雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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淡路島の8月の降水量
8月は台風が来なかったので降水らしい降水がありませんでした。梅雨明け後から秋雨までの間、瀬戸内海気候の地帯ではほとんど雨が降りません。この地域はそもそも年平均降水量も1000㎜ちょっとですし、年によっては700㎜程度のこともしばしばです。台風が来てくれたならば100㎜や200㎜程度はすぐ降るのですが、そうでなければ連日カンカン照りで日照時間は長いです。8月下旬になって連日にわか雨はありましたが、地面が濡れる程度で雨量はすくなかったです。

そんな状況でしたが、狭い淡路島でもやはり地形の影響がはっきり現われ、やはり島南部の諭鶴羽山系では若干降水量は多くなっています。唯一、諭鶴羽山が110㎜と100㎜を越えました。紀伊水道から暖湿気流が入ると島の南部の山岳地帯で対流性の降雨が起こるようです。海洋性気候の影響が少し見られます。西南日本外帯の地域に分布している “襲早紀要素・そはやきようそ” の植物が諭鶴羽山系にたくさん見られますが、この海洋性気候の影響ではないかと考えられます。

襲速紀要素(そはやきようそ)とは何か?

村田源・小山博滋 『襲速紀要素について』 国立科学博物館専報 9, 111-121, 1976
↑国立情報学研究所の論文情報ナビゲーター “CiNii・サイニィ” でオープンアクセスできます。少し古い論文ですが、保育社の『原色日本植物図鑑』の共著者の一人の村田源先生の論文です。たいへん参考になると思います。

淡路島の8月の降水量
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民主党代表選挙をみての雑感
歴史に “もし” はないと言われています。歴史というのはただ一回だけ起こった事象であり、SFでいうようなパラレルワールド的なもう一つの歴史、別の歴史は存在しないという意味です。アメリカ人SF作家フィリップ・K・ディックが1962年に発表した作品に『高い城の男』という有名なSF小説があります。いわゆる “歴史改変SF” です。この作品では、もし第二次世界大戦で、米・英・仏の連合国ではなく日・独・伊の枢軸国が勝利していたならば、その後の歴史はどう展開していただろうか……? という思考実験をしています。作品ではアメリカが大国ドイツと日本で分割統治されています。
 フィリップ・K・ディックの『高い城の男』Wikipediaの解説
しかしながら、このような “もし~だったら” などという別の歴史など単なる思弁小説なのでして、絵空事でしかありません。「平行な歴史」も「突然変異体の歴史」も現実には存在しません。歴史はただ1回きりのものなのです。時の流れは過去から現在そして未来へと不可逆的に流れます。その瞬間、瞬間毎にサイコロが振られ出目が決定されます。その出目の隙間なき連鎖が歴史ということですが、さかのぼってもう一度サイコロが振られるという “試行” はありえないのです……。
もっとも、歴史をどう記述するかにおいては複数の歴史が存在します。史観によって「皇国史観」や「唯物史観」とか、記述者が為政者か否かによって「正史」や「稗史・はいし」などなど。しかしそれは記述方法が違うだけであって、歴史という現象そのものは1つだけ1回だけのものなのです。

さて、くどくどしい書き出しになりました。その決してありえない歴史の “もし” を思う今日この頃です。もし石井紘基さんが2002年に暗殺されずその後活躍していたならば…、もし検察の恣意的かつ悪意のある捜査がなされず小沢一郎氏が総理大臣になっていたならば…、この国の姿は一変していたはずです。
石井紘基さんはソビエトに留学してソビエトの崩壊を目の当たりにみました。そして帰国して日本の官僚たちの腐敗の姿をみて「この国もソビエトと同じことになる。崩壊するぞ」とつぶやき、この国の最大の問題点の特別会計を調査しはじめました。そして膨大な資料を集めたやさきに凶刃に倒れました。

小沢一郎さんがしようとしたのは、端的に言って “既得権益構造の打破” です。その最たるものが特別会計です。われわれが貯金をしても税金や年金掛金を払ってもお金はそこへ流れていく、そのかねを官僚たちが好き勝手に使っている、どのように使っているかは国会議員でもよく分からない…。で、特別会計の見直し・縮減・一般会計への組み換えを主張しました。それから企業団体の政治献金全面禁止。大企業が献金するから政治がカネで歪められる、政治がカネで買収される、特定の人たちだけの政治になってしまう。例えば法人税を引き下げて庶民増税をたくらむなど。それから警察・検察の取り調べの可視化。それから記者クラブの解放から、クロスオーナーシップの禁止。米国の属国からの脱却や、官僚から立法権を取り返すなどなど、本当にやろうとしたら石井紘基さんみたいに暗殺されるぞ、と思うぐらいの凄い主張だったと思います。

小沢一郎氏は暗殺こそされませんでしたが、なんの問題もないのにさも大疑獄事件かのようにマスゴミが叩きまくって世論操作し、出る幕を封じ込められてしまいました。そもそもの問題の発端となった「政治資金収支報告書の虚偽記載」にしても最初から何の問題も違法性もありませんでした。大雑把に言って次のようなハナシだったと思います。秘書らの住む宿舎を建てるための土地を購入しようとして、10月に小沢さんが4億円を立て替えてその土地を購入しました。その土地はは農地だったので宅地に転用するのに2か月ほどかかりました。その間小沢さんの政治団体の陸山会が銀行に4億円の借入を申しこみ、銀行からカネが下りると陸山会は小沢さんに返した。そして農地転用ができて、正式な所有権移転登記がなされた翌1月に収支報告書に記載した。という概要だったです。
東京地検特捜部が問題としたのは、10月の時点での記載をするべきなのに1月の時点での記載をしたのは、「虚偽記載」にあたるとしました。それからマスゴミの小沢さんにたいする土石流のような攻撃が始まりました。しかし、このハナシは不正なる献金を貰ったとか、賄賂でなにか口利きをしたとかいうものとは本質的に異なります。そういう犯罪性は全く感じられません。ただちょっと記載の日付をどうするかという程度のことです。常識的には正式なる登記ができた日付で記載すればいいと思います。(登記ができていなければ所有権が保全されたとは言えず、その土地を買ったとはいえない)慣例では、途中の資金繰りは記入しなくてもいいのと、もし提出した記載が不備であるというならば修正して提出しなおせばいいということですし、政治資金収支報告書の記載修正再提出は日常茶飯事だそうです。なぜ小沢さん1人を起訴するのか? あまりにも恣意的です。小沢さんを起訴するのであれば、国会議員の半数を政治資金収支報告書の虚偽記載で起訴する必要があります。

なお、小沢さんの秘書が5000万円の不正献金を受け取ったとさんざん報道しましたが、それは訴因ではないしマスゴミが小沢氏の政治生命抹殺のために垂れ流したデマです。裁判所で証言もありましたがうやむやに立ち消えています。カネをつかまされて偽証した可能性がとりざたされています。

で、結局は検察は小沢さんを不起訴にしました。検察がみても違法性がないから起訴するのは無理だったのです。いま小沢さんが起訴されているのは、検察がしているのではありません。ネット右翼「在特会」の男で自称 “桜井誠” です。10月に小沢さんの公判が始まりますが、検察が裁判所に提出した供述調書はことごとく却下されていますし、小沢さんを取り調べた検察官2人が、その後の異動で左遷されたり、事実上検察を追われて弁護士になろうと就職活動をしているようです。(つまり、東京地検はもう小沢裁判で戦う意思がないし、また裁判所も有罪にするハラがないのです)検察庁の上層部でも小沢さんは無罪だと言っているようです。

これらすべては旧体制の利権共同体(官僚・守旧派政治家・財界・マスゴミ)が一丸となって自分たちの利権を脅かす小沢一郎氏を抹殺しようとしているのだと考えられます。日本はアメリカの属国であります。毎年秋に『年次改革要望書』がきていたことが証拠です。たとえば、アメリカは郵便事業を国営でやっているのに、日本は民営化しなさいと要望書(命令書というべきか?)で要求して小泉・竹中両氏がへいかしこまりましたと郵政改革をやった、というのが大分知られてきました。政官業マスゴミにアメリカも小沢氏潰しに噛んでいるようです。

さて、庶民大衆がマスゴミの世論操作・情報操作に簡単に乗せられてしまうのは残念であります。もちろん国民のなかにも体制側・既得権益享受者がいます。たとえば公務員とかマスゴミの社員などです。しかしそれは国民の1割程度です。どんなに多く見積もっても2割までです。8割超の国民大衆にとってだれが味方なのか、だれが自分たちの利益代表なのか、代弁者なのかよく考える必要があります。そのさいには、その事象でだれが利益を得るのか? 逆にだれがカネをとられるのか? そしてその情報を誰が流しているのか? などの観点から見ていく必要があります。ナチス・ドイツの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルスが名言を残しています。 “嘘も100回言ったら本当になる” マスゴミが半狂乱になって「小沢が悪い」と繰り返すことの意味が、多くの庶民にはなぜ見抜けないのか…、不思議です。多くの庶民はものを考えないのでしょうか? マスゴミはとっくの昔に中立じゃなくなっています。マスゴミ自体が権力者・既得権益集団に変質しています。

野田氏が総理ではねえ……、ああ絶望的です。財務省の手下。走狗。かいらい。超緊縮財政で経済を破壊しそうですね。庶民大増税路線をつっぱしり、官僚の天下り利権などは温存です。どんどんとアメリカ国債を買わされそうです。(表面上は、外為特金などで為替対策として介入し、じつは体よく宗主国のアメリカにカネをとられている)日本はどんどん悪い方向に行っています…。

小沢さんならば、「アホみたいにアメリカ国債など買わないよ。世界最強の強い「円」で中東の油田の権利を買いまくれ! “強い円” は資源もエネルギーもない日本がそれらを買う大チャンスだ! また、それが円高対策にもなるのだよ。」ぐらいのことは言うと思いますよ。とても残念ですね。

●追記 いま大騒ぎになっています。NHKが悪質きわまりない意図的誤報(選挙妨害)をしたようです。NHKが決選投票直前に、馬淵が「野田を支持」と誤報誘導し、中間派の野田への「雪だるま現象」を促した謀略報道をしたようです。
副島隆彦氏のサイトが詳しく分析しています。
原発について何か意見をいうサイトやブログは広告代理店のアサツーディーケイによって監視されていますし、いよいよこの国は国民監視国家・情報統制国家・なんでもありの謀略国家になってきたようです。まもなく言論統制がはじまりそうです…。

●さらに追記 日本の最高のエコノミストの植草一秀先生が怒っています。NHKを解体せよ!
NHKを偽計業務妨害罪で刑事告発するべきだ
NHKは一体どちらのほうに顔を向けているのだろうか? 国民大衆から高額な視聴料を巻きあげておきながら、顔を総務省・政府のほうに顔を向けています。総務省の電波行政の監督下にあるのと、NHKの予算が国会審議事項のために、構造的に政府の手下・代弁者・広報係をせざるを得ないようです。早くいえばNHKは報道機関ではなく、国家のプロパガンダ機関なのであります。キム・ジョンイルを称える北朝鮮の国営放送とあまりかわらないようですね…。
『味地草』 における白石村の記述について 「キツネの恩返し」
なんか “2ちゃんねる” でわたくしの拙文がコピペされて、白石村の話題が盛り上がっているようです。多くの人が郷土の歴史に関心をもつのは結構なことだと思います。そこで、約500年まえに海の底に沈んだ白石村に関する近世文書の記載をご紹介しましょう。江戸時代末期の安政4年 (1857年) に、小西友直・小西錦江の父子の手で完成した淡路島の地誌に 『味地草・みちくさ』 という書物があります。その中に白石村の記述があるのです。昭和47年に名著出版から限定300部で “影印本・えいいんぼん” として出版されました。
『味地草』の著者の一人の小西錦江についてのウィキペディアの記述

● 『味地草』 の中の白石村の記述は、とても面白いものです。そのまま民話というか昔話になるようなハナシです。なんだか 『今昔物語』 などの仏教説話を思わせるような話です…。キツネの恩返し…、というような感じです。

味地草より
↑ 『味地草』 第四冊の526ページ (冒頭の1行だけ) および530ページです。527~529ページは土生・地野・潮崎・阿万の海岸の絵図です。

味地草より
↑ 531ページですが、関係のない後ろ部分の5行はカットしました。

●さて、山のキノコの解読です。“変体仮名” と崩し字で書かれていますが、なかなか達筆で流れるような筆跡です。原文には句読点はありませんが適宜「、」や「。」をつけました。そもそも句読点の歴史は浅いものです。江戸時代後期の『浮世風呂』などに「。」が使用された例は若干ありますが、句読点が普及してきたのは明治後期からです。ので、江戸時代の文書に句読点などありません。ですが読みやすくするために句読点を適当に打ち、改行もしました。以下の解読にそう誤りはないと思いますが、もし誤りがあればご指摘くださいましたら有難いです。

拙解読
白石 阿万東村の境畝号にして池あり。上本庄村にも白石と云畝号あり。村より北西、谷は西向。奇怪清誠談に曰、淡路の国白石村と云片山家に柴村武左衛門とて田畑数多の主にて裕福にくらしける郷士あり。

或夜枕のもとに白髪の老翁来りて云。我は此山に住む老狐也。明日国主出て狩し給ふ。予幼児二疋を持ちてり。身を置に所なし。今足下の仁あるを見込み明終日の間養育得させ給はれと夢中に告げたり。
 
果たして翌朝老狐二疋の子を連れ来り。武左衛門諾して裏に隠居のありけるが是に入置、犬などの用心して食物好めるに随ひいたはり遣しけり。其夜に入りしかば何国ともなく子を連れて帰れり。

或日、武左衛門山に行くに松のふりよき枝を庭に移し植えんとて鋤を以て松を落としけるに松根に蛇蟠り居るを知らずして蛇の首を切りはなしたり。大いに驚き無益の殺生をなしたりとて其の首を捜し求むるに更になし。詮方なきままに家に帰り彼松を植えたり。

又夢中に老翁来たりて示して云。我は以前子を介抱に預り危難を免れし老狐也。其厚志を報ぜん為に来れり。今日君山に入りて蛇の首を切り落し給へり。其蛇深く恨を含みて仇を報はんと此家に忍び、壺中にある水を汲み給ふべからず。若し疑意あらば壺中を見給ふべし。又君が山田旱魃して満作せざる事幾年ぞや。我教ゆる所の土を掘らば清水湧出して旱魃すとも更に濁する事あるべからずと委しく諭して夢覚めたり。

武左衛門夢覚めて水中を見れば首あり。又山田の助と成りて湧出させんと有所の指図の場所を人夫をして掘りたるに清水山田に充満して満作を得、子孫栄耀を極めたりける。敷地の内に稲荷の小祠を勧請し今に至りても此家相続きて往古の如く富む。人皆仁心の有難きに據らずや云々。

按するに今白石村と云所なし。然れば畝号の白石は則往昔の村名なる事もあらんか。

●次に、山のキノコの現代語訳です。若干の不明な点もあるのですが文脈から類推し、行間の意味を補い、言外の意味をもつけくわえました。逐語訳ではなく意訳を主体としてできるだけ小学生にもわかるように易しく書いてみたいと思います。(解釈を間違っている箇所があれば、ご指摘くだされば有難いです)

拙現代語訳
白石村について少し述べてみましょう。
南あわじ市の灘地区潮崎と阿万地区東村との境のところに、詳しい地名に “白石” という名称があります。そこには小さな池もあります。また阿万地区の上本庄村にも “白石” という名称があります。その白石という場所は灘地区の潮崎集落からは北西の方向にあり、谷になっているのですが、その谷は西のほうに流れています。
『奇怪清誠談』という書物に書かれていることですが、淡路の国に白石村という村があります。そこに郷士(ごうし)と言って百姓よりも上で名字帯刀をゆるされた身分の家で、片山家という家がありました。その当主で武左衛門(ぶざえもん)という沢山の田畑を持つ人がいたのです。まあ、裕福にくらしていた下級武士です。

ある夜のことです。ブザエモンが寝ていたら、夢枕に白髪のおじいさんが出現しました。そして言うのです。
「ワシはこの山(諭鶴羽山か?)に住んでいる “おじいさんキツネ” じゃ。明日、この淡路島を治めているお殿様がやって来て狩りをされるというなのです。ワシには小さな孫キツネが2匹いるんですが、諭鶴羽山には身を隠す所がありません。いま山の上から麓の村を眺めたら、白石村に親切で優しく他人が困っていたら助けてくれる人がいるにちがいないと思ったんじゃ。どうか明日一日だけ孫キツネ2匹の面倒を見てくだされへんじゃろか?」

思った通り、次の日の朝におじいさんキツネが子ギツネ2匹を連れてやって来ました。そのおじいさんキツネは尻尾を振るだけでなにも言いません。しかしブザエモンは夢のお告げを思い出し、よっしゃ、まかしときと承諾して、子キツネを裏の離れの建物にかくまいました。おじいさんキツネは犬が襲わないように気を付け、子キツネが喜ぶ食べ物を与えて、すこし子キツネをあやしてから山に帰りました。そして無事に一日が終わり、夜になるとどこからともなくおじいさんキツネが現れて、孫キツネを連れて山に帰りました。

さて、ある日ブザエモンは、庭に枝ぶりの良い松の木を植えようと思って山に行きました。松の木を掘りおこそうと鋤をふりあげたところ、その松の根元に蛇がとぐろをまいているのに気づかずに、その蛇の首をちょん切ってしまいました。ビックリ仰天して、する必要もないムダな殺生をしてしまったと反省し、せめて丁重に葬ろうと思い首を捜したのですが不思議なことにありません。仕方がないのでそのまま家に帰って、その松を庭に植えました。

また、ふたたび白髪のお爺さんが夢の中に現れました。ワシは以前に孫キツネをかくまってもらって危ないところを助けてもらったおじいさんキツネじゃ。あなたの優しい気持ちにお礼をしようと思って来ました。今日あなたは山に入って蛇の首をちょん切ってしまったでしょ。その蛇がたいそう恨みを持って、仇打ちをしてやろうとこの家に忍びこんでいますよ。ですから水甕のつぼの中の水を汲んではなりません。もし嘘だと思うのでしたら水甕のつぼをのぞいて見なさるといいでしょう。それから、あなたが所有する山の棚田がひでり続きで思うように収獲出来ない年が何年続いていますやろかな? ワシが言う所の土を掘ると清水が噴きださんばかりに湧いてきますよ。たとえ雨が降らずひでりが続いても、その湧水はこんこんとわき出て清水が涸れたり濁ったりすることもないのじゃよ。と詳しく言ってくれたが、その時ハッとして目が覚めてしまった…。

ブザエモンが夢から目覚めて起き上がり、水甕のつぼをのぞいたら首があるではないか! (夢のお告げは本当だ!) それから、旱魃の被害が発生しやすい山の棚田の対策として、夢のお告げの清水を湧出させようと、お告げが言っていた場所を人夫を雇って掘りました。そしたら、あら不思議、清水がこんこんと湧き出して山の棚田が満水です。世間はひでりで困っているのにブザエモンの田んぼは大豊作! そうしてブザエモンの家は子の代、孫の代づーっと栄耀栄華を極めることになったのです。それで屋敷の庭にキツネのお稲荷様の祠をお祀りして、今となってもこのブザエモンの子孫の家は絶えることなく続いているのです。しかも昔のように繁栄しているのです。貝原益軒は “人にはみな仁心あり” と言いました。仁心 (じんこころ) とは優しさとか親切心や愛する心というものです。それらは本来みんなが持っているものですし、その仁心によって良い社会ができるわけです…。 『奇怪清誠談』 に書かれているのは、このようなハナシなのです。

考察するに、今 (つまり味地草が書かれた江戸後期) では、淡路島には “白石村” という村は存在していません。ですから、潮崎と東村の境界に白石という名称があるのは、つまり昔に白石村というのが存在していて、その昔の村名の名残であるという事が、可能性としてあるのではないでしょうかねえ? (ま、よう分かりませんが…)

『夕鶴』 似の 『キツネの恩返し』 か?
●と、こんなハナシです。戯曲作家の木下順二の書いた 「夕鶴」 を思わせるハナシですね。良いことをすれば、それは別の形でやがて自分に帰ってくるという “善行の再帰性” を説いて、良いことをしなさいと説教しているようにも見えるハナシです。この説話的な小品を文学作品として読んだ場合、少し不満が残ります。あまりにも調子がよすぎるのです。ハッピーエンドになっています。ハナシにひとひねりを加えるほうがいいと思います。老ギツネがブザエモンさんに富みをもたらすお礼をしたのですが、その富を得るのに守るべき条件をつける…、その条件は欲望との葛藤みたいなものにして描くのです。結局ブザエモンさんは欲望にまけてその条件を守り切れなかった…、とそんなほうが良いのじゃないでしょうか?

『味地草』 が書かれたのは白石村が海底に沈んで300年あまり後であろうかと思われます。江戸時代後期にすでに詳細は分からなくなっています。『奇怪清誠談』 とは何でしょうか? 江戸時代に発行されたマイナーな書物? すでに散逸してしまった? 調べましたが分かりませんでした。ご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。

白石村 (しらいしむら) 沈没伝説について

話題満載の「アカネ」と、貴重種の「クルマバアカネ」
身近な植物でどこにでも自生していますし、綺麗な花が咲くわけでもありません。申せばありふれた雑草みたいな「アカネ」なのですが、色々と話題豊富な植物です。また、アカネによく似たものに「クルマバアカネ」があります。

●まず、アカネは万葉植物です。万葉集にアカネが何首も詠われていますし、「あかねさす」というのは著名な枕詞です。朝焼けや夕焼けがアカネ色(赤系統の色)に映えることから、アカネは太陽を思い浮かべるもので、「あかねさす」は日・昼・照る・紫を引っ張り出す “先行詞” みたいなものです。アカネというのは “赤根” でその根を掘ると生時には赤黄色をしています。乾燥すると黒っぽくなります。

●次に、古代から使われる優れた染料です。暖色系統の桃色~赤色に染まるようです。
サイト名は不明ですが、アカネで絹糸を染めています。

●アカネは薬草でもあります。秋に根を掘り採って乾燥したものは、茜草(せんそう)という名の生薬だそうです。
イー薬草ドットコム『薬用植物一覧表』
↑このサイトではアカネを万能の薬みたいに効能を書き並べていますが、茜草は『日本薬局方』には収録されていないようです。本当に効くのでしょうかねえ?? それとアカネの根を乾燥させると赤黄色になると、逆を書いています。生の時に赤いような黄色です。乾燥すると色が黒っぽくなります。

アカネ
↑こちらはアカネです。花の写真を撮るのは難しいので、花は下の波田先生の写真をご覧下さい。アカネは1節から4枚の葉が出ていて輪生(りんせい)するかのように見えますが、真の輪生ではありません。偽輪生(ぎりんせい)と言われています。ニセモノの輪生だというのです。実際は2枚の葉が対生しているのですが、葉の基部にある小さな葉状の托葉(たくよう)が葉と同じぐらいにまで発達して4枚の葉のように見えるのです。とくにアカネでは対生する2枚の葉の間に「葉間托葉」が2枚あり、それが巨大になっています。4枚の葉のうちどれが本当の葉なのか? どれが巨大になった托葉なのか? ですが、本当の葉の基部からは花序や枝が出ますが、托葉の基部からは花序や枝が出ないということで見分けます。で、そういうことを意識しながら↑の写真を撮りました。写真中央の節から4枚の葉が出ています。右上の葉の方向に枝が出ています。で、この右上の葉とそれに180度向き合う左下(虫食い模様がある)の葉が本当の葉です。

(托葉とは葉の付け根にある小さな葉のようなものですが、本来、アカネの対生する葉の葉柄の基部には2個の托葉がありました。1枚の葉に2個の托葉があったのです。葉は2枚あるから托葉は全部で4個あったと言うことになります。ところがその托葉が2個づつくっついて合着したのです。それは、こちら側の葉の托葉と向こう側の葉の托葉がくっついて「葉柄間托葉」になった。つまり托葉が4個 → 2個に減数した。そして2個に減数した托葉が巨大化したということなのです。)

リンクフリーの波田先生のサイトでアカネの花の写真が見られます。

クルマバアカネ
↑こちらはクルマバアカネです。車葉アカネの意味です。1節から葉がたいてい8枚にぎやかに出ていて、ちょうど車輪を思わせる姿をしています。8枚と決まっているわけではなく6枚のことも多いです。(ただし茎の主軸についてであり、枝では4枚のことが多いです。)さて、1節に8枚も葉がにぎやかに付いていると、このうちどれが本当の葉なのか? どれが托葉が大きくなったものなのか? 托葉は2枚なのか4枚なのか? と、聞かれそうですが、わかりません。???。ハイ。当方植物形態学の専門家じゃありませんから答えられません。でも、まあ調べておきます…。(よく観察してみます。)
ご教示たまわりますれば有難いです…。

クルマバアカネの分布はアカネよりも狭く、主に九州北部から中国地方の日本海側の海岸と、九州北部から愛媛県北部・瀬戸内海を通って淡路島・和歌山市にいたる線上の海岸にあるそうです。国外では朝鮮・中国東北部などで、要するに乾燥気候のところに分布しているそうです。海岸近くに自生していて、南あわじ市灘地区~洲本市由良にかけてよく見られます。アカネよりも豪壮な野草という感じがします。茎につくトゲもアカネよりもきついです。

『日本のレッドデータ検索システム』では6県がクルマバアカネを絶滅危惧種に指定しています。

『兵庫県レッドデータブック2010』ではクルマバアカネはBランクの絶滅危惧植物です。

なんとなく胡散臭くみえる写真
「なんか変だな」と気になる写真ではあります。つい、いろいろと想像を(つまり下衆の勘ぐりを)してしまいます。なんとなく不自然さを感じさせる写真なのです…。そうだと断定はできないのですが、どこか胡散臭いのです……。

2011.8.26 産経新聞朝刊1面
↑本日、2011年8月26日付産経新聞朝刊1面に載った記事の写真です。泉南アスベスト控訴審で、大阪高裁が原告側が逆転敗訴となる判決を言い渡した、という記事です。

●原告側が「不当判決」の幕を掲げたという写真説明があります。ということは幕を持っているのは原告側の人ということになります。おそらく弁護団の弁護士かな?

この幕はいったいいつ用意したのでしょうか? 判決が言い渡されてから作ったのでは間に合わないハズです。原告団は32人もいるということですから、その家族・支援者などの関係者はもっといるハズです。大勢の人がいれば、裁判所内か裁判所の近くでパソコンとプリンターを用意して待機し、判決が出るとすぐさま幕を作るということも、できなくはないでしょう。
しかしながら事前に用意しておく方が無難なハズでしょう。急にプリンターが故障することもあり得ます。もし事前に用意したのならば10種類ぐらいの幕を用意する必要があるハズです。そもそも、どのような判決が出るか事前には分かりません。弁護士ならばおおよその予想はつくかもしれませんが、全く予想外の判決が言い渡されることもありましょう。判決といってもただ単に「勝訴だ」「敗訴だ」というだけでなく、いろいろな通りがありましょう。裁判官が国の責任を認めて原告勝訴となっても損害賠償請求は退けるというふうな “勝訴だが実質は敗訴” とか色々ありそうです…。弁護士ならばどういう判決が可能性としてありうるかそれは分かるでしょうから、事前に10種類ぐらいの幕を用意しておいて、判決にピッタリと適合する幕を掲げたのでしょうかねえ??

まさか、裁判官・検察官・原告弁護士が裏で通じていて、判決が言い渡される前に、その判決内容が既に分かっている(リークされている)なんてことはないでしょうね? 

●この写真は見るからにヤラセっぽく見えませんか? 写真には20人ほどの人間が写っています。みなカメラを構えています。プロのビデオカメラを持つ人が2人いるので、テレビ・新聞の記者もいると思いますが、素人っぽい人もいます。写真の左側(説明文のある方)に、写真には写っていないけれど人が大勢いるのは明らかです。「不当判決」の幕の向きからそう分かります。この写真を撮影した竹川氏と写真に写っている20人とはほぼ正対に近い位置関係です。にもかかわらず、不当判決の文字が見えるということは、その幕を20人の方に向けていないのです。(竹川氏は、“不当判決の文字” と “それを写している人々” の両方を写真に撮ろうとしました。それで前に進んで撮っています)

つまり、「不当判決」の幕を写真やビデオに撮ろうとしている人々はもっと沢山いるのです。100人ぐらいか? その大勢いる人々の端のほうの20人だけがこの写真に写っているのです。おそらく「不当判決」の幕をテレビ・新聞などの取材陣に向けているものと思われます。幕を持つ弁護士?らしき男の視線は、報道陣のほうに向けられていると思います。(視線の向こうに大勢の人がいる)
(このニュースをテレビがどう報じたかは私は知らないです。テレビなど見る価値がないので一切見ないのです。最後に私がテレビを見たのは半年前の2月上旬です。3週間入院をしたさいに、病室にあったテレビを見ました)

●裁判所の外で新聞・テレビ(最近はネット記者もいるでしょう)の取材陣が、判決を待っている…。判決が出て、弁護士が走ってくる…。不当判決だという紙を見せる。報道陣から「よく見えるように紙を高く掲げてくれ」とか注文があるかもしれません。原告側はマスコミを利用して判決は不当だ! 間違っている! と視聴者や読者に訴えることができます。マスコミは記事がつくれますし、商売ができます。
勝手な想像ですが、裁判所 ― 検察官 ― 原告弁護士 ― マスコミ、これらの連鎖が一直線に繋がっている部分が本当にないと言えるのか? たとえばマスコミがこの裁判を重点的に報道しようと決めたならば、原告弁護士に控訴審結果を大きく報道するぞと弁護士に連絡する、弁護士は “サマになる写真” が提供できるように準備する…。あるいは逆かもしれません。弁護士(原告側)からマスコミに働きかけるのかもしれません。

●もちろん下衆の邪推・想像・勘ぐりなのですが、なんとなくヤラセっぽく見える写真ではあります……。

●むかし15年ほど前に、NHKの取材を受けたことがあります。NHKの人が3人来て、「こういうふうにしてくれ」とか「こういう格好でお願いします」などと言うのです。ようするに自然な姿を取材するのではなく、取材対象に “演技”をさせようとするのです。で、わたしは責任者らしい人に言いました。「それではヤラセではないのですか?」すると彼は涼しい顔で言うのです。「テレビの映像なんてみんなヤラセなんですよ」

テレビの映像や新聞写真のみならず、記事にいたるまで、ある程度はヤラセ(インチキ)もしなければ映像らしい映像、サマになる写真や記事にならない……、ということなのでしょうかねえ??
稔りの秋、食べられる野生果実 その1
8月も下旬になりまして、そこはかとなく秋の気配がただよってきました。原発利権をなんとしてでも温存したい勢力は、原発がないと停電するぞと脅迫しましたが、今夏の暑さのピークは乗り越えました。いま日本列島の上に秋雨前線が横たわっています。前線の北側では涼しく、南側では残暑ですが、夏の気団と秋の気団との攻防戦が展開されています。これからは太陽高度も下がってくるし、夜の長さも伸びてきます。ほぼ間違いなく今夏の暑さのピークは通りすぎて、エアコン運転による電力需要のピークも乗り越えました。けっきょく、東京電力管内でも大停電は起こりませんでした。原発がなければ電力需要は賄えないというのは、原発を温存するための脅迫であったことが事実をもって証明できたのは喜ばしいかぎりです。赤飯を炊いてお祝いすべきほどの大慶です。

また、代替エネルギーも必要ないということが事実をもって証明されました。というよりもこの国の電力はあくまでも大部分を火力発電で賄っていたということが判明したのです。10%の水力発電と石炭・天然ガス・石油という手段で電力需要を賄うことが可能であることが、誰の目にもあきらかになったのです。原発は54基あるうちのまだ14か15は稼働していますが、7割は停止しています。残りもいずれ定期検査で運転中止に追い込まれるので、反対派のあともう一歩の踏ん張りが必要です。原発が隠されたコストがあって実際はとても高価な電力であることも広く知られてきました。残りの14基を停止に追い込むと若干の補完発電所が必要となりましょうが、発電効率・コストにおいて天然ガスが一番安いですし、新しい天然ガス発電所は最短で3カ月で建造可能だそうです。

さて秋の野山には食べられる野生果実がたくさんあります。シリーズとして取り上げていきたいと存じます。まず最初はミズキ科のヤマボウシです。ヤマボウシの果実はたべられます。インターネット百科事典のWikipediaには次のように言っています。

「果実は集合果で9月頃に赤く熟し、直径1~3センチで球形、食用になる。種子は約3ミリで、大きい果実には3~4個、小さい果実では1個入っている。果肉はやわらかく黄色からオレンジ色でありマンゴーのような甘さがある。果皮も熟したものはとても甘く、シャリシャリして砂糖粒のような食感がある。果実酒にも適する。」

これを読めばカゴを持って採りにいきたくなりそうです。マンゴーのよな甘さがあるそうなのです。果実酒にもなるそうです。

ヤマボウシの果実
↑諭鶴羽山系には麓から山頂までたくさん自生しています。かご一杯採ることも可能です。お酒を召しあがる方はヤマボウシの果実を焼酎に漬け込みましょう。酵母を手に入れて発酵させるのもいいでしょう…。この写真は本日8月24日に南あわじ市賀集牛内で撮りました。早い木ではぼちぼちと採り頃です。食べるのには熟し過ぎたものよりもすこし若いもののほうがいいです。甘みはあるのですが、酸味はほとんどありません。(野生植物は遺伝的な形質にばらつきがあるので、木によって味が違うかもわかりません)

サッカーボールみたいな果実
↑赤く色付いた果実を任意に20個計測しましたところ、果実の径が2.0㎝~2.5㎝の範囲に全て入っていました。食べてみると、マンゴーのような食感で中に2個の種子が入っていました。果実は集合果でパイナップルみたいな模様があります。サッカーボールのようにも見えます。模様をよく見ると不規則な多角形で、5角形、6角形、7角形とあるのは面白いです。
ハギの見分けは難しく…、ハギの語源は諸説ふんぷん…。
マメ科ハギ属の植物、いわゆるハギ(萩)はやっかいです。その分類は諸説あって見分けるのはとても難しく、その語源は百家争鳴・諸説紛々というほかありません。ハギほど人によくその名を知られた植物はないし、お庭や公園にも植えられ山にも普通に自生している身近な植物なのに、とてもてこずる植物なのです。

わが淡路島の諭鶴羽山系に自生しているハギ属(Lespedeza・レスペデザ)は次の9種です。(『兵庫県産維管束植物4』163ー166貢)
なお、属名のLespedezaは、V.M.de Cespedesへの献名ですが、ミスプリントの為にLespedezaになってしまったそうです。(『植物学ラテン語辞典』113貢)印刷ミスで間違ってレスぺデザになったといういわく付きです。V.M.de Cespedes氏が何者なのかネットで調べたら、1784~90年にフロリダ総督であったスペイン人だそうです。ネットは玉石混交であるのは間違いないのですが、色々な細かいことが調べられてとても便利ですね。

●諭鶴羽山系に自生するハギ属植物
低木になるもの……キハギ・ヤマハギ・ツクシハギ・ニシキハギ(ビッ
         チュウヤマハギ)・マルバハギ

草本状のもの………ネコハギ・メドハギ・ハイメドハギ・ヤハズソウ

ところが、ハギ属の範囲を狭くとるか広く考えるか諸説あるようで、狭くとるならば最後のヤハズソウはヤハズソウ属ということになり、Lespedezaではないということになります。ハギの仲間は分類学の研究者でもやっかいなしろものという感じがします。(門外漢が植物分類学の畑の垣根の間から中をのぞきこんだら、畑で作業している人たちが深刻な顔で悩んでいるふうに見える…)

素人の門外漢がこれはニシキハギなのだろうか? ヤマハギなのだろうか? と悩みだしたら病気になりそうです。文献にあたり検索表と格闘しても、調べれば調べるほど、観察すれば観察するほど、変異の幅がかなりあり中間みたいなものが出てくる始末で、しまいには頭痛がしてきます。以前、専門家の先生に、「私ら素人が一生懸命しらべても、間違いが多いと思います」と言ったところ、「それはワシらもじゃ」という返事です。実際、専門家の先生らも、以前の同定では△△であると報告したが誤りがあったので☆☆に訂正する、という一文を書いているのをよく見かけます。

●誤りがあるのは当たり前というか、しかたがない…。もし誤りが見つかったならば、訂正をすればいいのである…。ということのようです。なんだか開き直りみたいですが、誤りを認めて訂正するという姿勢は正しい。誤りを認めず訂正しないという姿勢は誤りなのです。そう言う意味では、原発マフィアの連中は、絶対に誤りを認めず責任も取りませんが、これは明らかに誤りです。そろそろ国民がエジプトみたいに立ちあがって大規模な暴動が起こると予想しています…。

マルバハギ
マルバハギの花
↑ぼちぼちとマルバハギの開花が始まりました。満開になるのは相当先です。名前が示すとおり葉が丸っこいです。葉の葉柄が短く、他のハギに比べると葉が枝に密着しているような感じです。花序も短く葉よりも内側に収まっています。(花序が葉の外まで長く突き出していない)

●さて、ハギの語源説は諸説ふんぷん、というよりも各典籍が思いつきのようなことをそれぞれ主張しています。その語源説の当否を検証するのは不可能であります。万葉集の中では、ハギの表記には「芽」や「芽子」を多く用いているので、1.の『大言海』説の可能性が高そうな感じはします。「波義」とか他の表記もあり、1.だと断定しきれない感じはします。主に、『日本国語大辞典』を元にして考察しました。

1.ハエキ(生芽)の意味。『大言海』
  株元から芽がたくさん出る? 刈り取った跡には沢山出るが…。
  旧枝が枯れた跡から、新芽が沢山でるという意味なのか?

2.ハナコシの転。『名語記』
  この説は意味不明。ハナコシ=花輿か?輿(こし)とは天皇など偉
  い人が乗る乗り物で、庶民は乗れないものですが…。
  花輿(はなこし)はハギの花で飾った輿なのか?

3.ハヘクキ(延茎)の意味。『日本語原学』
  茎が這うように伸びる? ハイメドハギならばそうだが…。
  或いは、茎が垂直方向に延びることを言うのか??
  或いは、茎が伸びるのが早くて、よく目立つ?

4.ハヘキ(延木)の意味。『国語の語根とその分類』
  地を這うような木? あるいは、どんどん伸長する木の意味?

5.養蚕用語説。『遊相医話』
  養蚕の時用いる雑木小枝を束ねたものをハギというそうです。多
  枝細条であるのが似ているということか?

6.ハヤクキバム(早黄)の意味。『和句解』『日本釈名』『滑稽雑談
  所引和訓義解』 秋に他樹にさきがけて黄葉する??

7.ハキ(葉黄)の意味。『言元梯』
  秋に葉が黄葉することを言うのか? 黄葉が特別に目立つ??

8.ハリキ(刺生)の意味。『名言通』
  キ(生)は草の意味。チクチクと刺すように痛い草なのか??

9.ハキ(葉木)の意味。『柴門和語類集』
  葉木は庭園の樹木の意味です。庭に植える植物の意味か?

10.アキ(秋)の転。『和語私臆鈔』
  秋に咲く花だからアキといっていたが、ハギに転訛した?

●山のキノコの語源説。
11.ハエギの意味です。ハエギというのは垂木(たるき)の古名です。
  棟木から軒先に渡して屋根を支える部材を垂木と言いますが、ハギ
  の枝が沢山垂れ下がる状態は、垂木が並んでいる姿によく似ている
  のです。それで垂木(ハエギ)のように見える木だと言うのです。

否、逆かもしれません。先にハギという植物があってハエギと言っていた…。あとから木造建築技術が開発されて、屋根を支える部材を何と言おうか?という問題が生じた。で、ハギの枝が並んでいるようだからハエギと言おういうことになった…。そういう可能性も考えられます。

でもそんなことを考えたら他の語源説もみな揺らいできますね。すべてハギには名称がなかったという前提の語源説です。たとえば10.のハギと秋の関係。先にハギという植物があった。で、ハギの咲く時節をハギと言おう、そしてハギがアキに転訛した可能性もあります。ま、秋は「明き」とか「飽き」とかの語源説がありますが、どの言葉が先でどの言葉が後でという関係を明らかにしないかぎり、語源説などいいかげんな思いつきばかり……、ということも言えそうです。

(つまり、実りの秋は食べ物が一杯で「飽き」るほど腹一杯食べられるということで、「飽き」が季節の名称に使われたという説は、飽きるという言葉は既に存在するが、秋という言葉がまだ存在していないという前提に立っています。卵が先かニワトリが先かみたいな話です。どっちが先なのだろうか??)


秋の七草についての考察ノート、「ヤマハギ」の写真付き
『万葉集』は申すまでもなくわが国最古の和歌集であります。全20巻で4500首あまりの歌が収録されていますが、第八巻の中の第1537首および第1538首が、秋の七草の起源とされています。

原文は、まだ平仮名・カタカナが発明される以前の時代の歌集ですから、漢字のみで書かれています。“万葉仮名” とよばれる仮名で書かれています。万葉仮名は主に一字一音を表す漢字で、動詞の活用語尾とか助詞とかは万葉仮名で表記するのです。たとえば、“あいうえお” を “安以宇衣於” などと書くのが万葉仮名なのです。仮名とはいうものの平仮名でもカタカナでもなく、あくまでも漢字なのです。山のキノコならばたとえば “山乃伎能古” などと書きます。ただし1字2音のものとか、2字で1音を表したり、音ではなく訓で読んだりとか、実際は複雑な表記法がされています。残念ながらネットにはあまり良い解説がなさそうです。↓がおすすめ。
昔は漢字ばかりなり ~万葉仮名のくふう~

●【原文】『新・岩波古典文学大系』から。
山上臣憶良詠秋野花歌二首
1537 秋野尓 咲有花乎 指折 可伎数者 七種花 其一
1538 芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫都志 又藤袴 朝皃之花 其二

●【読み方】『新・岩波古典文学大系』から。
山上臣憶良、秋野の花を詠む歌二首
やまのうえのおみおくら、あきののはなをよむうた

秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 その一
     (指=および、七種=ななくさ、と読む)

萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなえし また藤袴 朝顔が花
その二  (尾花葛花=をばなくずはな、藤袴=ふぢばかま)

●【語釈など】
指(および)は「ゆび」の古名。七種(ななくさ)の種(くさ)は種類の意味。種種の(くさぐさの)となると色々なという意味になります。1537がその一、1538がその二と、連作になってます。最初のほうが5・7・5・7・7と短歌の形式で、後の方が5・7・7・5・7・7となっていて旋頭歌(せどうか)の形式です。

●【意訳】
秋になると、野にも山にも色々な花がたくさん咲いている。その秋という季節を指標するような代表的な花を列挙してみよう。掌を出して順番に賞美すべき花を1つ2つ…と指を折りながら数えてみると、7種類の花があるのだ。
で、吾輩、山上憶良が秋の花と認めるのは、次のものだ。それは何かと言うと、ハギの花、ススキの花、クズの花、ナデシコの花、オミナエシの花、それからフジバカマの花、アサガオ(?)の花なんだよ。

●【山のキノコの怪説】
山上憶良が、秋の花がいったいいくつあるか数えてみたら7つあったということですが、7種しかない、それ以上は見つけることができなかった可能性もありそうです。逆に、秋の花は何十と沢山あるが、観賞すべきものを7つだけ選んでみた、ということも考えられます。

57577の短歌、577577の旋頭歌の字数の制限があるから、花は沢山あるけれども字数制限に合うだけの7つを抽出したのかもしれないです。もしかすれば指を折りながら数えたのは、花の種数ではなく、字余りとか字足らずにならないように文字数を数えたのじゃねえか?

たぶん、沢山ある秋の花を片っぱしから列挙するのであれば、長歌という形式になったハズです。その形式で書くならば10でも20でも秋の花を沢山並べられます。万葉人は、自然の恵みに喜び、自然の脅威に恐れおののき、自然の摂理の中で暮らしていた時代の人々です。自然観察の鋭い目を持っていたと思います。だから秋の花を7つしか識別できなかったとは考えにくいです。で、沢山ある秋の花の中から、文字数(というより音数か?)を気にして指折り数え、形式にはめこんだら7つの花が入った…、ということであろうか?

(577577という形式をはみ出すわけにはいかない。で、音数を指で折りながらどの花を入れるか、これはダメだな、これは行けるかな、と試行錯誤した結果、7種の花がうまく形式にハメ込めた)

●さて、山上憶良のいう「朝顔の花」が何をさすのか諸説あります。主に3説あります。キキョウ説が定説だと決めつける書物が植物に関する本に多いのですが、国文学関係の文献ではキキョウだとは決めつけていないようです…。いろいろ可能性があるもの、ハッキリしないものは、“まだよく分かっていない” と言うのが正しい…。

1.アサガオ説………『本草和名』918年、『和名抄』934年成立
2.ムクゲ説……………………………『和漢朗詠集』1018年成立
3.キキョウ説……………………『新撰字鏡』898~901年頃成立
4.ほかにも施花説(ヒルガオ)と言ふ説もあり。

1.には奈良時代にはアサガオは日本にまだ伝来していないという反証があります。しかし、アサガオの種子は中国では「牽牛子」(けんごし)と呼ばれる生薬で、日本薬局方にも収録されているそうです。奈良時代にはすでに中国から伝来していたとする説もあるそうです。山上憶良が言うアサガオがアサガオなのかキキョウなのか、論争に決着をつけるのは “花粉分析” なのか? 奈良時代(それ以前の弥生時代でもいい)の地層からアサガオの花粉がでてきたらいいのですが…。遺跡から炭化したアサガオの種子が出土してもいいです。

2.のムクゲ説には、秋の7草のうち他のものはみな草本であるから、木本のムクゲを入れるのはおかしいという見方があります。しかしこの見方は間違いです。ハギが木本植物だからです。

ヤマハギの花
↑秋の七草の一つのハギですが、七草でいうハギはその分布などから「ヤマハギ」であろうとされています。写真の物は南あわじ市阿万の本庄ダムで8月15日に撮りました。諭鶴羽山系にはマルバハギやキハギなど他の種類のハギもありますが、ヤマハギは花期がとても早く7月から咲いていました。あまり枝がしだれないハギです。花序が葉よりも長く突き出るのが特徴です。
サカキカズラの淡路地方名は「シオババ」 その2    「竹藤・タケフジ」という淡路地方名もあります。
一つ前のエントリーで、サカキカズラの淡路地方名は「シオババ」としましたが、もう一つあるのでご紹介します。シオババというのは南あわじ市灘地区での地方名です。同じ南あわじ市内の福良地区には古くから「竹藤・たけふじ」という地方名があります。「竹藤」は古くから文献にもあります。江戸時代末期に出版された『淡路国名所図会』に竹藤の記述があります。

淡路国名所図会
表紙を開いたところ、目次
↑これは、わたくし山のキノコの蔵書です。古書店で結構なお値段がつく値打ち物です。

●『淡路国名所図会』(あわじのくにめいしょずえ)というのは江戸時代末の嘉永4年(1851年)に出版されました。編者は大坂(大阪ではありません、当時は大坂)の著名な浮世絵師であり戯作者の暁鐘成(あかつき かねなり)です。暁鐘成は沢山の著作を遺しましたが、一番有名な物は嘉永6年(1853年)に出版した『西国三十三所名所図会』です。『淡路国名所図会』は全5巻で、写真のものは明治27年に復刻した和綴本です。この書物の内容は、淡路島各地の村々の名所を文章と絵図で紹介するものです。淡路島の近世の歴史研究に必見の文献の一つでもあります。

●で、南あわじ市の福良湾に円錐形のかたちの煙島という小島がありますが、『淡路国名所図会』に次のように記述しています。(原文には句読点はありません)

「竹藤、煙島の林中にあり、繁茂して大樹にまとえり。その花葉とも尋常の紫藤に異なることなし。しかるに、その蔓に竹のごとく節のかたちあること、本より末にいたるまでそのほどにかくることなし。太き幹より細き枝にいたるまで、おのおのふしなきということなく、実に無双の一奇というべし。」

紫色の花が咲くフジのような蔓植物ではあるが、その蔓には、根元から枝先にいたるまで竹にそっくりな節があります。こんなに奇妙な植物は他には全くありません。と言っています。これはサカキカズラのことです。昔の人もサカキカズラの茎にリング(輪)があるのに気づいていました。この「竹藤・たけふじ」は福良地区のみの地方名のようです。

サカキカズラは淡路島では諭鶴羽山系に見られるのと、この煙島には古くから知られています。洲本と福良を結ぶ国道28号線以北でサカキカズラの標本が採取されている産地は、旧西淡町阿那賀1か所のみです。淡路島北部にはありません。なお、『兵庫県産維管束植物6』ではサカキカズラの項目で産地記載を “南淡町阿那賀” と誤記しています。したがいまして、サカキカズラの兵庫県内の分布は、旧市町村名で洲本市・南淡町・西淡町の3区画に分布することになります。

●ついでにサカキカズラの全国各地の地方名を調べてみました。

東京都  せいのつの・まさきふじ Blog『癒しの八丈島』
     まさき・まさきづる  (三宅島)
     まさきふじ  (御蔵島・小笠原諸島)
和歌山県 くちなしかずら・ごんどーかずら・とーじかずら・にしきか
     ずら  『和歌山県植物方言集』『和歌山縣方言』
高知県  くろさい
鹿児島県 くろまさき・くろまさきかずら・どびんかずら
     くるみかずら(奄美大島)くるみかっだ(沖永良部島)
沖縄県  ますちかんだ・あがかんだBlog『与那国フィールドノート』

「せいのつの」とか「くろさい」などの地方名は、サカキカズラの果実が動物の角を連想するところから名づけられたような気がします。意味不明なものが多いです。淡路福良の「たけふじ」は分かりやすい地方名です。
サカキカズラの淡路地方名は「シオババ」 その1
キョウチクトウ科のサカキカズラです。兵庫県では淡路島の南部にしか分布していないです。県内分布が限られるので『兵庫県レッドデータブック2010』では一応Cランクの絶滅危惧種扱いになっています。しかしながら、淡路島南部の諭鶴羽山系ではありふれた普通種です。谷でも尾根でも山系の南斜面でも北斜面でもいたるところに繁茂しています。物というのは少ししかないと貴重品ですが、沢山あればあまり価値がありません。で諭鶴羽山ではサカキカズラは単なる雑草です。身近な所にいたるところにあるので、「シオババ」という地方名までついています。

●いわくありげなシオババの地方名ですが、(南あわじ市灘地区の名称です)意味不明の地方名です。わたしの勝手な語源解釈ですが、“シオババ = 塩婆” ではないでしょうか? サカキカズラの花は径10㎜ていどですが、花冠が5裂しています。その裂片が塩で萎れたかのように細くなっています。そしてお婆さんの顔のしわみたいにねじれています。そういうイメージであろうかと思います。この解釈が当たっているかどうかは分かりませんが、立派な地方名が存在するということが、その標準和名など知らなくても、そういう植物があると地域住民が認識している証拠といえましょう。

『兵庫県レッドデータブック2010』ではサカキカズラはCランクの扱いです。

サカキカズラの花
↑花はお世辞にも美しいとはいえませんが、とても面白い形状をしています。花冠が5裂しているのですが、裂片がいじけたように萎縮して細く、しかもねじれています。“かざぐるま” を彷彿とさせるような形をしています。淡路島の諭鶴羽山での花期は5月上旬です。
リンクフリーの波田先生のHPで、サカキカズラの花のアップ写真が見られます。

サカキカズラの葉
↑サカキカズラの語源は、その葉がサカキ(榊)の葉に似るからだとどの書物にも書いています。はたしてそうだろうか? サカキの葉よりもかなり細身であるように見えます。あまり似ているようには思えません。諭鶴羽山のサカキカズラの葉が特別に細長いのかと思い、各地の植物のブログやHPの写真を拝見すると、若干の地域変異とか個体差とかはあるのかもしれませんが、細長いものが多いようです。で、サカキとサカキカズラの葉が似ているというのは、その葉の形ではなく葉の表面にクチクラ層が発達していてテカテカと光沢がある様子が似ているからではなかろうか? という推論もできそうです。でも光沢があるのが似ているというのであれば、“ツバキカズラ” でも良さそうです。

サカキカズラの太い茎
↑サカキカズラは10mぐらいになる壮大な蔓植物で、よく育つと茎の太さはヒトの腕ぐらいにもなります。写真のものは茎の径が5㎝ぐらいです。写真の茎には20㎝間隔でリング(輪)があります。これがサカキカズラの茎の特徴で、若い茎にも太い茎にもリングが見られます。なれると茎を見ただけでサカキカズラだと分かります。

対生する葉の付け根がリング状に盛り上がる
↑葉は対生していて葉の葉柄の付け根が膨らんでいて、その膨らみは茎を取り巻いて輪となっています。枝先の葉であろうと、太い徒長枝につく葉であろうと、よく観察すると対生する葉の付け根がリング状になっています。

サカキカズラの若い果実
↑サカキカズラの若い果実です。この写真は8月16日のものですが、2個の果実が水牛の角のように水平に開いています。2個の果実の長さは約20㎝で、すでに生長しきった大きさです。しかし果実が成熟し種子散布をするのは何ケ月も先で、種子が風に乗って飛び散るのは年が替わって冬です。この果実は1枚の心皮(しんぴ)から成る袋果(たいか)で、果実が成熟するとアケビのように1筋の裂け目から裂開します。

シタキソウの若い果実
↑こちらはガガイモ科のシタキソウの若い果実です。水牛の角のような形状といい、長さ太さ幅とか、色合いとか、袋果(たいか)の縫合線の茎にたいする位置とか、何から何まで酷似しています。諭鶴羽山系でサカキカズラの果実の観察をする際には、シタキソウの果実と見間違える可能性があります。しかしながら、葉を観察すると全く異なりますから識別できると思います。
こちらがシタキソウの花と種子散布の写真です。 
新聞の崩壊、新聞は「野生絶滅種」となるのか?
この国の新聞業界がいよいよ崖っぷちに追い詰められています。販売部数がどんどん減少しています。企業からの広告費はこの10年で何と半減! すさまじい減り方です。企業からは新聞など広告媒体としてはもはや価値がない! と三行半(みくだりはん)を突き付けられています。21世紀のマスメディアとして新聞は、レッドデータ・ランクがすでにBランク、まもなくAランクに追い詰められるでしょう。完全絶滅種になるにはまだ20年ぐらいかかるとは思いますが、先行きは暗いです。若い人が新聞社に入社し新聞記者になったとしたら、「おまはん、エライところに入ったな。年いかんうちに再就職先を探したほうがいいんちゃう?」と周囲の人が忠告する時代がすぐそこにきているのです。

新聞業界の関係者にたいして大変失礼な当エントリーですが、残念ながらこれは事実です。読者の新聞離れに歯止めがかからないのです。わたくし個人的なことでもかつて4紙を購読していました。日本経済新聞と毎日新聞と兵庫県の地方紙の神戸新聞とそれから業界紙です。(業界紙名を言えば身元が割れる可能性があるので言いませんが…)真っ先に止めたのは日本経済新聞です。報道内容が気に入らないので抗議の意味を込めて購読を打ち切りました。あまりにも大企業の利益擁護と政府の代弁者的な編集姿勢を一庶民読者として是とできませんでした。すべての新聞をスパーッと止めて3カ月になりますが、腹の立つ記事を読まされないだけ精神衛生にとてもいいです。とくに “社説のお説教” を聞くことがなくなったので、せいせいしています。新聞などなくても情報はいろいろな機関のHPを訪問して、できるだけ “一次情報” に当たるようにしていれば、全く何の問題もありません。

さて、新聞の発行部数の推移を見てみます。
(社団法人)日本新聞協会 『新聞の発行部数と世帯数の推移』
2000年から2010年の間に、新聞の総発行部数が 5370万部 → 4932万部 に減少しています。1世帯あたりの部数が 1.13部 → 0.92部 に減少。人口1000人当たりの新聞発行部数が 570部 → 497部 に減少しています。新聞の発行部数は緩やかな坂を滑り落ちていくような “ジリ貧” です。ところで新聞業界の最大の闇は、“押し紙” です。発行部数の水増しです。公称1000万部の読売新聞の実売数は700万部だとはよく言われるハナシです。押し紙とは、例えばある新聞店が2000部のお客さんしかいないのに、新聞社の押し付けで過剰に2500部を購入させられることです。新聞社の言いわけは新聞店から2500部の注文があったと言い張ることです。新聞社は押し紙の存在を公式には認めていません。(当たり前だ! 認めたら最後、新聞社は偽装詐欺集団になる。700万部しか売れていないのに、1000万部売れたと誤魔化して1000万部に見合う広告費を盗る、で、新聞社ではなく泥棒社だ!)新聞販売店は500部余るはずだが、それはどうするのか? 数日ごとにトラックが来て回収します。段ボール紙の材料。森林資源の浪費・ムダ。新聞社は社説で地球温暖化を防ぐために森林を守れとお説教をたれますが、その陰の深い闇で森林破壊に加担しています。とんでもない似非エコ、偽善師、ペテン師なのです。しかし新聞販売店は損するではないか、怒るのではないかと思われますが、必ずしもそうではありません。押し紙の部分にもバックマージンみたいのが出るらしいのと、チラシの折り込み料が余分に盗れるので帳尻を合わせるそうです。でもよく訴訟が起こっています。
毎日新聞「押し紙」の決定的証拠 大阪の販売店主が調停申し立て 損害6,300万円返還求め
【押し紙裁判会見】新潮社・黒藪氏敗訴「プライドがあるなら言論で主張すべき」
一審では敗訴しましたが、黒藪氏の戦いは続きます。この国は裁判所もグルで正義の判定者ではなさそうです。ほんとうに押し紙があるかどうか、近くの新聞販売店に昼ごろ行って奥の方に積み上げている新聞を指して押し紙ですか?と聞いたら教えてくれますよ。この押し紙問題があるから、統計上の発行部数も割り引いて受け止める必要があります。

次に新聞広告費の推移ですがすさまじい凋落ぶりです。
(株式会社)電通 「日本の広告費」
社会実情データ図録 『日本の広告費の推移のグラフ』
まず見るべきは、大手広告代理店「電通」の発表している統計です。電通は申すまでもなく日本国を隠然と支配するオバケのような会社です。政治家になれなかった政治家の子弟の就職先です。企業の広告の配分権を通して、産業界とマスコミ業界を支配しているのはよく知られています。
電通の作成した統計はハッタリがなく信用していいと思うのですが、数字の羅列で見にくいので「社会実情データ図録」サイトのグラフが見やすく素晴らしいです。
(社団法人)日本新聞協会『新聞広告費、新聞広告量の推移』
↑これを見てもいい。2000年に、1兆2474億円あった広告費が、2010年には、6396億円に半減! です。読者の新聞離れが進み売り上げがじり貧、企業の広告費も激減です。その反面、インターネット広告費の素晴らしい伸びは目を見張るようです。新聞は形勢立て直しの不可能なところに追い詰められています。

●なぜこんなことになったのでしょうか? インターネット広告の追い上げとか、宅配ビジネスモデルの崩壊とか、いろいろあるとは思いますが、大きな理由に読者に背中を向けた報道ばかりしていることに対して、読者がそっぽを向きはじめたということがありましょう。近年、新聞記事は露骨に権力者擁護、体制迎合指向を強めています。記者クラブ制度という “談合システム” の中に新聞記者が胡坐をかき、各新聞社はあまりにも横並び報道、それも為政者・国家権力者たちの広報係としかいえないような報道ばかりしています。これでは読者が離れるのは当たり前です。

●絶滅種には2種類あります。
野生絶滅種……野生状態ではその種は絶滅してもうないのですが、ヒトの管理下で栽培されて残っているものをいいます。イチョウが典型的な例です。イチョウは意外に思われますが絶滅種なのです。
完全絶滅種……普通は単に絶滅種といいます。野生も栽培もすでに絶滅。地球上から消え去ったものです。

新聞は “野生絶滅種” としてヒトの庇護(権力者たちの傘の下で)ほそぼそと生き残ることを選んだようです。一般読者という野外では生存できないが、国家の保護園で生き残ることを狙っています。新聞業界が自民党の国会議員に献金して、文部科学省にすりよったようです。いま小学校で新聞を使って学ぼうということが行われているようです。小学生に新聞を読むことを教え、小学生がいる家庭で新聞を購読していない家があったら困るようにしむけています。新聞の露骨な国家権力との癒着が始まろうとしています!

新聞がいよいよ読者にそっぽを向かれ、完全絶滅種となるのはそう遠くはないのかもしれません……。
コマツナギは「駒繋ぎ」ではなく、「小馬繋ぎ」あるいは「子馬繋ぎ」かも?
マメ科のコマツナギです。草のように見えても草ではなく、小さくても木(木本植物)です。図鑑類など書物では、草本と木本を分けて扱っている場合は、たいていは木本に入れていることが多いのですが、草本に入れている場合もあります。書物によってまちまちであります。植物の分類はそもそも花の形態や構造で分けていくので、分類学的には草と木の本質的な差はない筈で、たんに、木部と篩部の間にある「形成層」という分裂組織の働きで、二次生長が続いて茎や根がどんどん太るかどうかの違いだけにすぎず、草なのか? 木なのか? などとこだわるのは次元の低いハナシということになりそうです。草と木の違いを知りたい方は、↓の福岡先生の講義をよくお読みください。この講義をよく読めばタケやヤシの木が木ではない理由が分かります。
学外に公開してくださっている福岡先生の講義です。植物の「茎」や「二次生長」についてです。

草のように見える木のコマツナギは別に珍しいものではなく、ため池の土手とか山裾とかに点々とある普通種です。諭鶴羽山系でもよく見られます。花期は長く夏じゅう咲いています。拡大して観察すると意外に美しい花です。鉢植えにして庭の飾りにいいかもしれません。

マメ科の小低木 コマツナギ
↑南あわじ市灘来川です。海岸県道の山側擁壁に垂れ下がっています。全体の長さは140㎝ぐらい、幅は90㎝ぐらいです。写真のものは壁に垂れ下がっていますが、その個体の生育地の状況により、地面を匍匐していたり或いは立ち上がっていたりと色々です。

コマツナギ

コマツナギの花穂
↑花はすこし紫味の入った桃色で美しいものです。5月に咲くフジは紫色で陰気で憂鬱な感じの花ですが、コマツナギは明るく華やかな色合いです。1個の花穂の長さは5~10㎝ぐらいあり、沢山の(30~40個ぐらいか?)個花がついています。下から上に向かって順番に咲くので花期が長いです。

コマツナギの葉
↑コナツナギの葉は奇数羽状複葉です。この写真のものは小葉の数は11個です。写真の個体の葉の小葉数をしらべてみましたところ、5個、7個、9個、11個と分布していました。5個はごくわずか、7個が30%ほど、9個も30%ほど、11個が40%ほどの出現率でした。13個というのはいくら探しても見つかりませんでした。葉の表面にも裏面にも疎らな毛が散在しています。(この写真にもかすかに映っています)

根元の茎は木質化している
↑確かに茎を見ると小低木です。根元から多数の枝を分けていて、どれが主幹なのか側枝なのか区別できません。茎の太さですが地上10㎝の高さで径10㎜の太さです。

●さて、コマツナギの語源ですが、「駒繋ぎ」の意味ということですが、古来3つの語源説があるようです。

1、ウマが好んで食べる草であるところから、コマツナギの自生地に馬が常に居る、つまりその自生地に繋がれているかのごとくであるので、駒(ウマ)繋ぎだ。(『和訓栞』・わくんのしおりの後篇説)
『和訓栞』というのは江戸時代後期のわが国最初の国語辞書です。1777年~1887年の百年あまりかけて編纂されました。前篇・中編・後編と3部作。

2、コマツナギの根や茎は細いわりにはすごく丈夫で、簡単には引き抜くことができない。それで駒(ウマ)の手綱をコマツナギにくくりつけてウマを繋いでおくことができる。(これも『和訓栞』後篇説)

3、コマツナギは「小馬繋ぎ」なのである。さすがに大人のウマではコマツナギを引き抜いてしまう。で、子供のウマならば繋ぐことは可能なのだ。(『名語記』・みょうごき説)
『名語記』とは、鎌倉時代の1275年成立の語源辞書です。

●語源についての考察です。(1、)の『和訓栞』説は、ちょっと難点があります。ウマがコマツナギを好むとしても、その自生地のコマツナギを食べつくしたらどうなるのか? コマツナギ群落が回復するのに2~3か月もその場所に繋がれたようにじいっとしていないはずです。大好きなコマツナギを探し求めて他所に行く筈です。それに昔の植生は分かりませんが、コマツナギの大群落も考えにくいです。
(2、)の説は一般のウマを繋ぐということであり、子供のウマと限定しているわけではありません。いくらコマツナギが丈夫な植物でも高さ1mの小低木です。500㎏もある大人のウマならば簡単にコマツナギを抜いてしまう筈です。これでは “コマヒキヌキ”(駒引き抜き)になるのでは??
で、(3、)の『名語記』説が説得力がありそうです。ウマはウマでも子供のウマなのです。“小馬繋ぎ” あるいは “子馬繋ぎ” かも?

●ところで、駒(こま)というのは色々な意味があるようですが、ウマ(馬)のことです。中部地方・東北地方・北海道に駒ヶ岳という山が6つか7つかある筈です。有名なのは甲斐駒ケ岳(2966m)、木曽駒ケ岳(2956m)です。山登りはカイコマ、キソコマと言っています。春の残雪の模様がウマの形にみえるのが駒ケ岳の語源とされます。
お盆のお供え花に重宝な「雑草ユリ」
これは「タカサゴユリ」なのか? 「シンテッポウユリ」なのか? 悩ましい問題です。お盆のころに咲くのでお墓の花に重宝しています。あちこちのお墓にシキミとこのユリを立てているのをよく見ます。テッポウユリよりも観賞価値は少し劣るのですが、庶民のお墓にはこれで上等です。山裾にたくさんあるのでタダです。
沢山の花がつく
『兵庫県産維管束植物9』では兵庫県にあるものはすべてシンテッポウユリとしています。県下99ブロック中20ブロックで標本が採られています。うち淡路島が5ブロックで、淡路島での野生化が著しいようです。植物分類学を専攻する専門家が何人もかかってシンテッポウユリと同定したことに、意義を申し立てるのではありませんが…、シンテッポウユリもあるのですが、タカサゴユリもあるのじゃねえか?という気がします。シンテッポウユリはテッポウユリとタカサゴユリの交雑種とされています。タカサゴユリは台湾原産の帰化植物です。

石川県地域植物研究会役員の方が運営されるHP『石川の植物』file118「タカサゴユリ」ですが、種々の文献に当ったもののタカサゴユリの実体がよく分からないと悩まれています。
↑わたしもこの方と同じことを感じました。タカサゴユリの大きな特徴の一つとして、花被の色が白をベースとしていても、花被の外側が赤紫色を帯びているものをタカサゴユリというのであれば、そういうものが野外にいくらでもあるのです。
勝手に紹介した(リンクした)このサイトは一般の者には大変お勧めです。とても参考になるので是非ご覧ください。

赤紫色を帯びる

特に花の基部が赤っぽい
↑このように赤紫色を帯びるものも沢山あります。これはタカサゴユリ??
真っ白いものもある
↑このように白いものも沢山あります。これはシンテッポウユリ??

花粉の色が濃い

花粉の色が薄い

並べると違いがよく分かる
↑上3枚の写真のように、花粉の色も極端な個体差があります。黄色から濃い茶色、ほとんど黒っぽいものまであります。花被との組み合わせもさまざまで、白花に黄花粉、白花に茶褐色花粉、赤帯び花に黄花粉、赤帯び花に茶褐色花粉、のすべての組み合わせを確認しています。(南あわじ市灘と阿万の自生地で300個体ぐらい観察した)人の人相は色々ですが、花の花相?も千差万別です。

タカサゴユリかシンテッポウユリかは、石川県の方が言うように文献でもたしかに混乱しているという感じがします。そもそもタカサゴユリはどのようなものなのか? 究極のところ基準標本との比較とか、テッポウユリの血筋が入っていたならば外観の形質はタカサゴユリでもそれはシンテッポウユリだと言うためにはDNA解析か? などとなれば、専門家でも難しいハナシになりそうです…。

茎の長さ26.5㎝に、長さ20㎝の花がつく
↑茎の長さ(高さ)がわずか26.5㎝しかない小さな株に、20㎝の立派な花が付いています。観賞価値(商品価値)の高いテッポウユリに、タカサゴユリの種子を蒔いて10カ月で花が咲くという優れた “早期開花性” の遺伝子を導入しようとして交配したり栽培試験が沢山おこなわれているようです。論文検索で関連の農業関係の論文を読むと、タカサゴユリはわずか17㎝の草丈でも花がつくそうです。

タカサゴユリなのか、シンテッポウユリなのかは別として、このテのユリは “雑草ユリ” といわれているようです。実生から開花まで1~2年で短いし、大株になれば時には10~15も花が咲きます。1果実に数百個の種子ができて大量の種子生産です。しかも風散布でよく飛ぶし…。分布拡散能力は高そうです。雑草のように広がり逞しく育つのですが、ユリ類にはイヤ地現象が起こることがよく知られています。大群生していたタカサゴユリの集団が2~3年したら急に衰退するのは野外でよく観察するところです。しかしながら、その場所では衰退しても、別の場所で新しく大群生しているというのもよく見ます。
ある原発関係者の海外移住、これは国外逃亡かも?
知人のZ氏が、海外に移住すると言っています。東南アジアのM国に行くそうです。そして、言うことが売国奴的でひどすぎます。「日本はもうダメになる、だからダメになる日本に見切りをつけて、定年後の余生を暖かいところで暮らしたい…」と言うのです。「ちょっと待ってくれ。そんな言い方はないだろう、日本をダメにしたのは、あんたも日本をダメにした原子力村の一員じゃないか」と言ってやろうと思いましたが、止めました。言っても無駄というか、どうにもならないと言うか、言うだけしんどいというか、もう二度とZ氏と会うことはないでしょう…。(つまり縁がプツンと切れた。ま、国外逃亡するほうが身は安全だから、もう日本には帰ってくるな)大勢の人々が家・財産・仕事のすべてを原発で吹き飛ばされているのです。今後、怒り狂った被害者が原発関係者を刺し殺すということが、絶対にないとは言えません。そういう意味では国外逃亡が一番身は安全なのです。

Z氏も原発にかかわった「原子力村」の一員です。彼は工学博士号を持つ材料工学の研究者です。某重工の研究職社員で、産学協同研究として、O大学と共同研究していたようです。

原発を稼働すると、高レベルの放射性廃棄物がどんどん溜まります。この高レベル放射性廃棄物はその処分方法が確立されていない大問題です。原発はよく “トイレのないマンションだ” とたとえられます。放射性廃棄物の処分方法がないことを言っています。低レベルの放射性廃棄物ならば数百年、高レベルの放射性廃棄物では数万年~数十万年ものあいだ、それらを人間の生活圏から厳重に隔離しておく必要があります。まかりまちがっても環境中に漏れだすということがあってはならないのです。原発の稼働で発生した使用済み核燃料は、使用済み燃料プールなどで冷やしたのちに、再処理した残りの高レベル放射性廃液を、ガラス固化体にして六ヶ所村に保管しています。そのガラス固化体を封入しているキャニスターと呼ぶステンレスの容器が中性子線などの放射線で劣化してくるのですが、放射線で劣化しない容器ができないものかと、放射線に強い鋼の研究をZ氏がしていたようです。なので、まさに原発にかんする仕事(研究)でメシを食ったわけで「原子力村」の一員であることは明白です。

すでに福島県という国土が失われたも同然でしょう。地質年代的長期にわたって、もうそこに住むことができないということは国土喪失と全く等価です。右翼や保守の人たちは尖閣諸島や北方領土を問題にするのに、原発で事実上国土喪失が起こっているのに、なぜ原発容認をするのか? 大きな矛盾であり疑問でもあります。Z氏もこの国土喪失に加担しておいて、「もう日本はダメだから海外移住する」などと言うのはあまりにも身勝手です。彼は国賊であり売国奴であります。もちろんZ氏は何万人何十万人もいる原発関係者の一人にしかすぎませんが、「原子力村」の住民はみなそんなものでしょう。身勝手で自己中心的であり、利権にむらがるけれど一旦ことが起きると言い訳・責任のがれ・誤魔化しに汲々とし、最後には逃げるわけです。誰も責任を取らないのです…。

さて、政府・原子力安全保安院・東電どもが、直ちには健康に問題がないとか、年間被曝限度が20ミリシーベルトまでは大丈夫だとか、放射能汚染食品・農産物もべっちょないなどと、一生懸命マスゴミを操って御用学者を使い “風評” を垂れ流しています。風評を流しているのは政府や原発関係者じゃないか! 政府が風評プロパガンダに余念がない理由はいろいろありましょう。補償の矮小化とか、関係者の責任回避、原発利権の温存など、は透けて見えています。その他にも、大きな理由の一つに、収拾不能の危機的事態になっていることを政府等が認めたら最後、そのときがこの国の破局になるということを恐れているのではないか? 

彼らはもちろん、福一原発周辺のみならず首都圏まで放射能汚染が広がっていて、看過できない問題であることは分かりきっている筈です。福島県の住民や子供たちにとんでもない “棄民政策” をしているという認識がある筈です。しかしながら実際に数百万人もの住民を移住させることなどは不可能です。狭い日本では移住する場所もないし、天文学的数字のお金が必要になります。それで大丈夫だと “風説・風評” を垂れ流すしか能がないわけです。

もし大丈夫でないことを認めたら最期です。恐ろしいことがおこるでしょう。それは “地価の大暴落” です。放射能汚染された土地や建物など買い手がつきません。売りたい人は大勢いても買いたい人など誰もいません。壮絶な大暴落です。銀行は土地を担保に金を貸すことが多いので、担保価値の消失が一挙に信用不安を引き起こすでしょう。金融機関や企業の破綻の嵐がこの国を襲う筈です。この国は “土地本位制” と言ってもいいぐらい土地に価値を認め、経済取引の土台に土地が置かれています。その土地をベースにした経済の仕組みが土台から揺さぶられるだろうと思います。

20年ほど前の1990年3月に、故橋本龍太郎氏が大蔵大臣のとき大蔵省銀行局が “総量規制” をやりました。土地の取引に金融機関がお金を貸すのを制限しました。バブルに踊っていた土地の価格を鎮静化しようとしたのです。しかし結果は裏目に出てしまいました。バブルを潰し過ぎて “逆バブル” が発生、すさまじい「貸し渋り」と「貸し剥がし」の嵐です。日本経済は20年に及ぶ長期の不況に突入しました。この現代史から分かることは、 “土地価格の暴落” というのはは経済に対する爆弾のような破壊力を持っているということです。もし首都圏から東北地方南部の土地の無価値化が表面化すれば、バブル崩壊の破壊力を遥かに越えるカタストロフ的衝撃をこの国にもたらすにちがいありません…。

そのように考えてみると、政府はじめ原発関係者は口が裂けても “大丈夫だ、問題ない” としか言えないわけです。けれどもハラの中では大丈夫だなどと誰も思っていないわけでしょ。いま、金のある人・語学に自信がある人・特別な技術を持つ人たちから、放射能汚染の広がる日本から海外への脱出がじわじわと進んでいるようです…。







これも薬草か? 半寄生植物「マツグミ」
ヤドリギ科の「マツグミ」です。和名の語源は、マツ(クロマツやアカマツなどの松の木)に寄生して、グミの実に似た果実をつけることから言うそうです。花期は7~8月ごろで、果実は径5㎜で翌年の春に赤く熟します。果実は甘みがあって食べることができます。鳥が好んで食べにやって来ます。

『日本のレッドデータ検索システム』では17もの県が絶滅危惧植物に指定しています。

兵庫県ではレッドデータ種ではないのですが、『兵庫県植物目録』によると、兵庫県を旧市町村と神戸市は区に分けた99ブロックの中で、マツグミの標本が採られているのは12ブロックです。淡路島の標本はなかったのですが、兵庫県植物目録のヤドリギ科の収録されている第2報が発表された後に、2点の標本が採取されました。SNさんが慶野松原のクロマツ林で採ったものと、わたくし山のキノコが旧南淡町賀集で採ったものとが標本庫に収められています。淡路島では近年まで標本が採られなかったのですが、文献上ではマツグミを確認したなどの記述が昔にあります。おそらく、南あわじ市にはよく捜せば点々とある筈だと予想しています。

『原色牧野和漢薬大図鑑』や伊沢一男『薬草カラー図鑑』などによると、高血圧症の治療や予防に効果があるようです。大阪市環境科学研究所と東北大学薬学部の共同研究『マツグミの降圧性成分に関する研究』(1975)で、顕著な効力のあることを発表しているそうです。薬草として用いるには、夏から秋に葉や茎を採取、水洗い後日干しにします。この茎葉を1日5~10gを400~600ccの水で二分の一になるまで煎じて服用したらいいそうです。

世の中、高血圧患者が多く、わたくしも降圧剤を飲んでいます。みながマツグミを一斉に採取するほどはないので、栽培するといいかも? 春に赤く熟した果実を潰すと粘着物質の中に種子があります。で、その種子を粘着物質と一緒にマツ・モミ・ツガの枝になすりつけて “種を蒔く” といいでしょう。ただし鳥類が果実を食べて種子散布する植物は、鳥類の消化管を通らないと種子の発芽率が低いという研究もあります。したがいまして子供にマツグミの果実を食べさせて出てきた “ウンコ” をマツの木になすりつけるほうがいいと思います。もしニワトリを飼っていたら、そのニワトリに食べさせるのもいいでしょう。

公益社団法人・日本薬学会のサイトの『薬用植物一覧』には、マツグミが収録されていません。
日本薬学会が薬草としてお墨付きを与え、公認・推奨するほどの効果がマツグミにはないのかもしれません。

ヤドリギ科のマツグミ
↑南あわじ市賀集のある神社の近くのモミの木の樹上にありました。マツグミは他樹にちゃっかりと居候する寄生植物なのですが、栄養をすべて宿主に依存する完全寄生植物ではなく、葉を持ち自分でも光合成をする “半寄生植物” なのです。写真のマツグミは沢山の枝をホウキのように出して、1mほどの小低木と言う感じです。

マツグミの花
↑花の撮影適期をすこしハズしてしまいました。1週間か10日おそかったです。本日(8月11日)この近くで会合がありその帰りについでに写真を撮りました。ついでに撮るという姿勢ではダメみたいです。適期を逃さないようにするには足しげく毎日でも訪問する必要がありそうです。ルーペで観察すると、長細い花被片は4枚で先がくるりと反転しています。この花被片はくっついて筒状になっていますが、ピンセットで剥がすとすぐ離れます。雄蕊は4本ですが花被片に合着しています。、雌蕊は1本です。子房下位で子房の径2㎜、花の長さ15~17㎜です。と、観察したのですが、小さくて分かりにくいです。もし間違っていたらゴメンなさい。
(当方、植物の専門家ではありません。100%素人です。本ブログの内容は信用しないでいただきたい)

マツグミの葉
↑葉はやや厚みがあります。葉の周囲に鋸歯がありません。葉の幅は4~8㎜ぐらい、長さが15~30㎜ぐらいです。

マツグミの根とモミの枝の合着部分
↑手前の枝に隠れてよく分からない写真になってしまいました。丸いこぶみたいなものがマツグミの根元(基部)です。茶色いものは枯れたモミの葉ですが、そこから右上に向かってモミの木の太い枝があります。マツグミが大きくなっているものでは、モミとの接合部分がコブになっています。(ただし、小さなものはコブになっていないです)

宿主のモミの大木
↑これはモミの木です。これにマツグミが寄生していました。このモミは植栽品だと思われます。淡路島には植栽品はあってもあきらかな自生と思われるモミもツガもなさそうです。これの幹の胸高(地上130㎝)周囲が231㎝、樹高が約20mです。付近には7~8本のモミの木がありますが、そのうちの2本にマツグミが寄生していました。もう1本のは幹の周囲は241㎝です。

その根茎が生薬になる「オオカラスウリ」
ウリ科の「オオカラスウリ」です。これは諭鶴羽山系の南斜面の名物植物です。カラスウリよりもむしろオオカラスウリのほうが多いぐらいです。それで私は子供のころオオカラスウリのことを、カラスウリだと思っていました。そう認識している住民が多い筈です。兵庫県では諭鶴羽山系の南斜面にしか見られないようです。オオカラスウリは「大烏瓜」で、その果実が大きいのです。カラスウリよりも果実が一回り大きく、熟した果実の色がカラスウリでは朱色であるのに対して、オオカラスウリは橙色でやや薄いです。

本種は「隔離分布」ということが言われています。『淡路島の植物誌』によると、オオカラスウリの分布は九州には沢山あるのですが、あとは山口県の萩市や、淡路島南部、和歌山県の友ヶ島などです。四国では標本がないということです。九州から四国を隔てて淡路島周辺にある状態が、分布の中心から遠く離れてポツンとあるということで、「隔離分布」だというのです。高知県および愛媛県のレッドデータブックでは「情報不足」になっています。文献にはあっても標本がないらしいです。
徳島県立博物館所蔵のオオカラスウリの標本
↑学芸員の小川誠先生のサイトで見つけました。標本にラベルがありませんが、採集地を伏せるために隠しているのでしょうか? 明らかに雄株の標本で、長い花序が良く分かります。長い花茎に花は落ちているのに苞だけは何個か残っています。ひょっとする自然分布でなく、栽培品起源の可能性についても言及されています。

(社団法人)東京生薬協会のサイトの『新常用和漢薬集』より、オオカラスウリの生薬名は「カロコン」
カロコンという生薬は、普通はキカラスウリの根茎から作るのですがオオカラスウリも用いるそうです。カロコンは『日本薬局方』にも収録されているので、れっきとした薬草ということになります。厚生労働省のお墨付きということになります。子供の汗も取りに使う天花粉はキカラスウリの根茎から採取した澱粉だというのは、よく知られています。キカラスウリよりもオオカラスウリのほうが根茎が大根のように太く、澱粉の収量が多くなるのでしょうか? 諭鶴羽山系南斜面では両種とも自生していますので、秋になったら掘って調べてみます。

『日本のレッドデータ検索システム』では7県がオオカラスウリに言及しています。
『兵庫県レッドデータブック2010』では、オオカラスウリはBランクの貴重種に指定しています。

オオカラスウリ
↑オオカラスウリの雄株です。よく繁茂しています。花は日が暮れてから咲き、朝になるとしぼむ「一夜花」なのですが、昼前までは「半しぼみ」の状態です。半しぼみの状態では花にふれるとポロリと落ちます。

オオカラスウリの葉
↑葉は手の平を広げたように深い切れ込みがあります。5裂が一番多いようですが、3裂や7裂のこともあり個体による差や、蔓の先端かどうかなど場所にもよります。葉の表面はざらざらしています。葉の形だけではキカラスウリと見間違える危険性があります。

オオカラスウリの花
↑これは雄花です。オオカラスウリは雌雄異株の蔓植物です。

花の付け根に大きな苞がある
↑花の付け根に大きな苞がありますが、これがオオカラスウリの著しい特徴です。近縁種との違いが分かりにくい場合には、この大きな苞を見るといいです。苞は長さが30㎜ぐらい幅が25㎜ぐらいで、この苞葉の先の部分が房状になって裂けています。
雄花のガク
↑がく裂片は5枚あります。長さは15㎜ぐらいで先のほうには房状の鋸歯があります。
その種子を海流散布する「ハマナタマメ」
マメ科の「ハマナタマメ」です。熱帯から亜熱帯にかけて広く分布するようで、その種子が海流に乗って散布される植物です。淡路島を特徴づける海岸植物の一つで、兵庫県本土側には阪神間の浜で僅かに見られるだけでほとんどないらしいです。淡路島でも南部の海岸だけで北部の海岸にはありません。海岸の植物とされるのですが、淡路では、場所によっては海抜50mの小山の上にまで登っている例もあります。

ハマナタマメ
↑南あわじ市灘倉川にありました。海岸県道の山手側擁壁に垂れ下がって蔓を伸ばし、花が咲いています。これが本当の「壁の花」です。ハマナタマメは砂質海岸では砂浜を覆うように広がります。岩石海岸では岩石を覆います。消波ブロックと道路の人工海岸では、ご覧のように山手側の壁にぶら下がることが多いです。

花のアップ
↑花は一つの花茎に10個前後つくようです。基部から先端に向かって順番に咲いていきます。長い日数をかけて咲いていくので、花茎の基部には大きな果実(豆果)が出来ているのに先端部分ではまだ蕾があります。夏の間ずうっと花があります。花と果実が同時に観察できるのは嬉しいものです。
ハマナタマメの花の面白いのは、他のマメ科の多くの花と上下が逆になっていることです。↓のサイトは学外にも公開して下さっているものですが、マメ科の花の構造について花を解剖した写真で分かりやすく解説しています。ハマナタマメもあります。
福岡教育大学 福原達人先生のサイトから 「フジとマメ科の蝶形花」
このような質の高いサイトを閲覧しましょう。(インターネットは玉石混交です。もちろん私も含めてですが、くだらないサイトやブログが多すぎます)

ハマナタマメの豆果
↑果実はいわゆる豆果(とうか)で、エンドウ豆のさやを大きくしたような感じです。さやの中の種子が大きくなるとソラマメのさやのように丸く太ります。蔓いちめんに沢山なります。若いさやのものはエンドウにとてもよく似ているので、食べられそうに見えます。昔、ハマナタマメの若いさやを採取してフライパンで油で炒めて試食したことがあります。お味はどうかと言えばとても渋いです。渋柿ほどではないのですがかなり渋いのです。食用に供するのは難しいと思います。しばらく口の中が渋いです。
昔読んだ本で山中二男著『山と林への招待』という植物や自然についての素晴らしいエッセイがあります。この本の中に「ハマナタマメの豆果は食べられなくもない」などと書いていました。それで、植物の専門家がそう書くのだから、たぶん食べられるのだろうと思って試食をしたのですが騙されました。
(これが食べられるのであれば、栽培植物になっているハズですが、そうなっていません)

ハマナタマメの葉
↑葉はマメ科独特の3出複葉です。葉の表面に若干の光沢があり、やや厚めの葉です。先日の台風マーゴン(T1106)による高波の飛沫で海岸の植物はメタメタにやられましたが、ハマナタマメはびくともしませんでした。さすがその種子が “海流散布植物” の面目躍如というところです。海水の飛沫に対して耐性の極めて高い植物であることを見せつけています。付近に自生する兵庫県レッドデータ種Bランクの、クルマバアカネ・マルバハダカホウズキ・メジロホウズキなどみな潮風でやられてしまいました……。

亜熱帯のシダ植物「ナチシダ」の観察
熱帯・暖地性シダ植物の「ナチシダ」です。『日本の野生植物シダ』によると、本州(千葉県以西の暖地)・四国南部・九州・琉球の山地の湿潤な林床に生じ、群落となることがあるそうです。常緑ですが分布北限付近では冬に地上部が枯れてしまうこともあるらしいです。アジアの熱帯・亜熱帯に分布し、東はサモアに達します。和名は和歌山県那智山で発見されたことによるとのことです。

『日本のレッドデータ検索システム』によると8県がナチシダを絶滅危惧種に指定しています。

『兵庫県レッドデータブック2010』ではナチシダはBランクの貴重植物です。

ナチシダの自生北限地は静岡県賀茂郡河津町梨本大畑ということで、そこでは国指定の天然記念物になっているようです。
↑しかしこれは古い話で、その後さらに北でナチシダが次々に見つかったようです。福井県のレッドデータブックを見ると福井県最北部にナチシダの自生地があり、静岡県河津町(伊豆半島南部)よりも緯度で1度以上も北にあります。河津町のナチシダ自生地は国土地理院の地形図に記載されています。自生地付近には温泉もあり、熱帯シダのナチシダ自生北限地というものを名所として売り物にしているようです。実際には伊豆半島はナチシダの北限地からは既に滑り落ちているのに、いまだに北限地だと主張するのはおかしいです。まるで北限地利権?にしがみついているようです。

福井県名田庄村……………北緯36度10分ぐらい
千葉県房総半島清澄山……北緯35度09分30秒ぐらい
静岡県賀茂郡河津町………北緯34度47分36秒

ナチシダの群落
↑見事な群落になっています。これは南あわじ市賀集牛内の奥の牛内川の源頭地帯の谷です。じめじめとした湿気の多そうな谷で、谷筋に沿ってナチシダが自生しています。大きいものでは2mに達しています。とても大きいのでいかにも亜熱帯のシダという感じがします。

5角形を連想する葉です
↑葉柄は長さ1mから大きいものでは1.5mにも達し、3つに分岐しています。その分岐した3つのうちの両側のものがさらに外側に枝を分けます。それで全体としては、5本指の手の平を広げたような形状になります。5角形を連想する葉です。

5本の指を広げたよう
↑これも5角形です。ナチシダの葉はみんな5角形なのです。自然界には5角形というのはとても多いです。5裂する葉とか、5裂の花冠とか、かわったところでは台風の眼です。台風の眼は円形だと思いそうですが、意外に(不思議なことに)5角形とか6角形とかがよく観測されています。気象学の教科書によると、眼の中に小さな渦が数個出来てそれが関係しているらしいのですが、なぜ円ではなく多角形の台風の目ができるのか諸説あるみたいです。
ソーラス(胞子嚢群)は葉縁に沿ってつく
↑葉は2回羽状深裂で、葉の裏側の裂片の左右の縁にソーラスがあります。写真の茶色いものです。ここから胞子を散布します。裂片の先のほうにはソーラスはありません。先の方には葉の縁にギザギザ(細鋸歯)があるのが見えています。

若い葉も特徴的
↑若い葉は独特な姿で美しいのですが、シカの不嗜好植物です。薬にも毒にもなるさまざまな化学物質が含まれているようです。南紀ではシカが食べないためにナチシダがはびこっているらしいです。兵庫県でもシカが食べないので広がる傾向があり、ナチシダはAランクからBランクに変更されました。
「淡路島文学6号」を読んでの寸評(その2)
淡路島文学6号に、発行人の北原文雄氏が4本のコラムを書いています。

●『魚眼』では、原発を受け入れた原発立地自治体の責任を鋭く指摘しています。原発事故の責任は第一義的には、それを主体となって進めた政・官・業だけでなく学者・マスコミまで含めた利権複合共同体にあるのはもちろんでありますが、交付金等のお金に目がくらんで原発を受け入れた自治体の首長や議員や住民も被害者でもあるが、責任を負うべき加害者でもあるというのはまさにその通りでありましょう。
●『喫煙室』では、資源ごみ収集日の見張りを4人でしたところ、そのうち3人が福島県に身内や知人がいるらしい。また県議選では津波とか地震とかの話題に上手く便乗した候補者が当選したり、知人の会社経営者が東日本大震災の影響が及んで資材の不足が生じていることや、タバコまで震災の影響で入手できないなど、遠く離れた島にまで影響が及んだことを述べています。
●『短兵急』では、一時マスコミが持ち上げた福島原発の吉田所長をきびしく批判しています。「風評被害というが、日本の原発は安全であるという真っ赤な嘘の風評を構築してきた責任者の一人を、救世主であるかのような風評を流すマスコミは何を目的としているのであろうか」とマスコミに対する不信を顕わにしています。(なんのことはない、マスコミは権力者たちの広報・宣伝係なのです。)
●『ペン皿』では、原発の安全神話は崩壊した、チェルノブイリを越える惨状だ、また事故を起こすかもしれない、原発がテロ行為の攻撃対象になる危険もある、という意味のことを述べています。そして発想の転換をして他のエネルギー開発に力を入れるべきだと主張しています。

原発に対する捉え方や批判にはまったく異存がございません。全面的に賛同でございます。しかしながら、いただけない部分があります。次のくだりです。

(引用開始)
「日本が原子力発電に費やしてきた費用と人材を、他のエネルギー開発に導入する。原発にかかわる人材は、ある意味では有能な人材である。彼らの能力を他のエネルギー事業に向けられれば、日本の再生はじゅうぶんに考えられる。」
「建設費が高いわりには不安定な発電量である風力発電や太陽光発電の、安定的発電と蓄電技術の開発や、建設費を抑える工夫。地熱発電・有機物発電などの技術開発。わたしのような文系の頭ではむりであるが、原子力開発技術者・研究者には可能だろうし、そういうエネルギー研究開発の人材を育てるべきである」
(引用終了)
  ―――――――――――――――――――――――――
引用部分に対する批評、批判、反論です。

●『魚眼』に、“故宇井純さんが「学者や専門家が出てきたら眉唾と思いなさい」と言っていたが、御用学者がかくも多いかとあきれ果てる。” と書いています。故宇井純氏といえば『公害原論』の著者です。せっかく宇井純さんから “御用学者の生態” を学んだのですから、物書きの洞察力で新エネルギー分野にも御用学者が跳梁跋扈している実体を見抜いてほしかった、と少し残念です…。

そもそも原発に関わった人材には厳しく責任をとらせて、逮捕し公職追放ぐらいの処分が必要なのです。いくらなんでも、「原発の人材を他のエネルギー分野に向けたら国が再生する」などと、失礼ながら愚かなことを書いてはいけません。これでは、“アイツは犯罪を犯した悪い奴だが素質は優秀だから、無罪放免にしてやって、犯罪のない明るい社会をどのようにして作るか、その委員会の委員に抜擢しよう” と主張するのに等しいのです。この国がダメなことの大きな理由の一つはまさにそこです。悪事・不祥事を起こし社会に損害や迷惑をかけた者たちをあまり厳しく追及しないことです。うやむやにして誤魔化すのです。なにか問題を起こしたら厳しく責任を問われて職や地位を失うという危機感・緊張感を持たないかぎり、人間はまた同じ失敗をやらかすのですよ。

●日本の総発電電力量に対する原発の発電電力量の比率は統計上29%です。しかし、発電手段別の設備容量(つまり発電能力)となると原発の比率は約20%に低下します。これは火力発電等の設備稼働率が原発と比べて相対的に低いのが原因です。次に、日本の社会全体で使用するエネルギーは電力(これは2次エネルギーです)だけでなく、石油などそのまま流体燃料として使ったり、石炭や天然ガスなど1次エネルギーのままで使うことのほうが多いです。したがって日本の1次エネルギーの総供給に占める原発の比率は、資源エネルギー庁の最新資料で僅か11.1%です。総エネルギーの1割など本気で削減するハラがあれば簡単に削減できる筈です。(政府や利権に与るものたちにはそのハラは全くありませんが…)電力不足を声高に叫ぶヤカラが多いのですが、一番安い発電方法の天然ガス発電所を少しだけ増強すればなんの問題もないわけです。べつに代替エネルギーなど叫ぶまでもありません。そもそも日本のエネルギーや電力を賄っている手段は石炭・天然ガス・石油の化石燃料が圧倒的主力であって、原発はほんの付け足しでしかありません。脱原発のためには代替エネルギーが必要という考えそのものが、プロパガンダに踊らされているのです。いまでも沖縄電力は原発に手をそめていません。火力発電のみです。しかしながら120万人も住む沖縄で原発がないから困るなどというハナシは全くありません。

●それと技術革新で問題が解決できるなどと無邪気に信じているのも滑稽です。宗教じゃあないのですから信じてはいけません。それでは原発の安全神話と全く同じです。新エネルギーがなぜ役に立たないのか、そもそも太陽光でも風力でも拡散したエネルギーで、エネルギー密度が低く、それを集約し捉えるには巨大な装置が必要になります。逆に考えると、装置は巨大なのに捉えることのできるエネルギーが少なすぎる、だから経営的にも成り立たないし、莫大な補助金が必要になるのです。しかもそれは変動したり、間欠的であったりするもので、電力として使用するには致命的な欠陥です。これらは技術革新でどうこうなるものでは全くないのです。たとえるならば米粒を運動場にばら撒いたのが “エネルギー密度の低い拡散した状態” なのです。ばら撒いた米ではご飯が炊けません。ご飯を炊くには “エネルギー密度を高め集約した状態” にする必用があります。つまり労力やコストをかけて米粒を拾い集めなければならないのです。ちなみに水力発電がなぜ優れているのか? 簡単です。雨粒ひとつひとつは僅かの位置エネルギーしかもっていません。ところが水は高いところから低い所に落ちていくので、流域面積に降った雨粒(米粒)がやがて自然にダムに集まるのです。自然が勝手にエネルギー密度を高めてご飯が炊ける状態にしてくれているのです。これが水力発電の優れている根本的な理由です。また、新エネルギーは不安定なものですが、不安定さを安定化しようとするならば、実際的には蓄電池じゃなくて揚水発電所の建設でしょ。原発ではそうしています。出力調整の利かない原発は夜間の余った電力を揚水発電所にためています。しかしそれはエネルギーを捉える為の装置のさらなる巨大化を意味します。(つまりEPR=エネルギー収支比の絶望的な低下です)

●新エネルギーが役に立つものかどうかの基準は、ライフ・サイクル・アセスメント(LCA)の手法によるエネルギー・プロフィット・レシオ(EPR)の厳密な評価です。投入するエネルギーに対する産出エネルギーの厳密な収支計算なのです。それが全てです。(もちろん産出エネルギーの質も大事です)しかしながら研究者たちの報告はじつに恣意的で胡散臭いものが多すぎます。たとえば(独)産業技術総合研究所の報告などひどいものです。それを推進したいがためのプロパガンダです。あまりにも恣意的で現実離れした見え透いた数字を平気で出しています。ようするに政府系機関の研究者・専門家は庶民大衆や文系の人など簡単に騙せるとバカにしているのですよ。国民や文系の人が「新エネルギーは今はダメだが、技術革新でやがて問題は解決できる」などと信じてくれたら、企業も技術者も経産省も大喜びです。彼らの思う壺です。いくらでも税金や補助金が流し込めますから…。電気代を値上げしていくらでも踏んだくれますから。彼らは当面なんとか原発を温存しようとやっきになっていますが、もし原発の温存が無理だったならば、こんどは新エネルギーで利権をむさぼるのが見えています。喜ぶのは三菱重工・京セラ・パナソニックなどの大企業、商社もよろこびますし、もちろん新エネルギー族議員や官僚たちも大喜びです…。ウハウハ笑いが止まりません…。最近ではソフトバンクの孫社長がのこのこと出てきました。ただし孫社長は周回遅れ、それも2周遅れか? 自分のたくらむ商売にカネを寄こせ(自分の太陽光発電電力を40円で買い取れ!)と露骨なロビー活動をしています。みんな手ぐすねを引いて利権に与ろうと狙っているのですよ。故宇井純先生の教える通り、商業主義的な匂いの立ちこめるものの背後にうごめく大きな化け物を見抜かないといけません。

おおまかに言って、いま保守勢力(右翼)は原発容認の主張をしています。一方では革新勢力(左翼)は脱原発の主張をしています。どちらの主張も科学的・論理的なというよりもイデオロギー的な観点からの主張の感じがします。問題は革新勢力が、「脱原発」=「新エネルギー推進」と同一視して捉えていることです。これでは原発が犯した失敗を、形こそ変えるのですが再び失敗を繰り返しそうです。

●独立行政法人・産業技術総合研究所は、風力発電や太陽光発電のEPRを報告するたびに数字がころころと変わりますが、風力発電で38~54倍、太陽光発電の旧来技術で12~21倍、太陽光発電の最新技術で16~31倍などという数字を出しています。ちょっと考えれば分かることですが、もしそれが本当であるのならば人類は無限のエネルギーを手に入れたことになります。エネルギー問題は解決です。万々歳です。元手のエネルギーが1あれば、それで20倍とか30倍のエネルギーを生み出すのだから、その産出エネルギーの一部を再投資に回せばいいのです。まさに複利で無限に膨張する貯金です。みんな嬉しくて笑いが止まりません…。(実際には、風車や太陽光パネルを再生産するためにはエネルギーのほかに珪砂や鉄などの資源や場所も必要なのでそう簡単ではありませんが)そんな矛盾ぐらい作家を名乗るのであれば、見抜いてほしいものです。じつは研究者も技術者もそんなことは百も承知の上でやっています。ただし本当のことを言っていたら所属組織からはじき飛ばされます。それで言えないだけなのですよ…。故宇井純先生が万年助手に冷遇され教授になれなかったようなものです。よのなか職や地位を投げ捨てる覚悟がないと、本当のことはなかなか言えないのです。

独立行政法人・産業技術総合研究所の太陽光発電のエネルギー収支
↑新エネルギーを推進するための政府系プロパガンダです。原発を推進するために原発の安全神話をプロパガンダしていたのと同じです。新エネルギー推進で利益を得る組織がやる研究や報告は結論が先行していて、高いEPRを出さざるを得ないのです。本当は、推進派研究者にも研究費を出し、反対派研究者にも研究費を出して、自由に徹底討論し競わせるべきなのです。

風力発電
↑もしこれが本当にEPR(Energy Profit Ratio)が独立行政法人・産業技術総合研究所の言うように38~54倍もあるのならば、人類は無限のエネルギーを手にしたことになるのですが……。もしそのEPRが本当ならば、経営されるホテルさんも儲かって儲かって笑いがとまりません。2号機、3号機と増やすハズですよ。私も資金を工面して1本でも建てたいです……。

風車の運行表示板です
↑ある老舗の名門ホテルさんが設置した風力発電です。三菱重工業製で、2004年3月にきんでんが施工しました。補助金は「関西グリーン電力基金」から流し込まれました。定格出力は2000kwです。

施設稼働率を計算してみます。7月14日朝の時点で年間発電量累計で1188MWh(メガワット時)と表示されています。7月14日は風車は動いてないので除外します。年初からの日数は194日です。もし定格風速の13m/sの風が吹き続けて定格運転がづーっとなされたのならば、2000KW×24h×194d=9312000KWhとなります。
K(キロ)は10の3乗、M(メガ)は10の6乗ですから単位を揃えて、1188MWh÷9312MWh=0.1275です。
この風車の稼働率は12.7%となります。付近は鳴門海峡に面していて樹木が扁形樹となるほどの強風地帯(風況が良い筈)なのに、稼働率がちょっと悪すぎるようですね。ちなみにこの風車はブレード(羽)が折れるなどの大事故を2回だったか?起こしています。


「淡路島文学第6号」を読んでの寸評(その1)
淡路島で唯一の散文学同人誌の『淡路島文学第6号』が発行されています。発行所は「淡路島文学同人会」です。編集発行人は、〒656-0016 兵庫県洲本市下内膳272-2 北原文雄。なんと202ページにも及ぶ大冊です。同人10氏による小説・詩・随筆がずらりと並んでいて壮観です。さらに6号には淡路島の生んだ芥川賞候補作家の鄭承博(ていしょうはく)の没後10年ということで、故人をしのび文学的業績をたたえる追悼寄稿文が9本も並んでいます。読み応え満点の特集号です。頒価千円で島内の主要書店で絶賛発売中であります。

淡路島文学 第6号特集号

淡路島文学第6号 目次

●大胆にも書評を試みたいと思います。力作揃いでどの作品を執り上げるか目移りするのですが、上質で端正な文体で読者を魅了してやまない宇津木洋(うつぎひろし)の『あんたどこの子』を執り上げましょう。

●『あんたどこの子』はエッセー風の抒情性あふれる素晴らしい作品です。宇津木氏はエッセイともアンチロマンともつかぬと言うか、心理小説なのか? とも読める傾向の作品を書く書き手です。今回の作品も従来の作品群と同じ傾向線上にあり、やはりハッキリとしたストーリー性がないようです。しかしながら、これはストーリーの展開の面白さを追うような低次元の作品ではなく、その上質な文体から立ち昇ってくる香気をたのしむ作品であります。

作品は、幼少のころ、少年期のころを回想するという形式でやや独白的な文章で綴られます。3歳のとき実父が死去、その後、義父が来るのですが、「憂鬱で快活ではない少年」は母から「実父そっくり」と言われます。しかし、その実父は小鳥をこよなく愛するナチュラリストであったらしい。学生時代に実母も世を去り、祖母のところへよく遊びに行った…、というふうな内容です。漁師が地引網を引いて沖の魚をたぐりよせるように、遥かな遠い記憶をたぐり寄せているかのようです。作品のなかで語られる身の上は深刻なものがあるのですが、上質の文章でサラリと書いてあるので深刻さがなく救われます。無駄のない整った文章というか、なかなか秀麗な文章であります。宇津木文学は、秀麗にして優美な文体で書いた “破滅型私小説ふうの随想文学” なのではないか? という感じで、これは多分、「こんなのはダメだ」という読者がいるかもしれない反面、熱心なファンがつく文学であろうかと思われます。ちょうど太宰治に熱心な信者が付くみたいなものでありましょう……。

●作品の前半で重きをなしている「わらべ唄考」ともいえるレポートも圧巻です。遠い昔のかすかな記憶を手掛かりに、ネット検索していくと、わらべ唄には基本形みたいなのがあり、それから派生したさまざまな亜種・変種・品種がぞくぞくと…、というのは興味深いものです。いよいよネット革命は文学の世界にも及んできたのかという感慨を受けました。文学作品というものは、ある意味ではその時代を写しとるものです。『あんたどこの子』はインターネットの普及した時代というものを見事に写しとっていて、その意味ではたぶん意図せずに行ったであろう “文学的実験” は大成功です。

さて、『あんたどこの子』を簡単に調べてみました。インターネット用語が頻出しています。出現頻度の高いものから挙げると次のようです。

4回出現の語……インターネット・サイト・ネット検索・検索
1回出現の語……インターネットサイト・ウィキペディア
        ネット・ウェブ辞書
ほかにも「ヒット件数」もあり、これもネット語かもしれません。

作品中に20回 “ネット語” が出現します。ネットで検索するという表現もあり、このような複合語的用法が3回あって、これを1回と見なすと17回です。7ページ半に17回の出現なので、2.26回/1ページです。本作品では、間違いなくこれらのネット語が作品を解釈・解析するキーワードになっていると思われます。考察するに、宇津木文学の作品中で、使用頻度の高い語彙の順に抽出して並べると、なにか作品の特徴がつかめるのではないか? と考えられます。が、それを手作業で解析するのは大変なことです。作品の全文を入力したら自動的に解析してくれるソフトがあればなあ…、と思います。

●文学作品を読み解くのも、コンピューターと数学(統計学)を駆使して解析する時代がすでに来ています……。
要拡散! 全国民必見! まともな専門家の渾身の訴え。
(You Tube 動画)2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦

●原発利権温存勢力によると思われる “動画の消去” と真実を知りたい国民による再アップ、再々アップのすさまじい攻防戦が展開されているようです。いま、原発に疑問を呈する発言をした学者・文化人・評論家・編集者・ジャーナリストたちが表舞台から次々に引きずりおろされています。まるで戦中の大本営発表を想起するかのようなすさまじい情報統制が行われています。政治的な圧力で世論が操作され歪められています。これでは主権在民などたんなるお題目で、民意など政策に反映されることなど全くありません。原発推進経済産業省官僚・原発利権政治家・原発関連企業たちの利権互助会が世の中を支配する “三頭政治” になっています。日本も一握りの人たちが支配していて北朝鮮とたいしてかわらない独裁政治の国であったわけです。 (マスコミは政・官・業の三頭政治勢力の手下・走狗だということです)

●研究費の配分を受ける為には、真実の探究者という本分を捨て去り、体制の擁護者・代弁者になりさがる御用学者ばかりだと思っていましたが、こんな専門家の方がいたとは驚きです。まだこの国は救いようがあるという気がします。児玉龍彦氏の怒気を含んだ訴えは、時には絶叫を交えてものすごい迫力です。国会議員たちを前に怒りの鉄拳、叱りつけています…。

作家の鐸木よしみつさんが、『阿武隈裏日記』に児玉龍彦氏の参考人説明の書き起こしを載せています。書き起こしをしたのは別の方のようですが、鐸木さんが一部訂正されたようです。
コヤブランの観察です
「コヤブラン」の観察です。似た仲間の植物に、「ヤブラン」と「ヒメヤブラン」があります。これら3種ともに諭鶴羽山系で見られます。見分け方のポイントは次のことを押さえるといいと思います。ただし、あくまで諭鶴羽山系での観察という意味においてのハナシです。

『兵庫県レッドデータブック2010』では、コヤブランはCランクの貴重植物に指定しています。

1か所にまとまった大きな株になる。…………………………ヤブラン

1か所にまとまった大きな株にならず、面的に広がってはびこる。
  葉の幅は4~7㎜で、花は沢山つく。20~30以上。……コヤブラン
  葉の幅は2~3㎜で、花は少なく、10個前後。………ヒメヤブラン

ヤブランに似たものに、ノシランの自生も諭鶴羽山系で確認されていますが、ノシランは花が白で、ヤブランは紫です。コヤブランとジャノヒゲを見間違える可能性がありますが、コヤブランの種子は黒、ジャノヒゲの種子は濃いブルーで、色で見分けるのがいいと思います。ただし、種子が熟すまで継続観察する必要があるのは、しかたがありません。

コヤブラン
↑地中に匍匐枝が縦横無尽にのびて、その匍匐枝の先端から5~10枚の葉を出します。ヤブランのようにまとまった大株になるのではなく、平面的な広がりをもつ植物です。よく育つと地表をびっしりと覆い尽くします。写真の状態になると他の草本植物(つる植物以外のもの)がなかなか侵入できません。(30㎝ぐらいの厚みのマット状になっているので、地表の植物の種子が発芽生長できなくなるのです)

疎らに花茎が立っている
↑写真のものは、葉の幅が5~7㎜あります。幅はヤブランよりも狭いです。半分くらいです。線形の葉の長さですが、写真のものは生育良好ですので30~55㎝もあります。

コヤブランの花

花のアップ
↑コヤブランの花です。花のつく茎は30~50㎝もあります。写真のものは生育がすこぶる良いのです。1花茎に個花は30~40個もつくのですが、開花間際に落ちるものが多くて、疎らになることが多いです。花の径は8~9㎜ほどです。花の色は薄い紫色です。花は花被片が6枚、雄蕊6個、雌蕊1個です。

ヒメヤブラン
↑これは「ヒメヤブラン=姫藪欄」です。コヤブランとの違いは大きさです。葉の幅は2~3㎜、葉の長さは10~20㎝しかありません。花の構造は全く同じですが、1花茎に付く個花の数は数個~10個程度で少ないです。パッと一瞥すると、芝生が広がっているみたいに見えます。
話題豊富な万葉植物「ヒオウギ」
万葉植物として有名なヒオウギが、諭鶴羽山系の奥で咲き乱れています。庭にも植えられる綺麗な花です。ヒオウギの種子は真っ黒で、その古名は「ぬばたま」です。「ぬばたまの…」という表現は真っ黒いもの、たとえば髪の毛であるとか、漆黒の闇とか、黒いものにかぶせられる枕詞としてよく知られています。万葉集には「ぬばたま」が詠み込まれている歌が80首もあるらしいです。

また、ヒオウギは薬草でもあるらしいです。射干(やかん)という名称の生薬で、9月に根茎を掘り採り、乾燥させたものを消炎とか喘息や風邪にもちいるのだそうです。
イー薬草・ドット・コム 薬用植物のご案内

全国的にはレッドデータ種あつかいの県が多いのには驚きです。
『日本のレッドデータ検索システム』では18もの都府県でレッドデータ種に指定しています。

ヒオウギの大群落
↑見渡す限りの大群落です。諭鶴羽山系で一番のヒオウギの大集団だと思います。というよりも全国有数の群落かもしれません。じつは、ヒオウギはシカ(鹿)の不嗜好植物なのです。ヒオウギ以外の草をシカが食べるので、ヒオウギばかりが繁殖したのです。

ヒオウギの大株です
↑この群落のものはよく育っていて、草丈が1.5mに達しています。見事な大株ばかりで、地中の一つの根茎から10~15本ぐらいの地上茎を斜上しているものが多く壮観です。

花被片は6枚ある
↑花弁が6枚あるように見えますが、よく見ると大きいのが3枚、小さいのが3枚あります。ルーペで目を凝らして観察しましたところ、小さい3枚が外側にあり、大きい3枚が内側にありました。したがいまして小さい3枚が本来は萼(がく)にあたる外花被(がいかひ)、大きい3枚が花弁である内花被(ないかひ)のようです。(オニユリでもウバユリでも、外花被か内花被の区別はすぐつくのですが、ヒオウギは非常に分かりにくいです)雌蕊は1本、雄蕊は3本あります。

この群落のものは花が大きい系統のものかもしれません。花の径は、片っぱしから計測してみると、ほとんどが6.5~7.5㎝の範囲に入っています。書物では『日本の野生植物』が径3~4㎝、『大井博士の日本植物誌』が5~6㎝、『原色日本植物図鑑』が5~6㎝など…、諭鶴羽山系のものは他所のものより一回り花が大きいのかもしれません。

葉のつき方が独特
↑葉は剣のような形で、色はメリケン粉を少しまぶしたような白っぽい感じがします。葉は茎に対して2列に行儀よく互生します。この葉の並びかたが “檜扇(ひおうぎ)” に似ているのが和名の語源だとされるのですが、私には似ているようには見えません…。
株式会社・鈴木法衣店様の「檜扇 並品」の画像
この鈴木法衣店様の商品の画像を拝見して、ヒオウギの葉の付きかたと見比べても、やはり似ていませんね。

ヒオウギの葉が面白いのは、代表的な「単面葉・たんめんよう」であるということです。裏しかない葉だと言われています。表と裏のある紙を、表を内側に二つ折りにすると、裏が外側になります。この場合、二つ折にしたものに表と裏が生じるのですが、しかしそのどちら側も本来は裏です。つまり本来の表は内側に折り込まれて癒合しているわけです。ヒオウギの葉はそういうふうになっています。
ヒオウギの葉は基部が茎を包むように抱いていますが、その基部では表と表が癒合していない部分があるので「本来の表」が少しだけ見られます。 (実物を観察すればすぐに分かります)
↓ちょっと難しいですが、面白い資料です。
アヤメやネギがもつ、裏しかない葉「単面葉」の形作りの仕組みを解明

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↑これならば「檜扇」にすこしは似ています。春先の茎がまだ伸びきっていないものであれば、もっと似るのかも知れません…。



飛砂や飛塩に耐え忍ぶ「ビロードテンツキ」
カヤツリグサ科のビロードテンツキです。美しい花が咲くわけではないので、植物愛好家や山野草趣味の人たちには打ち捨てられたカヤツリグサ科ですが、植生や生態学を研究している人たちには興味深い植物群のようです。ビロードテンツキは砂質海岸の厳しい環境を耐え忍んで生育しています。強風で砂が飛んでくるわ、海水の飛沫もかかるし、それから生育地が砂地なので、乾燥・乏しい養分・強い日差しなど、内陸の軟弱な植物では育たないところがビロードテンツキには安住の地なのでしょう。

ビロードテンツキにとっては、厳しくとも安住の楽園である砂浜海岸が危機的状況です。各地で埋め立てや護岸工事による砂浜の破壊が進んでいます。砂防ダム建設や河川改修工事により砂の供給が減少して、砂浜がやせ細っています。防潮堤建設などによる潮の流れの変化も砂浜の消長に影響しています。砂浜がやせ細ることが多いらしいですが、時には逆に大量の砂が運ばれて自生地が埋没ということもあるらしいです。最近では砂浜海岸はオフロード車の格好の遊び場になっています。ビロードテンツキは砂浜や砂丘という特殊環境にしか生存できない植物ですし、その特殊環境が常に破壊の圧力にさらされているので、多くの県がレッドデータ種に指定しています。兵庫県レッドデータブック2010でもAランクの貴重植物に選定しています。

『日本のレッドデータ検索システム』では19の府県がビロードテンツキをレッドデータ種にしています。

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↑7月29日です。カヤツリグサ科のビロードテンツキです。今年は何故かどの株も花がありません。花期は夏です。7月から9月ぐらいまで花(果実)があるのですが、全く見当たりません。どうしたのでしょうか? 先日の台風の暴風で花が吹き飛んだのではなさそうです。なんらかの要因で今年は開花しなかったのか?

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↑草丈(葉の高さ)はせいぜい10㎝ぐらいのものです。もし花のつく茎があれば、それは葉よりもかなり高くなります。葉はとても固く、写真ではわかりにくいのですが、葉の表面を白い毛が密生して覆っています。それで見た感じがビロードみたいだ、というのです。実体顕微鏡で拡大して観察すると和名に「ビロード」を冠した理由がよく分かります。毛が密生しているのは飛砂から体を護っているのでは?

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↑枯れた古い葉がたくさん残っています。これは砂質海岸に生じたもので、そこは小規模な砂丘になったところです。飛砂が多い半安定帯と思われる環境です。古い葉が残って地表を覆い、砂の動きを止めるのに役立っているような感じです。ビロードテンツキは大きな群落を作るのではなく、その一帯に点々と散在するという感じです。

●ビロードテンツキは砂丘植物です。兵庫県でただ1か所のビロードテンツキ自生地の南あわじ市阿万吹上浜は、砂浜海岸であるとともに小規模な砂丘になっています。本種が飛砂の多い砂丘が “安住の地” である秘密が、次の資料でよく理解できます。
Sandblastingによる植生管理の試み : 鳥取砂丘の草原化対策(一般研究発表会・口頭発表)

sandblastingとは「砂の吹き付け」です。肥料散布機を使って、砂の強風吹きつけ実験をしたということです。砂丘植物も非砂丘植物も強風による飛砂で傷つくと、大半は枯れてしまいます。ところがしばらく後には、砂丘植物はかなり植生回復するのですが、非砂丘植物は回復が少ないそうです。

ビロードテンツキの自生地に内陸の植物が侵入してきても、不定期に起こる強風の飛砂でやられて、内陸植物は育たない。しかし、ビロードテンツキも飛砂によるダメージはあるにはあるが、じきに回復して生育できる…、ということですね。しかしながら、このことはビロードテンツキが必ずしも競争力の強い植物であるわけではない、ということを示唆しています。ただ単に飛砂とか乾燥とかに適応しているだけです。

ビロードテンツキを内陸の植物のあるところに移植するとか、種子を蒔いて育てても、内陸の植物との競争に簡単に破れて、育たないのではないでしょうか?
熱帯より北上した砂浜海岸の植物「ネコノシタ」
キク科のネコノシタです。別名がハマグルマです。書物でも論文でも両方の和名が使われているので、大変ややこしいです。海岸の砂浜に生じる植物なのですが分布はとても広くて、東北地方南部から南の太平洋岸にも日本海側にもあります。そして、琉球列島や小笠原、済州島から中国や台湾、インドシナ半島やタイ国など亜熱帯・熱帯まで広範囲に及んでいるそうです。というよりも、熱帯・亜熱帯のアジアが分布の中心で、日本の本州まで北上していると言うべきのようです。良好な砂浜海岸の「指標植物」として、北方系のウンランと並んで南方系のネコノシタは双璧で、よく知られています。

ネコノシタは砂浜海岸や海岸砂丘に自生するのですが、砂浜海岸に生じる植物というのは、一種の垂直分布みたいな帯状分布になっています。海から陸地の方に向かって、不安定帯・半安定帯・安定帯・木本帯とよく分けられます。ネコノシタは半安定帯~安定帯に繁茂し、台風の大波が来れば海水を被るような不安定帯にまで進出します。

『兵庫県レッドデータブック2010』ではネコノシタはBランクの貴重植物

『日本のレッドデータ検索システム』ではネコノシタ(ハマグルマ)を13の県がレッドデータ種の扱いをしています。

ネコノシタ
↑写真では分かりにくいのですが、ネコノシタは地表を長い茎が這っています。写真の右下部分に少し見えているのですがイチゴのランナーみたいな匍匐する茎です。その匍匐茎の節から根と枝を出して広がります。写真の自生地は、ネコノシタの黄色の花とハマゴウの紫の花でお花畑になっていました。しかしながら、台風の置き土産のごみが多くて、お花畑の写真を撮るのは興ざめです。(写真を撮る気がしなかった)

舌状花は8枚ある
↑ネコノシタは枝の先端に1個の頭花をつけます。頭花の周囲に放射状に突き出ている舌状花は、片っぱしから数えると最大8枚(8個というべきか?)です。5~8枚の間で決まっているわけではなさそうです。葉は触ると表も裏もざらざらです。まるでサメの皮かサンドペーパーみたいです。このざらざらの状態が猫の舌に似ているというのが和名の起源らしいです。(猫を飼ったことがないので、猫の舌が本当にざらざらなのかどうかは知りませんが…)

論文『日本の暖温帯に生育する海浜植物14種の海流散布の可能性』
↑この論文では海浜植物の種子が、海流によって遠方に運ばれる可能性があるかどうかを、実験によって考察しています。海水と同じ3.45%の濃度の塩水に、種子などの散布体が60日間浮かぶことができるかどうか実験しています。そして次に、塩水に浸かった後にその種子が発芽できるかどうか実験しています。実験の結果、ネコノシタは塩水によく浮かぶし、塩水に浸かった後でもよく発芽するということです。長距離の散布も可能性は大なりということが分かり、熱帯・亜熱帯域に分布していたネコノシタが、海流に乗って北へと分布を広げたという見方を裏付けています。
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