雑想庵の破れた障子
ぺんぺん草に埋もれた山中の雑想庵。 破れた障子の小さな穴から見えるものを綴ります。
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クスドイゲは派手なトゲで草食獣の食害を防御
まず、シカの食害の実際をご覧ください。
幹の樹皮をかじられたビワの木
↑ビワ(果実の琵琶です)の葉や樹皮をシカが好みます。ビワ栽培の盛んな南あわじ市灘地区では、シカの食害による果樹の被害が目立っています。ご覧のようにビワの樹皮までかじって食べてしまいます。ビワの葉はごわごわとしていて固く、葉の表面も裏面も毛が多くてもそもそとしていて、おいしそうには見えません。しかしシカはビワの葉が大好物です。ミカンの葉も大好物なのです。幹や枝の樹皮も好物のようです。樹皮をかじるのは歯を研ぐためかと思っていたのですが、よく観察するとかじった樹皮が地面に落ちていないことから食べているのだと推察できます。歯を研ぐついでに樹皮を食べてしまうのかもしれません。そのあたりの正確なことは観察不足で良く分かりません…。

とにかく南あわじ市灘地区ではシカが多くて庭にまでわがもの顔で出没しますので、ワイヤーメッシュ、トタン板、網、と3重に防護柵を張らないとビワもミカンも栽培できなくなっています。写真の樹皮をかじられたビワの木も枯らされるのは時間の問題です。

さて、地面に固着して動くことのできない植物ですが、草食獣に葉や茎を食べられるのに手をこまねいているだけではありません。いろいろと手段を講じて食害を防御しています。比較的多い手段には、毒を盛るというのがあります。草食動物が食べたら中毒を起こすような毒物(化学物質)で身を護る「化学作戦」です。タケニグサ、シキミ、ナルトサワギク、オモトなどヒトが食べても草食動物が食べても中毒する毒草はいっぱいあります。

ほかに多い手段としては、トゲだらけで痛くて食べられないというのもありますが、これは「物理作戦」といえましょうか? トゲだらけの植物は諭鶴羽山系にもたくさんあります。

ミカン科 サンショウ、イヌザンショウ、カラスザンショウ、
     フユザンショウ。
グミ科  ツルグミ、ナワシログミ。
マメ科  ジャケツイバラ、ハリエンジュ(ニセアカシア)
ウコギ科 タラノキ、ヤマウコギ、ハリギリ。
バラ科  フユイチゴ、オオフユイチゴ、ホウロクイチゴ、
     ノイバラ、ヤブイバラ、ナガバモミジイチゴ
     エビガライチゴ、クサイチゴ、など多数。
キク科  オニノゲシ、ノアザミ、ハマアザミ等。
トウダイグサ科  カンコノキ。

ざあっと思いつくだけでも一杯あります。よく考えればもっともっとありそうです。良く見るとヒトが食べられる植物も多数含まれています。例えばカラスザンショウでも、春の枝先の新芽を天麩羅にするとうまいです。これらはトゲだらけで、屈強のシカ(鹿たち)でも手も足も出ません。おいしそうな匂いを嗅ぐだけです。植物たちもそうやすやすと食べられてはたまらない、と必死の防御策です。
 
さて、クスドイゲという樹木があるのですが、派手なトゲで武装しています。これもシカは手が出せません。
クスドイゲ
↑クスドイゲはあまり大きくならない樹木です。せいぜい7~8mぐらいでしょうか。最大限10mまでといった感じです。雌雄異株の樹木で、秋の早い時期に(9月ぐらいに)小さな花をびっしりと着けます。

クスドイゲは『兵庫県レッドデータブック2010』ではCランクの貴重植物です。
諭鶴羽山系では、山系南斜面でも北斜面でも点々と自生していますが、特別に目立つ樹木ではないので意識的に観察しないと見落とすかもしれません。兵庫県では諭鶴羽山系と西播磨のごく一部に分布するようです。
『日本のレッドデータ検索システム』ではクスドイゲについて4県が言及しています。

クスドイゲの幹はとげだらけ
↑クスドイゲは幹の直径が10㎝程度の若い木では、トゲだらけです。トゲは枝が変化したものと言われていますが、幹から20㎝ぐらいの長大なトゲが出て、その長大なトゲから更にトゲが出ているという感じです。時にはトゲから出たトゲに更にトゲが出ることさえあります。つまり3重にトゲが出るわけです。こうなると、その一つの塊のトゲ自体が「トゲの樹木」のように見えます。そういうのを観察すると直感的にもこのトゲは枝の変化したものであって、葉が変化したものではないということが分かります。しばしばトゲから葉が出ています。分かりにくいですが写真にも見えています。これもトゲは枝そのものであるという証拠なのでしょう。梅雨ごろの新しく出たトゲは赤っぽい色をしていることが多いです。

クスドイゲも古木になるとトゲがなくなってきます。幹の直径が30㎝、樹高が10mに近いようなものになると、幹にはトゲがありません。クスノキは古い枝を落としながら幹を太らせますが、それと同じような感じで、クスドイゲも老成してくると落枝現象が生じてトゲを脱落してしまいます。それで別物みたいになります。そうなると幹の樹皮は縦にはがれたような感じになります。ちょうどムクノキの大木みたいな樹皮の様子です。トゲのある樹木も古木になるとトゲがなくなるか、あるいはトゲが疎らになってくるという一般的な傾向が認められるように思います。古木で樹高も高いでしょうから枝の葉にシカの背が届かない…、樹皮も厚くなってシカの歯が立たない…、ということでしょうか? そうすると、わざわざトゲで武装する必要性が薄らぐのか?
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タイミンタチバナは暖帯照葉樹林の低木層を構成する樹木
ヤブコウジ科の「タイミンタチバナ」は兵庫県の新しい貴重植物です。『兵庫の貴重な自然 兵庫県版レッドデータブック2010(植物・植物群落)』で淡路島でも初めて貴重植物の仲間入りです。それまでは地域限定貴重植物でした。初版(平成7年版)では“摂津・東播磨Bランク”であり、改訂版(2006年版)では“神戸・阪神B、播磨東部B”という扱いでした。兵庫県では本土側ではタイミンタチバナの個体数はきわめて少なく、六甲山の山裾の暖帯林の林床などに僅かに見られるだけだそうです。

諭鶴羽山系では南側斜面の裾などに点々と見られます。そもそも暖地性植物なので海抜の高いところにはないようです。海抜200メートル以下のところで見られます。山系の北側にもあります。タイミンタチバナは耐陰性のかなり高い樹木のようで、鬱蒼と茂った二次林の林床の薄暗いなかでも生育しています。あまり大きくなる樹木ではなくて、樹高が3~4mぐらいのものが多く、大きくても5~6mといったところでしょうか。↓のサイトを閲覧すると10mなどと記されていますが、?です。ま、播磨・神戸で10mもの個体があったのかもしれませんが、諭鶴羽山系でそんなに大きなものは見たことがありません…。

諭鶴羽山系は今、急速に遷移(二次遷移)が進行中です。昭和30年代の燃料革命からはや50年、山の樹木がどんどん生長しています。薪炭用に山の木を伐らなくなってから50~80年ぐらい経っています。80年というのは50年前にすでに樹齢30年の林があったからです。50年前に山が丸坊主に皆伐されたわけではありません。諭鶴羽山系ではあちこちに自然林(原生林)に近いような森もできています。それで陽光を好む陽生植物が消えつつあります。そんな中で、鬱蒼と茂る薄暗い林床で、タイミンタチバナはしっかりと生育しています。

諭鶴羽山系では、耐陰性の低い植物(生物学でいう補償点の高い植物)の生存に厳しい環境となってきています。陽光がさんさんと当たらないと生きられない植物が消えつつあります。今後はそんな補償点の高い陽生植物は、鬱蒼と茂る森林の中にポッカリと空いた“ギャップ”や“崩壊地”をサーカスの綱渡りよろしく渡り歩くしかありません。陽生植物が生き延びられる場所の提供という意味では、「台風による倒木」や「豪雨による斜面崩壊」というのは、とても意義深いものです。陽生植物の種の保存には災害というものは必要なのです。

『兵庫県レッド・データ・ブック2010』ではCランクの貴重植物

『日本のレッドデータ検索システム』では4県がタイミンタチバナに言及

タイミンタチバナ
↑ヤマモモモドキという別名もあるらしいです。確かにヤマモモに似ていなくもないです。枝先に葉が集まって着いている様子は良く似ています。

タイミンタチバナは、「大明橘」で中国のタチバナという意味らしい? です。それと新しい分類体系では所属科が変更されたようです。
最新の植物分類体系を学ぶ参考書、大場秀章編著『植物分類表』

ヤマモモモドキのほかにも、ヒチノキ、ヒチギ、ソゲキの別名(地方名)もあるそうです。
ソゲキは、削げ木で、削げる=竹や木の薄く剥いだ小片。あるいは、木材などの表面にできたささくれ。なので木材から板を削げるように、幹から枝が裂けるように折れやすい樹木の意味か? 確かに登ると折れやすい木であるのは間違いありません。むかし、これを伐採して風呂の焚き物にしました。しかしタイミンタチバナの樹皮には皮目(ひもく)がありざらざらしているので、このざらざらしている様子から「ささくれた木」→「削げた木」→「削げ木」という語源説も成り立ちそうです……。

若い果実がついている
↑これは若い果実です。緑色をしています。秋になると果実の色は紫ないしは黒になります。ヤマモモの果実よりはかなり小粒ですし、着果数が多いようです。タイミンタチバナは雌雄異株の植物です。

6月26日未明の短時間豪雨、淡路島の1時間降水量は全国1位だ!
6月26日未明に、淡路島で局地的なものすごい豪雨がありました。雷鳴もありました。南あわじ市灘では道路に水があふれ土砂が崩れ落ちたところもあります。大量の泥水が流出して、紀伊水道の海域を茶色く変色させました。

●下の数字の羅列は一時間ごとの各観測所での降雨量です。合計で最大値が143㎜、100㎜超のところが8か所あります。降雨強度の最大値は分水堰で02時―03時で73㎜/hです。かなりの豪雨であるのに、由良と相川はほとんど雨が降っていません。旧西淡町では雨が降ったのかどうか?もっと密な観測網がないと分かりません。

●100㎜超の短時間豪雨のあったところを地図で確認すると、淡路島をほぼ串刺しにする線、南あわじ市灘土生と淡路市仁井を結ぶ直線(SW―NEの方向)の周囲に並んでいます。

●淡路島南部での豪雨はほぼ2時と3時観測にされています。(降雨は1時から3時の範囲にあった)その反面、淡路島北部では激しい降雨時間帯は3時から4時(2時から4時までの間)で、淡路島南部よりも1時間の遅れが生じています。

●気象庁の26日02時の気象衛星赤外画像を見ると、徳島県東部・紀伊水道・淡路島辺りにクラウドクラスター(積乱雲が集積したもの)が見てとれます。このクラウドクラスターは数十キロか100キロ程度のスケールのもので小さいですが、衛星画像にくっきりと表れています。

で、本日26日未明の淡路島内における局地的な豪雨は、未明の01時から04時にかけて淡路島上空をなめるようにしてクラウドクラスターが通過し、おそらく幅10キロ程度、長さ100キロ程度の特に発達した筋状の積乱雲の列が南西から北東方向に移動していったことに因るものだろうと思います。あるいは、その筋状の積乱雲が淡路島上空で生成し雨を降らせて消滅したのかもしれません。(明石・神戸ではそれほど降っていないので)

今回の短時間豪雨は、アメダス観測網では粗すぎて十分には捉えられていないのは残念です。(気象庁の正式な観測所での降雨記録という形では雨量の記録が残らない……)

      1時  2時  3時  4時  5時  合計
仁  井  0   3   52  45  5  105
郡家気象  1  11  11   1   0   24
都  志  4  12   3   0  0   20
志  筑  0  12  65  48  0  125
洲  本  0  13  37  24  0   74
洲本気象  0   9   17  14  0   40
帰  守  0  16   8   1  0   25
由  良  0   0   0    1  0    1
相  川  0   0   4    0  0    4
沼  島  0   7   11   0   0   18
成相ダム  0  44  68  17  0  129
北 富 士   0  46  70  19  0  135
大日ダム  0  41  39   2  0   82
牛内ダム  0  45  49   4  0   98
分 水 堰   0  56  73  13  0  142
諭鶴ダム  0  63  66  14  0  143
諭 鶴 羽   0  46  70  26  0  138
阿  万  1  35   6   1  0   43
灘 土 生   0  34  70   5  0  109  
             (単位はmm)
(郡家気象・洲本気象・阿万の3か所がアメダス観測所です)
他は『国土交通省リアルタイム川の防災情報』サイトの観測所です。

谷から泥水が流入して濁った海
↑未明の大雨により谷川から泥水が流入して、沿岸が真っ茶色に濁ってしまいました。普段は透明度はけっこうあり、海底の海藻・岩・砂地などがモザイク状になっていて、海底の様子がよく見えているところです。

●驚くべきことは南あわじ市賀集分水堰の1時間雨量の73㎜です。気象庁のアメダス1400ヵ所の記録を凌駕しています。つまり全国第1位なのです。
6月26日全国観測値ランキング(降水量)
↑このサイトでは当日と昨日の観測データのランキングしか閲覧できません。古い記録は見られない…。1954年以前の台風の観測データも見られない…。高層天気図も見せてくれない…。気象庁の情報開示はまだまだ不十分です。気象庁は国民から集めた税金で運営されているのだから、特別な申し込みが必要なしで無料ですべてを公開するべきです。気象庁は全国に大勢いる気象ファンの要望には応えず、国民に対するCO2地球温暖化仮説の洗脳だけは異常に熱心なのです。やはり、気象庁は国家の機関だ!

6月26日気象庁アメダス観測データでは、6月26日の『1時間降水量の日最大値』全国ランキングは、つぎの通りです。

1位  大分県宇目   69.0ミリ  11:00までの1時間
2位  宮崎県北方   60.0ミリ  08:20まで  〃
3位  宮崎県松浦   48.5ミリ  13:40まで  〃
4位  徳島県福原旭  47.5ミリ  12:20まで  〃
5位  長崎県小値賀  44.5ミリ  09:20まで  〃
6位  宮崎県延岡   40.5ミリ  11:40まで  〃
7位  徳島県徳島   39.5ミリ  01:30まで  〃
8位  熊本県牛深   39.0ミリ  24:00まで  〃
〃   高知県繁藤   39.0ミリ  00:10まで  〃
10位  長崎県有川   38.5ミリ  11:20まで  〃

注意するべきは、気象庁アメダス(気象官署を含む)のランキングは、毎正時で区切った1時間ではありません。たとえば、2位の宮崎県北方の60.0ミリですが、朝8時20分までの1時間の雨量です。

一方、分水堰の73.0ミリは、3時00分までの1時間の雨量です。2時00分までの1時間の降水量は56.0ミリです。可能性としては1時30分から2時00分までに56.0ミリの降水量があり、2時00分から2時30分までに73.0ミリの降雨があった可能性さえあります。毎正時ごとに区切るか、10分刻みで区切るかでデータは変わるのです。もちろん10分刻みでの過去1時間のデータを取るほうが数値は大きくなります。分水堰での1時間雨量は10分刻みでの過去1時間では73.0ミリではなく、90ミリにも100ミリにもなっていた可能性があるのです。
(建設省の川の防災情報サイトの閲覧では、10分毎の降水量が開示されていますが、3時間よりも古い情報は調べられないので、正確なところは分かりません)

●言わんとすることは、気象に関するランキングなど、気温でも降水量でもデータの扱い方によって変わるということです。観測所の数を増やせば増やすほど大きな観測値が出現します。日本の最高気温極値は40.9℃ですが、かつては150か所ほどの気象官署でのデータでランキングを出していました。近年では気温を観測しているアメダス観測所も含めて850ヵ所ほどの観測所のデータでランキングをしています。150ヵ所のデータと850か所のデータでは同列に扱うのは問題がありましょう。地球温暖化問題の報道等では、このようなデータの扱い方を恣意的に行い、温暖化がより印象づけられるようにと、情報操作がまかり通っています。

150か所の観測所 → 850か所の観測所 → むかしの区内観測所
最高気温極値40.8度 → 40.9度(2007年)→ 42.5度(1923年) 
白石村(しらいしむら)沈没伝説について
●淡路島最南端に位置する南あわじ市灘地区に、子々孫々に伝えられてきた伝説があります。白石村沈没伝説です。それは約500年前に大地震により海岸にあった村が海没したという話です。これは灘地区では皆が知っているハナシです。灘土生 (なだはぶ) というところに漁港があるのですが、その土生の海岸から3~4㎞沖合に浮かぶ沼島 (ぬしま) の方に向かって岬のような地形があったとされています。おそらく砂嘴 (さし) という地形であると考えられます。北海道・根室の北西に野付半島という所がありますが、海岸から沖に向かって突き出す砂州からなる細長い地形です。そのような砂嘴という地形が灘土生にあったのです。そこには白石村という村があったと言い伝えられています。その白石村が大地震で海没したのですが、それを裏付ける話がいろいろとあります。

(実は、このような話は各地にあります。この淡路島でも、島の北部で野島断層が動いて兵庫県南部地震が起こりましたが、その野島地区でも大昔に 「野島」 という島があって地震で海没したといわれています。この話は 『味地草』 に載っています。全国的には大分県別府湾にあったという “瓜生島沈没” があまりにも有名です)
石田地震科学研究所 新・地震学セミナーからの学び『12 瓜生島沈没ー日本のアトランティス物語』
↑ サイト主宰者は地震の非専門家であり、プレートテクトニクス理論を否定し、地震は予知可能と主張し、会員を募って予知情報を提供しているらしい…、とかなり胡散臭さが目立ちます。
こちらはWikipediaです。「瓜生島・うりゅうじま」

『淡路温故之図』 という古地図 (昔、津名町立図書館に天井ちかくに掲げていました。模写したものがあちこちで見られます) があるのですが、その古地図にも記載されています。灘土生から沼島の手前まで突き出している砂嘴地形が描かれています。しかしこの古地図は、地方史家の研究により江戸時代後期に作られたニセモニだという評価になっています。この古地図の作者が想像でそれらしい古地図を描き、言い伝えられる白石村沈没伝説を図中に書き込んだものと思われます。明応9年 (1500年) に白石村が沈没したとしています。また沈没したのは白石村の他に5ヶ村があったなどと書いてあります。

古文書や文献に白石村沈没事件の記載はほとんどありません。わずかに、江戸時代末の安政4年に編纂された 『味地草・みちくさ』という淡路国の郷土誌には次のように記されています。
「白石、阿万東村の境畝号にして池あり。上本庄村にも白石という畝号あり。村より北西、谷は西向。奇怪清誠談に曰く、淡路の国白石村と云片山家に柴村武左衛門とて田畑数多の主にて裕福にくらしける郷士あり。 (中略) 按するに今白石村と云所なし。然れば畝号の白石は則往昔の村名なることもあらんか」
ようするに今は白石村はないが、昔あったらしいということです。
『味地草』 における白石村の記述について 「キツネの恩返し」

宇佐美龍夫編著 『わが国の歴史地震被害一覧表』 にはごく簡単に 「十町の砂州海となる」 と記載して、明応7年 (1498年) の東海道沖の大地震の被害だとしています。

証言もあります。灘土生の漁師さんの目撃証言です。大潮で海面が下がったときで、波や風がなくてベタ凪のときに、しかも海水の透明度が高い時に、沖合の海底に鳥居(神社の鳥居です)が見えるというのです。おそらく500年前に沈んだ白石村の鎮守の社の鳥居であろうと考えられます。

ほかにも諭鶴羽神社に昔白石村の信者が玉石 (白石) を奉納したと伝えられていて、本殿の御垣内にその白石が敷き詰められています。言い伝えでは浜辺に白い石があったから白石村という村名になったそうです。

●考察です。おそらく、明応7年8月25日 (1498年9月20日) に発生した南海トラフ沿いの巨大地震の被害であろうかと思われます。紀伊から東海道にかけて大津波に襲われ、伊勢大湊で溺死5000人、伊勢志摩で溺死1万人、静岡県志太郡で流死26000人など (理科年表による) ものすごい人的被害です。で、次のように想像してみました。

勝手な想像。妄想のたぐい。検証されたわけではありません。
(1)白石村は砂嘴 (砂州) 地形だから極端な低海抜です。おそらく海抜3~4m程度であっただろうと思われます。全長はせいぜい1~2㎞程度。大きな砂嘴を作る為には大量の砂の供給源が必要ですが、それがありません。また、この砂嘴にはマツの木は生えていませんでした。 『味地草』 に記載の話で、白石村の住人が庭木にするマツを山に掘りに行ったとの事から分かります。 (その砂嘴にマツがあればわざわざ庭木にマツなど植えない)

(2)各地の砂嘴地形を観察すると、海岸線の曲線部分に接線を引くような方向に砂嘴が形成されます。それは海流や潮流が海岸線に対して平行に走ることが多いからです。したがって沼島の方向に砂嘴が伸びることなどありえないです。土生海岸線から直角の方向ではなく、斜めに30~40度くらいの角度で砂嘴がのび、先端が東 (和歌山方面) に流れ、先端付近は海岸とほとんど平行になるぐらい内側に巻き込んでいたのです。そう考えるのが合理的です。

(3)海溝型地震による数分に及ぶ揺れで液状化現象が発生、白石村集落の建物などが一挙に砂にのめり込んだものと想像できます。液状化現象による陥没が発生したのです。

(4)それから、紀伊半島先端や室戸岬などでは2m程度の地盤隆起が起こる半面、紀伊半島の付け根 (白石村) では逆に1mぐらいの地盤沈下。つまりシーソーのようなものです。海溝に近い部分が隆起し、海溝から遠いところが沈下したのです。 (東北太平洋沖大地震でもこの現象が顕著に起こりました)

(5)これらは一瞬の出来事で、そのあと1時間ほどして津波が襲来しました。津波はそれほど大きくはなかっただろうと思います。3m程度か? 大きな津波では鳥居が破壊されます。そのため海底で、鳥居だけが偶然に倒れずにうまく残った。

(6)以上で白石村はほぼ壊滅しましたが、砂嘴そのものは海面すれすれで残ります。砂嘴全体が海面上に出たり入ったりと言う状態で、その後急激に浸食が進み、30~40年ぐらいで砂が全部流された…。

(7)砂嘴地形など安定的なものではないと思います。砂丘の砂山みたいに形が変わっていきそうです。西日本を襲う150年周期ぐらいの海溝型巨大地震のたびに、砂嘴の地形が変化したのではないのか? 白石村にとってはこの1498年の大地震が村の終焉になったのではないのでしょうか?

(8)白石村沈没は海溝型巨大地震によるもので、内陸地震ではなさそうです。内陸地震では津波も起こらないし、地表に現れる断層が小さすぎます。被害は山崩ればかりで、砂嘴地形の沈没にあまり結びつきません。根尾谷の6mの垂直段差を生じた濃尾地震 (M8.0) 級の地震ならば白石村を一挙に6m沈める可能性もあります。しかしながら、この地区には中央構造線の断層帯が海岸線を走っていますが、しだいに諭鶴山系を高く持ち上げているようです。海側を沈下させているようではなさそうです。また、内陸地震では地震の揺れが10~20秒ほどで短く、液状化現象の発生が少ないのではないか? (揺れの周期も関係しそうで、よく分かりませんが)

●さて、砂嘴(さし)とはどういう地形なのか? 砂が堆積してできた地形で、鳥類の 「くちばし」 のような形状のものをいうのであります。まず、下の国土地理院の 『電子国土ポータル』 からコピーした地図をご覧ください。
北海道・野付半島
野付半島の航空写真 ウキペディアより
↑ 北海道の根室半島と知床半島の中間あたりにあります。全長28㎞にも達する日本最大の砂嘴です。砂嘴の地形の走向と先端の屈曲から、西北西から東南東に向かう海流があることが分かります。知床半島あたりの山を浸食した砂が海流に運ばれてきているのではないか?

静岡県・三保半島
↑ 「天の羽衣伝説」 で有名なところです。砂嘴の地形が埋め立てなどでかなり改変されているような気がします。明治時代に旧陸軍が測量した地形図をぜひ見たいと思います。砂嘴の先端の曲がり具合から、南西から北東に向かう海流のあることが分かります。

●つぎの写真は、白石村が海没した海域です。土生漁港の辺りから沖合に向かって砂嘴が伸びていたと考えられます。昔、漁師さんたちが海底に鳥居が見えるといっていたのは漁港の沖合のあたりです。海図や海底地形図を見ると、灘海岸の他のところよりも土生漁港の沖合の方が遠浅になっていて、水深が浅いです。

南あわじ市灘土生漁港
↑ 写真左側が南あわじ市灘土生 (なだはぶ) 漁港です。右側の島影が沼島 (ぬしま) です。土生漁港周辺は埋め立てが行われたので、本来の土生海岸線から沼島北端黒崎までの最短距離は3030m、土生漁港の防波堤先端にある灯台から沼島北端までは2890mです。また、沼島汽船の土生乗船場から沼島乗船場までの直線距離は3960mです。(国土地理院の『電子国土ポータル』で測った)

国土地理院の『電子国土ポータル』はここです。地形図上で距離や面積などが測れて、とても便利です
国土地理院の地形図の閲覧はここです。ナチュラリスト必須閲覧サイトです

神秘こもれる沼島
↑ 歴史と神話に彩られた神秘こもれる沼島 (ぬしま) です。島は勾玉(まがたま)そっくりの形をしています。あるいは母親のおなかの中にいる胎児のような形です。島の大きさは、長さがNNE-SSW軸における最長直線距離が2730mです。幅がSE-NW軸における最長直線距離が1460mです。島の外周は9090m、面積は2.703平方㎞です。
(国土地理院の 『電子国土ポータル』 で測った)

スイセンが枯れて“ハマウド郷”となるのか?
黒岩スイセン郷のハマウド
↑夏草の生い茂る黒岩スイセン郷には、やたらとハマウドが目立ちます。ハマウド郷になっています。

ハマウドが大群落になっている
↑黒岩スイセン郷の海側はそれほどでもないのですが、谷の奥の駐車場の辺りにはハマウドだらけで、見事な大群落を作っています。

●さてスイセンとハマウドの関係についての簡単な考察です。
スイセンは秋10月になると芽を出して葉を伸ばし冬の間花を咲かせています。花が終わった後1カ月ほど葉が青いのですが、春遅くには枯れてしまいます。そして地中で球根の姿でふたたび秋が来るのを待っています。要するにスイセンは冬半年に生育して、夏半年には球根の姿で休眠しています。一方ハマウドはスイセンの花が終わるころ目覚めて芽を出し葉を展開して育ちます。梅雨ごろ花が咲き夏から秋に果実が実ります。そして秋が深まると地上部は枯れていきます。つまり夏半年に育ち、冬半年には地下茎の姿でじいっとしています。1年の時間を半年づつ “タイム・シェアリング” しています。 ま、次のような感じ…。

  冬     夏      冬     夏      冬
スイセン → ハマウド → スイセン → ハマウド → スイセン

自分が活動するときには、相手には地中の地下茎でおとなしくしていただく。相手が活動する季節には自分が地下茎になりおとなしくする。ということです。狭い自生場所をご互いにケンカせずに分かち合う自然の知恵のようです。一種の「すみわけ」と言えなくもないのですが、食物(餌)を分ける場合は「食い分け」と言っていますが、時間を分ける場合は「時間分け」なのか?

ハマウドは巨大になる
↑南あわじ市灘土生です。消波ブロックの間から巨大なハマウドが生育しています。

●ハマウドの簡単な観察です。写真の個体のものを観察しました。
草丈は237㎝もあります。茎の直径ですが、地面から50㎝の高さの部分で径7㎝もあります。低木の幹ぐらいあります。
根際から出る根生葉状態で巨大なものが5枚、小さなものが10枚ほどあります。太い茎にも葉が着きますがこれは小さいです。巨大な葉の広がり具合ですが、水平方向に南北220㎝、東西230㎝もの展開のしかたです。この個体の被覆面積を仮に短直径の220㎝の円の面積とするならば、3.80平方㎝もの巨大な草ということです。

この自生地はごく小規模な海浜です。この場所は元は海でしたが、20年ほど前に隣接する所が埋め立てられ、沖に護岸が出来て潮の流れが変わったのか、どんどんと砂が堆積して砂浜になったところです。砂浜が形成されると海流により種子散布される種が次々に侵入しました。ハマナタマメ、ツルナ、ハマエンドウ、ハマゴウ、ハマヒルガオ、ハマダイコンなどが定着しています。

ここにはハマウドは全部で3個体あり、他の2個体も草丈が230㎝あります。写真のものは満潮時に大波がくれば間違いなくバサァッと潮をかぶる飛沫帯に生育しています。おそらく海流に乗って種子がここに来たのであろうと推測できます。

ハマウドの葉の一部
↑葉も巨大です。大きな葉では葉柄の基部から先端まで1mを軽く越えています。2~3回羽状の複葉で、大きめの小葉は手のひらぐらいもあります。小葉の縁のギザギザ(鋸歯)は小さく、写真の個体では、1㎝幅に4~5個ぐらいです。(十分に展開していない小葉では6個ぐらいあります)葉にはテカテカと光沢が認められます。

ハマウドの葉柄
↑茎や葉柄には赤紫色の並行線の筋模様がはいります。この個体はかなり筋模様の色が薄いです。個体によってはものすごく色の濃い筋がはいります。葉柄や茎を横断的に切ると、すこし黄色味のはいった白っぽい乳液のようなものが出てきます。

ハマウドの巨大な花序
↑草姿が豪壮であるだけに花序集団も大きいです。写真の個体では花序の大集団はは5つあります。茎の枝先に「大花柄・だいかへい」という花梗を沢山(23~30本)分けていて、その1本1本の大花柄の先端からさらに「小花柄」という沢山の枝(10~23本)を分けています。その小花柄の先にようやく小さな花があります。そういう念の入った構造です。つまり、(茎の枝先)→(大花柄)→(小花柄)→(花)ということです。この花序の大集団はさしわたし約30~50㎝もあります。

なお、ここで挙げた数字はあくまで写真の個体を計測し、数えたものです。個体によりまた産地により異なる可能性があると思います。また書物の記載との乖離もあろうかと思います。

実物を見れば簡単なのですが、文章では何を言っているのかサッパリわかりません。かりに精緻に接写したシャープな写真でも分かりにくいでしょう。やはり実物(標本)が第一です。花はとても小さく米粒ぐらいか更に小さくルーペか実体顕微鏡で観察する必要があります。果実は5ミリぐらいの長さで大きいです。

ハマウドを絶滅危惧種に指定する県もあります。
ヤナギイチゴの果実は食べられる
ヤナギイチゴの果実がダイダイ色に色づいてきました。まもなく食べごろです。例年ビワの収獲が終わるころが適期です。甘い味ですがやや酸味が少なく、果実の中の種子が大きいので、食べるというよりも口に含んだ果実を舌で潰して汁を吸うと言う感じです。小学生や中学生のころ学校の帰り道でよく食べたものです。この果実は沢山集めて果実酒に漬け込んだり、糖分の不足は蜂蜜で補い酵母で発酵させて、ブドウ酒のようなものにするのがいいでしょう。酒税法違反になるのかも分かりませんが、黙って作るのであれば見つからないでしょう。

かつて旧五色町が村おこしの一環としてヤマモモワインを試作しました。そして結構いけるということで製造販売しました。一時話題になりましたがその後どうなったのか?あまり噂を聞きません。原理的には糖分とか澱粉を含んでいたら発酵させて酒が出来る筈なので、ヤナギイチゴでも出来ると思います。以前にシマサルナシ酒を作ったら旨かったです。ヤナギイチゴの果実でやってみます。

さて、この植物は名前にイチゴと付きますがバラ科ではありません。イラクサ科です。冬には落葉する2~3mの低木で、どれが主幹なのか側枝なのか判別つかないほど沢山の枝がでて、半球状の樹形になります。樹木というよりも草本状という感じです。イラクサ科にはコアカソという草とも木ともつかない植物がありますが、それよりも木に近いという感じです。草本類の多いイラクサ科植物の中では、本種は異彩を放っています。たぶん、日本に分布するイラクサ科植物で木本になるのはヤナギイチゴだけだと思います。

ヤナギイチゴの果実
↑ヤナギイチゴの果実はとても小さいのですが、枝にびっしりと着きます。やや太い枝にも果実がつきます。淡路島にはないのですがイチジク科のアコウの果のうが太い枝にもびっしり着くのに似ています。昔の子供はこれを食べましたが、今の子供たちは贅沢になったのと自然の中に分け入って遊ばなくなったので、こんなものは食べません。

ヤナギイチゴにはアコウと同じように、昨年の古い枝や太い枝に直接花(果実)が着く「茎生花・けいせいか」が認められます。

ヤナギの葉に似る?
↑葉っぱはヤナギに似るとされるのですが、似ていなくもないです。葉の裏面は毛を密生していて白っぽく見えます。ヤナギに似るというよりも、葉っぱが皺くちゃになっている様子がヤブマオ類に似ていて、いかにもイラクサ科っぽい気がします。

兵庫県では淡路島だけに分布するようで、諭鶴羽山系の南側の海岸沿いとか谷筋に多いです。この地域での自生地はほとんどが海抜100m以内の低いところで、潮風が吹いてくるような沿海地です。でも山系の北側の谷にもないことはないです。

ヤナギイチゴを絶滅危惧種に指定する県もあります。

こんなものでも鉢植えや盆栽にする人があるみたいです。

垂直の岩壁に張り付くヤナギイチゴ
↑ほとんど90度に近い垂直の崖に張り付いています。半球状に密に枝を茂らせます。
ハンカイソウの観察
6月19日(日曜日)にキク科のハンカイソウの写真を撮りました。ちょうど満開で写真の撮り頃でありました。狙って行っても満開にどんぴしゃりということは少ないです。『兵庫県レッド・データ・ブック』の初版(1995年)ではハンカイソウはCランクの貴重植物と評価されました。しかしその後の改訂版2006年版・再改定版2010年版では貴重種のリストから外されました。外されたといってもそう多いものではなく、兵庫県内の分布は県内を6ブロックに分けた場合、淡路・西播磨・神戸阪神の3地区に自生しています。東播磨・丹波・但馬の3ブロックにはありません。全国的には静岡県以西の本州・四国・九州に分布するようです。ハンカイソウのごく近縁種のオタカラコウやメタカラコウが標高の高い山にあるのに対して、ハンカイソウは低山帯に多いという傾向です。
ハンカイソウを絶滅危惧種に指定するのは5県です。
南あわじ市から日帰りで行ける山らしい山といえば徳島県の剣山ですが、1000メートル以上に登るとオタカラコウやメタカラコウが普通に見ることができます。これらはハンカイソウと同じメタカラコウ属に属するので、ちょっと見た感じは良く似ています。むかし20代のころ毎週剣山に出かけて、ブナ帯からシラビソ・コメツガの針葉樹林の亜高山帯の観察をしていました。(素人なので趣味でですが)それで低山帯のハンカイソウを見るたびにオタカラコウなどを連想して、1000メートル以上の山にきた錯覚のようなものが起こります。(ただしハンカイソウは低山帯に限るものではなく、1500メートル近い高原でも見られます)

ハンカイソウの標準和名は、この草が大きくて豪壮なので(1~1.5mぐらいになります)この草姿を中国の豪傑武将に見立てたものらしいです。その武将の名がハンカイだということらしいです。
ハンカイは中国の故事「鴻門の会」で活躍した武将

これは渓流のそばで小群落を作っている
↑ハンカイソウはよく湿った草原とか、谷沿いとかに多いです。やや半日陰を好む傾向があるようです。全く陽の当らない林床では生育しませんが、森林の北側の林縁で「そで植生」を作るような環境なら生活できる植物のようです。乾燥地では生活できない植物みたいです。

これは山道の横で小群落を作る
↑これは旧南淡町阿万の奥の本庄ダムから灘払川に抜ける山道です。自動車では行けませんから、歩かなければなりません。このあたりはシカの生息密度が高くいっぱい居ます。けれどもハンカイソウはシカの不嗜好植物です。シカは絶対に食べません。キク科にはシュンギク・レタス・ゴボウなどの野菜もあるぐらいで、毒草が知られていないので、ハンカイソウはたぶん毒草じゃないと思いますが、シカが嫌がる植物です。そういえばゴボウも畑に侵入したシカは絶対に食べません。諭鶴羽山系ではシカが食べない植物(オモト・イズセンリョウ・サカキカズラ・シキミ・イノデ類などのシダ植物等)が広がる傾向があります。

ハンカイソウの頭花は大きい

舌状花は放射状に開出する
↑頭花はとても大きくて立派です。この群落のもので満開状態の頭花を任意に10個選んで測定してみました。頭花の直径は9.0~12.5㎝あります。舌状花の枚数は14~18枚です。舌状花の長さは奇形になったものを除くとほとんどが4~5㎝で、その幅は9~14㎜です。総包(そうほう・頭花の黄色の部分の下の緑色の部分)は球形でとても固く幅も縦も22~23㎜ぐらいです。植物図鑑等の数字とくらべるとここの群落のものは舌状花の枚数がやや多いかなという感じです。

葉は複雑に切れ込む
↑葉はとても美しいものです。葉の大きさは「うちわ」よりも大きく座布団よりも小さい程度です。大部分の葉は根生葉で根元から出るのですが、花のつく茎にも小ぶりの葉が2~3枚つきます。葉には深い切れ込みが複雑に入っていて、ヤブレガサの葉をさらに複雑に“破った”という形状です。三毛ネコに同じ模様がないように、ハンカイソウの葉の“破れ方”に同じパターンはありません。同じように見えても1枚づつみな異なります。とてもおもしろい造形美がある葉です。

●さて、簡単な考察です。ハンカイソウは山の草原にもありますが、谷筋に沿って自生することが多いです。諭鶴羽山系の南側では見たことがありません。(ないと言うのではありません)北側ではあるのですが、自生する谷にはいっぱいあるが、無い谷には全くない…、という面白い現象を示しています。阿万東町の奥に昔ゴルフ場が作られました。今では廃墟になっていますが、そこの谷(鴨路川支谷)の源流辺りには大群落があります。ここが諭鶴羽山系で随一の自生地です。そしてこの谷に沿って点々と自生しています。沢山あるのです。しかしながら尾根を越えた隣の谷にはまったくない、という感じです。何故なのか?

ハンカイソウも多くのキク科植物と同じく種子が「風散布」する植物です。小さな種子に綿毛のようなものが付いていて風に乗って種子がバラ撒かれる筈です。どんどんと分布を広げそうな気がしますが、しかし、そうなってはいません。
頭花を解剖して調べてみると果実が長さ7~8㎜です。風に乗ってパラシュートの役目を果たす冠毛(かんもう)が10㎜です。(時期が進んで種子散布する頃にはこれらの長さが変化しているかもしれません)で、飛行装置の冠毛が小さすぎるのでは? 逆にいえば種子(果実)が大きすぎるのでは? それで相対的に種子が重すぎてあまり遠くまで飛ばないのでは?という感じがします。

●ハンカイソウが特定の谷、それも水の流れに沿って分布する傾向がある理由(ただし、あくまでも諭鶴羽山系の場合です)

ハンカイソウが種子散布をしようとしても、種子が重すぎて(飛行装置の冠毛が小さすぎて)あまり遠くまで飛ばない。(この谷に最初にハンカイソウがどのようにして来たのかは分からない)
          ↓
谷と尾根の比高は100~200mもあり、散布種子が尾根をとても越えられない。風が吹いても谷の中でのみ渦巻くだけか?
          ↓
しかし、その谷の中では種子が舞い飛ぶ可能性はある。あるいは、親株から遠くには行くことが出来なくても、その谷の中では分布を徐々に広げていくことが出来る。
          ↓
乾燥地よりも湿気の多いところを好むので、その谷筋の水の流れに沿ってのみ広がる。尾根とか斜面の方向にはなかなか広がらない。
(かりに斜面の方向へと種子が散布されても乾燥のため生育しない)
          ↓
隣の谷にさえ分布を簡単には広げない。
ハンゲショウは半夏生か? それとも半化粧?
梅雨が真っ盛りですが、今の時期に思い出す植物にドクダミ科の「ハンゲショウ」があります。昔中国で24節気72候という暦が作られました。動植物・気象・天文の季節変化を観察し、それら花鳥風月の移ろいを基準とする農事暦であり生活暦という性格のものです。それが本邦にも伝来し日本風に少しアレンジされて使われています。一年365日を24等分にすればほぼ15日、それを更に3等分して一年を72に分割すれば1つ分は5日です。一年を5日刻みの幅で分割しそれぞれに時節の自然の「指標的な現象」や「標徴種的な生物」を用いて名前をつけています。第10番目の節気が「夏至」でその夏至の第3番目の「候」の名称が「半夏生・はんげしょう」です。
一年を24分割し更に3分して、72に細分割する「二十四節気七十二候」
夏至の末候である半夏生は夏至からのち11日目からはじまる5日間とされるそうですが、半夏(はんげ)というのはカラスビシャクというサトイモ科の植物の漢名らしいです。で、夏至を過ぎて10日ほどするとそのころにカラスビシャク(半夏)がはえてくるので、半夏が生えるころということで半夏生という候名になったのだろうと思います。このカラスビシャクは日本薬局方にも記載される薬草でもあります。
カラスビシャクは地下の丸い根茎を乾燥させて生薬に利用します。

半夏(はんげ=カラスビシャク)が出てくる時期であるので、半夏生と称したのが候名の始まりですが、ところがややこしいのはここからです。ちょうどこのころ、ドクダミ科の「ハンゲショウ」という植物があり、葉が白くなるという顕著で目立つ現象が起こります。それで半夏生の頃に生える、あるいは目立つ現象の起こるこの植物をハンゲショウと呼ぼうということになりました。ややこしいので整理して書くとこうです。

半夏(はんげ)という植物がある。夏至の10日後にはえてくる。
(あるいは花が咲くのか? 生薬として採集適期なのか?)
             ↓
半夏が生えてくるから、この時節を半夏生と言おう。
(夏至の末候を、“半夏生”というふうに命名した。)
             ↓
その半夏生のころにある植物が目立つ。葉が白くなる。何だろうか?
半夏生のころに目立つから、候名をそのまま植物名にしよう。

ドクダミ科のハンゲショウ
↑写真が小さいので分かりにくいですが、茎の先端部分の葉が白くなります。それも葉の表側の下半分が白くなります。ハンゲショウは虫媒花なので葉の白変現象は送粉昆虫に “花が咲いたよ” と合図を出しているのでは?といわれています。この植物は池のほとりとか湿地に生えます。諭鶴羽山の南側にも北側にもありますが少ないです。『兵庫県レッド・データ・ブック2010』ではCランクの貴重植物です。

●異説あり。ハンゲショウの名称の起源についてはもう一つの説があります。ハンゲショウの葉の白変はその一枚の葉が全体白くなるのではなく、下部の半分だけです。それで白粉(おしろい)で化粧するのに見たてて、半分だけの化粧だというのが名前の起源とも言われています。

●古名や地方名は半化粧の可能性を示唆しています。
片白草(カタシログサ) 葉の上面(片面)が白くなる。
三 白(ミツジロ)   茎の上部の3枚の葉が白くなる。
半化粧(ハンゲショウ) 葉の半分だけ白くなる。
白粉掛(オシロイカケ) 白粉を掛けたように白変する。
白ドクダミ       ドクダミの近縁種だが、葉が白くなる。

●漢名(中国名)は三白草(ミツジログサ)


諭鶴羽山の山菜「ツルナ」
野山には食べられる植物がたくさんあり、山菜として愛好家が珍重しています。諭鶴羽山は近年いわゆる「遷移」が急速に進行していて、樹木がどんどんと生長しています。それで木が鬱蒼としげり、林床が昼なお暗いという状況のところも増えています。いきおい草本類が日照不足で減る傾向があります。しかもシカが大繁殖して食害も目だっています。そのため、ひと昔前と比べると山菜が減りました。30年前には大きな籠を持って諭鶴羽山の山頂直下の北東斜面に分け入り、たくさんのゼンマイを採りました。ゼンマイの大群落があったのです。そのゼンマイはさらに以前にネザサ(正確にはケネザサ)の大群落が昭和40年ごろ結実して枯れて、その跡に繁殖したものです。しかし「自然遷移」の進行はいかんともしがたく、山は深い森に覆い尽くされようとしています。これから将来は山菜は貴重なものとなりそうです。

さて山菜といえば山に産するから山菜と称するのでしょうが、麓の海岸にも山菜があります。海岸の食べられる植物を山菜と言うのはおかしい、たとえば海岸菜、浜辺菜、潮の香るところの物だから潮菜? などの言葉を造語してみましたが、なんだか、しっくりとする名ではありません。食べられる植物にはよく「ナ=菜」が語尾につけられます。例えば「アゼトウナ」、灘海岸の崖に生える植物ですが兵庫県レッド・データ・ブック2010でCランクの貴重植物です。食べるわけにはいきませんが食べられる筈です。ごく近縁のホソバワダンが沖縄では「にがな」と称して食べられています。アゼトウナは畔冬菜の意味で、「畔」は海岸の崖の意です。海岸の崖に生えて冬に花が咲く食べられる菜ということだろうと考えられます。それで海岸の食べられる山菜は、「浜菜・はまな」と称するのがいいのでは? と提案したいと思います。

今の時期に推奨の山菜(浜菜)はツルナです。ハマジシャの名前でよく知られています。太平洋沿岸の熱帯から温帯の海岸に広く分布しています。東南アジア・中国・オセアニア・南洋諸島・南米チリと分布は広いです。グンバイヒルガオやハマナタマメとおなじように海流に乗って種子が散布されると言われています。また18世紀にキャプテン・クックがツルナをヨーロッパに持ち帰って、イギリスやフランスでは1800年代に野菜として栽培されたそうです。このツルナは日本でも時には畑で栽培もされますが、海岸の砂地とちがい肥沃湿潤な畑では素晴らしい生育を見せます。誰が出荷するのかは知りませんが、南あわじ市福良のスーパーでは店頭にツルナがよく並びます。

このツルナは山菜というよりも野菜と言うべきかもしれません。保育社の『原色日本野菜図鑑』にも載せられています。また文部科学省の『五訂増補日本食品標準成分表』にもツルナが載っています。栄養成分もコマツナとかホウレンソウと比べてけっして見劣りしません。栽培容易で夏の暑さにめっぽう強く、これという害虫もいないので完全無農薬栽培が可能です。夏の青野菜の代わりとして大きな価値があります。実際に栽培するには、たとえば株式会社「サカタのタネ」がツルナの種子を販売しています。もちろん海岸の自生品から種子を採取してもいいでしょう。
ありゃまあ、ツルナをレッド・データ種と指定する県もあるぞ

ツルナ
↑これは海岸の県道の山手側の擁壁にぶら下がるように生じたものです。海岸の砂地から、礫まじりの荒れた場所、大波がくると海水の飛沫がかかるところ、など乾燥・強風・塩分・乏しい肥料分によく耐えて逞しく育ちます。一見すると強健で競争力の強い植物に見えるのですが、そうではありません。逆です。ほかの植物には過酷すぎて育たない場所に適応して生活する植物というだけです。葉も肉厚で塩分を含み潮風にもよく耐えます。

ツルナ
↑雨に濡れそぼるツルナです。ちょうど採り頃です。ツルナは秋まで常時収獲できますが、やはり春から梅雨までぐらいの柔らかい時がいいです。茎の先20センチぐらいを摘み取ります。葉も茎も食べられます。葉腋に花の蕾ができていますがこれは堅いので食べません。摘み取ったあとから側枝が出てきますので何回でも収獲できます。

ツルナのお浸し
↑ツルナのお浸し。ツルナを湯がいて、流水に少しさらして塩分とアクを抜きます。シュウ酸が多いとされるのでアク抜きは必須です。そして鰹節とお醤油をかけただけのシンプルな料理です。シンプルではありますがホウレンソウのおひたしに全く遜色がありません。あえ物(味噌あえ)などにも合う山菜です。夏のビタミン補給によろしいです。葉菜類の少ない夏場にこのツルナは重宝します。なお、結石が心配な方はツルナ料理の食事のさい、牛乳を飲むといいです。
この「アスヒカズラ」はどこから来たのか?
ヒカゲノカズラ科のアスヒカズラというシダ植物があります。『兵庫県レッド・データ・ブック2010』でAランクの貴重植物とされています。2~3ミリの針金のような硬い茎が地面を這って広がります。その匍匐する茎からところどころ分岐した枝を斜めに立ち上げます。そして枝の先端近くでは何度か二股に分岐して、ちょうど針葉樹のアスナロのような感じになります。アスナロやヒノキに似ているので「アスヒカズラ」という和名がついたとされています。

アスヒカズラは針葉樹のアスナロに似る
↑たしかにアスナロやヒノキに似ています。この写真では地面を匍匐する茎は見えていません。見えているのは斜上する茎で、葉というのは扁平な茎に圧着するように4列に並んでいます。常識的には葉というと平べったくて大きいものということですが、アスヒカズラの葉はおよそ葉らしからぬもので、ルーペで観察しないとどうなっているのかよく分からないものです。

アスヒカズラは匍匐して広がる
↑アスヒカズラは草丈の高さは20㎝ぐらいのもので地面を絨毯のように覆って広がります。この写真では若い「胞子のう穂」が見えています。

兵庫県レッド・データ・ブック2010ではアスヒカズラはAランクの貴重植物
↑兵庫県内には丹波の700mほどの山と、西播の1000mほどの所にあるそうです。氷ノ山にはないということです。
各県ごとのレッド・データ情報によるアスヒカズラの状況
↑16もの県がアスヒカズラを絶滅危惧植物に指定するか、もしくは絶滅危惧性に言及しています。大注目です。しかし環境省の全国版のレッド・データ・ブックでは絶滅危惧植物に指定していません。これは中部地方の高冷地より北、東北・北海道では割合によく見られる植物だからです。南の方の県でデッド・データ植物に指定しているのは、個体数が極端に少ないとか、かなり限定された地域にしかないとか、いろいろな理由があります。が、一つの大きな理由に氷河期の「遺存種」であるというのが挙げられましょう。かつての氷期に南の方に分布を広げたアスヒカズラが、後氷期の温暖期になって近畿地方の日本海側の山の上に僅かに残っている、ということです。兵庫県の周辺では、鳥取県では絶滅し、岡山県では後山の近くの1100m辺りにあるようです。徳島県では剣山系の丸笹山(1700mほど)に自生が知られています。要するに、アスヒカズラは北方系の温帯のシダ植物で、近畿北部・中国山地東部・剣山に遺存的にごく僅かに残っているのです。

さて、掲げました二枚の写真は諭鶴羽山系の東の盟主、柏原山の山頂付近で撮りました。2009年に見つかったものです。これがもし自然分布であったならば柏原山は南限地にごく近いということになります。しかしこれは自然分布ではない可能性があります。というのは、柏原山は過去数十年にわたり島外の植物専門家が大勢入れ替わり立ち替わり調査された山です。徹底的に調べられているのです。それまで一切見つからず最近見つかったのは何故なのか? ここに自然分布でないのではと疑義が生じるのです。柏原山は林道開設や展望台建設、それから公園化など人為がかなり加わっている山です。それでそれらの工事に付随してアスヒカズラが侵入した可能性があります。諭鶴羽山と柏原山の間には500m前後のピークがたくさんあります。もしそこで見つかったならば話は別ですが、その可能性は低そうです。ま、絶対にないとも言い切れないので調査する必要がありそうです。

岡山県の吉備高原で見つかったアスヒカズラ
↑は岡山県在住のある研究者の方のブログです。示したページの3枚目の写真にアスヒカズラがあります。吉備高原の海抜200メートルのところ、しかも農免道路の法面(のりめん)です。分布上、自然分布と考えるのは不自然だという疑問がでて調査された結果、そこには外来種のコケ類もあり、法面に吹き付けたピートモスのようなものに胞子が混じっていて逸出したのであろう、との結論に落ち着いたそうです。近年、中国や朝鮮半島からの輸入堆肥等にまじって外来種が日本に侵入することがたくさん報告されているそうです。

アスヒカズラは日本固有種ではなく、北半球の温帯地方に広く分布するようです。朝鮮半島・中国・ロシアほか、台湾・ヒマラヤなどの亜熱帯の高地にもあるらしいです。で、柏原山でたびたび行われた工事で中国や朝鮮半島から輸入した資材が使われ、それに胞子が混入していた可能性が考えられます。
(ま、柏原山のアスヒカズラがどこから来たのか? 正確にはなかなか分からないものです。推理しても証明するのは難しい……。ヒトが植物の自然分布を不用意に撹乱しているのは間違いありません……。)
この「オオイタビ」はどこから来たのか?
『兵庫県レッド・データ・ブック2009』で要調査種とされた「オオイタビ」を観察したいと思います。近縁種の「イタビカズラ」と「ヒメイタビ」と比較して観察すると分かりやすいです。
オオイタビは旧五色町で標本が採取されていますが、植栽の可能性があります。
クワ科イチジク属の「オオイタビ」は兵庫県下ではただ1か所だけ旧五色町で標本が採取されています。それで『淡路島の植物誌』にも『兵庫県植物目録』にも一応記載されています。しかしそのオオイタビは民家の塀に這い上っていたものだそうです。採集者のK先生がその民家の人に聞いたところ、「そんなものを植えた覚えはない。勝手に生えてきたのだろう」という返事だったそうです。近年、とくに関東地方などでは園芸業者が壁面緑化の植物として、オオイタビを植栽することが行われているそうです。そういうこともあり、その民家の塀に生じたオオイタビは、植栽の可能性を捨てきれないそうです。もしこれが自然分布であるならば貴重植物の仲間入りですが、植栽か野生か調査の必要があることから要調査種となったらしいです。

オオイタビ
↑旧南淡町阿万です。ヤシの木(ブラジルヤシか?)に登っています。5mぐらいの高さまで気根で這いあがり大きな草叢となっています。葉も樹形も雄大なツル植物のようです。なぜここにあるのか不明です。ヤシの木にくっついてきた? 国内帰化か? 近くの栽培品の逸出なのか? 鳥が種子を運んできた? すくなくとも、わざわざ植栽しているようには見えません…。これがどういう経路でここに来たのか調査するのも面白そうです。

オオイタビ
↑丸いものが「花のう」です。花のうはまだ若いので小さいですが、熟すと4~5㎝になり紫色になります。オオイタビは雌雄異株ですが、花のうが若いのでこの個体がオス木なのかメス木なのか分かりません。

ヒメイタビ
↑ヒメイタビは姫イタビで、葉も花のう最小です。葉腋に1個の花のうが着きます。ヒメイタビは諭鶴羽山系に自生しています。谷の奥などに多いです。(イタビカズラは海岸近くに多いです)

3種を並べる
↑写真の左から右に向かって、オオイタビ・イタビカズラ・ヒメイタビです。残念ながらイタビカズラには「花のう」が着いていません。相違点を列挙してみます。あくまで写真の物での比較であります。

●オオイタビ
  葉は長さ7~9㎝ぐらい、幅が4~5.5㎝で幅がとても広い。
  葉の先端は鈍い。葉に光沢がある。
  花のうは写真のものは、長さ3.3㎝幅2.6㎝で大きい。
  花のうは葉腋(ようえき)に1個だけつく。

●イタビカズラ、
  葉は長さ7~10㎝ぐらい、幅2~3㎝で幅がとても狭い。
  葉の先端はかなり尖る。葉に光沢がある。
 (花のうは葉腋に普通1個時には2個着き、蔓全体に沢山着く。大きさ
  は1㎝未満で3種のうちでは一番小さい、だったと思います)

●ヒメイタビ、
  葉は、長さ2.5~4㎝、幅1~2㎝で葉全体がとても小さい。
  先端はあまり尖らない。葉に光沢がない。
  花のうは幅1㎝あまり長さ1.3~1.7ぐらいで小さい。
  花のうは葉腋に1個だけつく。

★注意点 これら3種とも、若い蔓が地面や岩を這うときは、葉が極端に小さくなり、葉の形も三角形等の形状になります。まるで別物のような姿になるので注意が必要です。

ヒメイタビとイタビカズラが並んで生える
↑ヒメイタビ(葉の小さい方)と、オオイタビ(葉の大きい方)が並んで生えている珍しい光景です。南あわじ市灘大川不動の滝の近くです。県道の脇ですので観察しやすい所です。
【訂正】 オオイタビと記述したのはうっかりミスで、イタビカズラに訂正します。葉は細身で、先が尖り、どう見てもイタビカズラにはみえません。(2016.3.23)
「田んぼ考」人間がイネを作るのか?イネが人間を使うのか?
田植えの遅い南あわじ市でも、ぼちぼちと田植えが始まりまして、農家の人たちは大忙しです。イネというのは申すまでもなくイネ科の植物でありますが、人類が主食にしている米も麦類もトウモロコシもみなイネ科植物です。淡路の語源は「阿波に至る道」の意味だというのが通説ですが、もう一つ「アワ(粟)の生産地」だという説もあります。その淡路島の名前の起源になったアワもイネ科植物ですし、昔の人が食べていたヒエもイネ科植物です。さらに縄文時代にまでさかのぼればマコモの種子を食べていたらしいと言われています。マコモの種子は細長いコメのような形ですが、これもイネ科です。マコモは南あわじ市のため池などで普通に見られます。人類はイモ類を主食にする人たちもいますが、8割ぐらいの人たちがイネ科の植物を主食にしています。イネ科によりその生存を支えられていると言えましょう。

さて、ヒトはその主食を手に入れる為に、水田を拓いてイネ科植物のイネを栽培しています。しかし、それは本当なのか? いちおう本当ではあるのですが、それは一面からの見方です。あくまでもヒトの側から見たものです。ものごとには表があれば裏、陰があれば陽があるように、別の側面が必ずあります。サイコロでは見る角度によっては1面しか見えず、残りの5面は不可視なことさえあります。ヒトは当たり前の真実であるかのごとく「わしはイネを作っている」と言います。けれどもイネの立場から見ると、「わしは(つまりイネは)ヒトにわしの世話をさせている」というでしょう。

生態学的に考えればヒトとイネの関係は、明白に『相利共生』の関係です。ヒトとイネは同じ船に乗る運命共同体で持ちつ持たれつで、ご互いに助け合っています。ご互いにテイク&ギブの関係であるのは間違いありません。ヒトは大変な苦労をしてイネのお世話をしています。米と言う文字は八十八だといわれ、米を得るには88もの工程・手間がいります。イネの果実を収獲するまででしたら88もの工程はないでしょうが、用水路清掃、代掻き、籾蒔き、苗代作り、田植え、草取り、施肥……、大変な苦労です。しんどい作業なので「わしゃ△△の田んぼに殺される」などと呻吟する農家の人もいます。この苦しい作業すなわち「イネのお世話」をあえてするのは、見返りに貴重な食糧(収獲)をもらうためです。タダでイネのお世話をするのではありません。

一方、イネの側からみると、ヒトを召使いか奴隷のように使って自分の世話をさせています。そしてヒトから大きな利益を得ています。苗代という保育器で大切に育てられ、丁寧に筋目正しく植えられます。雑草という競争相手が出てきてもヒトが退治してくれます。蒔いた種の生存率は100%です。自然界では運よく発芽した種子も厳しい競争にさらされ「自然間引き」がおこなわれ、生き残れるのは1%ぐらいでしょう。それからヒトという召使いは自然界では不足がちな窒素肥料を沢山くれます。害虫が出現したら退治もしてくれます。…と至れり尽くせりです。

それだけではありません。中国南部の雲南省か?といわれる原産地のイネは、ヒトの手であちこちに広がりました。アジアが中心とはいえ世界各地でイネは栽培されています。つまりヒトがイネの分布拡大(種の勢力拡大)の手助けをしています。寒冷地でも作れるよう、台風にも倒伏しないよう品種改良をしますが、ヒトがイネの進化の手助けまでしているのです。このようにイネはヒトから途方もない利益を得ています。

ですから、イネはヒトに大きな見返り(報酬)を与えなければいけません。その代償はイネにとっては痛手です。子孫の大部分を収獲という形で差し出さなければいけません。イネにとっての種子すなわちコメは自分の子供です。子供を大部分差し出すのはきついでしょう。でもヒトに大変な世話をさせたのだから、しかたがありません。しかしヒトは、子供の一部を必ず種籾として残し、翌年に必ず蒔いてくれます。つまりヒトが『イネの種の保存』を100パーセント確実にしてくれるのです。ま、自然界ではどうせ結実した種子の生存率など千に一つか万に一つのオーダーでしょう。だからイネの立場としては確実に種の保存をしてくれるのならば、99パーセントの子供を差し出すのもかまわない、ということです。

このように考えるとヒトとイネとの関係は、疑いようのなく「共生」それもご互いが利益を得る持ちつ持たれつの「相利共生」であります。しかしよく見れば、ご互いが利益になるといっても、その裏面には大きな負担や代償が存在します。政治家やお役人がいう「共生」という言葉はなにかユートピアが実現できるようなイメージで語りがちですが、自然界にも人間社会にもユートピアなどあり得ないことを、見落としてはいけないでしょう。
田んぼです
↑田植えの終わった水田です。南あわじ市阿万吹上にて。筋目正しく植えられている様子は、几帳面で折り目正しい日本人の国民性を表しています。ヒトとイネが「相利共生」する場所を『田んぼ』といいます。
淡路島の降雨記録 (2011年6月)とシタキソウ
植物の生育状況はその自生地の「気象条件」に依存し、植物の地理的な分布は自生地の「気候条件」に左右されます。気候は気象よりも時間的スパンの長いものを言うのであろうと思います。植物を観察すると言っても、植物だけ見るのでは片手落ちの筈です。たとえるならば医者が患者を診る際に発症している症状だけを診るようなものです。その病気の生じる背景というか、下地であるところの生活習慣とかその患者の係累たちの遺伝的なものとか、そういうものも診る必要があるでしょう。植物も同じことで、その生育や分布の背景にまで踏み込んで観察する必要があるでしょう。で、気象・気候のみならず土壌とか、その土壌の元となった母岩の地質だとか、地質の時間的変遷である地史にいたるまで考慮する必用があるのは論を待ちません。と偉そうなことを言っても、それは簡単ではありませんが……。

で、せめて雨が降るたびに諭鶴羽山系の降雨量だけでも記録しておきたいと思います。次に示すサイトは、統計的な過去のデータは公開されていないようなので、まとまった降雨は控えておくという趣旨です。地面が濡れる程度の小雨は無視です。
淡路島のリアルタイムの降雨量を調べるサイトはこちらです

●6月10日夕方から6月11日昼ごろまでの降水量です。諭鶴羽山系一帯は40から60ミリの降雨があった模様。しっかりした雨で、谷には水が出て、上田池は満水し余水吐からは勢いよく水が落ちていた。
●6月12日夕方から深夜に梅雨前線による降雨があり、おとなしい雨であったが谷に水が出た。
●6月16日朝から17日未明まで並雨程度が続く。谷に水が出る。
●6月18日昼すぎから19日日替わりまで降雨あり。
●6月20日朝から夕方まで降ったりやんだり。
●6月21日夜半から明け方まで降雨あり。
●6月26日未明に諭鶴羽山系で2時間ほどで100㎜を越える短時間豪雨があった。灘地区では道路に土砂が出たところもかなりあった。紀伊水道の海域が泥水で茶色く変色した。
●6月26日晩にも少し雨が降った。

☆注意 6月1日および6月8日に、各地で数㎜から10㎜前後の降雨があったが、記録しそこねました。下表での合計数字は実際には数ミリから20ミリ程度多い可能性があります。

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満開のシタキソウ

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↑『兵庫県絶滅危惧植物』Bランクのガガイモ科の「シタキソウ」が本日6月12日に満開です。花はびっしりと付いています。ガガイモ科の中で最も大きい花ですので見ごたえがあります。普通はこの花にはジャスミンのような香りがするのですが、写真の株は香りがしませんでした。香りにも個体差があるのか? それとも香りがする時間・時期があるのか? 観察不足でよくわかりません。園芸植物にマダガスカルシタキソウというのがありますが、本種の近縁種であり、よい香りがするのでマダガスカルジャスミンという異名が付いています。

花は一つの花梗に3個つくのが基本のようですが、栄養状態がわるいと2個が多くなります。日当たりとか生育条件が良いと4個とか5個つく花序が多くなります。確認した最大数は一つの花梗に6個の花がつきます。(2、3個とする植物図鑑等の記載よりも多いです)花冠は下部は筒状になっていて、上部は5枚の裂片が開出しています。その茹でタコの足が反り返るように外側に開出する「裂片」の幅とか反り返りの程度は、かなりの個体変異が見られます。

シタキソウの果実
↑2009年1月17日の古い写真です。シタキソウの袋果(たいか)が裂開して、種子散布が始まっています。散布された種子には種髪(しゅはつ)という綿毛のような飛行装置がついているので、うまく風に乗るとどこまででも飛んでいきます。
    

一人で行けば上手くいくものも、皆で行くとダメになる、「合成の誤謬」
●経済学に 『合成の誤謬』 (ごうせいのごびゅう)という言葉があります。これはミクロ(微視的)の視点では真なることも、マクロ(巨視的)の視点では真ならずということです。といっても分かりにくいので例を示す必要があります。経済学の教科書では、たいてい 『貯蓄のパラドックス』 ということで説明しています。

ある一人の人が貯金を沢山したいと考えて貯金に励むと、貯金はどんどんと出来る筈です。その人がピカピカの新車を買いたいとか、頑張って家を建てるぞ!ということで、爪に火を灯すように質素倹約につとめ、余計なものは一切買わず、ぎりぎりの生活が出来る分以外の収入を貯金に回せば…、貯金通帳の残高はどんどんと膨らむハズです。<貯金に励めば貯金が増える>という命題はその人にとっては真実であり、全く正しいことです。

●さて、それでは世の中の人がみんな一斉に貯金に励めば、一体どうなるのか? みんなが貯金に一生懸命がんばるから皆が貯金が増えるハズだ、とつい考えてしまいそうです。ところが経済学の答えはそうではありません。世の中の人が皆がみな貯金に励むのだから、皆が余計な物を買わなくなります。財布のひもが固くなり個人消費が冷え込みます。そうすると、物を売る商店も、物を作る会社も売上が減ります。売り上げが減った会社はリストラを図り設備投資も減らします。そうすると、商店や会社で働いていた従業員は月給やボーナスが減るどころか、場合によってはクビになるでしょう。景気は悪化して世の中の人は貯金をしたくても、貯金をする余裕はなくなり、それどころが貯金を取り崩して生活費の足しにしなければなりません。結局、世の中全体では、貯金が減ってしまうということになるのです。

広い世の中で、一人や二人がすることはうまくいくのですが、皆が皆一斉に同じ行動をとったならば、うまくいかないということです。ミクロのレベルでの合理は、マクロのレベルの不合理です。しばしば 逆の現象が起こるのです。天に吐いたつばは自分の顔にペチャと降りかかるように、みんなで同じことをすると、その所業の結果がブーメランみたいに逆に跳ね返ってくるという 『フィードバック作用』 のようなものが働くのです。

ビートたけしは、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」 と言いましたが根本的な間違いです。赤信号でも、一人づつ車の間を縫うようにして上手く渡れば、10人中8人ぐらいは渡れましょう。もちろん2人ぐらいやられます。で、皆で一斉に赤信号を渡れば、大型トラックが突っ込んできて全員がいっぺんにやられます。10人中8人がやられ、2人が助かる。危険回避の鉄則は 「分散する」 ことで、北野 武はそこのところを理解していないようです。大会社の経営陣が一斉に移動する際には、飛行機の便を一人づつずらします。一つの便に社長以下経営陣が一緒に乗り込んだら万一の場合全員死亡で、会社の運営はアウトです。投資でも資産三分法で 「一つの籠に全部の卵を盛るな」 が鉄則です。物事は分散したり、全員で同じ行動を取らない方が、安全です。

●この 『合成の誤謬』 は世の中でしばしば観察できます。以前にコンピューターの2000年問題というのがありました。99年の次は00年ですが西暦年を下2ケタで入力されているコンピューターが、00年を1900年と判断して誤作動が起こると大騒ぎになりました。飛行機が墜落する、停電する、原発が爆発する…、と大騒ぎになったのは記憶に新しいところです。でも予想と全く逆になったという意味で一種のな合成の誤謬となりました。皆が皆大変だあぁ! と叫ぶことは危機ではないということです。東日本大震災で被災者が気の毒だからと何ごとも自粛したら、自粛倒産まで起こりました。不況の谷が深くなり、義捐金をしようと思っても義捐金を出す余裕がなくなる…、なども合成の誤謬と考えることが出来ます。

『合成の誤謬』を端的に申せば、一人でやるとうまくいくことも皆でやるとダメになることがある、と言えましょう。私の出身地の南あわじ市灘地区のミカン農家は、この農水省の 「政策的な合成の誤謬」 でやられました。
諭鶴羽山系の山
↑灘小学校の付近から見た諭鶴羽山系です。写真で見えているところで一番高いところは海抜470メートルあまりです。その直下の海抜350メートルの高所までミカン園が開墾されました。現在はみな廃園になっています。写真の下部に茂っている木はカラスザンショウといって、とげだらけの樹木です。

●1961年にできた 「農業基本法」 では果樹は「 選択的拡大部門」 と位置付けられました。そして同年に 「果樹農業振興特別措置法」 という法律も制定されました。多少の補助金も用意され、ミカン栽培は収益もよく有望な作物だから皆は精出して作りなさい、と国が政策的に奨励しました。それで農家の人は農協でお金を借り、ブルドーザーを雇って山の上まで開墾しました。政府は西日本各地でミカン栽培を奨励したのです。その結果、1960年にはミカン栽培面積63100haだったのが1973年には173100haに増えました。2.74倍です。収獲量は1960年に89万トンだったのが1975年には366万トンに増加しました。4.11倍です。

で、何がおこったのか? ミカン価格の暴落です。生産過剰になったのです。やがて輸入果実とオレンジの自由化が追い打ちをかけました。国民の嗜好の変化もあって一人当たりの年間ミカン消費量もピークに20キロに達したものが6キロまで激減しました。で、ミカンの卸売価格は低迷しました。表面上の卸売価格は乱高下しながらも横ばいですが、その間日本の経済成長による卸売物価指数の上昇を補正勘案すれば、ミカン価格は暴落低迷です。

なにが悪かったかと申せば、政府(農林省)は西日本全域でミカンを奨励したので、強力な合成の誤謬が作用したのです。一つの産地が頑張ってやるだけなら上手くいくのですが、各地の産地が一斉に政府に踊らされてやった(否、やらされた)のでダメになったということです。政府に騙されたようなものです。ごく最近まで借金の返済に苦しめられた人もいたそうです。深手を負った人たちが異口同音に言っています。

「おかみの言う通りにするとひどい目に遭うぞ! おかみの反対をすればいいのだ」

●教訓としては、皆がみな 「これは有望ビジネスだ、この商売を始めると儲かるぞ」 と言うような話は極めて危険だということです。一斉に新規業者が参入して、過当競争がはじまり利益が出なくなるのです。誰も見向きもしない頃に創業して、皆がみな注目しだしたら店じまい、というぐらいでちょうどいいのかもしれません。でもそれは難しいことです。ソフトバンクの孫正義社長が太陽光発電ビジネスに参入すると言っていますが、ビジネスとして見たら周回遅れ、それも2周も3周も遅れていると言う感じです。どうしてもするというのであれば、政府高官にすり寄るなど、助成金とか税金などをあてにしないで自力でやってほしいものです……。

マタタビの葉が白くなっています
↓マタタビの葉が、ぼちぼちと白くなってきました。まるで葉っぱの幽霊みたいですね。これは本日6月11日の写真で、雨上がりの夕方です。場所は旧三原町上田池の上流です。写真の株は雄株です。
マタタビの白変葉

「猫にマタタビ」という表現もあるように有名な植物ですが、諭鶴羽山系ではあまり見かけません。とくに山系の南斜面では私は見たことがありません。北側斜面では点々とあるのですがそんなに多くはありません。たとえば、諭鶴羽水系・上田水系・鮎屋水系の奥の方などに自生しています。淡路島に分布するマタタビ科の植物は3種あります。シマサルナシ、マタタビ、ウラジロマタタビです。ウラジロマタタビは淡路島全島にごく普通に分布していて産地は多いですが、果実をつける個体は少ないです。ある人が諭鶴羽山にサルナシがあると言うのですが、おそらくウラジロマタタビの同定まちがいだろうと思います。紀伊半島とか四国の山を訪ねると、サルナシは海抜1000メートル前後に多く、暖帯上部から温帯の植物のような感じです。徳島県の山では標高の低いところにはウラジロマタタビ、標高の高いところはサルナシ、と棲み分けているように見えます。(ウラジロマタタビはサルナシの変種でよく似ています)

白変するのは一部の葉だけ
↑ふしぎなのは、白変するのは一部の葉だけです。一枚の葉が全面的に白化するものもあれば、葉っぱの半分だけというのもあり色々です。真っ白いので遠くからでも、「あそこにマタタビがあるぞ!」とよく分かります。

さて、マタタビですが雌雄異株で、花も雌花、雄花、両性花と3種の花があるのはシマサルナシと同じです。マタタビの著しい特徴は、花が咲く時期に葉が「白化」することです。園芸家のあいだでは葉に斑入り(ふいり)になったものが珍重されますが、マタタビの葉の白化は斑入りなどのなまやさしいものではなく、少し離れて見ると真っ白に見えます。ほとんど純白といってもいいでしょう。あたかも葉の上に雪が積もっているかのようで葉の幽霊みたいです。園芸品種での斑入り白化葉というのは、よく見ると白ではありません。薄い黄色など色がついていることが多いです。ということは単に葉緑素が抜けただけではなさそうです。書物でもネット情報でも葉緑素が欠落して白くなると書いている例も多いです。

しかし葉緑素が欠落しているのは葉の上面の表皮のごく薄い層だけのようです。マタタビの白化した葉も裏側を見ると全く緑色です。ですから葉緑素の欠落は葉肉を形成している柵状組織や海綿状組織にまでは及んでいません。表皮の薄い層のみの葉緑素が欠落しただけならば、半透明なオブラートを葉に張り付けたような感じになるだけで、そう白くはならないのでは? という気がします。葉緑素の抜けた表皮細胞の配列構造などに、あらゆる波長の可視光を乱反射して白く見えさせる何らかの機構がありそうです。ちょうど、透明な氷も複雑な形状の雪の結晶になると白く見えるとか、あるいは氷の中に気泡をたくさん含むと白く見えるとか、それに類するような構造が何かありそうです。
マタタビの花
↑これは以前撮った写真です。実のなる雌株です。場所は鮎屋川の上流、すごい奥です。

さて、花が咲く時期になぜ葉が白くなるのか? 常識的には、マタタビは虫媒花らしい(小さなハチの類とか昆虫がいっぱい来ていたから)ので、その訪花昆虫たちに「ここだよ、花が咲いているよ」と知らせているのでは? という返事が出てきそうです。緑一色の山のなかでマタタビの白化葉は目立ちます。ので、その可能性はかなり高いでしょう。でも昆虫たちはヒトと異なる構造の眼で、紫外線の波長域で物を見ているといいますから、彼らの眼にはマタタビはどう映っているのでしょうか?

なお、諭鶴羽山系のマタタビの開花時期は6月上旬~下旬まで見られますが、白化葉はもっと期間が長く5月~8月までみられます。8月になると徐々に白色の程度が薄まって緑に戻っていきます。白化葉の出現期間が花期よりもはるかに長いので、訪花昆虫(送粉昆虫)をおびき寄せるというのとは別の理由があるのかもしれません…。
(ま、よく分かりません…)

ウラジロマタタビ
↑これはウラジロマタタビです。葉の下面が粉白色がかっています。




シマサルナシは諭鶴羽山系の名物植物
マタタビ科のシマサルナシの花が咲きました。

●まず、シマサルナシという植物がどんなものか写真をご覧ください。早く言えばこれは野生のキウイです。果実の大きさが小さいので “小型キウイ” というべきものです。この写真は08年12月に撮った古い写真です。果実は花が散った後2カ月ほどで急速に生長し、夏には写真の状態になります。その後は大きさに変化がほとんどなく、年末ごろまで果実が蔓に付いています。果実の大きさは普通長径2㎝~3㎝ですが、最大限では果長が5.3㎝になり果重が25グラムに達します。味はキウイとほぼ同じで甘酸調和しておいしいものです。それで “一口キウイ” と称するのがいいでしょう。ただし、その個体によって甘みの強さなど味にかなり違いがあるようです。

このシマサルナシが小ぶりであってもキウイそっくりということで、「これはキウイの原種だ、シマサルナシを品種改良した結果キウイになったのだ」 と言う人がいますが、それは間違いです。キウイの原種は揚子江下流域に自生する別のマタタビ科の植物です。シナサルナシとかオニマタタビなどの和名が付けられています。


シマサルナシの果実

●このシマサルナシと言うのは、諭鶴羽山系の南側斜面の南あわじ市灘地区では名物です。 『こくもんじ』 という立派な地方名が付けられています。いわくありげな名前ですが、どういう意味があるのかわかりません。洲本市上灘にも自生していて、上灘の住民も “こくもんじ” と呼んでいます。灘地区では昔からこの植物が知られていて、住民は食べていました。乱獲防止と公平な分配そして資源の再生持続性を図るために、昔は住民のボス的有力者が自生地の管理までしていました。住民の間ではよく知られた植物なのですが、正式に自生が記録されたのは割合に新しくて1992年です。その年に明石市在住のK先生が 『淡路島の植物誌』 を出版されたのですが、それを読んだ人が、淡路島の植物リストにシマサルナシが漏れているのに気付き、標本を採取して報告しました。そして兵庫県の新産植物として記録されました。

このシマサルナシの諭鶴羽山系での詳しい分布は、私の調査では、南あわじ市灘払川、灘倉川、灘来川、洲本市畑田、洲本市中津川です。SNさんのグループの方の話では、山系北側の鮎屋水系にもあるそうです。いずれの自生地も海岸近くで谷の急斜面に自生しています。意外に多くの自生地があるので『兵庫県レッド・データ・ブック最新版』ではAランクからBランクに変更されました。

さて、シマサルナシの花期は6月上旬~中旬ぐらいです。例年よりちょっと遅れたかなと思いますが、今年も花が咲きました。
シマサルナシの花
↑6月8日、灘来川にて。写真の花は雄株の雄花です。この株には果実が付きません。シマサルナシの花には雌花、雄花、両性花の3種類の花があります。雌花と両性花には花がらが落ちたあと、子房が生長して果実ができます。
シマサルナシの全景
↑これは谷の側面の急斜面にあります。シマサルナシはつる性の落葉植物で、他樹に這い上って覆いかぶさるように繁茂します。蔓の伸長期には、つるの先端は赤っぽい色をしています。この植物はシカが好んで食べるようで、シカの背の届く範囲の葉はほとんど食べられています。

●シマサルナシの全国的な分布は、本州(三重県・和歌山県の紀伊半島南部、山口県、島根県)四国、九州、琉球列島の沿海地ですが、伊豆諸島のある島でも見つかっているようです。(植栽だった模様) 自生地各地の住民はこの果実を食べているようで、各地におもしろい地方名が沢山あります。ナシカズラは牧野植物図鑑にも載っていますが他にも、ゼゼガモリ(場所不明)、スズッコナシ(不明)、コッコナシ(不明)、ドーラン・ドーランカズラ(島根)、ヤマナシ(宮崎)、ソッポ(鹿児島)、コッコー・ホッポウ(種子島)、クガ・クガカズラ・クカ(奄美大島)、フガー(沖縄)、など沢山あります。不明が3つもあるのは、シマサルナシの地方名を調べた知人のOさんが急逝されて、聞かずじまいになったためです。こんなに沢山の地方名があるのは、この植物が日本自生の野生果実として価値がある証拠でしょう。実際に、大学農学部や果樹試験場でシマサルナシが栽培試験されています。
香川大学農学部の片岡郁雄教授がシマサルナシの研究をされています。



【2016年11月27日追記】
長崎県五島列島の福江島の方からコメントをいただき、「コッコナシ」 は福江島の地方名だとの情報を寄せてくださいました。福江島では他にも 「ぽっぽ」 「ぽっぽなし」 という呼び方もあり、ポッポのほうが通りがいいとのことです。別島の奈留島では 「こっこ」 のほうがよく使われているとのことです。 コメントありがとうございました。

●なお、未確認情報ですが和歌山県南部にも 「コッコナシ」 の呼び名があるようで、もしかしたら 「こっこなし」 は広い範囲に存在する中国語起源の呼び名かも? 2200年ほど前、秦の始皇帝の命を受けて中国の徐福という人が、不老不死の仙薬を探しに日本に来たという伝説が西日本各地に存在します。山口県祝島では徐福が率いる一団が 「コッコー」 という名を伝えたとも言われているみたいで、「コッコナシ」 との関連性が考えられます。調査団であった徐福一行は大規模な人数・船団だったとも言い伝えられ、日本上陸前にシケでちりじりになって各地に分散して上陸したとか? これが事実に近い話ならば、中国語起源と思われる 「コッコー」 や 「コッコナシ」 の呼び名が各地に存在する説明がつくかも?

「コッコナシ」 とは、中国語の 「獼猴桃・びこっとう」 が日本人には 「コッコー」 と聞こえて、ナシ (原種のニホンヤマナシ) に果実の大きさや色が酷似しているから 「コッコー」 + 「ナシ」 というのが語源ではなかろうか?

【関連拙記事】
「こくもんじ」語源考 この地方名は、古代中国の徐福伝説が関係しているのだろうか?






フウトウカズラは、胡椒(こしょう)の親戚
諭鶴羽山系に自生する暖地性植物の一つであるコショウ科の「フウトウカズラ」の花が、今を盛りと咲きほこっています。ただし、花らしい花ではありません。華やかさは全くないのです。見る人によってはへんてこりんな奇怪な花に見える方もいるでしょう。これを「これは素晴らしい、とても美しい花だ」と思う人はかなりの才能があります。優れた審美的感覚の持ち主にちがいありません。天才画家ピカソはゴミ箱をのぞき込んで「美しい」とゴミ箱の中に美を見出したといいますから、「フウトウカズラ」を美しいという感性の持ち主は才能があるのでしょう。私のような凡人には変てこりんな花としか見えないのですが、このフウトウカズラは諭鶴羽山系の南側にたくさん自生しています。これは特別に珍しいものではなく、ありふれた普通種なのです。

この植物の分布は関東以西の本州・四国・九州の太平洋沿岸地方が主で、潮風が吹いてくるような所に自生しあまり内陸部にはないようです。で、香川県と広島県では絶滅危惧植物に指定しているようです。

さて、フウトウカズラの学名はとても覚えやすいものです。
Piper kadzura(Chois.)Ohwi ピペル・カズラが学名ですが、『植物学ラテン語辞典』によればPiperというのは香辛料の胡椒のラテン名のようです。英語のpepper(胡椒)の語源なのでしょうか? なんとなく似ています。kadzuraはなんのことはない、日本語の「かづら」みたいです。だとすると “かづらになるコショウ属の植物”の意味のようです。アルファベット文字文化圏にない日本人には学名はなじめないものですが、フウトウカズラの学名は覚えやすいものです。

フウトウカズラは、コショウと酷似します。

フウトウカズラの雄株の花穂
↑フウトウカズラの雄株の花穂(かすい)です。怪しげな虫が無数にぶら下がっているように見えます。何度見ても私にはミミズがぶら下がっているように見えて薄気味悪いです。細いソーセージに見える人もいるかもしれません。幽霊屋敷の入り口にこんなのがあったら雰囲気抜群でゾクゾクッとくるでしょう。

フウトウカズラが樹上に高く這い登る
↑たぶんエノキと思われる枯れた大木に、フウトウカズラが高く高く登っています。15メートルぐらいも登っています。フウトウカズラは枝の節から気根(きこん)を出して登っていくのです。ところでこのエノキの大木は枯れていますが、フウトウカズラが登って行って覆いかぶさって繁茂したために枯れたのか、既に枯れたエノキにフウトウカズラが登ったのかは、よくわかりません。しかしよじ登り蔓植物が繁茂して “宿主” を枯らすのはしばしば観察するところです。

フウトウカズラの花穂
↑フウトウカズラは常緑の蔓植物で、雌雄異株です。左側のものが雌株の花穂で短いです。写真のものは2.7㎝と3.0㎝です。右側のものは雄株の花穂でとても長いです。それぞれ6.1㎝、7.9㎝、10.2㎝です。自生地には長いものでは20㎝のものもありました。花はとても小さく、20倍ぐらいのルーペか実体顕微鏡がないととても観察できません。雄花は観察するにはちょっと古くなっていましたので、雌花を観察すると花弁もガクもなく子房の上に3個のめしべがチョコンと乗っているだけの、常識的にはとても花とは呼べないしろものです。面白いのは、雄花は直径4ミリの花穂の棒の上に、雌花はやや細くて3ミリの棒の上に、3重らせん状に微小な花が配列しています。それも並行な3重らせんです。そういえばDNAは2重ねじれ螺旋構造ですが、自然はらせん構造がとても好きなようです。

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フウトウカズラの根元
↑エノキの大木の根元にフウトウカズラの茎が見えています。茎に横筋がはいっているのがフウトウカズラです。2本見えます。写真では分かりにくいのですが、輪のない蔓植物の茎もあってキズタです。写真には映らない裏側にも太いフウトウカズラが登っていました。裏側のものは腕の太さぐらいもありました。結局、このエノキにはフウトウカズラが3本、キズタが1本登っていました。4本も登ったのでエノキは枯らされたのかもしれません。

ところで、枯れエノキの横にあやしげな箱が……、
開けるとビックリ玉手箱。煙に誘われて箱の中に吸い込まれると、
そこは異次元の世界。重力異常で物は下から上に落ちていきます。

てなことではなく、ミツバチの養蜂箱です。セイヨウミツバチではなく、日本在来種のニホンミツバチの巣箱です。誰が飼っているのか知りませんが近くにもう一つ巣箱がありました。おとなしいミツバチでよほどのことがない限り刺しません。諭鶴羽山系では野生のニホンミツバチのコロニーをよく見かけます。
ナルトサワギクは本当に問題なのか? 利権の匂いが…。
キク科の「ナルトサワギク」が問題だと騒いでいる人たちがいます。環境省が2006年に特定外来生物に指定しました。それで「ナルトサワギクは “植物版のブラックバス” だ! これを放置すれば在来植物がみんな駆逐されてしまう」などとアホウなことを主張して、利権にする人たちまで出ています。駆除するための対策費(=税金)を頂戴しようというのです。

そこで、仕事の合間の余裕時間はほとんどフィールドに出て、自然観察をしている視点から “もう一つの見方” を提案したいと思います。結論から申して、ガタガタと騒ぐ必要は全くありません。ほうっておけばいいのです。そのうちナルトサワギクは嘘のように消滅するか、在来種と適度に折り合いをつけて共存するでしょう。ま、申せば危機を煽って騒ぎ立てるのは、税金をくすね盗る常套手段なのです。

つぎの参考サイトは環境省のものです。
環境省の特定外来生物の解説(ナルトサワギク)
ナルトサワギクの分布拡大状況

たしかにナルトサワギクは爆発的に広がりました。諭鶴羽山系の海岸から山頂まで、いたる所にはびこっています。
諭鶴羽神社境内地(海抜520メートル)にまで広がったナルトサワギク
↑この写真は南あわじ市の諭鶴羽神社の境内地の端で撮りました。海抜520メートルです。山の上です。ナルトサワギクの種子は多くのキク科植物と同じく綿毛のような飛行装置付きで、風に乗って山の上だろうが海を隔てた島であろうが、どこまでも飛んで行きます。分布拡大能力は高そうです。

しかし、ナルトサワギクが侵入できるのは “裸地” だけです。土の見えている裸の土地だけです。草の生い茂っている所、つまり先客のいる所には、その先客を押しのけてまで侵入するだけの馬力はありません。また森の中の林床に侵入するのも無理です。つまりナルトサワギクは典型的な “陽生植物” のようです。で、新しい裸地であるならば見事に生えてきます。
新しい裸地に一斉に生えるナルトサワギク
↑南あわじ市灘来川のある谷の護岸工事で削り取った斜面です。ご覧のように見事にナルトサワギクがはびこりました。方形にロープを張って個体数とか被植率など調査するまでもありません。95%ぐらいナルトサワギクだらけです。わずかにレモンエゴマの小さいのが少し混じっているだけです。

わが世の春とはびこるナルトサワギク
↑南あわじ市灘来川です。裸地に侵入した後2~3年すると、ナルトサワギクはこのような状態になります。わが世の春です。草丈は低くて50~60㎝ぐらいなものです。これがナルトサワギクが一番に隆昌を極めている状態です。写真の下部に見える丸い葉はハスノハカズラです。多分これが今後ナルトサワギクに果敢に戦いを挑むと思います。ハスノハカズラが蔓を伸ばして、ナルトサワギクの上に覆いかぶさって繁茂するのです。

どんなに権勢を誇っても、栄耀栄華はいつまでも続かないのです。古人が喝破しています。 “たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ” ものごとには消長や浮沈があり、やがて衰退するときは必ず来ます。それはヒトの世も植物も同じなのです。

ナルトサワギクの衰退
↑ここは南あわじ市灘白崎です。ここも谷の護岸工事で山の斜面を削った所です。2~3年前にはナルトサワギクだらけでした。今でもナルトサワギクは残ってはいますが、明白に衰退しています。他の植物が侵入してナルトサワギクに勝っています。

写真が小さいので分かりにくいのですが、樹木ではカラスザンショウ、センダン、キリ、ジャケツイバラが侵入しています。草本ではヨウシュヤマゴボウ、オオマツヨイグサ?(幼草で花がないので識別不能)、タケニグサ、レモンエゴマ、イヌホウズキ、ハスノハカズラ、ススキが侵入しています。ナルトサワギクの枯れて黒くなったものも沢山あります。樹木は大きくなるし、ヨウシュヤマゴボウやタケニグサは2メートルぐらいにもなる大型の草です。ナルトサワギクが被陰されて消滅するのはもはや時間の問題です。

●マダガスカル島原産の外来植物のナルトサワギクが鳴門で発見されたのは1976年、淡路旧西淡町で見つかったのは1986年ですが、それから35年(25年)爆発的に増えたようでも、分布拡大の限界というか、この種の消長というか、そういうものが見えています。指数関数的に増え続けることなどあり得ないのです。かならず頭打ちがやってきます。爆発的に広がったように見えても、ナルトサワギクが生育している所はかなり限定的な場所です。道路工事に関連した法面とか、残土の捨て場所とか、埋立地、客土の盛ったところなど土の見えている裸地だけです。

●つまり、ナルトサワギクは在来植物と競合するのではなく、在来植物が繁茂する植生を破壊して土がむき出しになった裸地にはびこっているのです。掲げた4枚の写真の場所はすべて斜面の植生を破壊した所です。ヒトが在来植物の植生を破壊しておいて、破壊後にナルトサワギクがはびこっているのを見て、在来植物がやられる、などという主張はアホウといわずして何と言うのだろうか?

●オーストラリアでは大きな問題になっているようですが、そもそもオーストラリアは乾燥大陸、植物が少なく裸地が多く、雨の降る季節になれば爆発的に繁殖すると思われます。一方、日本列島はそもそも隙間なく緑に覆われた国土でして、ナルトサワギクがつけ入る余地はあまりありません。牧草地でも牧草が茂っていれば侵入できないでしょう。ナルトサワギクはすでにセイタカアワダチソウのたどった道を進んでいます。ほうっておけばいいのです。「駆除をしないと大変だ」などと善良な国民を脅迫して、税金をかすめ取ったり、天下り外郭団体の増殖をねらう環境省官僚のプロパガンダを真に受けないようにしましょう‥…。
梅雨のお山は白づくし…、白の花ばかり
本日は6月7日です。

今日は諭鶴羽山系の南側の灘山本から北側の上田池まで、山道をオンボロ車で通行しましたが、白い花の目立つこと…、ビックリするぐらいの白づくしです。昭和30年代ごろの燃料革命から早50年たちました。炭焼きや薪に木を伐ることがなくなって久しく、山々は樹木が鬱蒼と茂り深い緑に覆われています。どんなに茂ってもあくまでも<二次林>である筈なのですが、もはや自然林に近いような森林になっております。とうぜん林床には太陽の光が差し込まず、草本類が一斉に消えつつあります。よほど耐陰性の高い草しか残りません。山道の両側はマント植生が形成されているという感じで少しは草本類はありますが、それも残るのはシカの食べないものだけ…、という状況です。そして、その山道の両側にある灌木には白、白、白、と白い花が満開です。

ガマズミ、コバノガマズミ、ウツギ、マルバウツギ、エゴノキ、それからタンナサワフタギ。これらはみな真っ白な花です。それからヤマボウシの花も既に咲いていましたし、イボタノキも満開ですが白です。ネズミモチやリョウブもぼちぼち咲き始めていましたが、やはり白です。『兵庫県版レッド・データ・ブック』所収の貴重植物では、Cランクの「ハマクサギ」も咲きかけていましたが白です。それからBランクの「ヤブイバラ」や「ヒメシャラ」も開花していましたが、これらも白い花です。とにかく白だらけなのです。

6月の山は、どうしてこんなに白い花ばかりなのか? 清楚といえばそうだけれども、全く華やかさがありません。つい1か月前にはフジの紫、ジャケツイバラの黄色、ツツジ類の赤や桃色…、と色彩の多様性に富み絢爛豪華だったのとは様変わりです。6月は天気が悪く日中でも薄暗い日が多いせいなのか? 洲本測候所の月日照時間の平年値は、4月が198時間、5月が202時間、6月が163時間、7月が200時間、8月が231時間で、6月は20%落ち込みます。薄暗くても良く目立つように白なのでしょうか? (本当の理由は知りません)

ヒメシャラ
↑ツバキ科ヒメシャラの清楚な白い花。諭鶴羽山の花期は6月上旬から中旬ぐらいです。写真でわかるように蕾がまだ沢山あります。一斉に咲くのではなく順番に咲いていきます。

ヒメシャラの幹
↑ヒメシャラの幹。幹は平滑ですべすべしています。滑るので登りにくい樹木です。それで灘地区ではサルスベリと言っています。樹皮の色は茶色から赤褐色で、しばしば写真のような斑紋ができます。ほとんど斑紋のない個体もあります。

タンナサワフタギ
↑ハイノキ科タンナサワフタギ。タンナは韓国済州島の古い呼び名らしいです。関東以西に分布しブナが生えるような標高の高いところに多いようです。ふさふさとした花序を出します。

タンナサワフタギの花
タンナサワフタギの花。

ウツギ
↑ウツギの白い花。園芸品種ではピンク色のウツギもありますが、野生のものは白ばかりです。

ところで、われわれヒトの眼では可視光線しか見えませんが、動物たちはヒトの持っていない色々な能力があるのはよく知られています。昆虫たちは紫外線でものを見ていますし、ある種の長い虫は赤外線でものを見ます。洞窟に生息するコウモリは超音波でものを視覚のように見ていると言われています。花がその造形や色彩の妙を凝らす目的は訪花昆虫たちの注意を引いて、受粉に協力するように仕向けるためなのでしょうが、ヒトにはつまらない白い花も、昆虫たちにはあでやかな色に見えているのかもしれません。観察した小さな白い花も小さなハチのようなものとか、いろいろな昆虫が沢山来ていました。
昆虫の目だと花はこんな風に見える
意外なグラフ、最高気温が上がっていない
意味ありげなグラフを作ってみました。これはわが淡路島の誇る「洲本測候所」(現在は無人の特別地域気象観測所)の観測データによります。“毎年夏の最高気温の最大値” の90年間推移です。1919年から2010年の推移です。横にするとグラフが小さくなるので、縦にしました。首を90度傾けてご覧くださいませ。なんと、驚くことには気温が上昇しているようには見えません。どう見ても上がっていませんよね。種も仕掛けも、誤魔化しもありません。気象庁の観測データをそのまま単純な棒グラフに加工しただけで、小細工は一切していないのです…。

いったい、これは何を意味しているのか? このグラフが物語る “深い示唆” をわれわれは読み取る必要がありそうです。このようなグラフを作成する場合には、気温が上昇しているのか? 下降しているのか? あるいは横ばいなのか? そのトレンドを視覚的によく分かるようにするため、“5年移動平均” を計算してグラフ上に描画する必要があります。しかし、そうするまでもなく、“毎年の最高気温の最大値” の上昇が起こっていないのは明白です。ただし、“下降 → 上昇 → 下降 → 上昇” のような波があるのは読み取れます。

洲本測候所の年最高気温の90年間推移グラフの元観測データ

洲本測候所の年最高気温の90年間推移

なお、グラフの説明に「1911年から2010年までの80年間」とあるのは「1919年から2010年までの90年間」の単純な間違いです。

意外に思われるかもしれませんが、<ヒートアイランド現象>(都市化現象)の影響をほとんど受けていない観測所の「最高気温推移」はこんなものです。洲本測候所は三熊山の原生林の中にあります。洲本市の市街地からは100メートルの垂直高度差があり、鬱蒼とした原生林という隔壁があって、とても素晴らしい周辺環境の中にあるのです。ほかには、高知県の室戸測候所などは国内最高の観測所です。ヒートアイランド現象など無縁のところにあります。洲本測候所は室戸測候所の次のランクにくるぐらいの良い観測所です。実はこのような良好な環境の観測所では、夏の最高気温はほとんど上昇しておりません。これから夏になると、マスコミは暑い暑いと騒ぎ立てるでしょうが、国民の8割がすむ都市部では大都市はもちろん、中都市・小都市にいたるまですさまじいヒートアイランド現象が起こっています。田舎の小都市にいたるまでヒートアイランド現象が発生していることを裏付ける論文や報文はたくさんあります。都会の夏が暑いと言うのはしごく当たり前のことで、その要因はほとんどが<都市の大膨張>が関係しています。淡路島はべつに暑くはなっていないのだから、心配する必要はありません。

洲本測候所の90年間の最高気温の極値は1967年の36.7℃です。最小値は1993年の31.0℃で、その差は5.7℃もあります。1993年といえば冷夏でコメの作況指数が74にまで落ち込み、記録的な大冷害が発生しました。東北地方や北海道、信州ではコメ作が壊滅的被害となりました。タイ米を緊急輸入するなどコメ騒動があったのはまだ記憶に残るところです。翌年の1994年は一転して、西日本を中心にしてものすごい猛暑でした。アメダス観測所の和歌山県かつらぎで40.6℃、静岡県天竜でも同じく40.6℃を観測しました。この年の洲本測候所のデータは35.5℃を示顕しています。グラフを良く見ると毎年の変動は激しいのですが、涼しい夏の翌年は猛暑という傾向があるのが見られます。

洲本測候所でも室戸測候所でも、都市化の影響のほとんどない山の中とか岬の先端とかの観測所のデータを子細にみると、夏の最高気温はほとんど上がっていないのです。しかし、冬の最低気温の上昇はハッキリと認められます。温暖化の実態は、都市化による昇温を除去した<バックグラウンドの温暖化>ということを考えれば、夏はそう変わらず冬の気温上昇による<気温年較差>の縮小が起こっていると言えそうです。

●追記 洲本測候所は樹林の中の観測所なので、観測データの中に<樹木の生長の影響>を含んでいる可能性があります。もし周辺の樹木の生長という環境変化があるのならば、それは「年日照時間の減少」となって現れると思います。生長した樹木の枝が日差しをさえぎるからです。その観測データは毎年のバラツキが著しいので、昔・中間・今の10年間平均を調べてみました。

(昔)1919年~1928年 10年平均年日照時間  2247.5時間
(中)1956年~1965年 10年平均年日照時間  2067.6時間
(今)2001年~2010年 10年平均年日照時間  2088.5時間

昔と今では7~8%日照時間が減っています。ただし50年前からは全く変わりません。中と今は昔よりも雲が増えた(天気の悪い日が増えた)可能性も考えられます。都市部など他の観測所のデータも10か所ほど調べました。すると他の所でも日照時間の減少が認められます。都市部の観測所ならば都市の膨張とともに次第に高いビルが出来て、朝晩の日差しを遮っていることが考えられます。洲本測候所はどうなのか? これを論じるには、詳しく調査する必要がありそうです。

樹木やビルで日照時間が減ると気温にどう影響するのか? お日様の当たりが少し減るので涼しくなる作用がありそうですが、実はそう簡単ではありません。東北大学名誉教授の近藤純正氏(気象学)が逆だと指摘しています。樹木が生長したり近くにビルができると、風が遮られて空気が淀みます。すると空気の垂直方向への上下混合が少なくなって気温が上がります。また風が弱くなって水分の蒸発がへります。そうなると気化熱が奪われなくなり潜熱輸送が減って気温が上昇する、という<陽だまり効果説>を近藤純正氏は唱えています……。

●堅苦しい話題でしたので、お花見をしましょう。
サフランモドキ
↑ヒガンバナ科のサフランモドキです。メキシコなど熱帯アメリカ原産で、江戸時代の終わりごろの1845年に日本に伝来したらしいです。南あわじ市でもあちことに野生化しています。

淡路島が北限地の植物 キキョウラン
淡路島が北限地の植物というのはあまりないのですが、その一つにキキョウランというものがあります。

分布の北限地というのは、植物地理学などの学術的には高く評価されるようで、北限地にある植物というだけで各県のレッド・データ・ブックでは、貴重種にしていることが多いものです。北限地では、その土地の教育委員会がその植物の写真入りの案内看板を設置したりします。観光名所として売り出すこともあります。北限地をめぐって自治体同士の主張合戦になったりします。たとえば、イチジク科の樹木にアコウという亜熱帯要素の植物があります。北限地を主張している5つの自生地の自治体ホームページを閲覧して調べてみました。自生地の緯度が高い順番に並べました。

徳島県小松島市金磯     県指定天然記念物 北緯33度59分46秒
和歌山県日高郡日高町比井  町指定天然記念物 北緯33度55分台
山口県周防大島町大水無瀬島 県指定文化財   北緯33度48分台
佐賀県草津市高串      国指定天然記念物 北緯33度25分19秒
愛媛県西宇和郡三崎町三崎  国指定天然記念物 北緯33度23分31秒

自生地の緯度は国土地理院の地形図でしらべましたが、草津市の自生地は「アコウ自生北限地帯」という文言で、また三崎町の自生地は「三崎のアコウ」ということで地形図に記載されています。佐賀県草津市の自生地は国土交通省・国土地理院がここが自生北限だ、とお墨付きを与えた格好になっています。しかし地形図に記載する地名というのは、国土地理院が市町村役場に「地名調書」の提出を依頼しておこなわれます。自治体側が「アコウ自生北限地帯」と地形図に入れてくれと主張したのではないか?

この上位5つのアコウ北限自治体は、それぞれホームページで「うちが北限地だ」と主張しています。しかし緯度の分・秒まで見たら、愛媛県と佐賀県は北限レースから脱落です。山口県も周囲が海の島に自生しているということなので、より北に自生する可能性はなく、脱落です。おそらく徳島県小松島市が真の北限地のようです。少し微妙なのは和歌山県日高町から北の由良町にもあるらしい? との情報もあり、ひょっとすると逆転する可能性は少し残っています。

北限地というものは、このように自治体がうちこそ北限地だと主張して、天然記念物に指定するほど価値のあるものなのです。わが淡路島・南あわじ市が北限の植物であるキキョウランですが、旧西淡町伊毘の沖の島に自生しています。ここは北緯34度15分27秒で自生分布北限地です。和歌山県有田市宮崎の鼻にもあり有田市が北限地だと主張していますが、そこは北緯34度4分33秒で、南あわじ市の勝ちです。他にも有田市よりもう少し北の和歌山県と徳島県の紀伊水道沿岸に自生が確認されているようですが、きわどいところで南あわじ市が勝っております。

南あわじ市は観光に力を入れているので、キキョウランを北限地の植物として市指定の天然記念物にして、観光名所にしたらいいのでは? 

●6月6日6行追記 キキョウランは亜熱帯要素の植物です。台湾やインドネシアなど南方に広く分布するものが、琉球諸島や九州南部・四国南部、それから紀伊半島西部を回廊のようにして北上してきて、ついには淡路島にまで到達したという分布北上のしかたを示しているようです。次の各県レッド・データ情報図でなんとなく分布が想像つきます。
キキョウランに関しての各県別のレッド・データ情報

ユリ科のキキョウラン
沖の島のほか沼島と灘大川・地野・仁頃から潮崎あたりの海岸絶壁の上にあります。「兵庫県レッド・データ・ブック」ではBランクの貴重植物と評価しています。

花のアップ
花は5月ごろ咲き小さな紫色の花です。夏ぐらいになると紫色で小豆ぐらいの大きさの果実ができます。キキョウランなどと名前にランが付くのですがラン科ではなく、ユリ科の植物です。葉っぱがシュンランの葉を大きくしたようでもあり、また園芸種のシンビジュームの葉を小さくしたようでもあります。葉がラン科植物に似ていることから付いた名前なのでしょう。

●7月09日 果実が色づいたので写真を追加。
キキョウランの果実
↑果実の色もキキョウ色です。長さ8~9㎜程度で、紫色の小さな宝石のような果実です。
諭鶴羽山にはユズリハは分布せず
諭鶴羽山の名前の起源は、諭鶴羽神社のイザナギ・イザナミ2柱のご祭神が、ツルに乗って飛来したことに因んだものだと言われてきました。しかし、ツルの生態から言ってそれはあり得ないことを先の記事で申しました。ご祭神が乗ってきたのはコウノトリだというのが私の唱える説ですが、おそらく昔の人はツル類もコウノトリも一緒くたにして見分けなかったのだろうと想像しています。あるいは、見分けて「これはツルとちょっと違うぞ」と気づいても、縁起のいい瑞兆の鳥とされていたツルにしておこう、ということも想像できます。

さて、諭鶴羽山の名称の起源としてもう一つ巷間いわれているのは、ユズリハの木が多いからだ、と言うのもあります。しかしながら諭鶴羽山どころか兵庫県にはユズリハは分布していないのです。これは説などではなく事実です。証拠の資料をうしろに提示したいと思います。後掲の資料は三田市にある「人と自然の博物館」の『研究紀要』に10年にわたって年報形式で発表されたものです。毎年50ページ程度づつ発表し、1冊の書物として一挙に発表されたものではないのです。

この年報は何かというと、兵庫県内で採集された植物標本の目録です。専門家や植物愛好家たちが大勢かかって、時間も大正・昭和から100年もかけて、兵庫県下で採集した膨大な植物標本の目録リストです。集めた標本も数十万点から数百万点のオーダーになると思われます。その標本保管機関は主に「人と自然の博物館」と「頌栄短期大学の福岡・黒崎研究室」です。その標本の中にユズリハはないのです。

大勢の人が、100年にも及ぶ長い間、休日には野山を歩き回り、なにか新しい植物がないか捜して標本を集めても、結局兵庫県内からはユズリハの自生は見つかりませんでした。兵庫県に自生するユズリハ科植物は日本海側の山にあるエゾユズリハと全県的にあるヒメユズリハの2種だけなのです。

“植物の分布を調べる”というのも生物学の一分野です。標本などというと博物学的な感じがしますが、自然科学の一端ですから、証拠主義が方法論の基礎にあります。証拠に基づかない言説にはなんの説得力もありません。その植物がそこに自生するかしないかの証拠が標本ということになります。諭鶴羽山にあるのはヒメユズリハばかりです。

●URLを含め5行追記 うっかり書き忘れました。下に掲げた資料はインターネットで閲覧できます。「人と自然の博物館」はどんどんと情報提供を始めました。博物館は社会人の教育施設でもあります。問題のユズリハ科の記載場所は179~180ぺージです。
人と自然の博物館研究紀要所収 『兵庫県産維管束植物4』 


↓兵庫県産維管束植物4 179ページです。右側の列の下の方にユズリハ科があり、エゾユズリハの種名がみえます。
兵庫県産維管束植物4 179ページ


↓兵庫県産維管束植物4 180ページです。左側の列の上のほうにユズリハ科の続きがありますが、ヒメユズリハの種名がみえます。
兵庫県産維管束植物4 180ページ
諭鶴羽神社の祭神飛来伝説についての新説
諭鶴羽山にまつわる伝説によれば、イザナギ・イザナミの二柱の神が、ツルの羽に乗ってはるばるインドから飛来して、カヤの大木に止まったとされています。その飛来したルートはインド→中国→英彦山→石鎚山→諭鶴羽山→熊野ともいわれています。そのカヤの大木の横に諭鶴羽神社が創建され、そのお社は熊野の元宮であるといわれています。

自然観察の目で見ると、この話には相当変なところがあります。変なのはツルに乗ってきたという部分です。鳥類の生態から言えばそれはあり得ないのです。おそらくツルではなく「コウノトリ」の羽に乗って二柱の神が飛来したものと考えられます。

ツルには多くの種類がありますが、その採餌場や営巣地は森の中でも山の中でもなく、平地であり、水田や沼とか池のほとりなど湿地が多いからです。食性は雑食性で魚や虫や植物の種子などなんでも食べ、巣はヨシの草叢のなかなどに作るとされています。渡り鳥のツルの飛来地として有名な鹿児島県出水市では、ツルは大切な観光資源なので餌をやって大事にしています。で、いくら調べてもツルは水田や湿地にいます。ツルは足の構造から木の枝には止まれないようになっています。これが山や森に棲まない(棲めない)理由です。
鹿児島県・出水市のツル情報

湿地や水田で暮らすツルが600メートルもの山の中に飛来することは、その生態からあり得ず、しかも足の構造からカヤの大木に止まることもできないのです。したがって、イザナギ・イザナミ二柱の神がツルに乗ってきた説は生態学的に破綻しています。

いちばん可能性が高いのはコウノトリです。ツルとコウノトリは分類上はかけ離れていますが、見かけは酷似していて、日本人はツルとコウノトリとを混同してきました。西洋ではコウノトリが赤ちゃんを運んでくるというぐらいですから、神様を運んでくるのはあり得ます。コウノトリは森の樹上に巣をつくります。コウノトリならば山の上に飛来する可能性は高いでしょう。

さてイザナギ・イザナミ二神を羽に乗せて(あるいは嘴にくわえてかも?)運んできたコウノトリが止まったカヤの大木ですが、諭鶴羽山系に分布しています。諭鶴羽神社の社叢林のなかにも自生しています。私の観察でも胸高直径が30センチほどのものが2本ありました。古来「カヤ」は「イヌガヤ」の別名でもありますが、“カヤの大木”という伝説なのでイヌガヤの可能性は全くありません。

カヤ………20~30メートルの大木になる。樹形はモミの木に酷似しま
     す。葉の先端が針になっていて触ると痛いです。
イヌガヤ…せいぜい5~6メートルぐらいのもので、大木にはなりませ
     ん。葉の先端は触れても痛くありません。

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↑こちらはカヤ。葉の先端が針になっていて痛いです。実はこれは鉢植えの盆栽です。

イヌガヤの枝先
↑こちらはイヌガヤの枝ですが、葉の先端は痛くありません。若い果実が着いています。南あわじ市灘倉川です。ここの谷筋にははイヌガヤがとても多く自生しています。
紅葉する常緑樹と、黄葉する常緑樹
常緑樹と言う言葉があります。その対義語は落葉樹でしょうか、それではどこがどう違うのか? 落葉樹ならば秋に落葉します。たとえばサクラならば秋おそくに赤く紅葉しますし、イチョウならば黄色に黄葉して、木枯らしで一斉に落葉してしまいます。では常緑樹はいつ落葉するのか? 

うっかりしていると落葉しないのでは? などと考えがちですが、もし落葉しないのならば毎年出た葉がずーっと残って、その木は葉だらけになってしまいます。すると葉っぱが多すぎて込み合い、葉っぱ同士で日陰を作ってしまうでしょう。そうすると太陽光が当たるのは樹冠のごく表面だけ…、樹冠の内部のふところは日陰で真っ暗…、おそらく光合成に支障が生じるにちがいありません。「幹や枝の容積」に対する「光合成可能な葉の総量」との比率が崩れて樹体を維持できなくなり、最悪の場合、枯死する危険性もありましょう。

そう考えると、定期的に、あるいは折々に、適度に葉を落とすという生理現象はまことに意義深そうです。落葉樹ならば厳しい冬をやり過ごすためとか他の理由もありましょうが、常緑樹が落葉するのもとても意義深いものです。常緑樹も日照りが続きあまりにも乾燥すると、落葉するのはよく見られる現象です。わざと葉を落として蒸散による水分の喪失を食い止めるとか、一種の防御反応でしょうかね?

さて常緑樹がいつ落葉するか色々な樹木を観察すると大別して2型ありそうです。(針葉樹は除く、広葉樹のみです)

クスノキ型………春の新しい葉が出るのとほぼ同時に旧葉がおちる。
        それも旧葉と新葉が、一斉に短時間ですべて入れ替
        わる。葉の寿命はちょうど1年。
        クスノキ、アラカシ、アカガシ、クロガネモチなど。

カクレミノ型……今春の新しい葉が展開してから、古葉が夏までかけて
        だらだらと落葉する。葉の寿命は2~3年とか割合に
        長いことが多い。つまり旧葉がしぶとく枝に残る。
        クスノキのように1年ですべての葉が入れ替わるので
        はない。カクレミノの他、ツバキ、ビワなど。     

落葉の色は? 常緑広葉樹の落葉は多くのものが緑のまま落ちます。赤く色づくのはホルトノキ、テイカカズラ、カナメモチなど。黄色くなるのはカクレミノ、ツバキ、サカキ、ビワなどです。

カクレミノの黄葉
↑ウコギ科のカクレミノという樹木の黄葉です。本日6月2日に撮った写真です。古い葉が黄色く色づいていますが今年の春に出た新しい葉が覆い隠しているので、あまり目立ちません。木全体を見ると黄葉はほとんど目立ちません。この樹木は春遅くから夏にかけて、2カ月か3カ月ぐらいのやや長い日数をかけて落葉します。

ホルトノキの紅葉
↑これはホルトノキという樹木です。諭鶴羽山系では洲本市由良あたりの山裾に多いです。他の所にもないことはないのですが、あまり多くはありません。ヤマモモにとてもよく似ていて、初めて見た人は「これはヤマモモだ」と10人中7人ぐらいが騙されます。私も植物観察を始めた当初は騙されました。しかしよく見るとやはりなんとなく違います。

緑の葉に混じって赤い葉がついています。この樹木は紅葉するのです。ヤマモモの葉は枯れて茶色になることはあっても、けっして赤くはなりません。そして面白いことには、このホルトノキは赤い葉が一年中見られます。冬でも赤い葉が混じっています。そして一年間を通して落葉するのです。長い日数をかけてちょっとづつ、悪く言えばだらだらと落葉するという性質を持った樹木です。

ホルトノキの全容
これはホルトノキの全容です。樹形を観察すると、樹冠の輪郭がモコモコと夏の入道雲のような形状です。この木は南あわじ市福良にあるのですが、かなりの大木です。根元に祠があるところからご神木であるらしいです。年中紅葉があってパラパラと葉が落ちてくるのでは、祠を掃除する人は大変だろうと思います。


センダンは双葉よりかんばし
『栴檀は双葉より芳し』(せんだんはふたばよりかんばし)という諺言(げんげん)であまりに有名なセンダンが咲きました。この樹木の名はよく知られていますが、意外にどんな木なのか知らない人も多いようです。しかし珍しいものでは全くありません。淡路島では山でも里でもありふれた普通種です。これならば「見たことがあるよ」という人がほとんどでしょう。

さて『栴檀は双葉より芳し』といえば、不世出の偉業を成し遂げるような俊英は、ごく幼少のころから抜きん出たものがある、というような比喩表現です。ではセンダンにそんなに芳しくて良い匂いがするのか? 実際に花に鼻を近づけてみました。たしかにほのかな香りはします。悪い匂いではありません。どちらかと言えば良い香りです。しかし花はどんな花でもたいていは良い香りがするものです。諺にいうほどのことはありません。

じつは、センダンというのは白檀(びゃくだん)の別名で、本来ならば『白檀は双葉より芳し』と表現するべきなのです。ビャクダンはインド原産の木らしいです。ジャワ島原産説もあるらしいです。英語名ではサンダル・ウッドと言うらしいです。
インド・インドネシア・太平洋諸島などに生育するビャクダン(ウィキペディア)

●6月5日4行追記 センダンは淡路島全島で普通に見られますが、街路樹など栽培品の逸出であると考えられます。西日本に広く見られるようですが、真の自生の分布域は不明のようであります。また有毒植物で家畜の中毒例があるそうです。

センダン科センダン
↑6月3日南あわじ市灘城方にて 満開のセンダン

センダンの葉と花
花と葉っぱはご覧の通り。標本を作る要領で台紙に張り付けて、スキャンしました。
へたな写真よりディテールがわかりやすいでしょ。
ただ、プリンターのスキャン機能を使っただけで、A4サイズしかはいりませんでした。で、葉っぱが画面からはみ出した。この葉っぱの全長は43センチ、難しく言うとこれは「2回奇数羽状」の葉っぱです。この葉は小さめのものでしたので、1メートル近い大きな葉っぱでは、「3回奇数羽状」の可能性もありそうですが確認していません。花のつく枝(花序)は円錐状で、花弁は5枚あるのが分かります。花の詳しい構造はやはり実物を手に取りルーペで観察する必要があります。

(言わんとすることは、写真では何も分からない、ということです。つまり写真など単なる参考に過ぎないのです。実物あるいは標本が最高に大事だということなのです)
襲早紀要素(そはやきようそ)とは何か?
襲速紀要素(そはやきようそ)とは何か? ソハヤキ…なんだか不思議な言葉ですわね。でも呪文のことばでも秘密の言葉でもありません。

植物地理学では、日本列島の大部分は 「全北植物区系界」 の中の 「日華区系区」 に属します。ただしトカラ列島と屋久島のあいだの 「渡瀬線」 以北でありまして、琉球諸島は 「旧熱帯植物区系界」 に属していてフローラ (植物相) はがらりと変わります。

山中二男先生の分け方
そして日本列島の地域ごとのフローラの特徴なりを比べて、それに基づいて細かく地理的区分することになりますが、研究者により諸説あるので、というよりも百家争鳴という感じで研究者の数だけ分け方があるのではと思うほどです。それで、私のような一般の植物愛好・観察者はいったいどの説に従ったらいいのか? 信じたらいいのか? 困るところではあります。で、しかたがないから私の愛読書の一つの、 山中二男著 『日本の森林植生』 築地書館、1990(新装版)で行くことにさせていただきます。 この本はとても良い本ですから買っていただきたいと思います。難解な書物ではありません。植物や自然について学ぶ人にはいい参考書です。

山中二男先生 (元高知大学教授) の説による日本の植物地理区分の特徴は、森林植生を重視した分け方で、多くの研究者の説を尊重して良いところを折衷させた区分といえましょう。大きく4つに分けて、更に小区分しています。①と④は大区分のみです。日本列島を10個の植物地理区系に小区分しています。

① 沖縄・奄美
② 太平洋側 A襲速紀 B瀬戸内 C本州中部山岳 D関東
③ 日本海側 A山陰 B飛騨 C羽越 D陸中
④ 北海道


森林植生を考慮した日本の植物地理区分

↑ 山中先生の 『日本の森林植生』 150ページです。襲早紀地区が良く分かるように、勝手にピンク色に彩色をほどこしました。研究者によって見解に相違があり、静岡県西部まででなく、伊豆半島や神奈川県までを含むという考えかたもあります。また九州に関しては中央構造線以北の九州北部は違うという説もあります。

襲速紀地区は、西南日本外帯にほぼ同じ
●さて、こうして10個の小区系に分けた一つに、『襲速紀地区』 というのがあるわけですが、この襲速紀地区に分布の中心がある、あるいはこの地区に特徴的な植物を 『襲速紀要素』 というわけです。この襲速紀という言葉は造語で有名な植物学者である小泉源一先生の考案です。襲 = 熊襲 (くまそ・九州のこと)、 速 = 速水瀬戸 (はやすいのせと・九州と四国の間の水道)、 紀 = 紀伊 (きい・紀伊半島) の頭文字をつなげた造語であります。

おおむね中央構造線より以南で、フォッサマグナ (大地溝帯) 以西の地域と考えたらよろしいようです。東から、静岡県西部・愛知県・岐阜県南部の東海地方、三重県・奈良県・和歌山県の紀伊半島、徳島県・高知県・愛媛県の四国、それから九州中部・南部が 『襲速紀地区』 なのです。ただし香川県など中央構造線以北や、大分県・福岡県の瀬戸内海側は 「瀬戸内地区」 に入れられます。この地域は地質的には、いわゆる西南日本外帯と呼ばれているところです。土壌のもとになった母岩だとか、日本列島が形成される地史が特有の植物をはぐくんでいるのではないか? と考えられています。また2000~3000ミリ(山間部では4000ミリも)にも達する豊かな降雨も関係しているとされています。

●この襲速紀要素に当たる植物は沢山ありましょうが、諭鶴羽山系にも自生するものとしては次のような植物があります。ウラジロマタタビ、クロガネモチ、ウンゼンツツジ(諭鶴羽山系のものは白花のシロバナウンゼンツツジ)、モチツツジ、オンツツジ、テイショウソウ、シライトソウ、ヒメシャラ等。淡路島は地質的には中央構造線の北側の領家変成帯にあたるので、植物地理的には瀬戸内地区に属するのでしょうが、植物の分布は画然と線引きできるわけではなく、隣接する区系の植物が勢い余ってこちらにはみ出しているという感じでありましょうか?


襲速紀要素の植物の一例、諭鶴羽山系のオンツツジ
ただし、真っ赤なオンツツジも、紀伊半島では品種のムラサキオンツツジに変わるようであります。また、オンツツジは瀬戸内地区の香川県の低山にもあります。そうピシリと画然と分布を分けるわけではなさそうです。
オンツツジ
↑ オンツツジというのは 「雄躑躅」 で、オスのように逞しく雄大なツツジという意味です。典型的な襲早紀要素の植物です。花は目が覚めるような美しい朱色で大きな花のツツジです。兵庫県レッド・データ・ブック2010ではCランクからBランクに格上げされました。

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