くようになれば法外な値上がりは押えられる筈です。横並びでは業界はどんどん腐っていきますよ。横並びの元凶は即刻廃止。

5、新聞・テレビと国家権力との間の距離を確保する。距離をとっていないから、マスコミが権力の走狗になってしまいます。相手との距離をとり、一切の利害がなくしてはまともな報道が出来るハズがありません。国も過度な規制や認可や監督をやめる。それらが官僚たちのマスコミ支配の力の源泉になっていることは否めません。しかしながら、マスコミは尻尾を振って政府に便宜を図ってもらおうと、おねだりしています。昨日の記事で書いた “教育にNIEを” などはその典型例です。早急に学習指導要領の再改正が必要だと考えます。次代を担う子供たちを洗脳してはいけません…。
【再掲】最近では文部科学省が学校で新聞を使って授業をしろと癒着が加速しています…。NIE(Newspaper in Education)が学習指導要領に盛り込まれてしまいました。新聞と文部科学省との露骨な癒着。ネライは新聞の販促だ! 紙の新聞は衰退して部数がジリジリと減少していますが、小・中学生が授業で新聞を使って学ぶので、家庭で新聞を取っていないと具合がわるいようにしむける。それが本当のネライです。自民党の山本一太議員が新聞業界から3000万円の献金を受けて文部科学省に働きかけました。「教育にNIEを」というのは子供たちのためなどでは決してありません。あくまでも新聞の販売促進です。私企業である新聞社がカネで教育まで曲げているのです。国に便宜を図ってもらう見返りに、新聞が国を批判することなどありません。だから、マスゴミは政府の犬、広報機関だというのです。

6、他にも、記事を一元配給する通信社の電通の改革も大いに必要でありましょう。電通の縮小とか、解体とかは無理だとしても、この国を隠然と支配している電通にメスを入れなければどうしようもありませんが、小沢さんでもこれに手をつけるのは難しいのではないか? と、まだまだ主張したいことは山のようにあるのですが、冗長になってくるので一旦ここで筆を置きます…。
諭鶴羽山系の山菜(その11) 飽食をいましめ、糧断を生き延びる救荒食「リョウブ飯」
●今の我が国の状況はあらゆる面で、伝統的な美風というものが潰え去り、本来のあるべき姿が崩れ、そして頽廃的であります。

官僚たちはこの国を実効支配し、組織の防衛・増殖・既得権益の温存しか頭にありません。憲法が高らかに謳っている「主権在民」の理念などまったく形骸化して、完全に「主権在官」であります。期待した特別会計の縮減ないし廃止、特別会計の一般会計への組み入れは、大山鳴動したけれども、財務省が振付をしたレンボー議員のパフォーマンスに終わっただけで、今では話題にものぼらなくなりました。国会審議すらなされず官僚たちの使い勝手のいい財布の特別会計が温存され、われわれ国民が収めた公共料金や年金の掛け金等が白アリに蚕食されています。それを正そうと志しても官僚たちに歯向かう者、官僚利権を脅かす者は、巧妙に抹殺されます。べつに何でもないことを、法文の恣意的解釈によって違法だと裁量する特高検察にやられます。26日に、どのような判決が出るのか全く予断できませんが、もし無罪であったとしても、次の手が用意されています。次は税務署の出番であります。なんでもないことを恣意的な解釈と裁量で「脱税だ!」とやられるでしょう。官僚に楯つく者を退治する実戦部隊は、警察・検察・税務署であることは今や疑いようもありません…。だれも官僚たちの堅牢な利権の牙城を崩すことはできません…。

政治家は議員の椅子に座りたいだけの「政治屋」に成り下がっています。国会議員たちは、憲法で明確に謳う “国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関である” という規定を完全に忘れています。国会議員の仕事は「法律を作ること」なのに、ほとんど全ての法律は内閣法制局が作っています。つまり官僚たちが法律をつくっています。そもそも時たま国会議員が法律をつくったら、「議員立法」だと銘打たれるのですが、それはおかしい。本来は法律は全て議員立法であるべきです。もちろん憲法は内閣の法案提出権を認めてはいますが、あくまでも法律は「議院法制局」がもっと機能して国会議員が法律をつくらないといけません。法律を作らない国会議員、法律を作れない(作る識見のない)国会議員ばかりなので、財務省に牛耳られて消費税があげられようとしています…。消費税の増額は、法人税の減額と見合いです。また所得税の累進課税の緩和と見合いです。だいたい財政危機を回避するのに消費税を上げるというのは変じゃないか。法人税も所得税も消費税も上げるというのならば理解できますが、消費税のみ上げるというハナシは極めて欺瞞的であります…。

資本家は資本家で貪欲であります。カネ儲けのためには何でもします。政治家に贈賄して便宜を図ってもらい、ロビー活動に余念がありません。最近では竹中平蔵氏がパソナの会長に収まっていますが、明白な事後賄賂に他なりません。“会長報酬というカネ” は、労働者派遣法改正の立役者にたいする賄賂だったのです。大企業では天下り用の役員枠があるのはごく普通で、露骨に官と一体化しております。先の竹中平蔵氏も事後天下りでありましょう。規制や管理される側とする側が癒着してしまえば、一体何のための規制なのか? 東京電力と経産省との癒着をみれば、規制とか監督とか基準値とか、それらは国民や需要家の安全や生命健康を守るためのものでは全くないことが、明白になりました。資本家はカネ儲けをするためには元入れも必要ですが、それは多くが誤魔化し・洗脳・捏造・隠蔽などの工作にに振り向けられているのもハッキリしました。ライブドアの堀江貴文氏は「お金があれば愛も幸福も何でも買える」と豪語しましたが、その通りです。それは資本家の本音でしょう。資本家は何か不都合なことがあればカネで押さえ込み、政治的な影響力さえカネで買えます。世論すらカネで買えるのです…。世のあらゆる事象はカネの論理で支配され、国民大衆の意向など反映される余地は全くありません…。

マスコミはマスコミで本分を忘れ堕落して、その存在意義を完全に失っています。早くから「マスゴミ = 大量のゴミだ!」と揶揄されていましたが、いまや権力者たちのしもべ、たんなる広報機関でしかありません。マスコミは社会の公器であり、権力の暴走をチェックする木鐸、第四権力だなどということは全くの幻想でした。てゆうか、マスコミが三権をチェックする社会の木鐸だという説明自体が、権力者たちが流していたものでしょう。マスゴミは政府や省庁のプレスリリース情報をたんに右から左へと流すだけです。ただの官報同然に成り下がっております。この国の実態は、三権癒着に加えてマスコミも癒着した四位一体であります。最近では文部科学省が学校で新聞を使って授業をしろと癒着が加速しています…。NIE(Newspaper in Education)が学習指導要領に盛り込まれてしまいました。新聞と文部科学省との露骨な癒着。ネライは新聞の販促だ! 紙の新聞は衰退して部数がジリジリと減少していますが、小・中学生が授業で新聞を使って学ぶので、家庭で新聞を取っていないと具合がわるいようにしむける。それが本当のネライです。自民党の山本一太議員が新聞業界から3000万円の献金を受けて文部科学省に働きかけました。「教育にNIEを」というのは子供たちのためなどでは決してありません。あくまでも新聞の販売促進です。私企業である新聞社がカネで教育まで曲げているのです。国に便宜を図ってもらう見返りに、新聞が国を批判することなどありません。だから、マスゴミは政府の犬、広報機関だというのです…。

●と、年寄りの繰り言を並べてみたのですが、言わんとすることは、もしこの国で一旦なにか事がおこったならば、われわれ国民は自己救済・自助努力より他はないということです。お役人も政治家も国民を助けるのではありません。企業も他人の不幸を食い物にして金儲けをするだけです。福島の除染ビジネスなどまさにそうです。新聞・テレビも国民大衆の側に立って代弁してくれるわけではありません。あくまで政府の広報係です。で、自分を助けてくれるのは、自分自身しかいないということを肝に銘じておく必要があります。

●さて、食糧自給率の絶望的に低い我が国にこの先「食糧危機」が起こらないという保障はは全くありません。理由はいろいろ考えられます。冷害や旱魃など気象災害。戦争で海上封鎖され食糧輸入航路が閉ざされる。日本の生殺与奪権を握るアメリカの政治的な兵糧攻め。政治的要求を日本に呑ますための輸出制限。放射能汚染のさらなる拡散。国力の低下で外貨がかせげなくなり外国から食糧が買えなくなる。理由はいくらでも考えられます。これからTPPで国内農業を破壊される日本には、「食糧危機」はあり得ます。江戸時代に頻発した「飢饉」という言葉が、死語ではなく、復活してくることはあり得ましょう…。

そこで救荒山菜であるところのリョウブを取り上げましょう。
リョウブは乏しい米を、嵩だけは多く見せかける増量材です。 「リョウブ飯」というものがよく知られています。戦時中は米が不足したから、ダイコンを一緒に炊きこんで「ダイコン飯」を作りました。大根が増量材です。同様に米にリョウブの若葉を一緒に炊きこんだものが「リョウブ飯」です。ただし、飯が多く炊けたかのように見せかけるだけであって、飯が実際に増量する筈はありません。つまり誤魔化し…。飢饉でやむなく自分自身の空腹を誤魔化す。

リョウブの新芽
↑リョウブの新芽・若葉です。リョウブは高さがせいぜい5mぐらいまでの落葉樹です。タラノキと同様に「先駆種」的で、伐採跡に一斉に出現しますが、森林が育つとリョウブは消えていきます。山裾の道路わきなどにリョウブがとても多いです。

新芽の拡大
↑リョウブの枝先についている若葉です。若葉はやわらかそうで美味しそうにみえます。

樹皮には大きな斑紋がある
↑リョウブの幹の肌は独特で、大きな斑紋があります。樹皮は比較的すべすべしています。これに似た樹皮の樹木は諭鶴羽山系には他にはありません。杖にするととても良い木です。

リョウブの若葉を収穫
↑リョウブの若葉を採集しました。一つ一つの芽は少量で軽く、籠に一杯採ろうとしたら相当な労力が要りそうです。しかし、リョウブの資源量そのものは大量にあります。

飽食を戒める「リョウブめし」
↑飽食をいましめ飢饉を生き延びる「リョウブ飯」の試作品です。リョウブの葉がちょっと少なすぎました。もっと、もっと、リョウブの葉と飯が等量になるぐらい入れないと、「救荒食」とは言えないですな。それと、やはり雑炊ふうにしないと「飢饉食」という感じがでないです。江戸時代に飢饉などに対応して幕府や藩が「お救い小屋」を設置しましたが、そこでの炊き出しは何を出したのだろうか? まさかリョウブ飯ではないでしょう。リョウブ飯は季節限定食です。せいぜい2週間か3週間程度の限定です。
仁杉五郎左衛門研究「御救い小屋」 これは素晴らしいサイトです。江戸時代の文書を見せてくれます。炊き出しの言葉が見えていますが、肝心のメニューがありません。

リョウブ飯の作り方です。 試作してみましたが、各自工夫を凝らすと宜しいでしょう。

1、リョウブの若葉の採取。山に行って採取しますが、あまり小さな芽はまとまった量を採るのに手間がかかるから、多少大きくなった物でいい。

2、塩をすこし投入した湯で、リョウブの若葉を湯がく。あまり、くたくたと長時間煮るのは良くない。サッと軽く湯がく程度でいいです。

3、湯がいたリョウブの若葉を流水でさらす。あるいは水を張った鍋で3回ほど水を変えてさらす。水でさらすのは苦味を抜くためです。リョウブはかなり苦いのです。なお山で採取したリョウブの葉はただちに湯がきます。一晩、二晩と放置すると苦味がどんどん強くなります。

4、リョウブは水気を絞り、千切りなど適当に刻む。他の具はシイタケニンジン・竹輪などを適当に切っておきます。

5、あとは焚き込みご飯を炊く要領で、米にだし汁を流し込み、適当に刻んだ具材を投入して焚きこむ。

【注意点】これは飢饉に直面した救荒山菜の料理であります。したがって上等な食材を入れてはいけません。安価で庶民的な具材のみです。例えば、エビをいれるなどもってのほか。調味料は醤油・煮干しや昆布のだしのみです。お酒を入れるのはよくありません。(飢饉のときには酒などないからです)試作品は炊き込みご飯ふうにしましたが、雑炊ふうでもいいでしょう。雑炊ふうならば卵は入れてもよろしいです。なぜならば、食糧パニックになると皆が庭先でニワトリを飼うようになるからです。

さて、リョウブは美味いか?というと、とても不味いです。 リョウブの若葉は苦いし “もそもそとして” 舌触りがよくありません。とても不味いです。しかしながらリョウブ飯というものは、飢饉の際になんとか命をつなぐ非常食です。美味いとか不味いとかの基準で評価するものではありません。飽食を反省し、まさかの食糧危機という事態に思いをはせる料理です…。したがいまして、リョウブの葉を沢山入れて、不味ければ不味いほど意義があるのです…。
ビワの幼果に「凍害」が発生! 今後、懸念される寒冷化の被害。
●やはり、今冬は30年ぶり程度の厳冬(寒冬)であったことを裏付ける現象を確認しました。先日、遅ればせながら私が管理している果樹園のビワの袋かけを行いました。場所は南あわじ市灘です。ビワは自然放任すると小さな果実が鈴なりになって、ろくなものが収穫できません。それで一つの枝先に成らす果実の個数を1~3個に制限します。さらに「袋かけ」をします。ビワの果実は軟弱で「葉ずれ」などで傷つきやすいので、袋かけで保護するのです。袋をかけないと、商品価値のあるものを収穫できないのはもちろん、自給の家庭菜園的果樹としても食べられるものは出来ません。

ビワは果実に袋をかけて栽培する

ビワの袋かけ

ビワは晩秋に、アワブキやウルシに似た「円錐花序」を着けるのですが、その花序を大部分剪定します。残した花序の一部には5個前後の幼果が出来ますが、袋かけの際に、奇形・虫食い・発育不良のものを摘果して良果のみ袋をかけます。たとえば下の写真では7個の幼果が着いています。(見えない裏側に2個ある)このまま置くと小さなクズばかりです。この枝には葉が少なく、木の育ちも芳しくないので1個だけ残し、6個はむしり取ります。田中ビワなど大粒種は一つの枝先に1~3個、茂木ビワなど小粒種では3~5個程度に摘果するのです。
ビワはふさふさと着果する

●さて、摘果・袋かけ作業をしていると凍害を受けて黒ずんだものや、腐って落果したものが発生していることに気付きました。寒波による被害です。ただ被害の程度は軽微で収穫減の危惧はほとんどないでしょう。むかしを思い起こせば、1981年の凍害はすさまじく、ビワだけでなく温州ミカンや晩柑類にまで及び、収穫は壊滅しました。その1981年の状況には遠く及びませんが、凍害を確認するのは久方ぶりです。20~30年ぶりの凍害(寒害)か? と経験的に思います。

ビワの幼果の耐凍限界温度は、-2℃~-4℃です。 ビワは寒波に弱い暖地性の果樹なのです。ただし寒波襲来のさいに、既に幼果が出来ているのか、あるいは成長が遅れてまだ蕾であるのか、の違いで若干耐凍性が変わります。なお、ビワの木そのものは-10℃にも耐え、けっこう寒さに強い樹木であります。あくまで幼果が寒さに耐性がないということであります。
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2012年の淡路島の冬の最低気温は次の通りです。気象庁の観測データより抜粋作表。淡路島内のアメダス観測所ごとの、日最低気温について今冬低い順10傑です。-5℃とか-6℃などは出現しませんでしたが、-2℃~-3℃が頻発しました。山のキノコ農園のビワの幼果は、この微妙な低温にやられました。(ビワを壊滅させるほどの低温ではないが、微地形による霜道にあるようなビワはやられた…)
2012年冬の日最低気温

今まで気付かなかったけど、ビワ2大生産県の、長崎県と千葉県の産地でかなりの凍害が発生している模様です。 各地の農業試験場や大学農学部などで、「温暖化が果樹に及ぼす影響」の研究をしたり、「温暖化に強い品種の改良」などをしている背後から、寒波(寒冷化)の痛棒でガツーンとぶん殴られたということであります。なんともまあ、愚かなことか! 馬鹿みたいじゃねえか! 

(実際は、農業試験場も農学部も愚かであったのではなく、地球温暖化にからめた研究テーマには研究費が配分され易いから、そうしていただけです。国の方針に沿った研究しか許されない…。本当に愚かなのは、研究者や国民を政策的にミスリードして振り回す “農水省や文部科学省のお役人” であるのは申すまでもありません。)

こうして政府主導の温暖化の愚かな騒ぎをしている陰で、寒波(寒冷化)の被害が忍びよっているのです。そして、そのニュースは地域版では取り上げられることはあっても、全国版のニュースにはならないのです…。

長崎ビワ:凍害、打撃 収穫量70%減の見込み (毎日新聞 2012年2月23日 西部朝刊)

本県特産の露地ビワ被害7億円超 今月上旬の異常低温で (長崎新聞 2月23日)

『ビワ生育情報 平成24年3月号』 千葉県農林総合研究センター 暖地園芸研究所 果樹・環境研究室
【引用】暖地園芸研究所では、2月29日までに最低気温-3℃以下を記録した日が5日あり、寒害の被害が多かった。「楠」は平年より被害が少ないが、「大房」および「田中」は開花盛期が平年より2週間以上早く、幼果の生育が早かったため、被害は多いようである。

●今年の2月3日に「日最低気温」の記録更新が大量に出現しました。このときに、大分県の玖珠で-14.7度を記録し、従来の-12.9度を大幅にぬりかえました。長崎県のビワはこの寒波にやられたようです。
拙ブログ2月3日の記事。「日最低気温」の記録更新地点の、大量出現。

アメダス気温分布
↑気象庁のHPから。2月3日06時の九州地方北部のアメダス気温分布です。九州内陸部で-5℃以下、あるいは-10度以下の地点が広がり、沢山の最低気温更新が出現しました。長崎県のビワがやられただけでなく、熊本県のデコポン等の柑橘類もやられましたが、熊本県では-5℃以下の低温が分布しています。


今年もシャクナゲの観察会を行います。
●庭でシャクナゲが満開です。写真のものは「太陽」という園芸品種です。「太陽」という品種は、シャクナゲの品種改良に生涯をかけた有名な育種家の故和田弘一郎氏(NHK出版『よくわかる栽培12か月 シャクナゲ』の著者)が作出した品種です。極めて強健で、耐暑性があり、強光下でもよく育つスーパーシャクナゲです。「太陽」の大きな特徴の一つに花期がきわめて早く、シャクナゲの品種群の中で最も早咲きの部類に入ります。淡路島の気候下では、暖冬の年には3月下旬に開花します。でも今年はやはり厳冬であったので開花が大幅に遅れました。
シャクナゲ園芸品種の「太陽」が満開
↑4月21日に撮影。私の庭にあるものです。これは園芸品種で自生の野生種ではありません。拙ブログでは基本的には園芸品種は取り上げませんが、たまには例外もあります。この「太陽」という品種は作出者の故和田弘一郎氏が、著書の中で、「自分が開発した品種の中で最高傑作だ」という意味のことを述べていますが、花色は濃い桃色で着花数が多く日向でも良く育つ “超優良品種” であるのは確かに間違いないです。(シャクナゲは半日陰のほうが良く、あまり日向では調子が悪い)

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【お知らせ】
今年も、シャクナゲ写真撮影および観察会を盛大に行います。 のでお知らせいたします。日時など、詳しい要領をまだ詰めていないのですが5月12日か13日あたりを考えております。柏原山(569m)~諭鶴羽山(608m)を結ぶ稜線上の海抜400m前後にホンシャクナゲの自生があります。淡路島のホンシャクナゲは標高の極めて低い所にあります。やや急峻な尾根を標高差250mほどを直登するので、健脚向きのコースですが、淡路島の自生のホンシャクナゲをご覧になりたい方はどなたでも参加できます。島内の方はもちろん島外の方も参加できます。(ただし年齢制限72歳まで)

ほかにもツツジ属の花では、枝のうえに雪が積もったように見える純白のシロバナノウンゼンツツジ(白花の雲仙躑躅)や、アワノミツバツツジ(トサノミツバツツジ)も観察できます。兵庫県レッドデータブック2010でBランクの貴重植物に評価されているオンツツジ(雄躑躅)はシャクナゲ山には残念ながらありません。モチツツジは沢山ありますが観賞価値は落ちます。捜せばヤマツツジとモチツツジの自然雑種になっているミヤコツツジが見られるかもわかりません。

ツツジ類以外の花では、枝先に綿が付いているように見えるマルバアオダモとか、登山口で黄色いフジみたいなジャケツイバラの花などが観察できます。詳しい催行要領を詰めたら、拙ブログで発表いたします。淡路島の自生の美しいシャクナゲを観察できる機会です。ふるってご参加ください。

次に掲げる2枚の写真は、昨年のシャクナゲ観察会で、写真家の里口寿信さんが撮ったものです。
淡路島自生のホンシャクナゲ

淡路島自生のホンシャクナゲ
諭鶴羽山系の山菜(その10) 「ゼンマイ」
●ワラビと並んで知名度抜群の山菜が「ゼンマイ」です。商品価値が極めて高く、北日本の山村などでは貴重な収入源になっているようですが、淡路島では商業的採集が行われていませんから、良識にのっとって採集するのであれば問題にはならないでしょう…。とはいっても、近年、ゼンマイも諭鶴羽山系では少なくなりました。

諭鶴羽山の山頂直下の北東斜面で、大きな籠に何杯もゼンマイを採ったのはもう30年も前のことです。現在ではゼンマイなど影も形もありません。ゼンマイが消えていった最大の要因は “遷移の進行” であろうかと思います。ま、難しいことを言わなくても、簡単にいえば森林が茂ったためです。森林がうっそうと茂って地面に太陽の光が当たらなくなったためです。背が低い草本類はみんな消えつつあります。残っているのは、よほどの耐陰性のある陰生草本だけです…。

●ところが、ここ数年前から諭鶴羽山系の北側斜面で植林が進められています。森林が伐採されてスギの苗木が植えられているのですが、森林伐採跡はスギが大きく成長するまでは、地表に太陽の光が当たるので、陽生草本の生育地となりえます。この場合大きな矛盾が生じるのですが、それをどう考えたらいいのだろうか?

森林の伐採は、森林に着目すれば、第一義的には明らかな自然破壊だと言えましょう。ところが、森林が茂りすぎることが要因になって消えていく「陽生草本類」や「陽樹」にとっては、森林伐採は好ましいことです。森林伐採は生育適地の提供であるといえましょう。その陽生植物の中には絶滅危惧種も混じっているでしょうから、森林伐採が絶滅危惧種の存続環境を提供したことになるハズです。ところが、伐採される森林の中にも絶滅危惧種と指定される樹木もあるハズです。耐陰性の低い草本を助けようとしたら森林を伐採せねばならず、森林を助けようとしたら草本は消えてしまう…。要するに、“あちらを立てればこちらが立たぬ、こちらを立てればあちらが立たぬ” という背反が自然界には存在し、両方を立てることが極めて難しい…。

●では何故そうなるのか、この矛盾が生ずる原因を考えてみます。遷移の進行をヒトが止めて、遷移の途中相の雑木林(萌芽林、二次林、里山林など)を人為的に維持していたものが、自然放任されることに因っているのは明白です。昔は炭や薪を得るために、順番に雑木林を伐採していました。伐採跡にはワラビやゼンマイや色々な草本が生じました。その伐採跡も20~30年もすれば立派な萌芽林となります。そこでは草本類は日陰になって消えるのですが、別の場所が伐採されて草本の新しい生育地になります。山全体ではあちこちにワラビもゼンマイもある…、ということです。

さらに、ここには別の矛盾が横たわっています。遷移の進行をヒトが停止させているということ自体が、自然の摂理に反することであり、自然への反逆・冒涜・破壊なのではないか? と考えることも可能です。自然はほっとけば森林がどんどん生長してやがて「極相林」となって、安定します。極相林のなかでは、老木が倒れ若木が育つというふうな部分的な変化はあるでしょうが、全体としての姿は変化がなく「動的平衡」とでもいうべき安定さを保ちます。それが自然の本来の姿ではないのか? たとえば里山を護ろうという主張が各地でなされていますが、換言すれば、それは「遷移の進行を停止させよう!」と主張するのと全く同義です。それはおかしいのではないか? それこそ、自然に逆らう人間の傲慢さでなないのか? という疑問があるわけです…。

★ま、自然保護だとか、森林を護ろう、里山を護ろう、絶滅危惧種を護ろう…、などと叫んでもあっち立てればこっち立たずとか、貴重種を護るためには別の貴重種を伐採せねばならなかったり、護っているつもりがそうではなく自然の摂理に反抗挑戦していたり…、と難しいものです。ま、自然保護活動なんかには関わらないほうが無難ですな。ハイ。一皮むけば、たんにお題目を唱えて “補助金・助成金・寄附のかすめ盗り” が目的化してしまっているNPO法人も多いですし…。ハイ。

武内和彦『タチバナの保護を考える』
武内先生のこの随筆を読めば、自然の保護の難しさ、一筋縄でいかない厄介さが垣間見えます。タチバナが目玉だが海岸樹林全体が国の天然記念物に指定された。タチバナを救うには天然記念物の樹林の伐採が不可欠…、天然記念物を手つかずにしておこうとするとタチバナは消えてしまう…、さて、どっちを選んだらいいのか?

こういうことがあるから、動植物学とか生態学とかの専門の先生がいうのならばともかく、左翼系の活動家くずれが環境問題に転向して、俄かに○○を護れ!などと叫んで活動しても信用できないのです。ようするに左翼系活動家は、自然観察などしたことがないお花畑。(なお、ソ連の崩壊により共産主義は終わったので、左翼系活動家たちの多くは自然保護活動とか環境問題に宗旨替えをしています)

ゼンマイ

採り頃
↑上の2枚は採り頃のゼンマイ。

長けたゼンマイ
↑こちらは長(た)けている。

胞子を付けない「栄養葉」
↑こちらは「栄養葉」で、光合成を一生懸命にする葉です。胞子は出しません。

胞子を付ける「胞子葉」
↑こちらは「胞子葉」で子孫繁栄を願って胞子を一生懸命に出す葉です。魚の卵のような小さなつぶつぶが葉のうえに無数にあります。胞子を出し終えるとこの葉はお役目終了で、しばらく後に枯れてしまいます。ときには、葉の上部が「胞子葉」で葉の下部が「栄養葉」という「ハイブリッド葉」とでも言うべき葉が出現します。

●ゼンマイは、普通、「胞子葉」は採らないもの、あるいは採ってはいけないもの、とされます。採って山菜として食するのは「栄養葉」だけです。胞子用には毒があって食べられないとか、物凄くまずいとか、ではありません。「胞子葉」もちゃんと食べられます。品質とか味とかも栄養葉と全く変わりがありません。胞子葉を採るなというしきたりは資源保護です。産卵を控えた魚を獲るなというのと同じことです。

太陽に異変が起こっているぞ! マウンダー極小期の再来か?
●太陽の異変がかなりハッキリしてきました。ま、数年前から太陽の研究者たちがひそひそ言っていたから、別にとりたてて新しい話題ではありませんが、きわめて権威があるとされる「国立天文台」や「理化学研究所」や「宇宙航空研究開発機構」など政府系研究機関が言い出したのがとても「重い」です。盤石の重みがあります。深刻というか、隠しきれなくなってきたと見ることも可能です。近い将来に「マウンダー極小期」ほどではなくても、すくなくとも「ダルトン極小期」ぐらいのことは起こり得る可能性が濃厚になってまいりました…。

●率直に申して、人類が心配しなければならないのは、「地球温暖化」などではなく「地球寒冷化」であることが鮮明になってきました。それにしても、利権にからんだ欲望がさせたとはいえ、10年も20年も愚かな馬鹿騒ぎを人類はしたものです…。利権に群がり馬鹿騒ぎを主導した連中も、最近は地球温暖化をほとんど言わなくなってきました。つまり、奴らは地球温暖化を利権獲得のための方便としていただけの「確信犯」だったということであります。タチが悪るすぎ。

ちなみに、世界の小麦の生産量を調べてみると、インドなどの熱帯・亜熱帯の国でも生産されていますが、小麦生産の過半数が、ユーラシア大陸の温帯から亜寒帯の気候帯で栽培されています。ということは、ちょっとグローバルな気温低下の一撃をくらったら食糧危機が起こることを意味します。日本も北海道や東北のコメは壊滅でしょう。それと冬の暖房に莫大なエネルギーが必要になる筈です。温暖化よりも寒冷化のほうが遥かに恐ろしいことを認識すべきです。

●地球温暖化を煽りに煽ってきた朝日新聞(デジタル版)でさえ、こんな報道をするようになってきました…。
太陽が冬眠? 周期的活動に異変、地球に低温期到来か
【引用開始】
太陽の周期的な活動に異変が起き、「冬眠」に入って地球に低温期が到来する可能性があることがわかった。国立天文台や理化学研究所などが19日発表した。太陽の黒点の様子にも、過去に地球の気温が下がった時期と同様の変化が見られるという。太陽には南北両極に正と負の極があり、約11年周期で同時に反転する。2013年5月に次の反転が始まると予測されていたが、太陽観測衛星「ひので」で観測したところ、北極では約1年早く反転に近づいていることがわかった。南極はそれほど変化がなかった。このペースだと、12年5月に北極のみが反転し、太陽の赤道付近に別の極ができる「4重極構造」になるという。(朝日新聞デジタル 2012年4月20日6時59分)
【引用終了】

●朝日新聞は以前ならば無視して隠したニュースでありましょう。政府や環境省の犬に成り下がって、さんざんCO2地球温暖化の宣伝・広報活動をしてきた立場上、不都合なニュースだからです。しかし、このニュースをきちんと報道したのは、アリバイ作りか? つまり、やがて数年後に気温低下が顕著に起こって誰の目にも「温暖化じゃないな」とみなが気付いた時に、“うちは寒冷化の可能性もちゃんと報道してきましたよ” とそう言いわけするためのアリバイです。

あるいは、(デジタル版でなく紙媒体の朝日新聞でも報道したかどうか、まだ確認していませんが)紙版新聞とネット版新聞で報道方針を使い分けているのかもしれません。紙版の読者は高齢者が多く、誤魔化しが利くので報道しない…。高齢者はネットなどしない人が多く、新聞・テレビ以外の情報源がないから、こんなニュースは知る由もない…。けれども若い世代はネット検索で自ら調べ、国立天文台のHPを見る可能性がある。隠しきれない。だから、朝日デジタルでは報道しておこう…。と、使い分けているのかもわかりません。

国立天文台のホームページ。(2012年4月19日のニュース)
【詳しい内容】太陽観測衛星「ひので」、太陽極域磁場の反転を捉えた

「ひので」による今回の観測の意義と最近の太陽活動について
このプレスリリースのpdf資料は素晴らしいものです。一読の価値があります。マウンダー極小期(1650年~1700年)にイギリステムズ川が凍りついた絵画の写真が見られます。政府系研究機関がこのような資料を堂々と出すようになったというのは、国の環境政策に微妙な変化が生じているのかもしれません…。

サイクル24が進行中ですが、あまり活発ではなさそう…
太陽黒点の増減の過去5つのサイクルをみると、太陽黒点は、増加 → ピーク圏 → 減少 → ボトム圏、の4つの行程を一つのセットにして、消長を繰り返しています。各サイクル間の波長の長さは、平均11年だと言われますが、一定ではなく9.7年とか11.7年とか伸縮があるのはよく知られています。直近の「サイクル23」は12.6年と異様に伸びました。波長が短いと太陽活動が活発、波長が長いと太陽活動が低調というのもよく知られています。2001年ごろをピークとするサイクル23の減少期が異様に長かったので、2008年ごろから研究者たちが「マウンダー極小期がくるかも?」とささやいていました。
太陽黒点の消長
↑2009年の冬ごろをボトムにして、サイクル24がいま進行中ではありますが、私のような素人がみてもその立ち上がりが今一つ勢いがありません。過去のサイクルを観察すれば、増加期は3年ぐらいで一挙にピーク圏に達するのですが、減少期はその減少の勾配は増加期よりも緩やかです。で、すでにボトムから3年が経っていますが黒点数が少ないです。来年2015年5月がサイクル24の太陽活動極大期と予想されていますが、せいぜい1970年のサイクル20ぐらいではないか? 忘れてはいけないのは、1970年ごろ世界的な気温低下が観測されて、「氷河期が来るぞ!」と気候学者たちが叫んでいたことです…。研究者たちの書いたものを読んでみると、問題はサイクル24ではなくそれ以降だ、と恐ろしいことを言っています。サイクル25がなく、黒点ゼロが続いてマウンダー極小期の再来はありうる…、というのです。

サイクル23~サイクル24の推移
↑サイクル23からサイクル24にかけての詳しい図です。2009年の冬ぐらいがボトム(極小期)になっているのが分かるのですが、その後の上昇に勢いがありません。12年3月までのデータがグラフになっていますが、図中には今後の予想が破線でしめされています。さて、今後の推移はどうなるか研究者でも分からないそうですが、低位予想が当たるか? 高位予想が当たるか? 注目であります。

2枚の図の引用元は次です。
Solar Influences Data Analysis Center(SIDC)
諭鶴羽山系の山菜(その9) 「ハリギリ」
●ウコギ科という分類群には、第一級の山菜がたくさん含まれています。ウドタラノキウコギコシアブラ(淡路島に分布せず)・タカノツメ(淡路島には分布せず)・それから本エントリーで取り上げるハリギリ、などがあります。もしこの世にウコギ科という分類群の植物が存在しなかったならば、春の山菜採りは味気ないものになるにちがいありません…。ウコギ科の山菜の特徴はけっこうアクが強いことがあげられます。それで天麩羅にして食べることが多いです。

天麩羅というものは油を使った揚げ物だと思われがちですが、実は全く違います。「揚げ物」ではなく、「蒸し物」です。溶き小麦粉の衣をつけてネタを封じ込めます。そして沸騰水よりも高い150度とか170度などの高温の油の熱で、一挙に衣の中で蒸すのが天麩羅という料理法なのであります。
アクの強いウコギ科の山菜も、高温で一挙に蒸し物にされるとアクとか苦味なども、かなり温和になります。強いアクが減殺されて適度なアクならば、それは旨みにかわります。ウコギ科の山菜は天麩羅にして食べるのが定番でありますが、その理由はウコギ科の山菜は、アクが強すぎるというのが大きな理由です。

食通はタラノキの芽よりも、ハリギリを好む
山菜好きの連中が、タラノキの芽を片っぱしから乱獲しています。諭鶴羽山系の北斜面の山麓にオニオンロードが東西方向に走っていますが、この道路の両側の法面にタラノキが沢山あります。しかしながら、3日前にオニオンロードをポンコツ車で走ったのですが、95%のタラノキの芽が掻き採られていました。世の中にこれほどタラノキの芽が好きな人が多いのだなと、ビックリしました…。

★ところが、食べなれると多くの人がタラノキの芽よりも、ハリギリの芽のほうを好むようになる、と言われています。つまり、タラノキの芽を採りまくっているうちは、まだまだ山菜の通とは言えないのであります。ハリギリがタラノキよりも上等品であることが理解できて、はじめて一人前の山菜採りなのであります。
ハリギリの若葉
↑4月7日に見に行った際にはまだ小さな芽で採取には早すぎたのに、12日後の本日4月19日に行くともう若葉になっているではないか! 採集適期を見事に外してしまいました。長年ハリギリを採っているのに、こんなにも不覚を取ったのは初めてです。しかたがないから今年は5月中旬に徳島県の 高城山(1628m) にハリギリを採りに行きます。高城山の山頂付近ではハリギリが沢山ありますし、ホンシャクナゲ・ツクシシャクナゲ・アケボノツツジ・アワノミツバツツジなど美しいツツジ属の花見ができます。

ハリギリは暖温帯にも冷温帯にも分布は広いのですが、多いのは冷温帯です。隣の徳島県の山では1000m以上とか1500m前後の高所に多い樹木です。諭鶴羽山系のような暖温帯の標高の低いところにもありますが、めったに見ることができません。長年、谷や尾根を歩きまわっている私でも、ハリギリの木はまだ7本しか見つけていません…。

葉はカエデの葉を巨大にしたような感じ
↑カエデ類によく似た形状の葉です。ただし大きな葉になります。てのひら大かそれ以上の大きさになります。掌状に5浅裂する葉身ですが、7裂の葉も出現します。ときには9裂もあるのですが希です。

樹皮には溝がある
↑径15㎝の太い枝の樹皮です。樹皮に深い縦の溝があります。疎らに粗いトゲもあります。細い枝にはトゲが多くなるのですが、タラノキと比べるとトゲはずっと少ないです。トゲはあっても軍手をはめるとこの木に登れました。写真は木に登って撮ったものです。

やや長けているが、ハリギリの芽
↑枝先にある何とか食べられそうなものを探して、高枝鋏でやっとのことでこれだけ採りました。ザルの下側の物で、葉が開きかけになっている状態がちょうどいいです。ザルの上部の物はやや長けています。

ハリギリの若葉の天麩羅
↑ハリギリの芽、というよりも若葉の天麩羅です。山のキノコの作品。すこし衣を付け過ぎです。衣は若葉の片面あるいは葉先のほうの半分だけ付けるほうが、芸術的になると思われます。(ちなみに中国では、図書館などで書物の分類をする場合、料理の本は “芸術” に分類するそうです)ハリギリの芽はアクが強く苦味も強いですから、天麩羅で食するのが一番いいでしょう。高温で火を通すと苦味がほとんど消えます…。
諭鶴羽山系の山菜(その8) 「ウドの芽」
●昔は、諭鶴羽山系にウドがたくさん自生していましたが、近年はめっきりと減っています。山中でウドを見かけることは少なくなりました。で、自生品をむやみに採るのではなく、種子を採取して、畑や庭で栽培する必要が出てきました。秋に種子を簡単に採取できます。種子を蒔いて1年目は小さいのですが、2年目に1芽だけ収穫できます。ウドが大株になって1株から数芽以上も収穫できるのは3年目以降になります。

●「ウドの大木」という慣用表現があります。図体だけが大きくてほとんど役に立たないもの、の意味で使われますが、これは明らかに誤った表現です。“ウドが大木であれば大木ほど” 春の新芽が充実した秀品が採れます。ウドが大木であることが、秀品を収穫するための絶対条件です。大木ではない貧相なウドの木からは、ろくなウドの新芽が採れません。仮に庭にウドを植えたならば、夏にはウドの木が2m50㎝にも、3mにも大木に育って庭を覆い、鬱陶しいなと思うぐらいでなければ春に良い新芽が採れないのです。
したがって、「ウドの大木」という言葉は、役に立たないものと解するのではなく、全く逆の意味で、大木であるがゆえに大きな葉でしっかりと光合成し、地下茎を充実させて、春に素晴らしい新芽を提供してくれる大いに役に立つものと、解するべきであります。

ウドの自生品 ちょうど採り頃
↑これはウドであります。写真の物は自生品です。株元に枯れたススキを刈り取った稲束のようなもので覆っておりましたところ、軟白とまではいかないのですが、「軟白もやし状」と「青々と育ったもの」との中間程度の物ができました。全くの野生状態ではウドはじきに長けてしまい固くなります。それで自生品を見つけたならばワラのようなものとか、落ち葉などをウドの株元に掛けておくと宜しいです。

ウドの自生品 これは長(た)けている
↑これは長(た)けたウドであります。陽光をあびて青々としています。こうなると堅くて食べられません。茎ならば皮を剥けば食べられなくもありませんが、葉や葉柄は堅くて筋ばっていて、とても食用に供することは無理であります。

ウドの株元に落葉をかける
↑これはわたくしが所有しているわけではないのですが、わたくしが管理をしている畑の一角です。恐らく鳥類が果実(種子)を運んできたのでしょう、勝手にウドが生えてきました。大株に成長したので、株元に落葉を盛っています。

落葉に埋もれて、ウドが軟白状態に…
↑これはその盛り上げている落葉を取り除いた状態です。落葉に埋もれて日光にあたらないと、ウドはモヤシのような軟白状態になります。色も緑ではなくえび茶色のような美しい色になります。このようにして半ば「栽培」すると柔らかく生でも食べられるようなウドになります。本当は「もみがら」を盛り上げるのが最良の方法なのですが、農家でなければ「もみがら」は簡単には手に入りません。「もみがら」の次に良い材料は「落葉」なのです。

●ウドも古典文学のあちこちに登場します。昔から身近で有用な山菜であります。岩波書店の、新日本古典文学大系70『芭蕉七部集』から引用します。

日の影に 猫の抓出す 独活芽哉 <一桐>
ひのかげに ねこのかきだす うどめかな

独活芽は季語。一桐(いっとう)は伊賀上野の人、のち京都に住した。

【句意】ウドは、芽を食するために、良く耕した畑に植え、さらにその上から塵芥で覆うなど、地表を柔らかくしておく。そのような地面は猫が好んで排泄に選ぶ場所である。日あたりのよい畑で用たしのあと、ていねいに砂をかけているうちに、ウドの芽が露出したというのである。

ウドの収穫
4月18日に、半栽培品の1回目の収穫をいたしました。半栽培品と表現するのは、植えたものではないからです。おそらく鳥類が自生品の果実をたべて、種子を散布したのであろうと思われます。落葉をしっかりと掛けてあった部分には白くて立派な秀品になっています。しかし、落葉の掛けかたが少なかった所には、陽光があたって緑化しています。全くの野生品ではこんなに白くて長いものはできません…。
ウドの収穫
諭鶴羽山系の山菜(その7) 「タラノキの芽」
●山菜の王者とも言うべき山菜です。山菜の中の山菜です。一般的に言って、山菜は北日本や日本海側などの地方で珍重されます。南の方では、特に太平洋側の照葉樹林帯の地方では、山菜を珍重するという食習慣はあまりありません。それはおそらく照葉樹林帯では常緑樹が多く、山菜になる植物の分布が少ないということもありましょう。また比較的に気温の高い照葉樹林帯では、畑に冬でも何か野菜があるということも大きな理由でしょう。青物が冬でもあるので、春到来で山菜が食べられるという感動が南の地方では少ないのです。

ところがワラビと並んで「タラノキの芽」だけは別格です。南の地方でも、タラノキの芽は、みなが目の色をかえて捜します。そして乱獲になって木を枯らしてしまうほど無茶苦茶な採りかたをします。

●タラノキは千年まえから「たら」で、平安中期の10世紀ごろに編纂された 『本草和名』(ほんぞうわみょう) に「多良」という表記で記載されています。時代は下がって江戸時代の1712年ごろに出版された百科事典 『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ) では、「楤木」という漢字があてられています。
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↑『和漢三才図会』巻八十四より。「俗に太良乃木という」とあります。本種タラノキは、木の高さが1丈(= 3.03m)余りであって、真っ直ぐに立ちのぼり、枝がなく、幹の上にトゲがあります。木の頂に葉が生えていて、これを “カササギ踏まず” といいます。(幹のてっぺんには葉が茂るがトゲだらけなので、カラスの一種のカサカギでも止まることができない、という意味だと思います。)山村に住む人々はこれの幹の頭にある芽を掻き採って、茹でて食べるのです。この芽のことを「吻頭・ふんとう?」と言います。
というふうなことが書いてあるのですが、この記述から、江戸時代にはタラノキの芽を茹でて、おそらく味噌合えなどで食べていたのであろうことが想像できます。

タラの芽といえば、現代ではとにかく「天麩羅」ですが、案外に天麩羅にして食べるなどということは時代的にはごく新しいのではないか? むかし山村では、タラノキの芽を茹でてすり鉢ですり潰し、味噌や砂糖・酒・みりんと調合して “タラの芽の味噌” にしたり “あえ物” にして食べるのが普通だったハズです。

そもそも「天麩羅」というのは和食の重要な料理法であります。本式の会席膳のメインディッシュというべきものです。樋口清之『日本食物史』によれば、天麩羅の起源は安土桃山時代の南蛮貿易で伝来しました。テンプラという言葉自体が外来語です。イタリア語の「tenpora」あるいはポルトガル語の「temporras」が語源で、「キリスト教の金曜日の祭」の意味です。その日は鳥獣の肉が禁じられていて魚のフライを食べるので、それに接した日本人が魚のフライをテンプラと呼んだのが「天麩羅の起源」だと樋口清之先生は言っています。

徳川家康が鯛の天麩羅を食べ過ぎて食中毒で死んだというのは有名な話です。(癌だとか淋病で死んだとか異説も沢山ありますが)天麩羅という料理が和食に取りいれられて500年近くになりますが、庶民にはずうーっと超高級料理だったハズです。徳川家康は最高権力者であったから天麩羅が食べられたのですが、普通の庶民が日常食として天麩羅が食べられたのではありません。われわれ庶民が日常的に天麩羅など食べられるようになったのは戦後です。昔は食用油など薬みたいに貴重品です。

油(食用油)自体は古代からありますが、生産量が少なく、その用途はもっぱら「灯火用」でありました。歴史上明治時代まで「灯火用」で、江戸時代に江戸の町中で天麩羅の屋台が賑わったということは確かにありますが、それは全国的にはごく一部のハナシであって、広く全国に各家庭に天麩羅料理が普及したのでは、全くありません。ちなみに諭鶴羽山系の村では、昔ツバキ(椿)の果実(かたし)の種子を絞って食用油としていました。それは貴重品でありました。で、タラの芽を天麩羅にして食べるなどというのは、ごく最近、多分戦後になってからではないか??

タラの芽
↑ちょうど採り頃です。以前にプロの料理人と話をしたとき、タラノキの芽はごく若い芽のほうがいいと主張していました。彼の基準では写真の状態のものでは、すでに長(た)けているということになりましょう。しかし芽が若すぎると収穫量が少ないので、やはりある程度は芽が大きく膨らみ、葉が伸びかかったもののほうが良いと私は思います。

★写真のものはトゲが多く、伸び始めた葉の葉柄にも粗いトゲがあります。しかしながら、新芽のトゲは柔らかく、熱を通すと更に柔らかくなります。食べるのには全く支障がありません。食べる際ではなく、タラノキの芽を採取する際に、トゲで怪我をしないように気を付ける必要があります。

★一般的に言って、タラノキは若木ではトゲが沢山あり、老木になればトゲが少なくなります。タラノキはいわゆる 先駆種(パイオニア種) の代表的な樹木で、遷移(生態遷移) の初期の段階で出現する木であります。遷移が進んで森林が茂ってくると、タラノキは消えていく運命にあります。諭鶴羽山系でも一斉に消えつつある種なのですが、近年、山系の北斜面で植林のために伐採が行われています。おそらく伐採跡にある林道の側などに一斉にタラノキが侵入してくると思われます…。

タラの芽の収穫
↑たくさん採れました。タラノキの芽を採るときに気をつけることは、2番芽を絶対に採らないことであります。枝先の1番芽を採ると、しばらく後に1番芽のやや下から2番芽が出てきますが、これを採ると木が枯れます。

てんこ盛り
↑タラノキの芽の姿揚げ。デカ盛りとまではいかないが、諭鶴羽山の山小屋名物の「てんこ盛り」であります。もう少し上品に盛らないと興ざめであります。これはわたくし山のキノコの作品。

紛らわしい類似種にご注意
諭鶴羽山系には今のところタラノキがたくさん自生していますので、大いに採って、賞味すると宜しいのですが、紛らわしいものが2種あります。にわか山菜採りの方ならば、間違う可能性がありそうなのが次の物であります。

ニワウルシの芽
↑これはニワウルシの若い芽です。葉が伸び始めるとタラノキに似てきます。タラノキは老成するとトゲが少なくなりますが、トゲが全くないということはありません。一方、ニワウルシは幹にも葉にも全くトゲがありません。(タラノキにもトゲのほとんど無い系統<メダラ>はありますが、捜せばどこかにトゲはある)ニワウルシは全く食毒不明であります。(安易な試食は危険です

カラスザンショウの芽
↑これはカラスザンショウです。幹や枝はトゲだらけです。写真のものをルーペで子細に観察したところ、幹はトゲだらけなのに、若い葉には全くトゲが見当たりません

★カラスザンショウは天麩羅で食べられなくもないです。香り・アクともに強烈です。天麩羅以外の料理ではまず無理でしょう。わたくしも何回か試食していますが、2~3芽ならば大丈夫ですが、沢山食べると酒に軽く酔ったような “めまい症状” になります。多分、何らかの毒成分がある可能性が考えられます。よって、カラスザンショウを山菜として食べることを、わたしはお奨めしません。
諭鶴羽山系の山菜(その6) 「ミツバ」
●水耕栽培した軟弱な「もやし」のようなミツバがスーパーマーケットで売られています。香りの高い野菜でありますが、本来は自生の山菜です。数少ない日本原産の野菜の一つであります。日本中に広く自生しているのですが、栽培もされます。栽培、とくに軟化栽培が始まったのは江戸時代の享保年間(1616年~1635年)頃であろうと言われています。

芭蕉七部集 の一つで、江戸中期の1698年に刊行された俳諧(はいかい)撰集に、「続猿蓑・ぞくさるみの」という書物があります。その中に、松尾芭蕉の門下生が詠んだ句にミツバが出てきます。

【新日本古典文学大系70『芭蕉七部集』岩波書店 1990年から引用】
 みそ部屋の にほひに肥る 三葉哉  <夕可・せきか>
 みそべやの においにこゆる みつばかな 

(句意)味噌つくりの小屋に近く、三葉芹が青々と葉を伸ばしている。この勢いは、熟せんとする味噌の香を存分に吸ったからであろうか。 俳号の夕可は、美濃の人。
【引用終了】

★みそ部屋というのは、むかしは家毎に味噌を自家製で作っていましたが、大家族であるのが普通で、1年間に必要な味噌も大量でした。で、味噌を作り貯蔵する部屋とか小屋とかがあったのを「味噌部屋」と呼びます。旧家などでは今でも「味噌部屋」の建物が残り、有形文化財に登録されているものが全国にたくさんあります。     
児玉家住宅味噌部屋・乾燥室(長野県の登録有形文化財)
楠森河北家住宅 味噌部屋(福岡県の登録有形文化財)
味噌だけでなく、沢庵など「漬けもの」も家毎に大量に製造貯蔵したのですが、大きな桶を沢山並べるのに場所が必要です。味噌は夏になると “湧く・わく” という現象が起こるので涼しい場所に貯蔵する必要があったのですが、その場所は大きな家では「土蔵」です。土蔵に味噌を貯蔵するならば、「味噌部屋」ではなく「味噌蔵」と言うのであります。

★さて、味噌部屋の建物か、ひょっとしたら味噌蔵の白壁の塀の外にミツバが旺盛に生育しております。葉は大きく茎は太く肥っております。おそらく、味噌の熟成が進んで良い香りがただよっているので、それでミツバが旺盛に生育しているのかもしれません。あるいは味噌の発酵による発酵熱が出て、味噌蔵の周辺が暖かいのかもしれません。そもそも土蔵というのは、冬が暖かく夏が涼しくと、温度変化が少ないように工夫した建造物です。で、味噌蔵のそばが冬に暖かかったのかもしれません。あるいは、味噌の製造にさいして、大豆や米とか大麦等の残滓のようなものが出て、それが捨てられて肥料になったのかもしれません。とにかく青々と良く生育したミツバなので、美味そうだ、お味噌汁に入れるといい香りがしそうだ。というふうなことを詠んでおります。

★このように近世の古典文学にも登場するミツバでありますが、別名をミツバゼリ(三つ葉芹)とも称されていたようで、身近な山菜(野菜)として日本料理に欠かせられないものです。しかし最近は自生品は急激に減少しているような気がいたします。セリ(芹)もそうですがミツバも天然の自生品はなかなかお目にかかれなくなりました。

自生のミツバ
↑諭鶴羽山の南斜面の灘地区では、むかしはミツバなどミカン畑の畔など至る所にあった雑草です。土壌に水分の多い谷筋の畑とか、やや日当たりの悪い半日蔭などに多く、太陽の良く当たる乾燥地にはあまりありませんでした。雑草の如くたくさんあったので、根から引き抜き籠一杯に採取して、酢味噌和えにしてよく食べました。しかし、現在ではミツバは捜すのに苦労するほど少なくなっています。

減少した最大の要因は、ミカン園の耕作放棄であろうかと推定しています。ミツバは、或る程度は人為が加わる環境、たとえば農耕地周辺の林縁で定期的に草刈りが行われる所など、に適応した植物のように思います。人為が加わらなくなると、急速に遷移が進行してミツバは居なくなるようです。

3個の小葉からなるので「三つ葉」
↑ミツバの名前の由来は、“三つの葉” であります。三出複葉であります。が、「三つ葉」の植物は沢山あるわけで、たとえばミツバアケビ・ミツバツツジ類・カタバミの仲間・タンキリマメ・ヤマハギ・ボタンヅル・シロバナノハンショウヅル・淡路島にはないがミツガシワなど、枚挙にいとまがありません。三つ葉の植物はマメ科などに特に多く、たくさんあります。単に三つ葉といえば「三出複葉」を表現しているだけなので、ミツバゼリ(三つ葉で芹の仲間の植物の意味)を標準和名に採用したほうが良かったのではないか?
諭鶴羽山系の山菜(その5) 万葉植物の「ワラビ」
●ヤマザクラの “早い個体の開花” がワラビ採り開始の合図です。ヤマザクラの多くの個体の半数ぐらいが満開になったならば、ワラビ採りの最盛期であります。ヤマザクラが散り終わるとワラビ採りのシーズン終了であります。ヤマザクラの花がワラビ採りの「指標 = ものさし」なのです。ただし、シーズンが終わってもワラビの長けた葉の間の地面からワラビの「?」マークのような若い芽は出ることは出ます。夏まで出てきます。しかし、時季外れのワラビは細くて香りも少なく二等品か三等品であります。ワラビは春の到来を讃える山菜ですから、それを初夏とか梅雨などに採集しても興ざめというものでありましょう。

●古人もワラビを春の到来を讃える山菜と賞美しました。あまりにも有名な万葉集の歌があります。これは集中(万葉集の中でという場合には、集中と表現する。)で最も美しい歌であるとされています。ただし、何を以って美しいとみなすのか、その基準がありませんが…。

石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

ちょうど採り頃のワラビ

こちらは長けたワラビ

ワラビのあく抜きの方法について
●ワラビ山からワラビを採ってくる。写真のようなものがよろしいです。あまり若くて短いもの、?のマークのようなもので10㎝程度の短いものは、まだ堅いので20㎝ぐらいになるのを待ちましょう。また伸びすぎて葉が展開しかけたものも堅くてダメです。
ワラビの収穫

① ワラビの穂先は “もそもそとして” 食感が悪いのでむしりとります。そして容器に並べます。長短ごとに紐でくくっているのはバラけると扱いしにくくなるためです。
ワラビを調整して容器に敷き詰める
② 清浄な草木灰を振りかけます。(当たり前ですが、ゴミを燃やした汚れた灰などはダメ)
あく抜きのために灰を振りかける
③ 次に熱湯をかけます。ワラビが全部浸かるていどまで熱湯をかけます。もしワラビが浮きあがるようでしたら、落としぶたを置いて軽い重しを載せます。
ひたひたに熱湯を注ぐ
↑熱湯をかけてから、最低でも一晩、できれば1昼夜置きます。そうしますとアクが出てきて、溶液が濃い緑色(群青色)になってきます。初めてやった人は毒々しいと感じるかもしれませんが、大丈夫です。群青色になるのはしっかりとアクがでている証拠であります。このアク抜きで注意するのは沸騰した熱湯を使うことです。ぬるい湯ではダメです。

あく抜き用の灰の作り方
あく抜きに「灰」を使うなどと言っても、灰などそう店に売っているものではありません。昔は、風呂は五右衛門風呂でありまして、たきぎや割木で風呂を沸かしていました。そのころは灰は日常的に存在していました。風呂だけでなく「火鉢」とか「掘り炬燵」でも副産物として灰がありました。けれども、今は僻地であろうと草深い山村であろうと、「灰」などわざわざ製造しないと、ありません。
七輪で灰を作っておく
↑これは 七輪(しちりん) です。昔はこれでアジやサンマを焼いていたのですが、使われなくなって40年ほどになります。中未来の石油が減耗・枯渇した時代には、これが復活してくるでしょう。石油は枯渇しても石炭の枯渇は先ですから、くず石炭が原料の「練炭」が燃料として使われるでしょう。灰を製造するにはこの七輪で木切れとか落葉落枝を燃やして作ります。真っ白な綺麗な灰を作ります。

★灰には色々な用途があります。まず第一に灰はカリウムを沢山含んでいるため、上等な肥料であります。実のなる作物には効果は絶大で、むかしから灰は「実肥・みごえ」だといわれています。とくにカキ(柿)にはいいみたいです。また、ネギに灰をやると緑色が濃く、葉が折れにくいネギになります。
第二に、昔、石鹸がない時代の洗濯には灰が使われました。いわゆる「灰汁洗い・あくあらい」です。灰を溶かした水溶液の上澄み液で洗濯したのです。灰汁(あくと読む)は強いアルカリ性ですから、洗濯物の皮脂汚れを乳化します。石油が枯渇する100年後には灰で洗濯するというのが復活するであろうと、私は予想しています。
第三に、灰は食品の加工・下ごしらえに重宝します。あくの強い山菜などは灰であく抜きします。変った使用法では、スルメを柔らかくするのに灰が使えます。堅いスルメも灰の上澄み液に1昼夜漬けこんでおくと、見違えるように柔らかくなります。

ワラビ料理の一例
諭鶴羽山系の住民は昔からワラビを煮ものにして食べています。ワラビは「油」と相性のいい山菜であります。油を含んだ油揚げとはとても相性がいいのです。ダシは煮干しを使用します。料理の手順は、鍋に食用油を垂らして、まずワラビを油で炒めます。そして、適宜季節の材料(竹の子・ふき・シイタケなどの山菜や、油揚げ・ちくわ・天ぷら等の練り物)を投入し、だし汁を流し込んで煮ます。
田舎料理 「ワラビの炊き合せ」
↑これはわたくし山のキノコの作品ではありません。この作品を作った人はなぜか調理師免許を所有しています。わが淡路島南部ではワラビを煮物にするのが普通です。わたくし個人的な好みでは、あく抜きしたワラビを糠漬けとか塩漬けなどの「漬物」にして食べるのが好きです。なかば生でシャキッという歯ごたえがいいのです。



健康を守るために自給自足(採集自足)を目指しましょう!
●この国には昨年3月11日以降、大いなる不安が覆っております。うっ屈した名状しがたい閉塞感に窒息しそうであります。国民の生命・財産・健康など歯牙にもかけない悪徳官僚や利権政治家、ヒラメのような御用学者、拝金事業者どもの既得権益者たちに、この国は蹂躙され、いいようにされています。被害補償の極小化と責任の回避を狙った露骨な「たいしたことではない」というプロパガンダが執拗に流され、白昼堂々と棄民政策・ジェノサイドがまかり通っております。こういう状況に至ってもまだ既得権益の温存維持を図ろうとする動きには、へどが出そうな気分であります。しだいに情報は統制されつつありまして、まるで戦前戦中の大政翼賛会そっくりの状況になりつつあるのは危機的です。自由に意見を言い、議論してこその民主主義であるのに、ものの言えない統制状態では民主主義の終焉は目の前にきております。

●さて、この国に住んでいるかぎりにおいては、国家は国民の庇護者では全くありません。残念ながら、自分の身は自分で守るという自己防衛・自己救済しかないようであります。このような情勢において、西日本はいま安全な食品の供給地帯として重要さが増しております。自分の健康を守るためには、西日本で生産されたことが確実な食品を摂ることが肝要であります。外食産業で経費削減のために、安全とは言い切れない食材を混ぜ込んでいることが発覚しております。農協の扱う米にも安全ではないものが混ぜられていたことが報じられました。信用ならないのは政府や省庁だけではなく、民間業者も陰でこそこそと不正をはたらいております。

●そこで、安全な食材は自らの手で調達をするという趣旨から、自給自足を目指すというのが意義を増してきました。かつては主義として、あるいはライフスタイルの一つとして、自給自足を目指す人々はいました。これからは自分の健康を守るためにという切羽詰まった理由で、それを目指す人々が増えることでしょう…。

自給自足というよりも、採集自足と表現すべきか? と思うのですけれども、本日磯に行ってカキ(牡蠣)を沢山獲ってきました。淡路島南部は海の幸や山の幸が豊富で、春は採集自足でかなりのところまで賄うことができます。
若いカキ
↑これはイワガキ? あるいはイボタガキ? それともマガキ? 種名は不明であります。カキは分類が難しく、しかも棲息する基質の岩の状態とか潮流の状態で貝の形が大きくかわるので、不用意に種名を断定しません。分かる方は同定おねがいします。写真のものは年数の浅い若い集団だとおもわれます。淡路島南部の海岸の岩礁はカキの宝庫で、昔は海がしけると磯に行ってカキを拾いました。波でカキが岩から剥がされて磯に打ち上がるのです。

老成したカキ
↑これは年季の入った老成したカキであります。海藻が付いて岩と同化したような状態になっています。これを見てもカキだとは気付かない人もあるにちがいありません。このような老成したものは殻が大きく、大きな身がぼたっと入っています。「ぼたがき」あるいは「だぼがき」などと地元の人は言っています。

大きい個体は長さ16センチ、重さ500グラムに達する
↑30個ほどのカキを獲ったのですが、殻の長さ・幅・重量を計測しました。採集は大きなものを選んで獲りました。殻の形状は長いものもあれば円形に近いものもあり、変異に富んでいます。それで、おおむねの数字ですけども、淡路島南部のカキの大きさは、最大限は長さ16~18㎝、重さは400~500gというところであります。

田舎のカキ料理
↑カキの天麩羅であります。これはわたくし山のキノコの作品ではありません。大きな身のカキの天麩羅が10粒もお皿に載っております。獲り合わせのレタスとパセリはもちろん自ら栽培したものです。直径30㎝の大皿に盛っているのでカキが大きく見えませんが、実際は巨大なカキの身です。食べる際にはナイフで切り分けなければならないほどの大粒カキです。

サクラの花も縮かむ「寒春」だ!
●今年はいつまでも寒く、やっと咲き誇ったサクラも冬空のような寒さに震えております。サクラの花が長持ちしてお花見が長期間楽しめます。昨日の4月7日には対岸の徳島県の山間部では降雪があったみたいで、ちょっと標高の高いところでは積雪もあったようです。北極圏に陣取る冬将軍の勢いは衰えず、春になっても波状的に南下してくる強い寒気の前には、かつて勢いづいていた「地球温暖化利権者ども」もなすすべもなく静かにしています。

●それにしても、つい数日前には北海道全域で、4月の「日最低気温」観測史上の記録更新の大量出現にはおどろかされましたが、本日4月8日には本州の広い範囲で記録更新です。下に引用した表は、
観測史上1位の値更新!(4月の日最低気温の低い方からの更新)の表です。 気象庁HPから。タイ記録と、観測統計年数の短いものを除外して、統計期間が30年以上あるものを数えてみても、15か所も記録更新であります。これを見ると今年の冬から春にかけては30年来の低温ということが明らかです。このたびの観測記録更新といってもアメダスばかりじゃねえのか、というツッコミも聞こえてきます。確かにその通りであります。地方気象台等の気象官署はまったく入っていません。

●気象官署では観測統計期間は100年前後あるところが多いのですが、日最低気温の観測史上の最低値は明治時代から大正時代に集中しています。そのころは気象官署も田んぼの中にあったりしたのですが、明治 → 大正 → 昭和 → 平成と時代が進むにつれて日本の人口は何倍にも膨張、大都市のみならず中都市も過密や高層建築化していきました。気象官署はその多くが県庁所在地にあるのですが、都市の膨張につれてヒートアイランド現象が進行した結果、低温が発生しにくくなっています。これが気象官署で最低気温の記録が昔に集中する最大の要因であろうと思います。

2012年4月の「日最低気温」記録更新データ
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★そういえば、世界を震撼させたクライメート・ゲート事件以降は、マスコミもあまり「地球温暖化」の報道(煽り)をしなくなっています。とくに今年になってからは、地球温暖化報道はほとんど見られなくなりました。温暖化ビジネスでメシを喰っている連中が、散発的に思いだしたかのように時々言っているだけです。マスコミも温暖化業者も煽りたくても煽れない状況になってきました。もう年貢の納めどころだ! いつまでもあると思うな、利権や補助金。マスコミは具合が悪くなってきたら、何もなかったかのように黙るのが彼らのやり方ですが、自らの報道を検証しないから「マスゴミ」と言われるのです。

さて、淡路島3か所の本日(4月8日)の最低気温は次の通りです。
郡家 -0.5℃(1987年-0.9℃以来の、4月としては第2位の低温)
南淡  0.9℃(統計開始が2004年と短すぎる、福良から阿万に移転)
洲本  2.7℃(残念ながら、10傑にいらず。)


アメダス南淡は2004年にアメダス福良から観測場所を移転しています。したがって観測統計データに連続性は失われました。気象庁はあまりにも軽率に観測場所の移転を頻繁にやっています。「観測」を軽視しているとしか言いようがありません。

旧洲本測候所の2.7℃は4月の最低気温ベスト10に入りませんでしたが、ベスト10には1990年代のものが2回、2000年代のものが1回入っています。洲本の観測統計は93年あります。このように旧測候所などでも、ヒートアイランドの影響の少ない観測所では、古い記録に伍して近年の記録も上位に食い込んでおります。
諭鶴羽山系の山菜(その4) フキ(ふきのとう)
●ほろ苦さを嫌う方もいますが、食べなれると春の到来が待ち遠しくなる山菜がフキ(フキノトウ)であります。ちょうど初めてビールを口にしたときは「なんて苦い味なんだろう!」と驚くのですが、やがて、「苦味のないビールなんて、ワサビのない刺身みたいなものなんだよ」などと言うのに似ています。

フキノトウ

フキノトウ
↑諭鶴羽山系の裾野では例年2月頃にフキノトウが出てくるのですが、今年は3月になって一斉にでてきました。3回ほど採取して天麩羅にして賞味したのですが、ほろ苦さも天麩羅にするとあまり気になりません。春の到来を讃える山菜でありますから、大いに採取して賞味したいところですが、近年急速に姿を消しつつある植物の一つです。昔は、南あわじ市灘地区ではミカン畑の中や畔とか路傍、それから谷筋のじめじめしたところとか、どこにでも自生しておりました。最近急に減ってきたのは、果樹園が放棄されてクズとかススキなどの豪壮な草がはびこり、背丈の低いフキが生存しにくくなったのと、シカがフキの味を覚えて食べるようになったのが主たる要因だと観察しています。しかし、十分な観察ではないため、別の要因があるのかもしれません。

フキノトウ 長けた花
↑これは長(た)けてしまったフキノトウです。このように花茎が立ち上がったものは普通は食べません。しかし食べられないということでは決してなく、食べる習慣がないというだけです。花茎は中空でポキッと折れやすく柔らかいです。煮物とか漬物などにとてもいいです。ただし料理すると黒っぽくなるので、見栄えはあまり良いとは言えません。キク科の野菜はアクが多く、料理が下手だと黒っぽくなります。ゴボウ、レタス、シュンギク(春菊)など。フキ(フキノトウ)もいかにもキク科の山菜という印象です。

フキの葉っぱのほうは、葉柄を煮ものにしてもいいし、あるいは佃煮にするのもいいでしょう。佃煮にするのにはあまり大きくなったものよりも、20~30㎝ぐらいの小さなものを沢山集めるほうがいいでしょう。普通は「葉柄」を佃煮にするのですが、材料が不足する場合には「葉身」も刻んで使うといいです。

フキの葉
↑諭鶴羽山系に自生するフキはあまり大きくなりません。30㎝~50㎝程度です。どんなに肥沃で湿潤な良いところに生育しても50㎝止まりです。東北地方や北海道のように1mとか秋田フキのように2mなどということは有り得ません。

岡山理科大学 植物生態研究室(波田研HP)の「フキ」
岡山理科大学 植物生態研究室(波田研HP)の「アキタブキ」

★波田先生のサイトを閲覧すると、巨大なアキタブキの写真がみられます。いちおうアキタブキは基本種のフキの変種ということらしいのですが、しかしながら、アキタブキを南の地方で栽培したら小さくなってしまうという栽培試験報告もあるようです。だとしたら本当に変種といえるのか? という疑いも生じそうです。フキとアキタブキは全く同じものであるのだけれども、気候とか土質によって大きさがガラリと変わるだけ…、という説も出てきそうです。

★植物の大きさがガラリと変わるということで先ず思いつくのは ゲノムの倍数性 であります。3倍体とか4倍体とかは、その植物が巨大化する傾向があるのはよく知られています。しかしながら、アキタブキの染色体を調べたら2倍体であるし、東北以南の自生の小さなフキも2倍体のようです。栽培しているフキには不稔の(種子の出来ない)3倍体のものが多いそうです。(次の論文は本文は読めませんが抄禄によると)
栽培および野生フキの形態•生態ならびに細胞学的研究 (第4報) : 染色体数について

★アキタブキは3倍体とか4倍体とかではなく、しかも南の地方に移植したら小さくなるということであれば、やはり気候や土質など環境によって巨大化しているだけなのか?? よく分かりませんが、南の地方で小さなものが東北以北で巨大化する例はほかにもありますね。ウバユリとオオウバユリ。イタドリとオオイタドリ、など。

★そういえば、世界的に有名な「地球温暖化懐疑論者」の赤祖父俊一先生の著書に書いてありましたが、アラスカ在住の赤祖父先生が庭でキャベツを栽培すると、アラスカでは巨大キャベツになるらしいです。ひょっとしたら、日照時間の関係か?? 初夏から夏には高緯度ほど日照時間が非常に長くなるということが作用しているかも??
海産種子植物「アマモ」の観察の替わりに、磯の海藻を見る。
●本日は2012年4月6日です。ちょうど大潮に当たっていたので、昼前に南あわじ市福良湾の入り口付近にある小規模な干潟に行ってまいりました。狙いは海産種子植物の「アマモ」が開花を迎えているハズですから、観察をして写真を撮ろうとしました。しかしながら潮位が十分に下がっておらず、アマモの観察は無理でありました。そもそもアマモは低潮線(いちばん潮の引いたときの海面)から斬深帯(ざんしんたい・低潮線よりも下)に生育する種子植物なのです。アマモの観察には、あともう20~30㎝潮が引く必要がありました。

(あさって4月8日は今回の大潮のピークで、さらに天文潮位は20㎝下がるので、あらためて出直しです。ただし天気に依って実際の潮位は大きく変わります。気圧が1hpa上下すると大洋に面している海域では1㎝潮位が上下するし、南風が吹けば海水の吹き寄せ効果で潮位はグンと上がります。気象条件で変わるのです。)

●アマモは春の大潮で海面が著しく下がったときに、水面上に露出した葉にある花を咲かせます。小さな米粒みたいな花ですが水面にでて咲かせるのですが、今年は寒かったので5月の大潮に持ち越すのかもしれません…。アマモの写真は無理でありましたから、その替わりの写真を掲げたいと存じます。

福良湾入り口の干潟
↑福良湾の入り口付近にある小さな干潟ですが石が多いです。向こうに鳴門海峡の橋が見えています。海上に見える筏はヒラメの養殖場であります。写真の右にみえる山の崖がありますが、この崖は地層とか岩石など地学を学ぶ野外教室であります。この崖で 漣痕(れんこん) の化石がみられるのです。 赤煉瓦倶楽部舞鶴様のサイト「岡田由里の化石漣痕」 を参考にするといいでしょう。淡路島福良の化石漣痕も発見されたときには大きな話題になりました。もう1か所阿万の吹上浜の近くにも化石漣痕が小規模ながら見つかっております。

波間にたゆたうワカメ
↑水面に出ている茶色い海藻はワカメであります。ワカメは潮間帯下部~斬深帯にかけて分布する食用の海藻です。磯が少し引けばワカメは海面の上に露出します。淡路島南部では厳寒期の1月が旬でありまして、3月、4月にはもう長けていますが、食べられないわけではありません。ワカメの葉の表面にぶつぶつがまだ出ていなかったならば食べられます。ぶつぶつが出て胞子をまき散らし始めますと、まもなくワカメがどろどろに溶けてしまいます。

岩に張り付くヒジキ
ヒジキ
↑こちらはヒジキです。乾物のヒジキは真っ黒ですが、磯で自生している状態では黒くありません。知らなかったならば、これがヒジキだとはとても思えないでしょう。写真の物はすでに時期外れで、営業用のヒジキを採る漁師さんは12月頃採取しています。旬は淡路島南部では12月~1月でありますが、3月、4月でも食べられなくもありません。実際に、洲本市由良の漁師のおかみさん達は3月や4月でもヒジキを採取して加工しています。

★問題はヒジキを加工するには、普通の者には手に負えない…、ということであります。ヒジキは潮間帯中部~潮間帯下部に分布していて少し磯が引けば簡単に採取できます。しかし誰も採りません。食べられるように加工するのがネックとなるのです。(なにせ田舎暮らし指向のわたくし山のキノコでさえ、ヒジキは採らないのです)プロの漁師さんたちは浜に大きな釜を据えて、朝から夕方までヒジキを煮ます。7~8時間煮る必要があります。そして天日で干して乾物にするのです。

【自分で採取した磯のヒジキを食べられるようにする方法】
さて、ここに自分で採ってきたヒジキを簡便に食べられるようにする奥の手を紹介しましょう。採集したヒジキをとりあえず干します。ビニールシートを広げてヒジキを重ならないよう並べておけば、日光と風があれば半日で干しあがります。干し上がったならば貯蔵しておきます。
ヒジキ料理を作る前日に、干したヒジキを魔法瓶に入れて熱湯を注ぎます。翌朝に魔法瓶の中でヒジキが軟らかくなっていますから、水を切って油揚げやこんにゃくと一緒に炊けばいいのですこつは魔法瓶の中の温度を下げないことです。魔法瓶はあらかじめ熱湯を注いで暖めておくのはもちろんのこと、毛布や布団でくるんで保温を図ります。途中で熱湯を入れ替えるのもいいでしょう。とにかく保温を図って7~8時間釜で炊くのと同じ状態にするのです。この方法は大豆や小豆を煮るにも応用ができます。したがってヒジキや豆類を柔らかくするために、専用の大きめの魔法瓶を用意しておくとよろしいです。

アサリの収穫
↑アマモの観察と写真が叶わなかったので、手ぶらで帰るわけにはいかない、ということでアサリを掘りました。収穫はちょうど大皿に1杯(1キロあまりか?)です。昔はバケツに半分以上(5~10キロ程度)獲れていたのですが、乱獲につぐ乱獲がたたってアサリはあまりいなくなりました…。


爆弾低気圧の立役者に、「強烈な寒波」あり。
本日は2012年4月4日です。

昨日から今日にかけて日本列島に春の嵐をもたらした「爆弾低気圧」は強烈でありました。凄かったですね。この低気圧は4月2日21時に黄海にあった時点では1006hPaでしたが、1日後の4月3日21時にはなんと964hPaまで中心示度が低下しました。24時間で42hPaも中心気圧がさがりました。まるで竜巻みたいな低気圧でした。

爆弾低気圧の定義は、「低気圧の緯度をφ(ファイと読む)とし、24時間で 24×(sin φ/sin 60°)hPa 以上の中心気圧の低下が見られたもの」であります。このたびの強烈な低気圧は発生から閉塞のしばらく後までほぼ北緯40度を東進しました。で、sin40度/sin60度は0.74になるので、24時間で17.8hPa以上中心気圧が低下したならば、爆弾低気圧の定義する条件をみたすことになります。したがって昨日の日本海の強烈な低気圧は、正真正銘の「爆弾低気圧」であったといえそうです。なお、24時間で24hPa以上中心気圧が下がったものを爆弾低気圧とよく説明されます。しかし、それは定義上北緯60度でのハナシであって、それより緯度が低いほど基準の気圧低下量は低くなります。(ただし、日本の気象庁は爆弾低気圧などという言葉を、正式の気象用語として採用していないです)

2012年4月3日21時の地上天気図
↑2012年4月3日21時の地上天気図です。気象庁HPから抜粋引用しました。それにしても日本海で964hPa!とは凄いですね。北海道東方海上とかカムチャツカ半島近海ならば(つまり低気圧の墓場ならば)アリだけど、日本海でここまで中心気圧が下がるとは……、絶句です。日々の天気図をはじめ、日本気象協会発行の月刊『気象』に掲載の天気図(『気象』が廃刊後は日本気象学会の『天気』)を資料的に見続けていますが、日本海でのこんな凄い天気図はちょっと記憶にありません…。後世に語り継がれる「超低気圧」でありましょう。

2012年4月3日21時の高層天気図(500hPa)
↑2012年4月3日21時の500hPa面の高層天気図です。気象庁のHPから抜粋引用しました。おおよそ5100m~5700m上空の天気図です。これを見たら今回の低気圧の強烈に発達した最大の要因がなんであったのか、私のような素人でも分かります。日本海の真ん中に上空の低気圧があって、その全面に暖気が亜熱帯から吹き上がっています。そして後面にこの時期としては強烈な寒気が南下しています。しかし、この時点で地上の低気圧と上空の低気圧の位置が同じになっているので、低気圧が急成長し終わってすでに閉塞過程に入っており、この後は気圧低下はしれているというのも窺える図です。

上空500hPa面の気温と、および、気象庁の高層気象観測データを見てみます。

      4日21時の気温  平年値   平年値からの偏差
北海道の釧路  -18.1℃   -27.9℃    +9.8℃
島根県の松江  -31.5℃   -18.8℃   -12.7℃


なお、気象庁は観測所の場所をころころと変えるとても悪い癖があります。高層気象観測所の「釧路」の平年値として「根室」を、「松江」の平均値として米子の観測データを用いましたが、それぞれ至近距離にあるのでそれほど問題はないと思います。低気圧の全面で平年値よりも10度高い暖気が吹きき上がり、低気圧の後面で平年値より10度以上低い強烈な寒気が吹き下ろしたことが分かります。とくに、松江の-31.5℃という寒気は、米子の観測データと連続性があると考えたならば、1957年の観測以来4月としては歴代7位になる低温記録であります。

高層気象観測データを見ると、ここ数年来、高層の低温記録更新が目立ってきております。地表は熱汚染によるヒートアイランド現象に覆い隠されていて分かりにくいのですが、高層気象のデータは隠しようがないという感じです。上空の変化に応答して地上では近年低気圧の猛烈な発達という現象が鮮明になってきました……。気象庁はぼちぼち政府や経産省に隷属する立場をやめて、専門技術集団としての矜持を示したらいかがであろうか?
諭鶴羽山系の山菜(その3) 天然の「シイタケ」
●通常はキノコ狩りといえば秋の風物詩であります。ところがシイタケ(椎茸)に関してはそうではありません。シイタケは天然ものでも原木栽培ものでも春と秋の年2回発生が見られます。(ただし、気温の低い高い山では夏に1回だけ)春に発生するシイタケを「春子・はるこ」と呼び、秋に発生するものを「秋子・あきこ」と呼ぶのですが、諭鶴羽山系の天然シイタケは圧倒的に春子のほうが発生量が多いです。春子と秋子の発生比率は私の観察では、8対2といった感じです。(精確な発生調査をしたわけではなく直感で)

●何時発生するかですが、気温と降水量によって早晩が生じます。暖冬で冬に適度な雨がある場合には、1月や2月でも春子のシイタケが出てきます。(春子ではなく冬子と呼ぶべきか?)今年は冬が寒かったので、しかも冬に少雨だったので、シイタケの発生が遅れました。山麓でも3月も中頃以降になって出てきました。諭鶴羽山系の500m前後の高所では4月になった今出ています。

シイタケの発生する樹木ですが、シイの木・アカガシ・シラカシ・アラカシ・ウバメガシ・クヌギ・コナラ・クリ等、諭鶴羽山系に自生するブナ科の樹木にはほとんど全て発生を確認しています。ブナ科以外の樹木ではノグルミ(クルミ科)・ヤマザクラ(バラ科)で天然発生を確認しています。このあいだ、山中を歩きまわってミカン収獲用の籠に3杯シイタケを採取してきました。およそ30㎏の大収穫でしたので、天日で乾燥させて干シイタケを作って貯蔵ですが、1年分ありそうです。(これは誰にもおすそ分けしません。癌の予防薬だと思って自分が食べる)

国立がん研究センター  の研究では、ずいぶん以前のハナシですが、人工的に悪性腫瘍を生じさせたマウスに、キノコの熱水抽出エキスを投与させたら、腫瘍の進行停止・腫瘍の縮小に効果があったことを報告しています。その研究を受けて呉羽化学工業が クレスチン という名の抗悪性腫瘍剤を開発・販売して話題になりました。クレスチンの材料になったのは「カワラタケ」という硬質キノコですが、国立がん研究センターの研究では、キノコ類はシイタケでもマッタケでもマイタケでもなんでも抗悪性腫瘍効果があるという報告だったと思います。(キノコそのものが直接に癌に効くのではなく、体の免疫力を高めることにより間接的に効く)

★シイタケからも レンチナン という抗悪性腫瘍剤が作られています。 国立がん研究センター がん対策情報センター のホームページの<免疫療法>という項目の中において、レンチナンについて次のように述べております。
「シイタケより抽出されたものです。キラーT細胞、マクロファージ、NK細胞等を誘導、活性化すると考えられています。がん患者さんの悪液質やQOL(クォリティ・オブ・ライフ:生活の質)を改善するという報告がありますが、適応は手術不能または再発胃がんにおけるテガフール(抗がん剤の1つ)との併用に限定されています。」

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↑シイ(椎)の切り株に発生したシイタケです。シイタケの傘の表は茶褐色でありますが、裏面のひだの色は白っぽく薄いクリーム色であります。柄は強靱で堅く、中実(つまり中空ではない)です。写真では分かりにくいですが、写っているシイタケは樹皮のある部分の端に生えています。樹皮が剥がれた部分が写真に写っているのですが、樹皮が剥がれた所にはシイタケは発生しないという性質があります。
林業試験場のキノコ栽培試験で、作為的に樹皮を剥がした “ほだ木 = 菌糸を蔓延させてキノコ発生可能な原木” に新聞紙で「人工樹皮」を作って巻き付けると、再びキノコが発生するという報告があります。

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↑こちらはウバメガシの倒木に発生したシイタケです。ウバメガシは材がきわめて緻密で、最高級の炭である備長炭の原木がこのウバメガシです。材質が緻密で堅いので、シイタケの菌糸が蔓延するには時間がかかるようですが、いったんシイタケ菌に感染・蔓延したウバメガシの「ほだ木」は長持ちします。腐朽するのに年数がかかるのです。それで長いあいだシイタケを採集することができます。材質の柔らかい樹木ではシイタケの発生年数が短く、材質の堅い樹木では発生年数が長くなります。

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↑こちらもウバメガシに発生したシイタケです。山の北斜面のじめじめした所にありました。野生シイタケは「ほだ木」に水分が十分にあると、巨大なものが発生します。写真のものは一番大きなものが径25㎝もありました。大きなお皿ぐらいもあります。天然シイタケの発生を阻害する最大要因は乾燥です。 気温ではありません。気温が高かろうが低かろうが、それはキノコの発生時期が早くなるか遅くなるかです。雨が降らずに「ほだ木」が乾燥すると、キノコがほとんど出てきません。

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↑こちらは腐朽が進んでいるため樹種は不明ですが、おそらくウバメガシとおもわれます。このシイタケは傘が反り返っています。どのような条件のときに傘が反りかえるのかは、観察不足で不明ですが、しばしばこのような状態のシイタケが見られます。

このように反りかえったシイタケはブナ帯で普通に見られる毒茸の ツキヨタケ によく似ています。ツキヨタケはシイタケと比べると、柄が短く、柄の付け根にリング状の隆起があり、キノコを裂くと黒いシミがあり、老菌になると紫色がかってくる、などの点で簡単に見分けられますが、キノコ狩りの初心のうちは厳重な警戒が必要です。しかし、諭鶴羽山系でのシイタケ狩りならばその心配に及びません。諭鶴羽山にはツキヨタケの宿主であるブナという樹木がありませんから、ツキヨタケが分布していないのです。

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↑これはノグルミ(クルミ科)という樹木の倒木に発生したシイタケです。屋根瓦のごとく幾重にも重なって発生する様は壮観です。10mほどの倒木の裏側にびっしりと発生していましたから、この木1本での収穫で籠が一杯になりました。この倒木は比較的に新しくて、腐朽するのは何年も先です。したがいまして、あと5年ぐらいはこの木にシイタケが発生し続けると思われます。シイタケ狩りの一番のコツは、シイタケの発生する倒木や切り株を沢山見つけておくことです。 では、どうやって見つけるか? ですが別に秘訣などありません。足しげく山に入って歩き回るしかありません…。“キノコ狩りに王道なし” ということであります。

諭鶴羽山系は天然シイタケの宝庫であります。キノコ狩りをしてこの制がん健康食品のシイタケを大いに食べましょう。

●【4月5日追記】先日、山を歩き回って採取したシイタケを天日乾燥させて、見事な干シイタケが出来上がりました。業務用の干シイタケは火力乾燥されています。火力乾燥ではシイタケの「縮かみ」が少ないのですが、天日乾燥であれば「縮かみ」が顕著であります。したがいまして、火力乾燥シイタケは同じ容積に少ししか入らず、天日干シイタケは同じ容積に沢山入っています。
天日干シイタケはビタミンDが多いです。火力乾燥シイタケの10倍の含有量だとされています。したがいまして栄養成分的にはだんぜん天日干シイタケのほうに軍配が上がるのですが、しかし、たとえ火力乾燥シイタケであっても、1時間日光に当てれば十分にビタミンDが形成されるとか……。
天日乾燥のシイタケ


諭鶴羽山系の山菜(その2) 古代人も食べていた野生葱「ノビル」
●ソメイヨシノもヤマザクラ(山桜)も一斉に開花が始まりました。野山の草木の新芽も萌えはじめました。ういういしい若葉が顔をのぞかせた新芽は、まるで枝の先に緑の灯が点いたようであります。冬枯れていた茶色っぽい山肌が日増しに色彩を豊かにしております。

さて、自然観察の副産物として山菜の恵みというものがあるのですが、春という季節は自然観察冥利につきることを実感する季節であります。山菜採りやキノコ狩りで忙しく、遊んでいる暇はありません…。諭鶴羽山系で採集できる春の山菜を網羅して取り上げたいと思います。拙い写真と文章ではありますが、大いにに参考にしていただき、自然に親しみましょう。

●野生のネギと称しても差し支えないほど、その刺激的な辛味、食感が葱類の「ワケギ」とか「アサツキ」に似ているのが「ノビル」であります。712年に成立した『古事記』に、応神天皇が詠んだ歌があります。

「いざ子ども野蒜(ノビル)摘みに蒜(ヒル)摘みに 我が行く道の香ぐはし花橘は 上つ枝には鳥居枯らし 下枝には人取り枯らし 三栗の中つ枝のほつもり 赤ら嬢子をいざささば好らしな」

この歌に、「さあ皆さん、ノビルを摘み採りに、ヒルを採りに行きましょう!」と言っていますから、8世紀ごろノビルを山菜として採取していたことが窺えます。歌の続きの意味はこうです。「我々が行く道にあるタチバナの木は、上の方の枝は鳥が悪さをして枯らしてしまうし、下の方の枝は人が採って枯らしてしまうが、真ん中の枝の未熟果が色つやがいいね。そのタチバナの実のように色つやのいいあのお嬢様に、さあ一緒になろうよと言えばいいんだよ」

●このように、『古事記』(712年成立)にノビルが載っているのですが、当時すでにネギとワケギは日本に伝来していた可能性が高いです。ネギは 『本草和名(ほんぞうわみょう)』(901-923年)に記載されています。ワケギも 『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931-938年)に記載があります。これらの史料に200年の時間差があるのですが、ネギやワケギが古くに中国から伝来していた可能性が高いため、ノビルは栽培作物ではなくあくまでも野草扱いであっただろうと考えられます。(栽培ネギが伝来していたならば、野生ネギをわざわざ栽培する必要がない)

ちなみに他のネギ類についてですが、「アサツキ」は日本に自生しているものですし、「タマネギ」は明治初期に米国から日本に導入されました。

ノビル
↑記紀万葉のむかしから人々に摘み採られていた野生ネギの「ノビル」です。ありふれた野草でどこにでも生えていますが、肥沃な畑に雑草として生えるものはよく育ちます。この写真も畑の雑草として生じたものです。“薪ざっぽう” みたいに株立ちになるのには理由があります。ノビルは種子ができることはめったにありません。繁殖はもっぱら花茎の先端に沢山集団になってできる「むかご」と、地下茎にできる子球とで殖えるのです。それで親株の周りに子株が沢山できて、写真のような竹ホーキのような株立ちになります。

ノビルの収穫
↑採取したノビルをよく洗って一束にまとめてザルに盛りました。地下5㎝~10㎝の深さに大豆から梅干し大の地下茎があります。ちょうどラッキョウぐらいの大きさです。採取するときにはこの地下の球を採り残さないようにします。大きな球ほど深い所にあります。 これにも理由があります。「むかご」が地面に落ちて発芽しても1年目は球は浅い所にあります。ところが根が地中深くに伸びて秋遅くに根が枯れる際に、その根が収縮して球根を地中深くに引っ張り下げます。こうして2年生、3年生と成長するにつれて球根は地中深くに引き込まれます。ですのでノビルを収穫する場合には、大きなものほど茎や球根が地中深くにあるということを、念頭に置いて採取しなければなりません…。

ノビル料理
↑山のキノコの作品です。ノビルとイカ(烏賊)の味噌合えです。あまり美味しそうに見えないのは、盛り付け方に工夫がないからです。無造作に盛ったという感じなのがいけません。洒落た小鉢を器にして、ノビルの球根の部分、緑の葉の部分と揃えて盛り分け、イカの切り身も揃えて盛り、そして調合した味噌は横にあしらう、とすれば見違えるように芸術的になる筈です。

ノビルはワケギにまったく遜色がありません。食卓に黙って出せば、誰もノビルだなどとは気がつかないでしょう。ノビルの絶品料理は味噌汁です。ノビルは味噌とか酢とか和風の調味料によく合います。多分、洋風料理には向かない食材だと思われます。その点はネギと同じで、西洋ではタマネギの消費は多いのですが、ネギ(葉ネギ)はヨーロッパでもアメリカでもあまり食べないようです。

ノビルは民間薬として使われているらしい。「イー薬草・ドット・コム」
諭鶴羽山系の山菜(その1) 幻の「ハマボウフウのモヤシ」
●高級食材として、料亭などでお刺身のツマとして料理に彩りと香りを添えるセリ科の「ハマボウフウ」が収穫適期を迎えました。諭鶴羽山系の裾野の海岸砂地がその自生地であります。年々自生地は狭められている傾向があります。近縁種のボタンボウフウは兵庫県レッドベータブック2010ではBランクの貴重植物になっておりますが、ハマボウフウの方は今のところ貴重種入りしていません。しかし、海岸植物の多くが次々に貴重植物入りしているのと同様に、本種もそう遠くない日に貴重植物入りするかもしれません。なぜならばその生育環境の基盤が極めて脆弱であるからです。

3月31日のハマボウフウ
↑3月31日のハマボウフウの状態です。ロゼット状に砂地にぺたんと寝るような感じで葉を広げています。南あわじ市の自生地では海岸砂地の冬の気温が比較的に高いために、例年は冬季でも完全に枯れることがなく厳冬期でも緑の葉をつけていることが多いのですが、さすがに今年の厳冬(寒冬)には地上部が完全に枯れる個体が多かったです。3月に入ってから株の中心部分から次々に新葉を展開しはじめした。この写真のものが収穫適期であります。

ハマボウフウの収穫
↑沢山収穫できました。葉があまり濃緑になったものは堅くなりますから、まだ黄色味が残っているものだけを採ります。株元の砂を少し掘って葉柄の基部からそろりと掻き採ります。その際には、地下茎を傷つけたり、緑の濃くて大きく展開した葉を一緒に掻き採ってしまわないように注意をします。そのような採取のしかたであれば、その個体はけっして枯れることはありませんし、その後あたらしい葉が次々に出てきますから春遅くまで何回も収穫できるのです。山菜採りの要諦は、とにかく「再生可能性」を損なわないことです。根絶やしにしないよう破壊しないことであります。(たとえば、タラの芽などでは、ごっそりと採って破壊する不心得者が多すぎます!)

まぼろしの山菜「ハマボウフウのモヤシ」
これが幻のハマボウフウの「もやし」です。本当に「もやし」なのです。これは天下の絶品、天皇陛下でも口にすることができないほどの貴重品です。これが採集できるのはよほどの僥倖に恵まれないと無理で、このようなものが存在すること自体が全く知られていません。いくら山菜について蘊蓄を傾けた書物を読んでも、ネットで検索しまくっても絶対に出てきません。ですから「幻の山菜」なのであります。

ただし、これがどのような所にあるのか? どのようにして採取するのか? 公開出来ないのが残念なところです。このようなものが存在すると言えるだけです。これの味わい方ですが、熱を加えると香りが飛んでしまいますので、熱を通さないことです。生のままマヨネーズを少し付けて、むしゃむしゃとそのまま食べるのが宜しいかと思います。

以前に書いたハマボウフウの記事
サクラの開花が4月にずれ込む。生物季節の1週間から10日の遅れが鮮明に…。
本日は2012年4月1日です。

●注目していたサクラの開花日でありますが、淡路島の南あわじ市では結局3月中にはサクラの開花は観測されませんでした。(わたくし山のキノコが私的標本木を31日の午前10時に観察しましたが、5~6輪の開花が見られるという “開花の判定基準” を満たせなかった。)写真の「私的標本木」はわたくしが勝手に選定したもので、南あわじ市灘城方の海抜50メートル地点にあります。並木のように沢山植えられているソメイヨシノでありますが、3月30日に1本だけ開花を確認しましたが、それは標本木ではありません。灘地区のソメイヨシノを数十本観察しましたが、その1本以外にはどれも咲いておりません。

サクラの開花というのは、ごく狭い地域であっても、ごく僅かの微地形や微気象の相違により数日の早晩が生じます。早い話が建物の南側の陽だまりにあるサクラと、建物の北側の日蔭にあるところのサクラとでは、開花に2日や3日の差が生じてしまいます。それで、「この木を観察しよう」と標本木を選定して、その同じ木を経年観察するのが大事なのは申すまでもありません。そうでないと環境をモニターする「指標生物」にならないのです。

★さて、気象庁は各地の測候所を次々に廃止してしまいました。とんでもない暴挙です。2010年10月1日をもって最後の6測候所を廃止、例外的に残すことになった「帯広測候所」と「名瀬測候所」の2か所以外はすべての測候所を廃止したのです。わが兵庫県でも「豊岡測候所」「姫路測候所」「洲本測候所」が早くから廃止されています。これらの旧測候所は無人の「特別地域気象観測所」という名称にかわりました。無人になったので職員の目で観察して観測していた「生物季節」の観測が途切れてしまいました。もはや、わが淡路島で正式なるサクラの開花が観測されることはありません…。兵庫県ではサクラの正式な開花観測が行われているのは、神戸海洋気象台のみであります。

★気象観測データは、同じ場所で、同じ測器具で、同じ観測方法で、観測場所周辺の環境を一定に保って、何十年、何百年と積み重ねてこそ、精度の高い信頼性のある観測データが得られるのに、気象庁のやっていることは自然科学の在るべき姿ではありません。科学者としての技術官僚の矜持というものはないのだろうか? と疑問を感じます。早い話が、旧洲本測候所は無人になったがゆえに観測場所(露場・ろじょう)は管理手薄で草ぼうぼうになりがちです。周囲の樹木も伸び放題です。露場そのものや周囲の状態が変化したら気温とか日照時間とかに大きな影響がでます。職員が常駐して細やかな管理をしていた時代の観測データと、無人になり管理手薄になってからの観測データには、もはや連続性が失われたといっても過言ではありません…。

★各県に数ヵ所づつ存在した有人の測候所が無人の特別地域気象観測所に格下げになったので、サクラの開花観測は各県に1つづつの地方気象台等だけになってしまいました。で、観測網のメッシュが粗くなっています。粗い観測網ではサクラ前線の北上分布図を作成したところで、以前の図と同列には厳密には見ることが出来ない筈です。子細に見ていけば気象庁のやっている観測は、その方法等がコロコロと変わっています。気象観測統計データの信頼性が揺らいでいます。観測を軽視していると言っても過言ではありません。

3月31日の状態
↑南あわじ市灘城方にある私的標本木です。20年前から経年的にこの木の開花状態を観察しています。過去4月に開花がずれ込んだことがありませんが、今年は4月にずれ込むことが確定的になりました。

開花直前になっている
↑蕾が大きく膨らんでいるので、開花直前になっていると思われます。4月1日が暖かい陽気であったならば一挙に開花しそうです。しかし500hPa高層天気図で-42度の寒気が日本海北緯40度線まで南下しています。この時期としては強烈な寒波であります。南あわじ市アメダス南淡で4月1日午前2時22分に、気温が0.8度まで下がっています。明け方にはまさかの4月の氷点下か? 4月1日は日中でも10度ぐらいの寒い1日になりそうです。サクラの開花はおあづけで、4月2日ではなかろうか?

【4月2日追記】
本日4月2日午前10時に「私的標本木」に10輪の花が観察できて、開花の基準を満たしました。それにしても、今年のサクラの開花は遅れました。ここ数年前からサクラのみならず多種の生物季節の遅れが目立ってきました。「地球寒冷化」を予兆しているかも? 南あわじ市灘、阿万、賀集あたりの山をウオッチしていて、3月26日にヤマザクラの開花した個体を見つけました。本日4月2日になると山々の裾野あたりで点々とヤマザクラの開花が一斉に始まりました。ヤマザクラも例年よりも10日は遅れています。

【4月9日に追記】
本日4月9日午前10時の観察で、80%の花が開いたので満開の基準を満たしました。
002_convert_20120409174523[1]

4月9日に満開

各地の地方気象台等のサクラの開花状況
(次々に追加記入します)
3月21日に開花  高知
3月24日に開花  静岡・宮崎
3月25日に開花  熊本
3月26日に開花  鹿児島・長崎
3月27日に開花  大分・福岡
3月28日に開花  佐賀
3月30日に開花  下関・松山・和歌山・名古屋・岐阜
3月31日に開花  東京
4月01日に開花  徳島・甲府
4月02日に開花  高松・広島・神戸・大阪・横浜・銚子
4月02日に開花  南あわじ市灘城方の私的標本木
4月03日に開花  岡山・奈良・京都・鳥取
4月04日に開花  津・熊谷
4月06日に開花  松江・水戸
4月08日に開花  彦根・前橋・宇都宮
4月09日に開花  舞鶴
4月10日に開花  金沢・福井
4月12日に開花  富山
4月16日に開花  新潟・福島
4月18日に開花  長野・仙台
  

満開日の分布
(地点名の後ろの数字は開花から満開までの日数です)
3月27日に満開  高知6
4月01日に満開  静岡8・福岡5
4月02日に満開  熊本8・長崎7
4月03日に満開  宮崎10・大分7・佐賀6
4月04日に満開  松山5・和歌山5
4月05日に満開  鹿児島10・徳島4・
4月06日に満開  高松4・下関7・名古屋7・岐阜7・東京6
4月07日に満開  甲府6
4月08日に満開  津4
4月09日に満開  南あわじ市灘城方の私的標本木(7)
4月09日に満開  岡山6・広島7・神戸7・大阪7・奈良6・京都6
         横浜7
4月10日に満開  鳥取7・松江4・熊谷6
4月11日に満開  銚子9
4月12日に満開  舞鶴3・彦根4・水戸6・宇都宮4・前橋4
4月13日に満開  金沢3・福井3
4月16日に満開  富山4
4月20日に満開  新潟4・福島4

山伏とは、ある一面では「金属鉱脈の探鉱者」だったのか?      ――異端の歴史学――
●先の日曜日、3月25日に諭鶴羽山山頂直下に鎮座する諭鶴羽神社境内において「採燈大護摩供法要」が古式にのっとり盛大に修せられました。熊野修験の行者をはじめ、四国や関東などかなり広域から大勢の山伏たちが参集していました。この山伏集団を統率していたのは立石光正行者であられました。いい護摩ネットを運営され修験道の実践と、その哲学の普及に尽力されています。立石光正氏は修行の場として『山修山学林』という道場を開設され、氏のサイトで次のように言っています。

『山修山学林』は、立石光正行者が自らの生き様や信念に照らし、理論を実践する場として、また自然を再認識したい、自然と親しみたい、自然の中で自分を見直したい、自然の声を聞きたいと言った現代人の要求に応える形で、修験道にこだわらず、自然と触れ合いたい人や自己啓発に関心を持つ人達一般にも開放し、修験道の枠に嵌らない自然道の修行の場としてあります。

●この主張には、ナチュラリストや自然科学系の人たちがやっている「自然観察」や「自然の調査」などとも相通じるものが、その活動の基礎にあって、おおいに賛同し共鳴いたします。氏は自然保護や環境問題にも取り組まれているそうですが、護摩法要が終わって氏が挨拶された内容にも、「この国の上には大いなる不安が覆っている。なんとかしなければならない」と暗に原発問題にも触れられていました。
Wikipedia 「山伏」に掲げられている写真 で右側の方が立石光正氏です。見た感じは、不屈の精神力を持っていて、ラテン系かと思うほど明るい人です。統率力があり、ちょっとカリスマ性がありそうだ、という印象がしました。なかなか魅力的な行者さんです。

●さて、このたび見学した行事に関連する話題として、そもそも「山伏」という人々の正体はいかなるものか? について少し考えてみます。わたくしの好きな学説に、「山伏は鉱山技術者たちだ」という説があります。この説を唱える者は何人かいるようですが、代表的な「書物」を2点挙げましょう。
真弓常忠『古代の鉄と神々』 学生社、1985年
山田 治『黄金秘説 山伏は鉱山の技術者』批評社、1997年

ま、これらは異端の歴史学という傾向が強く、あまり評判がいいものではないようであります。しかし、山伏 = 探鉱者、という解釈は、理科系の鉱山関係者などの間ではかなり人気のある説みたいです。

山伏は山岳修行のかたわら探鉱をしていた
というのはそれなりにあり得そうです。まず、国内の名だたる修験道の山岳にはその付近に沢山の鉱山があったというのは紛れもない話であります。修験道の開祖とされる 役 小角(えん の おづの)  が開いた 金峯山寺(きんぷせんじ) は大峰山系の入り口に位置していて、周辺には昔銅山があったようですし、有名な「大和水銀」の鉱山が近くにあったのはよく知られています。水銀(硫化水銀)は顔料の「朱」の材料であり、古墳の壁画であるとか寺院の装飾用に古代には重要な物質であったというのも知られています。金峯山寺のご本尊は「金剛蔵王権現・こんごうざおうごんげん」と言われていますが、民俗学者の五来重氏の説では、“金・銀・銅など地中に埋蔵している金属資源を支配する神” であります。もしこの五来説が当たっているならば、ご祭神そのものが修験道が金属鉱脈探査の宗教であることを示す傍証となりましょう…。

★歴史上、時の朝廷や幕府は、金・銀・銅その他の金属資源の開発に力を入れましたが、その鉱山というのは人の定住圏の沖積平野であるとか隣接する洪積台地などには少なく、そもそも山にあることが多いです。鉱床と鉱山 -日本の鉱山ー という広島大学の地球資源論研究室のサイトを参考にさせていただきますと、鉱山の分布図もあり、ほんとうに鉱山というのは「山」にあると言えそうです。で、古代でも中世でも近世でも為政者が「鉱山を開発せよ」と命じたら、天狗のように山を自在に跋渉する修験道の山伏たちが探鉱の役を担ったのではないか? という推論が出てくるのは自然な見方であります。

★現代の科学的な探鉱技術がなかった古い時代には、鉱床鉱脈を発見するには山中を歩きまわって「露頭」を丹念に観察して行くほか方法がなかったハズです。深山幽谷から断崖絶壁どんな険しいところでも踏破できる登山技術をもった人々というのは、山伏しかいなかったのです。なにせ、彼らは氷食尖峰の険しい剣岳(2999m)を奈良時代に登攀! しているのです。彼ら山伏たちが厳しい修行をするのは険しい山を自在に跋渉するための「体力・気力づくり」と解することができます。鉱脈探査は労多くして益少なしというか、入山しても空振りが多かったハズで、とにかくあっちの尾根こっちの谷と足で数をかせぐしかありません。多く歩けば歩くほど鉱脈を発見する確率は高まるというものです。そのための体力づくりです。また何日も山中を歩きまわっても、めぼしいものが何も発見できないことのほうが多かったでしょう。気分が滅入ってきて「こんなアホらしいことは止めだ」と崩れかかる自己を建て直すためにも、修行で “気力づくり” なのです。

★さて、大峯山の山伏衣装 は独特なものですが、僧侶の着る法衣ではなく、これはまさに登山服でありますね。そして、真弓常忠は、修験道とは「呪術によって霊能力を呼び寄せ、霊能力で金属鉱脈を探査発見する技術者たちの宗教」との意味を言っています。そういう目でみると、金剛杖(こんごうづえ)や錫杖(しゃくじょう)などの法具は今風に申せば「金属探知機」ではなかろうか?? つまり、金剛杖で地面をたたき、錫杖を振り鳴らして呪術的に地下資源の有無を占うのです。それから、法螺貝(ほらがい)というのは連絡用の笛(ホイッスル)であります。魔よけとか獣よけの意味もありそうな気がしますが、今風に言えば連絡用の「無線機」です。山中を大勢でぞろぞろ行くよりも、何班かに分かれて鉱脈を探査したほうが良いわけで、山中で離れ離れの仲間にホラ貝を吹いて連絡するわけです。何通りかの吹きかたを決めておいて、鉱脈発見の音色はこれだとか、集合せよというのはこの吹きかたとか…。(モールス信号とか手旗信号みたいなものです)

「山伏は鉱脈探鉱者集団」とか「修験道は鉱山技術者の宗教」などの説の弱点は、あまり実証的ではないということであります。傍証はあっても直接的証拠があまりないのが弱点です。ま、真弓にしても「そう思う」というレベルの説です。(むかし真弓には叱られたので呼び捨てです、けれども真弓の説にはとても面白いところがあります)全国各地の金・銀・銅の鉱山の歴史とか発見の経緯をしらべてみても、“朝廷の命により捜したところ山師の○○が鉱脈を発見した” とか、“武将の○○がその鉱山を開発した” などのハナシは沢山でてくるのですが、修験道の山伏の○○が発見したとかのハナシはほとんど出てきません。これが大きな弱点なのです。

しかしながら、それは仏閣とか城が○○の命により建立されたと歴史に記録されても、その建築にたずさわった大工さんとか建築技術者の名前が歴史にほとんど残らないのと、同じようなものなのではなかろうか?? (為政者とか権力者の名前のみが歴史に残る、ただの庶民の名はよほどのことがない限り歴史に残らない…)

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