雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
201202<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201204
イザナギなのか? イザナキなのか? 重箱の隅をつつく。
【まえがき】本エントリーは重箱の隅をつつくような内容でありますし、一般向けの記事ではありませんから読まないほうがよろしい。

●一昨日に諭鶴羽神社で古式ゆかしく盛大に修せられた「採燈大護摩供法要・さいとうだいごまくほうよう」という修験道の祭儀を見学いたしました。その折に、私がイザナギと言ったところ小うるさいオッサンに噛みつかれました。「お前はイザナギと言ったが、それは誤りである。イザナキと言うのが正しいのだ」というのです。私は相手にしませんでしたが一言だけ「イザナギもイザナキもどちらもありますよ」とだけ反論しました。

●申すまでもなく、「イザナギのみこと」と「イザナミのみこと」は国生み神話に出てくる神々の御名であります。この2柱の神は夫婦でありまして、イザナギがご主人さんでありイザナミはその嫁さんであります。ご主人の身体には生成して生成し余ったところがあり、その嫁さんの身体には生成して生成し足りないところがありました。そしてその足りない所に余ったところを差し塞いで……、と『古事記』にエロ本まがいのことが書かれていることはよく知られています。

「イザナギのみこと」の名が最初に登場する典籍は申すまでもなく和銅5年(712年)に編纂された『古事記』であります。ほぼ同時期に編纂された『日本書紀』にも出てきます。『古事記』も『日本書紀』もカタカナや平仮名が出来る前の典籍ですから、原文は漢字だけで書かれています。また、昔は書物というのは印刷されるものではなく手書きで書かれ、その複製は書き写す「写本」しかありません。古い時代の多くの古典がそうであるように『古事記』も『日本書紀』も本当の原本は残っておりません。現代まで伝わるのは「写本」であります。一般的に言って「写本」と「原本」には異同があります。手で書き写すのですから、どうしても写し間違いがでますし、意図的な改竄もおこなわれます。“ここのくだりが気に入らないとか” “ここの記述は間違っているぞ” などの理由で書き写す人が勝手に書き変えてしまうのです。それで複数の写本が現存する場合には写本ごとに、少しづつ違うのが普通です。

まず真の原本が存在していないことを認識しておく必要があります。しかし、現存する写本のなかで一番原本に近いと思われるものを「底本」として、たくさんある「異本」と突き合わせて校合して原本を復元してゆきます。「イザナギ」なのか? 「イザナキ」なのか? の問題でありますが、本来であるならばそこから調べないといけないわけです。これは原本にどのような漢字で書かれていて、その漢字をどのように読んだのかという問題なのであります。しかしながら、国文学者でない者が写本の校訂から始めるのはそう簡単ではありませんから、校訂済みの本文テキストとして世の中に出回っているものを見たいとおもいます。

●まづ、『日本書紀』の方ですが、イザナギをどう表記しているか?「吉川弘文館 國史大系 『日本書紀 前篇』昭和52年」から引用コピーします。「伊弉諾」と表記されています。
img126_convert_20120327005346[1]

●次に、『古事記』のほうですが、「岩波書店 日本古典文学大系 『古事記 祝詞』昭和33年」から引用コピーします。「伊邪那岐」と表記されています。コピーしたページでは、3行目、10行目、12行目に出ています。
img127_convert_20120327005847[1]

●『古事記』ではイザナギを「伊邪那岐」と表記することが多いのですが、それだけではなく「伊邪那伎」という表記も出てきます。一番最終の行をよく見て下さい。
img128_convert_20120327005534[1]

イザナギを、『日本書紀』では「伊弉諾」と書き表し、『古事記』では「伊邪那 」と書き、しばしば「伊邪那 」とも書いています。

●次にする作業としては、古事記や日本書紀について研究したたくさんの「注釈書」を見なければなりません。過去に膨大な研究が積み上がっているので、まずそれを見てから、そののちに自分なりの考察をするべきなのです。文献を集めて目を通しておくということを怠ってものを言うと(ものを書くと)恥をかくのです。(どんな分野についてもそうでしょうが)しかしこれは大変なことです。大きな図書館や利用可能な大学図書館めぐりをしないといけませんから、田舎在住者にとっては本当に大変なことであります。

しかたがないから、本居宣長の岩波文庫の『古事記伝』のみ見ます。(というか、これを見ただけでほぼ解決します)本居宣長は江戸時代の国学者四大人の一人で、古事記研究の頂点をなす人です。当時すでに誰にも読めなくなっていた古事記を解読した偉大な古典研究者です。本居宣長以降の古事記研究もほとんど全てが古事記伝をベースにして研究しています。雲の筏 さんが『古事記伝』の現代語訳に挑戦してブログに発表しています。どうやら理科系の方らしいのですが、よくぞここまで現代語訳をなされたと感心しました。それで引用させていただきます。そういえば本居宣長も本業は医者で、今風に言えば理科系の学者だ。

【引用開始】
キ <伎>、<紀>、<貴>、<幾>、<吉>、[清濁両用]<岐>、[濁音]<藝>、<疑>、<棄>
 このうち、伎と岐の字の使い分けには疑わしい点がある。上巻の初めの方では、清音には伎を用い、濁音には岐を用いて清濁の区別があるのに、その後は清濁ともに岐を用いていて、伎は上巻八千矛神の御歌に「伎許志弖(きこして)」、また「那伎」【鳴き。】、中巻白檮原の宮(神武天皇)の段で、「伊須々岐伎(いすすぎき)」、軽嶋の宮の段で、「迦豆伎(かづき)」、下巻高津宮の段で「伊波迦伎加泥弖(いわかきかねて)」、朝倉宮の段に「由々斯伎(ゆゆしき)」、以上の用例だけである。そもそも記において、一つの仮字を清濁兼用した例はないことを考えると、本来清音のところはすべて「伎」だったのを、形が似ているので、後の人が「岐」と誤って写したのではないだろうか。【また伊邪那岐命の字を伎としたところもある。これもまた取り違えである。】しかし今のところ真偽は分からないので、しばらく「岐」は清濁両用としておく。貴は神の名「阿遅志貴」だけだ。【歌にもこの字を使っている。】幾の字は、河内の地名、志貴のみである。吉の字は、国の名の吉備、姓の吉師の二例だけである。疑の字は、上巻に「佐疑理」【霧のこと。】、中巻に「泥疑(ねぎ)」【三度出ている。】、「須疑」【「過ぎ」で、三箇所ある。】棄の字は、上巻に「奴棄宇弖(ぬぎうて)」とあるのみである。【同じ部分でもう一度同じ言葉が出てくるが、それは「奴岐」と書いてある。】
【引用終了】

本居宣長の主張は次の通りです。
★「伎」というのは「き」と清音で訓む。
★「岐」というのは「き」とも「ぎ」とも、清音でも濁音でも混乱して
 使われているが、「岐」は、「伎」と書くべきところ「岐」と書き誤
 った可能性がある。
★したがって「伊邪那岐」は「伊邪那伎」の写し間違いかもしれない。
 で、「岐」とあるのは「ぎ」と訓むのではな「き」と読むべきである
 が、本当はどうなのか分からない。

たしかに「岐」と「伎」の使い分けが混乱しているきらいがあります。本居宣長のその後は、イザナキと訓むほうが多いように思いますが、両方の説があるみたいです。しかし世の中ではイザナギが定着してしまったように見えます。そのあたりの事情はよく資料にあたらないと分からないのですが、わたくし的にはどちらでもいい。そんな細かなことは、どうでもいいです。イザナギが正しいと思うのならばそう言えばいいし、イザナキが正しいと信ずるならばそう言えばいいのです。ほんとうのところは、タイムマシンで712年に行って、『古事記』を編纂し終えた太 安万侶(おおのやすまろ)に「どちらが正しいのですか?」と聞くのが一番よろしいのです。

スポンサーサイト
グリーン・ジャパンの凋落! ソーラーパネルでの経済成長は幻想だ。現実を直視しなさい。
●わたくしは、“現在技術での太陽光発電パネル” の存在意義については極めて懐疑的であります。それはエネルギー密度の希薄な太陽放射を捉えて濃縮するためには、過大なる発電施設が必要なことから考えて、本当に「energy profit ratio」が1以上あるのだろうか? と疑っているからであります。さらに加えて、ソーラーパネルで生産した電力がきわめて不安定なもので、社会の電力需要の変化に即応しての出力可変性がなく、そのままでは全く使い物にならないからです。ゆえに、バックアップする出力調節可能な火力発電を削減することができないなど、欠陥発電だ!とレッテルを張っても過言ではないことから、懐疑的・否定的であります…。もし太陽光発電電力をそのまま使用しようとするならば、不安定電力を安定電力に変換するための「揚水発電所」や「蓄電池」の追加の施設や機材の投入が避けられず、そうなれば絶望的にEPRが低下、こんなのやる意味があるのか? 研究者たちや事業者たちが既得権益を死守するためのみにやっているのではないのか? と思うのであります。

●さて、今回のエントリーでは角度を変え視点を変えて、太陽光パネルの懐疑的見方は一旦横に置いておきます。太陽光パネルが意義のあるものと仮定して、それが日本の産業の振興・発展に寄与し、太陽光発電の推進が景気対策になるのか? という視点で考えてみます。“穴を掘って埋める” というのは全く意味のない工事ではありますが、それをすれば雇用にもつながり景気対策になるという見方も可能です。毎年、年度末になるとお役所が予算を消化するために、道路の舗装をはがしてまた舗装するという工事がよく行われます。よく観察すると別に道路が傷んでいるわけじゃないのに何故するのだろうか? ということが行われます。それは穴を掘ってまた埋めるのと等価でありますが、景気対策になるといえば確かにその一面はありましょう…。

で、たいして発電ができず、火力発電の削減にもならず、やがては屋根の上の粗大ゴミになるやっかいものの太陽光パネルですが、“穴を掘って埋めるのも景気対策になるのと同様に、ムダな太陽光発電の推進も景気対策になるのだ” というこの命題は真なのか? 偽なのか? 

●資料に当たって考察しましたところ、太陽光発電の推進は日本にとって産業の発展にも景気対策にもならないことが分かりました。むしろ、雇用は減り、産業は空洞化し、貴重な国家財政が他国にかすめとられてしまいます。とくに中国に日本のお金が吸い取られるでしょう。庶民は太陽光発電パネルに可処分所得がごそっと盗られ、購買力が低下し、消費が冷え込んでこの国の景気はますます悪くなるでしょう…。

NEDO海外レポート 1011号 再生可能エネルギー特集(2): 太陽、地熱(平成19年11月14日)
NEDO海外レポート 1044号 再生可能エネルギー特集(2)(平成21年5月20日)
NEDO:NEDO海外レポート 1065号(平成22年8月11日)
上記のリンクは、経済産業省の所轄の独立行政法人の「新エネルギー・産業技術総合開発機構」の発表しているレポートです。その中にフランスの「再生可能エネルギー研究所」が出した『太陽光発電・バロメータ2007年(EU)』『太陽光発電・バロメータ2009年(EU)』『太陽光発電・バロメータ2010(EU)』という資料の翻訳が掲載されています。これを読めば太陽光発電に関する世界の動向がよく分かります。これをよく読みこんで、重要なるところを抜粋し、表を作ってみました。

太陽電池製造会社の世界10傑
↑太陽電池の生産量での世界10傑の会社のランクであります。上のものが2006年のランクです。下のものが2009年のものです。日本の会社を緑色で、中国(台湾を含む)の会社を赤色でしめしました。こうすると一目瞭然であります。
日本の会社の凋落が鮮明です。いっぽう中国の会社の大躍進が顕著です。
グリーン・ジャパン!などと阿呆なことを言っているあいだに世界で起こっていることは、日本の太陽光発電パネル製造メーカーの地盤沈下であります。たった3年で世界のソーラーパネル製造の勢力分布はガラリと様変わりなのです。2009年にトップにランクされた米国のFirst Solar社は生産の7割をマレーシアでしているそうです。つまり太陽光発電パネルの世界生産の76%をアジアで生産しています。日本のシェアは12.5%です。太陽光発電パネルの製造は世界で幾何級数的に拡大していますが、拡大するのはアジアの中進国であって、日本のシェアは坂道を転げるように落ち続けています。現在では中国のSuntech Power社が世界トップに躍り出ている模様です。

(AFPBB News)『手作業で世界一に、ソーラーパネル最大手のサンテックパワー 中国』 2012年03月15日
【引用開始】
ソーラーパネル世界最大手のサンテックパワー(Suntech Power Holdings)が生産拠点を置く中国東部の江蘇(Jiangsu)省無錫(Wuxi)は人件費が極めて安い。そのため、省力化のために設計された機械は放置され、労働者が手作業で生産を行っている。安い人件費と約1万4000人が働く大量生産ラインのおかげで、サンテックパワーはたった10年で世界最大手のソーラーパネルメーカーに成長した。
サンテックパワーの24時間稼働の工場で働く従業員たちは、手作業でソーラーセルをプラスチックとガラスで挟んでソーラーパネルを作っている。基本給は1か月に1500~1800元(約2万~2万4000円)ほど。豊富な労働力を利用できたことで生産コストが下がり、製品価格も安くなった。太陽電池の原材料となるシリコン価格の暴落もさらなるコスト削減に寄与した。
【引用終了】

●太陽光発電パネル製造で中国企業の大躍進の大きな要因のひとつに、安い労働力があるとの報道であります。このことが意味することは、手作業でする作業工程もあり、パネル製造は既に最先端の技術ではないということでありましょう。DRAM(ディーラム)にしても、液晶にしても、太陽電池にしても、既に先端技術ではなくアジアの中進国や途上国で作れるのですから日本国内で無理して作っていると競争に敗れる、ということが鮮明に浮かび上がっています。日本の比較優位はハッキリと崩れているということであります。どうやら産業の空洞化や海外移転は必然だということであります。

●このような現状認識を踏まえて考察すると、政府が補助金を流し込み、グリーン電力の高値買い取りを政策的に強引にすすめても、屋根の上に載る太陽光パネルはやがて中国製であったりマレーシア製であったりするでしょう。値段の高い日本製は敬遠されて売れなくなるでしょう。屋根にパネルを乗せる個人でも、メガソーラー発電事業に取り組む企業でも、損得とか商売という見地から選択するならば、性能は若干悪くても値段のかなり安いアジア製のパネルを選ぶでしょう…。
そういう風になる可能性が極めて高いです。そうしますと結局のところグリーンジャパン!などと阿呆なことを言って流し込んだ「税金」や「高い電気代」が中国や東南アジアに流れていることになります。明らかな国富の流出です。つまりグリーンジャパンなど阿呆なことを言う人たちは「売国奴」なのですよ。

日本のお家芸と信じられてきた太陽光発電パネル製造ですが、明白に曲がり角にさしかかっています。急速に利益が出なくなっています。日本の2大強の「シャープ」と「京セラ」の決算書類をチェックしてみました。京セラは情報公開が不十分で正確な所は判明しませんが、シャープはセグメント別の(部門別の)詳細な情報を開示しています。
平成24年3月期 第3四半期決算短信〔日本基準〕(連結)

シャープの部門別の売上高・営業利益の明細の数字を抜粋しました。平成24年3月期の決算はまだ終了していませんので、23年4月~23年12月の9か月の数字で、平成22年3月期、平成23年3月期も9か月の数字です。△は赤字であります。平成24年3月期は赤字転落となりました。安い中国製のソーラーパネルに押されて、シャープ製の高いパネルは売上を急速に減らして利益が出なくなりました。

     平成22年3月期  平成23年3月期  平成24年3月期
売上高   1440.42億円  2035.38億円  1594.74億円
営業利益   30.34億円   44.03億円  △147.58億円

グリーンジャパンは赤字だあぁぁぁ!
3月21日に高知市でサクラ開花宣言なるも、淡路島は4月にずれ込むか?
本日は3月22日であります。

昨日、四国の高知地方気象台がサクラの開花を発表しました。
NHK Webニュースより「高知 全国で最も早くサクラ開花」

ウェザーマップ社の「さくら開花予想 2012」 では全国で最も早いサクラの開花は、3月25日の高知市であると予想していましたが、4日外れました。で、ウェザーマップ社の代表取締役で気象予報士の森田正光さんがご自身のブログ チーム森田の“天気で斬る” で、外れたあぁあ、と完敗宣言を出しました…。沖縄地方は別格としても、いよいよ本土にサクラ前線が上陸いたしましたが、この冬は寒かったのでサクラ前線の北上は遅れましょう。淡路島南あわじ市ではサクラがいつ咲くのか? は恐らく4月にずれこむのではなかろうか? 旧洲本測候所は廃止されて、無人の「特別地域気象観測所」に格下げされていますので、淡路島地方での正式なる生物季節の観測は途絶えてしまっています。まことに残念であります。で、私的標本木を自分で観察するしかないのですが、南あわじ市灘にある「私的標本木」の蕾はまだ固く、4月5日ぐらいではないか? と思います。

ハチジョウキブシ

ハチジョウキブシ
↑キブシ科のハチジョウキブシの花です。サクラの開花はまだ10日ぐらい先になりそうですが、淡路島に春を告げる花の「ハチジョウキブシ」がぼちぼちと開花が始まりました。例年ならば2月下旬ごろには咲いていますので、これも相当に開花が遅れました。

本種は3m~4mぐらいになる低木ですが雌雄異株で、写真のものは雌株です。小さな花をルーペで観察しないと、オス木なのかメス木なのか見ただけではほとんど見分けがつきません。基本種のキブシは淡路島には無く、淡路島にあるのは花穂が一回り長くて大きく、樹勢もやや大ぶりなハチジョウキブシばかりである、ということになっています。「…ということになっている」などと歯切れが悪いのですが、キブシは地域変異が大きく変種とされるものがいくつもあるようです。その違いといっても微妙な違いで、変種とされる典型的な個体は基本種と葉や果実が区別できても、中間型というか移行型というものが必ず出てくるので、分類学者でない者にはよく分からないということであります……。

●さて、話題がサクラに戻るのですが、高知地方気象台がサクラの開花宣言をしましたが、各地の気温データを調べてみると、本土で最早開花の高知が最も冬の気温が高かったわけではない…、というのが面白いところです。暖かければ早く咲くというのでもないのが、面白いというか、難しいところです。 気象庁の観測統計 から抜粋して、各地の1月上旬~3月中旬の8旬間の気温を表にしてみました。

各地の気温

★本土で最も早くサクラが咲いた高知市の気温が、一番高いわけでは全くありません。高知市よりも鹿児島市のほうがハッキリと気温がたかいです。表にしめした8旬の平均では、最高気温は鹿児島は14.0℃で、高知市よりも1.5℃も高いです。そして、鹿児島市の最低気温の平均は6.2℃で、高知市よりも2.8℃も高いです。鹿児島地方気象台がサクラの開花をいつ発表するか分かりませんが、高知市よりも数日遅れそうです。高知市よりも九州南部の方が明白に気温は高いのですが、サクラの開花は気温の高い順番というわけではなさそうです。

★その理由として一番考えられるのは、よく知られているように「休眠打破の遅れ」であろうかと思います。サクラを始め落葉樹は夏ごろに花芽が形成される種が多いのですが、花芽形成後はいったん「休眠」に入ります。そして冬に一定の寒さに遭うことによって “休眠が解けて” 花芽の生長が始まると言われています。冬があまり寒くない地方であるとか暖冬でポカポカの年には、この休眠打破がうまくいかずに花の生長の調子が狂ってしまうのが、鹿児島市が高知市よりも開花が遅れる最大の要因なのでは?

表の数字をよく見ると、高知市の1月上旬~2月中旬の最低気温は徳島市よりもむしろ低くなっています。朝晩はしっかりと冷えたので高知市のサクラは休眠打破が順調よく進み、その後の気温が高いので急速に蕾が膨らんだのではないか? という推論ができそうな感じです。

そういえば、沖縄のサクラは「ソメイヨシノ」ではなく「ヒカンサクラ」でありますが、長細い沖縄本島の北部から咲き始め南の方に開花が進んでいくようですし、また山の頂上から麓にむかって開花が進むというのも知られています。(本土のサクラ前線の進行方向とは正反対です、寒さに当たらないと咲かない)
沖縄桜開花情報2012 沖縄のサクラ前線は南下していく
橋下徹氏のパフォーマンスに、勝算はあるのか?
【まえがき】本エントリーでは橋下徹氏のパフォーマンスを批判していますが、私は日本は原発を止めるべきだという考えでございます。橋下氏を批判したからといって原発容認・推進派ではまったくありません。橋下氏は、何の実効性もないパーフォーマンスばかりやっていないで、原発を止めさせる実効性のある戦略を真剣に考えよという趣旨でございます。

●また橋下徹氏のパフォーマンスが大々的に報道されています。またかと、ちょっとうんざりですが、橋下氏の挑戦に勝算があるのか? について簡単に考えてみます。
日本経済新聞 Web版 2012年3月20日付 『橋下市長「原発と距離、国民の認識」株主提案巡り』

【引用開始】
 関西電力の筆頭株主である大阪市の橋下徹市長は19日、市と大阪府が共同で関電に全原発の廃止を求める株主提案の骨子をまとめたことを受け、「原発から距離を置こうというのは大阪市民だけでなく全国民の認識だ」と述べた。京都市や神戸市などほかの株主にも提案への賛同を求めていく考え。市役所で記者団に語った。
 18日にまとめた提案の骨子では、新型火力発電所の新増設により原発の代替電源を短期的に確保するなどとしている。橋下市長は19日、株主提案について「戦略や計画なく原発ゼロを訴えるのではなく、原発をゼロにするための工程も考えた提案にする」と強調した。
 大阪、京都、神戸の3市を合わせた関電株の保有比率は12%強。6月の株主総会で関電の事業内容などを変更するための定款変更には株主の3分の2以上の賛同が必要で、可決に向けたハードルは高い。橋下市長は「自治体は背後に有権者が控えており、単純な株主として扱うべきではない」と関電側をけん制した。
【引用終了】

●山のキノコの予想では、橋下徹氏は大阪市の株主提案権を行使して、原発事業から足を洗うことを目的とする関西電力の定款改正案を提出するでしょうが、6月29日頃に行われるであろう関西電力の定時株主総会で、反対多数で粛々と否決されるであろうと、予想します。橋下徹氏の声明は単なるパフォーマンスであります。本気さとか絶対にやるぞという真剣さとかが感じられないのです。

このような話は、最後は激しい委任状の争奪戦です。そもそも関西電力は原発を続けたい意向であり、国の意思も原発温存です。彼らに原発を止めるハラは全くありません。で、会社側も必死で防戦してきます。会社側は総力をあげて委任状の返信ハガキを1枚でも多く押さえる為に、最低単位の500株所有の泡沫個人株主にまで電話をしてくるでしょう。株主総会通知に同封してくる「返信ハガキ」の「橋下提案議題」に × を入れて返信してくれと電話攻勢が繰り広げられるでしょう…。

普通は、こういうハナシは、大株主はたいてい会社側に付くものです。関西電力はじきに大株主を味方につけてしまいます。約33万人いる個人株主が38.75%の株式を持っていますが、32418人いる関西電力の正社員が1人10人の個人株主に電話すれば個人株主も制圧できます。で、70%~80%の圧倒的多数で橋下提案は否決、というのが関の山でありましょう…。(とても残念ですが)そんなものなんですよ。ま、この勝負は橋下の負けです。賭けをしてもいいです。もし外れたら、頭をそり上げてツルツルの頭の写真をこのブログにさらしましょう。

●橋下徹氏の勘違いしている点は、大小の投資家たちの心理や習性を完全に読み誤っていることです。
「自治体は背後に有権者が控えており、単純な株主として扱うべきではない」などと間の抜けたことを言っているので分かります。そもそも株主総会の議案の可否を決するのに、有権者など全く関係がありません。世論が原発反対80%であろうと90%であろうと、全く関係がありません。弁護士資格を持つ橋下氏自身が一番よく分かっているハズですが、会社法で規定しているのは株主総会で議決出来るのは株主だけであります。かりに関西電力の株主総会の当日に原発反対の人々が100万人抗議のデモをしたところで、議決にはなんの影響も及ぼさないのです。

何故かというと、投資家というのは強欲で残酷で自己中心的な人たちです。株を大底で買えたと喜ぶ投資家の陰には、大底で投げ売りして泣いている投資家の存在があります。また、株を大天井で売り抜けたと喜ぶ投資家の陰には、大天井を掴んで青くなっている投資家の存在があります。このように投資家とは他人の不幸をわが身の幸せと喜ぶ冷酷無慈悲な人たちなのです。原発事故で大勢の人が財産や故郷を失っても平気な人たちで、金儲けになればいいのです。投資家の関心事というと「株価が上がること」と「配当金が増えること」しかありません。彼らは誰よりも欲が深いので、株を買って(その会社に出資して)株主になっているのです。このことは法人株主であろうと個人株主であろうと基本的な欲深さは同じなのです。株主たちの判断基準はただ一つ、そのハナシが自分にとって金銭的に得なのか? 損なのか? であります。それと、そもそも株式会社というものは、それ自体が本質的に金儲けを目的としています。慈善事業ではありません。世のため、お客様のため、○○の事業を通して社会に貢献するなどと標榜する会社は多いのですが、それは単なる表面の建前にすぎません。本音は金儲けです。ですが、むしろ株主の方が強欲です。会社が赤字を出そうものなら大変です。株主総会で役員が吊るし上げをくらいます。

●橋下徹氏の主張する「原発を止めよ」というのは、「関西電力は赤字を出しましょう」と言っているわけです。そんな主張を法人株主も個人株主も受け入れるハズがありません。たとえば “その会社の経営が悪くて利益が出ていないのは経営陣が悪いのだ、役員の入れ替えを要求する!” というような主張ならば多くの株主の賛同が集まります。これは会社が利益を出すようにしなさいという提案なのです。橋下氏が主張しているのは逆です。残念ながら、電力会社の株主たちも「原子力村」の “準村民” みたいなものです…。「株主」と「会社の経営陣」とは対立するものではけっしてなく、利益を山分けし合う「運命共同体」なのです。強欲な株主という人種は、われわれ普通の国民とはかなり違う人たちだということを、橋下徹氏は見落としています…。

原発を止めたら大赤字だあぁぁぁ!
なぜそうなるのかは、火力発電の燃料費が高くつくからだ、と説明されていますが、それは間違いです。全く説明になっていません。原油や石炭価格の上昇は否定しませんが、主たる要因ではありません。それは明白な誤魔化しです。それは 沖縄電力 の決算を見ればわかります。日本の10電力会社で原発のないのは沖縄電力だけです。沖縄電力の平成23年3月期の決算(23年4月~24年3月)はまだ出ていませんが、最新の決算予想では、連結決算で63億円の純利益の予想です。1株当たりの利益の予想は360円で、60円配当は据え置きの予想です。平成22年決算より21.7%減の利益予想ではありますが、原発事故後もちゃんと利益がでていますよ。原油・石炭価格上昇の中でも赤字転落では全くありません。
ほとんど火力発電のみの沖縄電力は、原発事故後もしっかり利益が出ているではないか! 火力発電の燃料費が高騰して赤字に転落したなどと、誤魔化しを言うな!
本州の9電力会社が4半期決算で軒並み赤字転落した本当の理由は、原発が次から次へと停止していっても、原発のコストは永久にかかり続けることにあると考えるべきです。原発を止めたところで、原発がなかった状態に戻るのでは全くありません。使用済みの燃料の保管や、将来の廃炉や、高レベル放射性廃棄物の管理に、永久にコストがかかり続ける…、のですよ。次の違いです。

沖縄電力 …… 「火力発電」のコストしかかからない。

本土の9電力 … 「火力発電」+「原発の後始末」の両方のコストが重
        くのしかかる。永久にのしかかるのです。原発を続け
        ても地獄、原発をやめても地獄なのです。

それにしても、この国はエライもんを54基も作ったものですな…。
すでに太陽光発電ムラが、できている!
今年は太陽に注目でありますが、太陽光発電はいただけない…
この世の中には実に沢山のムダがあります。国民が汗水たらして稼いだお金が原資であるところの税金が、そのムダな事業に湯水のように流し込まれています。経済合理性を全く無視して、その事業の収益性などまったくおかまいなしに、貴重な税金がムダな事業に食いつぶされています。お役人が手を出す事業は損ばかりしている、と武田邦彦先生も怒っています。
議員定数削減は何をもたらすか? …税金を減らすには(2012年3月15日記事)

【引用開始】
税金のムダ使いの筆頭は「官僚が経営の力がないのに、補助金をばらまいて損ばかりしている」ということだ。軍事・福祉や教育という分野はもともと収益を生まないから損ばかりしていても良いが、年金の運用、意味のない温暖化排出権購入、太陽電池補助金、大型工業団地、レジャーランドなどおよそ中央官庁が音頭をとったビジネスで成功したものはほとんどない。
【引用終了】

★武田邦彦先生は、官僚が経営能力もないのに補助金をばらまいて損ばかりしている、と厳しく批判されています。ムダ使いの例として、「意味のない温暖化排出権購入」や「太陽電池補助金」などを挙げています。全く同感です。武田邦彦氏は昨年5月までは「安全な原発ならば推進する」と原子力村に片足を残したまま発言していましたが、その後は完全に原子力村から足を洗ったようです。武田邦彦氏には胡散臭いところがまだ若干残っていて全面的に氏の主張に賛同するわけではありませんが、「太陽電池補助金」はムダなバラ撒きだ! との氏の主張には大いに賛同いたします。

★ムダは政府や経済産業省が政策的にやっているので、全国各地でムダが行われていています。太陽光発電に流し込む補助金にしても、「国の補助金」「県の補助金」「市の補助金」と3段構えです。ムダの3重行政です。府と市の二重行政を批判する橋下徹氏もビックリの3重行政!(どうしてもやりたいのならば、一元化してやればいいのに…)実際には4重行政!です。「グリーン電力の高値買い取り制度」が4つ目のムダです。おかみにカネがないから、「高値買い取り=高い電気代」で一般国民につけをまわしますが、これは事実上の「増税」です。電気代という「トンネル」を通してやる4番目のムダ行政なのです。
ここ兵庫県もたいがいムダをやっていて、例外ではありません。兵庫県のやっているムダを有権者・納税者の立場からチェックしてみます…。
兵庫県議会でおこなわれた「平成22年度決算特別委員会」第7日 平成23年10月14日で、副委員長の石井健一郎議員が、県がやっている太陽光発電について質問しました。それに対して環境政策課の川崎愼吾課長が次のように答弁しました。 兵庫県議会議事録 から引用します。

【引用開始】
県有施設の太陽光発電であるが、県が率先して再生可能エネルギーを普及啓発することで、県民、事業者の取り組みを促そうとする観点、加えて温室効果ガス排出量の削減に資するとの観点で、平成5年度から順次導入を進めて、10年度にスタートした環境率先行動計画でも、省エネ型照明改修等による施設の省エネ化と併せて太陽光発電の率先導入を位置づけ、推進してきた。
平成22年度末までの導入数であるが、92施設、定格容量で約3,400キロワットを整備している。これまでに要した経費は合計で約34億6,000万円、うち県負担額は約19億6,000万円、年間発電量は約310万キロワットアワーとなっており、これは本庁舎4ヵ月分の年間電力使用量に相当するものとなっている。
【引用終了】

●数字をチラと見ただけで全くダメですね。採算なんか絶対に採れない! ムダの骨頂です。県と国が出した34億6000万円の公金をドブに捨てたも同然です。官僚だけでなく兵庫県のお役人も全く経営能力がないのが歴然としています。こうゆう連中に行政をまかしておけば公金が次から次へとドブに捨てられ、その付けはわれわれ善良な納税者に重くのしかかってくるでしょう…。なぜダメなのかと申しますと、

施設利用率がたった10.4%だ
県は本庁舎や高校などの県の92施設に太陽光発電パネルを設置しました。定格容量は3400kWです。年間発電電力量は310万kWhということですから、この太陽光発電施設の稼働率は、
(310万kWh)÷(3400kW × 24時 × 365日)= 0.1040(10.4%)であります。実際に発電できるのは定格出力の10分の1であるということです。定格出力などという数字はなんの意味もありません。なぜ意味のない “絵にかいた餅” みたいな数字を吹聴するのか? 
この数字が別に低いわけではありません。太陽光発電パネルで1年間に発電できる電力量はふつう、“定格出力の千倍” だとよくいわれます。例えば3kWの太陽電池ならば3000kWhであるということです。(これは稼働率は11.4%)太陽光パネルの製造メーカーが公称している数字も13%とか14%です。県のものが特別に低い数字ではないけれども、全く話にならない数字であります。 まったく話にならないのは1kWh当たりのコストをみれば分かります。

1kWh当たりなんと65円!の高コストだ
県の太陽光発電施設で生産された1kWh当たりのコストを計算してみましょう。
兵庫県の環境政策課課長の答弁によると、3400kWの発電施設を設置するのに要した経費は、34億6000万円だと言っています。太陽光発電パネルの法定耐用年数は、17年です。財務省の 減価償却資産の耐用年数等に関する省令の中にある「別表第二 機械及び装置の耐用年数表」の369番の「前掲の機械及び装置以外のもの並びに前掲の区分によらないもの 主として金属製のもの 17年」が適用されています。
で、34億6000万円を仮に定額法で法定耐用年数17年で按分して毎年の減価償却費とすると、1年当たりの減価償却費は2億353万円であります。 
次に、年間発電電力量は310万kWhだと答弁していますから、先の2億353万円を310万kWhで割ると、1kWhあたりのコストが算出できます。(2億353万円)÷(310万kWh)= 65.65円!
これでは商売になりません。
大赤字だあぁぁぁ! ということなのであります。
経営的に、会計的に、最初から破綻していますよ。夕張市が遊園地みたいなものを作って破綻して問題になりましたが、国や県や市が税金を流し込んでやる「太陽光発電ビジネス」も夕張市の遊園地とたいしてかわりません。
毎年毎年、減価償却もままならず赤字をため込んでいって、17年後累積赤字が膨大になるでしょう。減価償却が終わってさあこれから発電してカネを稼ぐぞという段階になって、残念ながら、太陽電池パネルは故障です。ダメになりますよ。あとには「累積大赤字の山」と、どうしようもない「産業廃棄物の山」だけが残ります…。この島でも淡路市が太陽光発電事業をやろうとしています。行政がやるのはあまりにも愚かとしかいいようがありません。

●天下の悪法!「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)が既に2011年8月26日に成立しています。今年の4月から6月の間は23年度の買い取り価格(住宅用は1kWhあたり42円もしくは40円)を据え置くということになっていますが、7月以降どうなるのか? 補助金を流し込み、高値買い取りをしても根本的な問題はなにも解決できていません。
太陽光発電パネルが生産する発電電力量が少なすぎるのです。逆から見れば、単位電力量を得るために太陽電池に投入する資源・費用が大きすぎるのです。 これが太陽光発電が市場経済で自立できない根本的な理由です。ものごとをイメージで捉える「お花畑」たちはそのところが全く理解できていないのは哀れなものです。一方、官僚や政治家やもちろん製造メーカーは百も承知でやっています。太陽光発電ビジネスの赤字の部分を、「納税者」や「電気料金の支払者」につけを回し、ビジネスの旨みのある部分は巧妙に太陽光パネル製造業者に回しているのです。メーカーも政治家も官僚も一蓮托生の同じムジナで、政治家や官僚は税金を動かすことによる利権に群がるシロアリと言えましょう…。

今年は「太陽」に大注目であります!
本日は3月17日であります。

●昨夜から今朝がたにかけて南あわじ市では10ミリ程度の降雨がありました。午前中は天気がぐずついたのですが、夕方から晴れてきました。けれども大気の成層は水蒸気が多くて、晴れたものの黄砂がかかっているかのようにどんよりとした状態でありました。で、太陽光が減光されて眩しさがなく、肉眼で太陽を直視することができました。

★ちょうど太陽活動は昨年から「サイクル24」に突入していて、2011年秋ごろから太陽活動は活発化、黒点の月平均数は、昨秋9月は78.0、10月は88.0、11月は96.7、12月は73.0、今年1月は58.3、2月は33.1、と推移しています。3月はまだ終わっていませんが、1日~16日までの観測値を平均すると80.8となります。日々の黒点数の観測データでは3月5日、6日、7日、11日、16日の5回、黒点数が100を少し超えました。

残念ながら日本語じゃないけれども、こちらのサイトで黒点に関する観測統計データを色々と閲覧できます。

★昨日3月16日には黒点数が100を越えたので、もしかしたら肉眼黒点が見えるかも? と目を凝らしてみましたが残念ながら見えませんでした。写真にも撮ってみましたが黒点は写っていません。太陽活動がもっともっと活発になって日々の黒点数が200を越えるようになって、黒点の径が太陽直径の10%に達するような「巨大黒点」が出現しなければ、肉眼で見るのは無理かもしれません…。

★しかしまあ、中国をはじめ世界各地で、紀元前のむかしから “太陽にカラスがいるぞ!” という記録があり黒点の存在は古代から知られております。もしかしたら今年中には太陽に棲んでいるという「カラス」が確認できるかもしれません…。地学ファン、天文学ファンは、毎日夕方に “日没寸前の太陽” を観察しましょう。なお蛇足ながら日が高いうちに太陽を見ても絶対に黒点は確認できません。目を傷めるだけですから注意しましょう。

2012年3月17日の太陽
↑3月17日南辺寺山(273m)に没する寸前の太陽を写真に撮ったが、黒点など写っていない…。減光時を狙って単なるデジカメで撮っただけなので、ま、無理なのかもしれません。黒点写真を撮るにはそれなりの機材や撮影技術が必要なのでありましょう…。

さて、天文学ファンならずとも、今年は太陽に大注目であります。
太陽活動がどこまで活発になるのか? あるいは、サイクル24があまり活発にならずに終わってしまうのか? ひょっとしたら北海道で低緯度オーロラが見られるかも? また太陽活動と気候変動との相関が確認されるかどうか? などだけでなく…、
今年2012年5月21日の朝7時台に、本州南岸地帯で金環日食がみられます。 さいわい淡路島南部は「金環日食帯」に入っています。
全国市区町村別 金環食・部分日食観測ガイド
日食情報データベース
国立天文台の5月21日の金環日食のページ
春の到来を、満開の花がたたえる…。
本日は3月16日であります。

●わたくしが栽培管理しているウメの木がほぼ満開になりました。紅白揃って満開とは、まことに目出度いような情景で春の到来を讃えております。春への歩みは遅々として進まず、例年よりも1カ月遅れました。今年は3月一杯はウメの花見ができそうです…。
ウメの開花・満開が遅れた分、サクラの開花もかなり遅れそうな気配がいたします。まだ蕾が小さく堅いです。サクラの開花は恐らく4月に入ってからでしょう。例年は淡路島・南あわじ市では学校の入学式のころはサクラは散り終わりに近いのですが、今年はもしかしたら入学式のころ開花かあるいは2分咲きぐらいかも?

満開の白いウメの花

満開の赤いウメの花

●白いウメは実採り用で、赤いウメは観賞用のしだれウメであります。
今年は白いウメは表年であります。花の付き具合から豊作が予想できます。ヒヨドリの被害もありませんでした。年によってはヒヨドリが渡ってきて農作物に被害を与えます。葉菜類やエンドウ・ソラマメなどの葉が食われてしまいます。ウメの蕾や花も食べることがあります。なぜか、今年は渡り鳥のヒヨドリがきませんでした。ヒヨドリに関しては、渡り鳥だけでなく、留鳥(りゅうちょう)といって1年中住みついているヒヨドリも少しいるのですが、留鳥のヒヨドリは野菜等にあまり被害を及ぼしません。

★毎年、ウメを収穫したらあちこちに配っていますので、ご希望の方がおられましたら1人5~10キロほど差し上げます。(無料ですが、遠方の方は送料負担)ウメの実に千枚通しで穴をあけて、容器に入れ砂糖に漬けこんでおくと2か月ほどで爽やかなウメジュースになりますよ。(収穫は6月上旬です)

特別地域気象観測所「洲本」の気温変化
2011年12月1日 ~ 2012年3月15日 の3カ月半の気温変化です。
青線は「日最高気温」です。緑線は「日最低気温」です。滑らかな線は「日最高気温」「日最低気温」の30年平均です。現行の「平均」というのは1981年 ~ 2010年の30年間の平均です。
2011年12月1日~2012年3月15日の気温変化

●このグラフから言えることは、やはり今年の冬は寒かったということであります。とくに毎日の「最高気温」が平年値よりも低いことが圧倒的に多いです。つまり日中が寒かったです。3月に入っても日中が肌寒い日が多かったです。春のポカポカ陽気の日といえたのは、3月6日の最高気温16.8℃のたった1日だけです。
気象庁が今年の厳冬(寒冬)をラニーニャの影響だと説明するのに大わらわでありますが、気象庁は政府傘下の国土交通省の組織である以上、政府政策の「CO2地球温暖化説」に傷がつく説明は政治的に許されない、ということを念頭に置いておく方がよろしそうで。政府系研究者の外側の研究者たちからけっこう異論は出ています。

●で、温暖化も寒冷化も気候変動の要因は「太陽活動原因説」であると信ずるのであれば、その太陽活動から目がはなせません。
SWC 宇宙天気情報センター 宇宙天気ニュース(2016年3月16日)
2012年に入ってから太陽活動はかなり回復してきたようです。示したリンクをご覧ください。見事なオーロラが見られます。ニュージーランド南島クィーンズタウン(南緯45度)で現地在住の日本人が撮影したようです。(このリンクが閲覧できない場合は、↓のリンクを直接ご覧ください)

ニュージランド在住のMinoru Yoneto氏のサイトその日本人の方のサイトがこちらです。原色の美しい写真を多数見せて下さっています。ただし、原色鮮やか過ぎるので写真を調整してあるのかもしれません…。今年の3月になって太陽風の状態など「宇宙天気」は大荒れでニュージーランドで連日オーロラの出現らしいです。

SWC 宇宙天気情報センター 「オーロラと宇宙天気」 このページで北海道稚内で撮影された赤っぽい「低緯度オーロラ」の写真がみられます。それと人工衛星からみたリング状のオーロラの写真がみられますが、オーロラは北極の周囲に出現するのではないことに注目です。

さて、南緯45度でこんなに明瞭なオーロラが出現するのか? と驚きです。(北緯45度程度の低緯度では)普通は「低緯度オーロラ」と呼ばれるもので、ぼんやりと赤っぽいだけです。肉眼ではほとんど見えないもので、写真で露光時間を長くとると、赤く写っているという程度のものです。北海道(最北端で北緯45度)でときどき低緯度オーロラが出現しているようです。ときには本州中部まで見られます。しかしながらカナダやアラスカで見られるような帯状の色彩豊かなものとは全く異なります。
なんで南緯45度の低緯度ででこんなに明瞭なオーロラなのか? なぜだろうか?と Wikipedia 南磁極 の位置を調べて理由がわかりました。南磁極(なんじきょく)は南緯64度、西経137度の位置です。(この西経というのは、明らかに東経の誤記と思われます)

Wikipediaは信用ならない面があるので、京都大学大学院理学研究科附属地磁気世界資料解析センター のホームページを見た方がいいのですが、こちらは専門的すぎて閲覧していると頭痛がしてくるので、見ない方がよろしい。この京都大学のサイトに依ると、2012年の北磁極と南磁極の位置は、次の通りであります。
北磁極 …… 北緯85.9度、西経147.0度
南磁極 …… 南緯64.4度、東経137.1度

地磁気の偏角分布図
↑地学の教科書『新版地学教育講座1 地球をはかる』から引用。地磁気の「等偏角線」が一点に収束している場所(黒くなっているところ)が北磁極と南磁極です。この図版は1990年のもので古く、20年が経って磁石の北極と南極は若干動いてはいますが、参考には十分なります。

★これを見ると、ニュージランド南島クィーンズタウンは南磁極から約3000キロぐらいです。いっぽう、北海道稚内は北磁極から約5000キロぐらいです。
北海道から北磁極までより、ニュージーランド南島から南磁極までの距離の方がかなり短い位置にある、というのがニュージーランドで明瞭なオーロラが観察できる理由でありましょう…。
したがってニュージーランド南島でオーロラが見えるのはあたりまえのことであって、そうだからといって太陽活動が活発になったという証拠にはならないということであります。(オーストラリアの南のタスマニア島は、南磁極により500キロ近いので更によくオーロラが見えるハズです)太陽活動が回復したと言っても低調で、地球は温暖化ではなく、寒冷化に向かっていると主張する研究者が日本にも大勢います…。


原発を作る会社は、風車や太陽光パネルも作る。
●環境問題とか、自然保護であるとか、脱原発などに取り組んでいるNPO法人の活動家などは、気の毒なほどのめでたい「お花畑」であります。「近視眼的」とか「視野狭窄的」などという程度ならばまだ治癒のしようがあるわけです。でも、どうにもこうに彼らの目には「幻視」が見えているようです。見渡す限りの一面のお花畑という「まぼろし」がみえているのですから、かなり重篤な症状です。近視眼的とか視野狭窄などは、見えている範囲が狭いだけであって、「まぼろし」が見えているわけではありません。しかし「まぼろし」が見える段階にまで症状が進んでいるから、もはや救いようがありません…。

●お花畑たちは「原発を止めて、新エネルギーを推進しろ!」と叫んでおります。どうやらお花畑たちは原発でメシを喰っている会社のホームページを詳しく見たことがないのだろうか? おそらくその会社の『有価証券報告書』など全く見たことがないのだろうと想像しています。『有価証券報告書』はその会社についての情報の宝庫です。もしその会社が『有価証券報告書』にウソの記載をしたならば、懲役刑まである重い犯罪となり、証券取引所の上場廃止基準にも引っかかります。どの会社の『有価証券報告書』もたいてい100ページ~150ページぐらいの分厚さで、その会社の役員名簿から大株主名簿、事業所のリスト、貸借対照表など財務諸表にいたるまで、その会社の情報がギッシリと載っています。

昔は、証券取引所の中にある図書室に行かなければ見られなかったのですが、今ではインターネット上で簡単に閲覧ができます。その会社のホームページや『有価証券報告書』を丹念に見れば、「原子力村」と「新エネルギー村」とが全く別々に存在するのでも、それらが対立するのでもなくて、表裏一体のものであることがすぐに分かります…。比喩的に申せば、あらゆるものを破壊する「核爆弾」を製造しながら、なおかつ同時に、その核攻撃から生き延びる「核シェルター」を売りまっせ、というような会社ばかりなのです…。

お花畑たちの主張する「原発依存から脱却するために、風力発電と太陽光発電を進めろ!」という謳い文句は、なんともむなしく滑稽であります。お釈迦様の大きな掌にのるように、「原子力および新エネルギー村」の巨大な掌の上で愚弄されているだけなのです…。

●ここで私の立場と主張を申し述べておきます。
私の立場 しがない一庶民です。利権などとは無縁の一有権者であり、僅かの納税者であります。原発とか自然エネルギーなどのビジネスになんの関係もありません。仕事もそれらと何の関連性もありません。政治団体の会員になっていますが「日本の歴史や伝統を護ろう」という主張の団体で、これも原発等とは全く関係がありません。
私の主張 核は反対です。原子力も反対です。(核は軍事的なもの、原子力は民生的な原発で、意味がちがう)風力発電は大反対です。太陽光発電も大反対です。理由はライフサイクル評価でのEPR(エネルギー利益率)で大いに疑問があるから。同様の理由でバイオ燃料やメタンハイドレートにも大いに否定的です。LCA(ライフサイクル・アセスメント)とEPR(エネルギー産出比)は、最重要の概念・手法であるのにマスコミの記者もお花畑も全く語らないのは何故なのか? もしかしたら知らないのか? まさか、とは思うが…。地熱発電は可もなし不可もなし。アイスランドが地熱でかなりいけるのは、北大西洋中央海嶺の上の火山島国で、人口がたったの32万人。日本の400分の1。条件がまったく異なるのを無視して幻想を振りまくな! 脱原発は経済縮小でいくべき。手本になるのはオイルショックのときの対応がとても参考になる。テレビが一晩中放送するのはおかしい。ムダだ。9時にはテレビ放送終了! 都会のネオンサインも10時消灯、閉店! 自動車は軽自動車を強力に推進。トヨタ自動車は英断を示して「自転車メーカー」になったら尊敬する! 経済縮小もまた良しです。不況など皆で分かち合えば恐れることはない。ブータンとか米国のアーミッシュとか、世界にはお手本が沢山あります。という考えでございます。

●さて、本論の「原子力村」と「新エネルギー村」が対立するものではなく、表裏一体のものである証拠の一つを示したいと思います。次のリンクをちらっとでよろしいから、覗いてみてください。原発御三家の会社と言えば、日立・東芝・三菱でありますが、それぞれ原発だけでなく風力発電や太陽光発電ビジネスもしっかりとやっています。

東芝の原子力事業部 
東芝の太陽光発電システム

三菱重工の原子力発電
三菱重工の風力発電
三菱重工は太陽光発電もやっているよ

日立原子力情報
日立グループ会社が太陽光発電をやっている
別の日立グループ会社もやっている
太陽光発電で商売する日立グループ会社はたくさんある

●それぞれの会社は、原子力発電の部門では、原子力は枯渇の心配がなく、二酸化炭素も出さないので地球温暖化防止に役立つ、環境にとてもいい発電方式です。安全性も十分に高めています。と美辞麗句を並べて、宣伝に余念がありません。

一方、それぞれの会社の風力・太陽光発電部門では、同じことをいっています。二酸化炭素を出さないクリーンな発電方式で、地球温暖化防止になります。枯渇の心配もありません…、とこれまた宣伝に余念がありません。

●なんだか、昔の中国の「矛盾」という故事成語みたいです。お花畑たちはこのような実態に、違和感を持たないのだろうか? 疑問を持たないのだろうか? これらの会社に共通するのは、カネになりさえすればいい、商売になるのであれば原発であろうと自然エネルギーであろうと何でもする、という無節操な姿勢であります。これらの会社には、その商品を製造することについての使命感や矜持や理念というものが全く感じられません。原発関連の仕事で権益にしている会社が、太陽光発電パネルも作っていて、原発反対運動をしているお花畑の「運動家」に脱原発の決め手は太陽光発電の推進なのですよ、などと宣伝しているわけです。

●喩えるならばこんな感じじゃなかろうか? お客様が二人、甲と乙がいて派手な喧嘩をしている、その甲と乙の双方に「こん棒」を売り込み「これで殴り合いなさい。負けるなよ」と言っているみたいです。あるいは、こんな感じか? 甲と乙がトラブルになって訴訟を起こしている。悪徳弁護士事務所のA弁護士が甲に「私が弁護しましょう、勝つ自信がありますよ」といいながら、悪徳弁護士事務所の別の弁護士Bが、乙にむかって「私に弁護をさせなさい。勝つ自信がありますよ」と言っている。そして悪徳弁護士事務所の中でAとBが打合わせをしている…。

一例として、御三家の三菱・日立・東芝をあげたまでで、ほかにもそんな会社はいっぱいあります。大手ゼネコンは原発の建築工事をやる一方で、風力発電の造成工事や基礎工事などやっています。カネのためには何でもするのです。これらの大企業の姿を調べれば調べるほど、「地球温暖化」も「環境にいい」とか「エコ」など彼らが言っていることは口先だけです。それらの言葉をうまく使って宣伝して、国民大衆を洗脳し、商売にしているだけ…、ということが鮮明に浮かびあがってきます。大変失礼ではありますが、お釈迦様の掌の上で踊らされている「お花畑たち」は哀れだなと思います…。

【追記】 “原子炉を作る会社が、風車や太陽光発電パネルも作る” ということに私は非常に違和感を感じるのでありますが、この違和感はどこから来るのだろうか?

例えば、「モノ作りの職人」さんを考えてみます。人にもよりますが、モノ作りの職人さんは、おおまかな傾向としては寡黙であまり語らず、黙ってこつこつとモノを作ります。そして良い意味での頑固さを持っています。腕のいい職人さんは「こだわり」を持っています。たとえお金をくれる依頼主の要求であっても、納得がいかない仕事ははねのけ、作らない。何でもかんでも依頼主にヘイヘイいって作るのではありません。その意味では一徹で頑固で融通がきかず難しい…、という傾向が彼らにはハッキリとあります。

それは芸術家でもそうでしょう。芸術家は「作品」をつくります。芸術家には自分が作る「作品」で、こういうことを表現しようという内面からほとばしり出る情熱があり、その「作品」は芸術家の分身でありましょう。とことん作品にこだわり、いったん作ったけれども納得できない作品ならば、投げ捨てて、また作り直します。自分自身で作った作品であっても、自分が気に入らなければ投げ捨てるのが芸術家というものです。まして、依頼主から頼まれた仕事であれば、納得のいかない仕事ならば受けないでしょう…。

原発も作り、風車や太陽光パネルも作る人々には、そういう「モノづくり」や「作品」を作るこだわりが感じられないのです。寡黙な職人さん等とは正反対で、饒舌すぎます。原発の利点を饒舌に語り、風車や太陽光パネルの素晴らしさを饒舌に語りすぎるのです。昔から「巧言令色少なし仁」で一生懸命にそれらの利点を饒舌に宣伝する一点をもっても胡散臭いのです。
そもそも、ほんとうに原発が環境に良くて安全でコストも安いと信じて原子炉を製造しているのであれば、浮気をしないハズです。また太陽光パネルが環境に良くて好ましいものと信じているのであれば、「わが社は素晴らしい太陽光パネル製造に社運を賭けて、原子炉製造から手を引くぞ!」という「こだわり」があってもいいハズです。そういう風に考えると、金儲けになりさえすればいいんだ、というハラが透けて見えているというのが、違和感の背景であろうかと思います。

ようするに、胡散臭いのであります。
南あわじ市灘で、「私的標本木」のウメの開花を観測。
本日は3月5日です。
わたくしが観察しているウメの木に、一昨日の3月3日(土曜日)に、数えると10輪の開いた花が観察できて、開花が観測されました。
ただし、これは各地の気象台が標本木を定めて観測している正式な「生物季節観測」とは異なり、あくまでも、自分が勝手にこの木を標本木として選んで観察しているのにすぎません。
3月3日に開花したウメの木
↑3月3日の写真です。これが私が観察しているウメの “私的な標本木” であります。というよりも自分が栽培管理しているウメの木でございます。品種名は不明ですが、白い花で、6月上旬には大粒の実が籠に5杯~6杯成ります。収穫量は100キロぐらいだと思います。梅干しや梅酒にするのですが、食べきれないので縁者におすそ分けしています。

気象庁の示すウメの開花日の定義は、「うめの開花日とは、標本木に5~6輪の花が咲いた状態になった最初の日」 だと言っています。南あわじ市灘で栽培している「私的標本木」に10輪の花が出現しましたから、ここに開花宣言をさせていただきます。開花日は3月3日であります。過去30年間この木を見ていますが今年が最も遅い開花でした。一番早かったのは正月明けの1月4日か5日でした。平年開花日は正確に記録や計算していませんが、およそ1月30日前後であろうと思います。ウメは僅かの寒暖の違いとか、微地形・微気象の違いで、開花の早晩に大きな幅が生じます…。そもそも、西日本一帯ではウメは “冬の花” です。普通は気温が最も下がる厳寒期に開花するのです。つまり春の花ではないのです…。

さて、3月3日にウメが開花したと言っても、これはあくまでも私的な生物季節の観察です。「標本木」というのは気象台の敷地の中かその近くで「これを標本木にしよう」と気象台が指定した木であります。その地方で別のウメの木がいくら早く咲いたとしても、正式な開花観測とはいえません。正式な観測はあくまでも「正式な標本木」を「気象台の職員」が観察しておこなうものです。民間人の行った生物季節観測は全く意味がないかというと、そうでもありませんが、正式な記録とはならないのです。

開花かどうか微妙なところ…
↑こちらは本日3月5日の写真です。樹齢10年ほどのまだ若木で、桃色・八重咲き花の「しだれウメ」です。品種名は不明です。これは開花といえるのかどうか? 蕾が大きく膨らんで開きかけのものが20花ほどあるのですが、開き切った花を数えると4つです。開花の定義(基準)に言う5~6花に1花足りません。開花はあす3月6日に持ち越しか?

さて、気象庁がいうウメの開花の定義(基準)に疑問が湧いてきました
5~6花といっても、その標本木の大きさに関係なく一律に5~6というのであれば、“着花密度” が標本木の大小によって変わるではないか? 全国の気象台が定めた標本木が、樹高や樹齢がピタリと同じなどということは無かろうと思います。ならば、比較的小さな木では5花、中ぐらいの木では20花、大木では50花とすべきではないか? あるいは基準の大きさの枝を決めて(例えば直径が3㎝の枝とか)、そしてその木に何本の枝があるか大雑把に数えて、枝の個数ていどの花が出現したら開花とするとか?

次に、ウメの品種がバラバラではないか? サクラの開花の観測には「ソメイヨシノ」の品種が使われています。「ソメイヨシノ」は江戸時代後期にに江戸の染井村の植木職人が、「エドヒガン」と「オオシマザクラ」を交配して作出した品種です。苗木は原木のつぎ穂を採って生産されています。現在でも原木が現存するかどうか分かりませんが、苗木生産は「原木の接ぎ木起源のもの」から「つぎ穂」が採取されています。つまり、日本中に植栽されているソメイヨシノという品種の木は全部クローンです。遺伝的に同一のものばかりです。ソメイヨシノやはり単一種 DNAでサクラ再分類 DNAが同一ということは、指標植物として見た場合、全国各地のソメイヨシノの標本木は “生物計としての「ものさし」” が同じだということになります。これは冬から春の季節の進み具合をソメイヨシノの開花で測るのには、合理性があります。

ところが、ウメはそうじゃなさそうです。白花という指定だけなので、各地のウメの標本木が品種が異なっていたり、同一の品種であっても種子から育った木ならば遺伝的な変異があるはずです。私の観察では、同じ狭い地域に自生しているヤマザクラであっても開花に10日~14日もの早晩が生じます。つまり1本1本の個体には、かなりの遺伝的な差異があるのです。ですから、遺伝的なDNAに差異があるものを「生物計・biometer」にして冬から春の季節の進み具合を測定する「開花日」に合理性があるのだろうか? とくに開花日の広域分布だとか、開花前線の北上などには、“遺伝的ゆらぎによる厳密性の欠落” がありはしないか?

さらに申せば、その木の老若による開花日の相違はないのか? 自然観察をしていると、樹木は老木になると若木とだいぶん違った性質を表すことがあります。例えば、老木になると若木のときの「トゲ」が消失したり、葉っぱの切れ込みがなくなったり、春の新梢の伸びが短くなったり、着花(着果)がきわめて多くなるなど、だいぶん変化します。その標本木の樹齢の進み具合で開花日に変化がおこらないか? という疑問はあります。

(これは実験できそうです。同じ場所で、同一の品種を100本ぐらい大量に栽培試験をするといいです。広い場所がいるので農業試験場などが良いでしょう。同じ品種を老木100本、中齢木100本、若木100本、計300本栽培試験して開花データをとります。100本も栽培するのはデータを平均するためです。平均すればもし遺伝的差異があっても消すことが出来るからです。そして統計的に「有意差検定」をすればいいのです。ただしソメイヨシノはダメです。若木であってもクローンである以上は老木と樹齢は同じです。DNA解析をして全く同じものも除外です。クローンの可能性があるからです。同じ品種で遺伝的差異があるものを100本とか大量に30年毎に植え付けていって、樹齢20年、樹齢50年、樹齢80年のそれぞれのものを観察します。で、開花に差が生じるのか? 生じないのか? そんな100年がかりの実験結果を見たいものです…)

特別地域気象観測所「洲本」の今冬の気温推移  12月1日~3月4日までの95日間
洲本の12月1日~3月4日の気温推移
↑今冬の日々の「日最高気温」が平年値よりも低い状態がずうっーと続きました。日中が寒い日が多かったのです。植物の生育する下限の気温が5℃だといわれます。この5℃を越える部分の「積算温度」が不足したのが、ウメの開花の遅れをもたらしたのではないか?
このところ、2月下旬から寒暖の振幅が激しくなってきました。グラフでみると大波がうねるみたいです。平均気温線も鎌首を持ち上げはじめました。いよいよ春ですね。

各地のウメの開花観測
大阪管区気象台  3月1日開花  平年より20日遅い
神戸海洋気象台  2月23日開花 平年より9日遅い
和歌山地方気象台 3月1日開花  平年より18日遅い
徳島地方気象台  3月1日開花  平年より31日遅い
高松地方気象台  1月4日開花  平年より16日早い
高知地方気象台  2月20日開花 平年より26日遅い
松山地方気象台  1月20日開花 平年より18日遅い

高知地方気象台では、ウメの開花日が2月20日と、それまでの最晩記録の2月16日を4日更新しました。
代替案が要るなどという考えそのものが、敵の術中にはまっている…。(その2)
★原発業界は、とことんタチが悪いのです。原発業界で利権に群がり、メシを喰っている奴らは、「脱原発を主張するのであるれば、代替案を提案しろ!」とほざいています。これは全く暴力団の言いがかりに等しいものです。とんでもない虚妄説でしかありません。ところが、一般人だけでなく有名な評論家や知識人と言われる人たちまで、まんまと乗せられています。多くの人々が虚妄の説に乗せられるのは、ゴミ新聞・ゴミテレビが原発業界の手下になりさがっているということが大きいでしょう。また、専門家と言われる人たちにも原発業界の走狗が一杯います。だから多くの人々が乗せられるのは、いたしかたがない面もあります…。

★ものごとは視点を変えて、正反対の位置から照らす、とその本質が鮮明に見えます。悪辣な原発業界に「反問」してみます。「脱原発をいうのなら代替案を示せ!」と奴らは言っているから、その言葉の土台には “原発ほど有用で役にたつ素晴らしいものは他には無いのだ!” と考えているハズです。ハラの中でどう考えているかではなくて、実際に原発が有用で素晴らしいものでなければ「原発の代替案を示せ!」など言える道理がありません。
そこで聞くが、石油の有用さを、原発が代替しているのか? この命題は真か偽か?
ごく一部では代替できている部分もありますが、大部分は全くダメです。話になりません。ほとんど役立たずです。原発(原発業界)はほとんど役立たずのでくのぼうです。田んぼのカカシです。スズメ除けの役にもたたない無用の長物です。それにもかかわらず、ぬけぬけと「代替案を示せ」などとよく言えたものだ! 暴力団でももっと巧妙でスマートな脅かしをやりますよ…。

★まず、運輸業界を考えてみます。陸上運輸は自動車が主力でありますが、自動車を動かす動力は、「ガソリン」や「軽油」が圧倒的です。これらはみな「石油製品」です。日本はガソリン車が優勢ですが、ヨーロッパなどではディーゼル車が半数以上をしめました。電気自動車などハッキリ言ってまだ実証試験段階程度のしろものであります。これが本当に普及すると思っている人は失礼ながら○○だ。そもそも電気自動車の推進を仕掛けたのは原発業界だ! 出力可変性がない欠陥発電の原発が、電力需要の落ちる深夜の余剰電力のはけ口として、電気自動車を利用しようともくろんだのです。(だから、原発会社の系列の三菱自動車が電気自動車を売りだした)陸上の自動車運輸を支えているのは石油であって、原発ではありません。

陸上輸送のもう一つの柱の鉄道を考えてみると、ディーゼルカーならば「軽油」が動力源であろうし、電車ならば「電力」が動力源であろうかと思いますが、原発由来の電力と、石油等の電力が分離されて供給されているわけではないから、「石油・石炭・天然ガス等」の寄与率が7割、「原発」の寄与率が3割であるハズです。(実際は、「鉄道の電化率」×「3割」のハズだから更に低い。ただしディーゼルカーが残っているのは田舎路線だから、旅客数など「輸送量にたいする寄与率」ならそれほど下がらないかも?)原発が鉄道輸送を支えているわけじゃありません。主力ではなく従属的なものです。原発はあくまでつけたし…。飾りみたいなもの。深夜の数時間はごく少数の夜行列車を除いて鉄道は停止します。原発は出力可変性がないため深夜でも発電しますが、電車は止まっているから役に立っていません…。

★次に海上運輸を考えてみますと、大小さまざまな船舶の動力源は「軽油」や「重油」が大部分でありましょう。中にはガスタービンエンジンを搭載する船舶もあるかもしれません。なかには帆を張るヨットのような風で航行する「風力船?」もありましょう。しかし、こんなのはごく例外です。要するに、原発で製造した電力でうごかす「電気船」というのはわたくしは寡聞にして聞いたことがありません。海上輸送を担っている動力源も石油であって、原発などではありません。

ところで、例外的に海上には、原子力空母 であるとか 原子力潜水艦 が存在しています。これらについてよく知らないからリンク先等あさり読んでみました。これらは軍事用という特殊な目的に特化した大型の船舶であって、その建造・運用維持・廃棄にいたるまで、コストが非原子力のそれらより倍近くかかるようであります。よって一般の船舶を原子力船舶に替えるなど、ありえません。コスト的にも国家の軍事費を流し込んで運用しているだけで、市場合理性のまったくない船舶であります。原子力船というのは考えられないから、やはり海上輸送を支えているのは「石油」であります。

(ところで、いま重要なことに気がついた。原子力空母とディーゼル空母とのコスト比較から、原発が安いなどという真っ赤なウソを崩せるかもしれません。Wikipediaにコスト比較表があるぞ! 基本的には同じ船舶なのに、原子炉を積むかディーゼルエンジンを積むかの違いです。原子炉を搭載した方がライフサイクル・アセスメントで、原子力空母のほうが1.57倍高価です。おかしくはないか? 原発が安いのならば原子力空母の方が安くならなければいけないのではないか?)

★次に航空運輸を考えてみます。グライダーのような滑空型「風力飛行機?」は論外としても、航空燃料はみな石油製品であります。レシプロエンジン飛行機とガスタービンエンジン飛行機(ジェット機)では使用する燃料が違うみたいですが、石油製品であることには違いはありません。空の運輸を支えているのも石油であって原発電力ではまったくありません。

では原発を推進して空も電気自動車みたいに、「電気プロペラ飛行機」とか「電気ジェット機」など考えられるだろうか? 推進力不足で揚力が足らず、墜落するのじゃないかしら? というよりも、そもそも高温の燃焼ガスの噴射の反動を利用するジェット機では、原理的にありえないでしょう。電気でプロペラを回すのは可能かもしれませんが、無理して作れたとしても、飛行機が飛んでいるのではなく重い電池が飛んでいるという代物で、巨大な飛行機に乗れるのは数人とか…。たぶん経済合理性がないわな。それに飛行機は高空を行くので気温が低く、バッテリーの性能が落ちてまずいんじゃないの? もし航空関係の技術者にお目にかかる機会があったら「電気飛行機」が可能かどうか聞いてみようと思います。それから原子力飛行機は作れるだろうか? 分厚い格納容器・圧力容器を重金属で作る “重量物の原子炉” が飛行機に登載できるのか? 巨大飛行船ならばもしかしたら…、と思うのでこれも技術者に聞いてみたい…。

●以上、ごくごく簡単に観察してみても、運輸や物流を土台で支えているのは「石油」なのであって「原発」ではありません。石油がなければ、車も船も飛行機も何も動かず品物は入ってきません。食糧自給率が低くて外国からの輸入に依存している日本は、石油がなかったならば大変なことになりますよ。食糧パニックです。備蓄食糧などすぐになくなって、ひもじい思いをしますよ。餓死する人もでるでしょう。その時にはこの国の政府はなんの役にも立たないでしょう。(このたびの東北震災や原発事故で、政府が役立たずであることがよく分かった)
石油が突然に途切れたら深刻な食糧危機ですが、では逆に、原発が停止して食糧パニックが起こったであろうか?
 なにも起こっていません。それを考えただけでも、この社会や経済を根底から支えているのは原発じゃありません。原発が社会をささえているのでもないし、原発が必要不可欠でそれがなくてパニックがおこるわけでもありません。それにもかかわらず「原発依存からの脱却」などという表現がまかり通っています。

「原発依存」などという表現そのものが「イメージ誘導」を狙っています。誤魔化しです。原発はつけたしの付属物程度であります。主力のものではありません。日本の国の1次エネルギーのたった1割の比率です。これは動かしがたい事実であります。 「原発依存」などという表現は、たった1割の比重しかない原発を、さも主力のエネルギー源であるかのように誤魔化し錯覚させようとしているのです。

★ここで注意を要することがあります。「原発依存」と言う表現は、原発がエネルギーの主力であって原発で社会がささえられていると思わせる文脈のなかで使われています。しかし「石油依存」からの脱却と言う場合は微妙に意味が違っています。「依存」という言葉は、“頼ってはいけない悪いものに、寄りかかっている、はまりこんでいる” というニュアンスがあります。たとえばアルコール依存症とか、薬物依存症、ギャンブル依存とか。「石油依存」といった場合はこの文脈で使われています。「石油」は二酸化炭素を出して悪いものだから、早く縁を切るべきなのに寄りかからずを得ない、これをどうするか? それは原発推進しかしかたがない、という文脈で使われているのです。「石油」が悪いものだとイメージ誘導しているのです。

「原発依存」…… 原発が主力のエネルギーであるかのように錯覚させ
         るのを狙った表現です。
「石油依存」…… 石油が早く止めるべき悪いものであることを強調し
         ている表現なのです。

マスコミの報道など注意して観察すれば、同じ「依存」でも意味を巧妙に使い分けています。原発利権者やその走狗は、相当たちが悪いのです。それと、善意で風力発電や太陽光発電などを推進している人たちも、巧妙に乗せられてしまっています。

    ………………………………………………………………

以下は以前に書いた文章の再掲です。
“日本は原発依存国ではない” という動かぬ証拠・資料を示してみましょう。経済産業省・資源エネルギー庁が平成23年11月18日にニュースリリースした資料から、3枚の図表を引用します。原発温存に動く経済産業省は何も隠していません。官僚たちは妙なところで正直です。
『平成22年度(2010年度)エネルギー需給実績(速報)』
図表がゆがんでいるのは、PDF資料をパソ画面に出してそれを写真に撮ったためです。ゆがむだけでなくモアレ(干渉縞)も発生してモアレを目立たなくするのに苦労します。おかみは資料をてこでもコピーさせないぞと、底意地が悪いのです。国民の税金を食んで資料を作っているのに、資料を国民に自由に使わせないのは不条理であります。(もっとも私はパソコン初心者なので、やり方があるのかもしれません。)

1次エネルギー国内供給の推移
↑どこが原発依存なんだ! 嘘を言うな! 日本国は化石燃料で支えられているではないか! この国は産業も家庭も8割以上が化石燃料により支えられています。積み上げ棒グラフの緑色の部分が原発です。濃い青が水力発電です。(引き出し線が間違っている)原発は1割か僅かにそれを越える程度の比重しかありません。石油・石炭・天然ガスの化石燃料が8割もの比重であるのに、それを無視して、たった1割の原発をもって「この国は原発依存だ」などとよくもまあ嘘八百がいえるものだと、あきれます。

★その国がどんな種類のエネルギーで支えられているのかは、この1次エネルギーの図表で見ないかぎり真実は見えません。電力というのは石油や石炭を焚いて発電する場合は2次エネルギーです。しかし、原子力発電や水力発電の場合はその電力は1次エネルギーです。図に水素が載っていない理由は、ごく少量であるだけでなくそれは2次エネルギーだからです。そこのところを混同してはならないのです。

石油依存度および化石エネルギー依存度の推移
↑これを見ると、この国はずーっと8割を少し超えるシェアで化石燃料で支えられていることが分かります。あくまでも日本は化石燃料で支えられている国なのです。

1次エネルギー国内供給の推移
↑石油の比率は下がってきていますが、それを補完しているのは石炭と天然ガスです。石炭も天然ガスももちろん化石燃料です。石油依存度が下がっていると言っても、それを補完しているのは原子力では全くありません。再生エネルギーと水力はほぼ同等ですが、資料の詳細を見れば再生可能エネルギーにはゴミ発電などを入れていて、ごみ発電等が意外に大きいです。風力・太陽光などないも同然なのです。

●2010年のエネルギーの種類別のパーセンテージはつぎの通りです。

石  油………………40.1%
石  炭………………22.6%
天然ガス………………19.1%
水  力……………… 3.2%
廃棄物利用…………… 2.8%  ゴミ発電や廃材・廃タイヤ直接利用。
地熱エネルギー……… 0.1%  以上合計で87.9%です。

原 子 力………………11.3%  原発はたった1割と少しです。
自然エネルギー……… 0.8%  こんなもの、ゴミだ!

●重要なことですから、何回でもしつこく申します。明確にこの国はエネルギーを原発に依存などしていません。この国は化石燃料で支えられているのは明白ですから、この化石燃料の確保に全力を傾けるべきで、あてにもならない、そして出力の変動する不安定な、エネルギー利益率(EPR)でかなり疑問符のつく太陽光や風力にうつつを抜かす暇や資金があったら、化石燃料の確保をしっかりとやるべきであると言えましょう。それと、1次エネルギー供給のたった1割の原発など、本当に止めるハラがあればすぐにでも止められるハズです。電力が少し不足するとすれば、天然ガス発電所を少し建設すればいいのです。突貫工事をやれば3カ月で天然ガス発電所が建造できるとの資料もあります。原発事故からもう1年がたちました。時間だけが無駄に過ぎ去っています…。

【まとめ】いまこの国のエネルギー源をどうするのか、やかましく議論がされています。しかし議論しているのは2次エネルギーの電力の部分だけです。根本的な、この社会に投入される色々な種類の総1次エネルギーの組み換えが議論されているわけではありません。全体のごく一部分のみ喧々諤々とやかましいだけです。蒸気機関の原発は熱水をわかして発電するしか能がなく、運輸・物流の流体燃料の代替にすらならないのに、しかも総エネルギーの1割の比重しかないのに、脱原発の決め手がないなどバカみたいなことを言う人が多すぎます。

総エネルギーの1割の原発を削減するには、物を大切にする精神で、節約や省エネで十分に可能です。代替案などそもそも全く不必要なのです。あらゆる面で1割だけ質素に暮せばいいのです。もし失業が増えるというのであれば、皆で分かち合えばよろしい。石油が枯渇性エネルギーじゃないかという指摘もあります。じゃあ、ウランが永久にあるのか? これだって枯渇性資源ですよ。もんじゅは既に失敗しました。フランスに持って行かれた核融合開発も人類の手では実現不可能です。石油がなくなれば現代文明を維持するのはどだい無理なんですよ。だから、石油の節約・温存をするべきなんです。

それと、人類が取り組まなければいけないのは、人口の縮小です。資源の枯渇も環境の破壊も、その大きな要因に人口の幾何級数的な膨張、すなわち人類の異常繁殖が横たわっています。これをなんとかしないと、人類の未来はなさそうです。これは稿を改めて大いに議論したいと思います。
代替案が要るなどという考えそのものが、敵の術中にはまっている…。
★拙ブログは、ネット言論空間の隅の隅おそらく「僻地第5級」ぐらいに教育委員会から認定されるであろう「僻地」に立っているブログでございます。訪れる人はほとんどありません。時たまヤフーやグーグルの検索の網にかかってチラと覗き込む人がいらっしゃる程度のものであります。(もっとも、世の大部分のブログはそんなものでしょう。私の見たところ95%、あるいは98~99%は過疎ブログです)

★で、ブロガーの中には「自作自演」をやる人があるんですね…。そのブログが賑わっているように工作するのです。アクセス数が少ないと自分でネットカフェにいって自分でアクセスするとか…、知人・友人・縁者に頼んでアクセスしてもらう、拍手をしてもらう…、行き着くところは自分でコメントを書いて自分で返信する…。実際にそんなことをしている人を何人か知っていますよ。

★そんなの何の意義もありません。誤魔化しであります。原発村の政治・官僚・財界・学者・報道の排他的利権構造の五角形がやっている「欺瞞」「嘘」はだいぶん明白になってきましたが、ある意味ではそれは人間の本質でありましょう。ヒトという種の本質的に持つ習性でありましょう。コメントの少ないブログの管理人が、一人二役のお芝居をして、自作自演のコメントをする姿に「欺瞞」や「誤魔化し」の萌芽を見出すことができます…。
自作自演のお芝居コメントで、迷惑を受けたり被害を受けるということはほとんどないでしょう。だから、原発利権者たちの「欺瞞」や「誤魔化し」に比べればごく小さいものであり、問題はないでしょう。しかしながら、心の底に潜むものには共通するものがチラチラ見えています。

●さて、本日、水野様と名乗る方から、拙過疎ブログにめったにない貴重なコメントを戴ました。コメントの内容を拝見しますと、そのうちに取り上げて考察しようと思っていたテーマそのものについてのコメントでありましたので、記事として論じたいと存じます。コメントを頂戴した記事は次です。
嗚呼残念、全く期待できない…。「日本版・緑の党」グリーンなどという言葉にだまされるな! このエントリーでは、緑の党・日本『緑の未来』の主張を批判しています。必ずしも全面否定ではなく、賛同できる主張もあります。全く賛同できないのが「持続可能性」の主張です。「持続可能性」の具体例として沢山並べてあるアジェンダには、賛同できないものが沢山あるのですが、いちいち全部取り上げるのは紙数がそうとう要るので、「太陽光発電を推進する」という主張を重点的に批判しました。

★なお、蛇足ながら、みどりの未来 は政党などではありません。政党と名乗ることができるのは、公職選挙法が規定する条件、1.国会議員が5人以上いる、2.直近の国政選挙で有効投票の2%以上の得票があった、という必要条件を満たした集団のみであります。「政党」の定義にもよりましょうが、法的に認められた政党では全くありません…。みずから「緑の党」と称しているのは問題で、正式な法的政党だと勘違いする有権者もでてくるでしょう。「政党」でもないものが人に政党だと思わせるのも、大げさにいえば「欺瞞」であります。その点、橋下徹の集団もまだまったく「政党」ではないということを認識しておくべきだと思います。
(もっとも、政治活動をしたり「政党」を目指すことを、否定しているのでは全くありません。)

【戴いたコメントの転載】
矛盾も絵空事の部分もはっきり言ってあると思いますが、私としては支持したい。何か提案し動いて行かないと敵に押し流されるだけ。貴殿も何か対案を提出して下さい。
【転載終了】

【ごく簡単に返信】
(みどりの未来に)矛盾や絵空事があるとお認めになっているのに、なぜ、(みどりの未来を)支持するのですか?「敵」と仰るのは具体的にどういう勢力を指しているのか不明ですが、“既存の政官業癒着構造を形成する(たとえば原子力村などの)官民利権複合体” を指すと解釈させていただきますと、「みどりの未来」そのものが敵にのせられてしまっています。お前も対案を出せと仰いますが、対案を出さねばならないと考えることこそ、バカみたいな主張であることに早く気付いてください。「敵」の思う壺なんですよ。私は政治家でもないし、立候補もしませんから「提案」などすることはありません。私のしているのは、世の中に存在する「欺瞞」や「不条理」を見えるように暴いて(そのつもりです)、批判しているのです。「批判」はどんどんとすべきであります。国民が各界各層でどんどんと批判の声を上げないから、つまり黙っているから、「敵」はしたい放題なのです。それと、批判するには「提案」とセットであるべきだという考え方そのものが、「敵」の巧妙な術中にまんまと嵌っていますよ…。早く気付きなさい。以上。
【簡単な返信終了】

簡単な返信では全く意を尽くせず、むしろ誤解を増長する危険性をはらんでいますから、言葉を多くして敷衍したいと思います。
本当に「対案」が必要なのか? ある事象を否定するためには、代替案を提案しないかぎり否定してはならない、ということは真なのか? 偽なのか?

「本当に対案が要るのか?」というこの命題について、その是非を論じた論説であるとか意見を、私はほとんど見たことがありません。もちろん、全ての書物・論文・論説文・解説文・報道・ネット言論に目を通しているわけではありませんから、広い世の中には「対案は必要かどうか」その是非を論じた人もいるかもしれません。しかし、世の中にあるのは、脱石油・脱原発を進めるには議論するまでもなく対案が必要だとする主張がほとんどです。そんなことは議論するまでもなく明明白白なことであって、対案が要るのは万人が認める真実だ、という認識しか世には存在していません。僅かに、私の気付いた範囲では、明白に「対案など必要なし」と断言しているのは 『環境問題』を考える の主宰者の近藤邦明さんぐらいです。また、近藤邦明さんの背後にいる物理学者の槌田敦氏もそうであると思います。

近藤邦明さんは、原発を根本的に否定されていますが、風力発電や太陽光発電も明確に否定しています。そのために、原発利権者からだけでなく、自然保護運動などをしている人々からも、目の敵にされています。このことに問題の核心がよく現われています。近藤邦明さんのスタンスは明快です。原発はダメなものだから否定する。風力発電もダメなものだから否定する。太陽光発電もしかり。否定以外ありえない。それは資料に当たり試算してみて検討してみた結果ダメなものだから、否定するということです。もし検討した結果素晴らしいものであれば、改宗して原発でも太陽光発電でも推進すると、近藤さんは言っています。何と論理の明快なことか! 近藤さんの論理明快に感銘しまして、わたくしも近藤さんのサイトにかなり長い文章を寄稿しています。 思うに、
世の中に存在する議論はみな「対案は当然に必要なものだ」という認識に立っています。「対案」が必要かどうかの議論それ自体はは、ほとんど禁避すべき「タブー」にさえなっているという感がします。

●さて、みどりの未来は「脱原発」を主張しています。コメント投稿者はその「みどりの未来」を支持すると言っていますから、コメント投稿者も「原子力村」の利権者たちを「敵」と考えているハズです。で、「敵」はどういっているかを考えると事の本質がよく見えます。

「敵・利権の巣窟の原子力村」の主張 
日本には原発は絶対に必要だ。そもそも日本には自前のエネルギーがない。したがって脱原発など無理だ。もちろん原発には危険もあるけれども、安全性を高めて事故が起こらないようにして、安全運転で原発を続けるしかない。でなければ、電力供給に支障がでる。停電したらどうするのだ! それに原発をやめたら電気代が高騰する。電気代が高くなって産業が疲弊する。高い電気代を嫌って会社も工場も海外に出ている。原発をやめたら空洞化に拍車がかかるのだ。だから金輪際原発を止めるなどという選択肢はありえない。どうしても原発を止めてくれというのであれば、代替案を出せ! 代替案も出さずに脱原発を主張するのは無責任だ。この国の代替エネルギーをちゃんと示しなさい! 化石燃料依存では、CO2が増えて地球温暖化が進行するではないか。自然エネルギーは不安定電源であって役に立たない。原発の替わりになるものなどないのだ。実際問題として原発依存を止めるのは無理だ。脱原発とか自然エネルギーなど絵空事なんだよ。原発を続けるしか仕方がないんだよ。それでも原発反対を言うのであれば、代替案が出せるものなら出してみなさい!!

「自然保護派・環境重視派の主張」 
原発はとても危険だ。事故を起こして放射能をまき散らした。広い範囲が放射能まみれになった。これから晩発性の放射線障害が出てくる。10年後、20年後ガンや白血病でやられる。少々の放射線は健康にそれほど問題はないなどと言っているのは、カネを掴まされた御用医学者が言っているだけだ。この国は地震の巣窟でナマズの背中に載っているみたいなものだ。また事故があったら、今度は日本が滅亡する。原発は絶対に反対だ。それから、原発には膨大な補助金や協力金が陰から流し込まれている。真っ黒な利権の巣窟じゃないか。事故を本当に終息させるには何兆円ものカネがいる。それから高レベルの放射性廃棄物の処理にも何兆円も将来カネが要る。原発が安いなどという真っ赤な嘘を言うな! 原発はトイレのないマンションだ! どうやって高レベル放射性廃棄物の守を何万年もするのだ? 解決の方法がないではないか! それから原発は核開発と表裏一体だ。原発を温存するのは核爆弾を持つネライがあるのだろう。絶対的平和主義の我々としては原発が核技術であるという面からも認められない。さらに言えば原発が被曝しながら作業する原発労働者の存在がなければ動かせない。これは大きな人権問題だ。原発労働者を集めているのは暴力団だ。原発が暴力団の資金源になっているのも問題だ。アメリカの対イラク戦争で劣化ウラン弾が使用され、大きな環境破壊をもたらした。イラク人に被曝犠牲者がでた。そういう人権問題もある。だから絶対に原発は止めるべきだ。
再生可能エネルギーを推進したら、原発をやめられる。風力発電もあるし、太陽光発電もある。そういうものを強力に推進すべきだ。ほかにも、波力発電、地熱発電、小水力発電、太陽熱発電、いろいろあるではないか! 原発に流していたお金を再生可能エネルギーに振り替えるべきだ。そうしたら脱原発が出来る。われわれも、みずからの手で風車や電田を実際にやる。(経営する)政府は再生可能エネルギーを推進しやすくなるように、法整備をして、規制緩和し、しっかりと予算配分をしてくれ。日本は脱原発だあぁぁぁぁ! 太陽光発電だあぁぁぁぁ!

ごく大雑把に言って、双方の主張は以上のようなことかと思います。

●この「敵の原子力村等」と「みどりの未来など自然保護・環境重視派」の対立は、とても残念ですが、「原子力村」のほうが1枚も2枚も上手であります。わたくしの見たところ、「原子力村」の人々は大学生か大学院生ぐらい。「自然環境派」は中学生かせいぜい高校生ぐらい。それほど大きな差があります。これでは全く勝ち目がありませんな。まあ、日本の脱原発運動はたぶん失敗するでしょうなと思いますよ。ああ、とても残念です。

それで、近藤邦明さんが「自然保護・環境重視派」の人々に目を覚ませと言っているのですが、全く通じないどころか、「自然保護・環境重視派」の人たちの目には、近藤さんが原発推進者の手先のように映るのだと思います。近藤さんは既に何冊かの本を上梓していますが、メインの主張の場は氏のサイトです。ところが氏のサイトは「対専門家用」です。一般読者用ではありません。それで文系の人たちが多い「自然保護・環境重視派」の団体の人々には、近藤さんが主張していることが十分に理解できないのだろうと思います。

●釈迦に説法でありますが、なぜ「敵・原子力村」の方が1枚も2枚も上手なのか? 解説しましょう。よく観察すると「代替案を出せ!」などと要求しているのは原子力村のほうです。自然保護・環境重視側では決してありません。つまり敵の手のうえに自然・環境派が乗せられてしまっています。戦法としては一番やってはいけないことです。相手の術中にはまると言うのは最悪であります。残念ながら、この時点で勝負はついてしまっているのです。
それから、「CO2地球温暖化説」と「温暖化危機説」を仕掛けたのは、そもそも原発業界です。アメリカNASAの気象学者ジェームズ・ハンセンが1988年のアメリカ議会証言をしたことから始まったというのはよく知られるようになりましたが、むしろイギリスの動きの方が重要だったと思います。イギリスの保守党の政治家が、政治的に力を持っていた石炭業界(労働党)を潰そうとしてCO2地球温暖化を利用し、またスリーマイル島の事故で情勢不利な原発業界も復権ねらってCO2温暖化説を利用し、イギリス王立協会所属の気象学者も政治に利用され又政治家を利用し、国連に働きかけてIPCCを設立しているという経緯をみれば(日本の誇るCO2地球温暖化懐疑論者の赤祖父俊一氏の著作から)、CO2地球温暖化は最初から政治の匂いがプンプンしていますし、原発業界が深く関与しています。で、この原発業界がしかけたCO2地球温暖化に「自然・環境派」の人々が乗せられています。つまり、二重にのせられてしまっています。 相手の手の内に乗せられるというのは「おめでたい」極みであります。だから、「自然保護・環境重視派」の活動家たちは「お花畑だ」ということなんです…。

★例えば、三菱重工は原子炉を製造していますが風力発電の風車も製造しています。東芝や日立も原子炉を製造していますが太陽光発電パネルも作っています。原子力村の住民は持続可能エネルギー村の住人でもあります。彼らは再生可能エネルギーの弱点もダメなことも知り切っている確信犯です。かれらは利権にできてカネになればいいという立場です。私も知人にそういう人があります。知識も戦略も政治力も資金力も、原発村(再生可能エネルギー村もかなりの部分が重なっています)のほうが上手なのは否定しようがありません。仮に、原発をいったん停止に追い込んだとしても、敵は、ダメだと知り切っている(つまり開発研究者はみな敵側)再生可能エネルギーをこんどは煽りに煽ってくるでしょう。とことん推進させて商売・金儲けをしたあとで、やっぱりこんな不安定電源はダメじゃろうがとデータを出してきて、また原発の復権です…。と、まあ、おおよそ先は見えています…。

★原発も石油のうえに乗っかっていますが、再生可能エネルギーの風車も太陽光パネルも石油の上にのっかっています。原発・風車・太陽光パネルは “発電をするしか” 能がありません。原発など単なる蒸気機関だと言っても過言ではないでしょう。単なるお湯沸かしです。仮に石油が枯渇したならばどうなるか想像したらわかります。原材料の鉱石の採掘は電気掘削機で、山を掘るのは電気パワーショベルで、運搬は電気トラックや電気運搬船で…、と全て電気しか動力源がないということです。行き詰まるのは見えています。石油文明が終わるときは原発も太陽光発電も終わる時です。なぜこの簡単なことがわからないのか? お花畑たちは○○じゃないか? という気がします。(○○にはそれぞれ漢字1字であらわす動物名が入る)

それにしても、石油というエネルギーの便利で素晴らしいことには感嘆します。発電用の燃料にもなりますし、自動車など輸送用機器の内燃機関の燃料にもなります。成形が自由自在にできるプラスチックの原材料にもなります。もちろんボイラーの燃料になってお湯も沸かせます。原発も太陽光パネルも逆立ちしても真似ができません…。人類が本当に取り組まねばならないのはこの石油と言う素晴らしいものを温存することです。数十年後か100年後かそれは不明ですが、いずれ石油が使えない時が来ます。それをできるだけ先延ばしになるように石油を節約することです。たとえば NPO法人 もったいない学会 の創設者の石井吉徳氏をはじめ、もったいない学会に参加している人々はまともなことを言っています。中にはスパイみたいな人も混じっていますが、「自然保護・環境重視派」のお花畑たちは、このような優れたサイトの主張をよく読んで勉強する必要があります…。

まだまだ、まったく書き足りないのですが、また後に稿を改めて書きたいと思います…。



copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.